第2節

 ボードレールは『現代高踏派詩集』に名を連ねたが、高踏派に完全に同調したわけではない。彼もロマン主義の行き過ぎには嫌気を起こすのだが、と言って、高踏派の主張するような感動あるいは動機のない詩、純粋に美学的な詩の無意味なこともまた理解していた。彼は文学・美術批評によって鍛えられた批評眼によって、感動と言語、霊感と表現との間の新たな関係を見つけ出そうと力を尽くす。

 『悪の華』を読めば、ボードレールがいかに現実から苦しめられていたかがわかる。「憂鬱スプリーン」とはまさにその苦悩だ。美と純粋と美徳のみからなる「理想」は束の間の光明として現れるに過ぎず、持続する「時間」は「憂鬱」の共犯者としてある。彼はそこからの逃避を、薬物、酒、感覚的陶酔など、様々な「人口の楽園」によってはかろうとする。ボードレールが直面していた現実は資本主義が確立されてくる十九世紀中頃のフランス社会だ。大革命の「自由・平等といううるわしい標語を金銭獲得競争におけるそれにすりかえたモラルのうえにたつ」(加藤民男「訳者あとがき」)社会である。この社会にあって彼の〈自我〉は引き裂かれるが、彼はそこから撤退しない。詩を現実と〈自我〉の間に置くことによって、「詩を世界ならびに〈自我〉の目に見える、あるいはかくされた領域を新たに理解する鍵」(ドミニック・ランセ)とする。 

 ランボーは資質的にはロマン主義者だった。彼は少年時代の詩篇において既に家庭、教会、学校、祖国への反発・反抗を表しているが、それは彼が詩人である限り変わらない志向だった。パリ・コミューンに労働者の側に立って参加し、その挫折を見た彼は、当時のブルジョア社会に対して強烈な否定的意思を抱いていたと思われる。しかし現実は変え難い。現実が変え難いものなら自らの〈自我〉を詩人にふさわしいものに変革しようとランボーは思う。「見者ヴォワイアン」への志がそれである。「詩人はあらゆる感覚の長期にわたる、大規模にして熟慮された錯乱によって見者となるのです」と彼は友人に宛て書く。その後の二年間のヴェルレーヌとの同性愛、アプサント、阿片、ハシッシュなどの乱行・錯乱はその実践だった。『イルミナシオン』においてランボーは詩の言葉によって自分の理想世界を構築しようとした。彼には言語をもって現実に拮抗させようとする衝動がある。「言葉の錬金術」がぎりぎりまで駆使される。しかしいかなる詩的魔法も一瞬の輝きしかもたない。全てを語り尽くし、全てを試み尽くした後に、そのことを悟らざるを得なかった彼は、詩と西洋文明を捨て、アフリカの砂漠に去る。

 ボードレール、ランボー、そしてヴェルレーヌとマラルメは異質だ。前三者にあっては人生は冒険であり、詩作はそれと結びついていた。しかし地味な英語教師であるマラルメの生涯には常軌を逸したところはひとつもない。語学教師の生活の物質的困難や煩わしさ、中学生の悪童どもに紙つぶてを投げられ、罵られる悲痛など、手紙に綿々と綴られる悩みはあるとしても、明日は何が起こるかわからないというような状況ではなかつた。高踏派の考え方に共鳴している彼は現実と詩作との間に厳しい一線を画す。彼の詩が生まれる場所は前三者のように〈自我〉が現実とぶつかり、きしみ呻く場ではない。ルコント・ド・リールは古代の文化や異国の歴史に詩の主題を求めたが、マラルメは形而上的世界から詩想を得てくる。彼は書斎の中で現実とは断絶された詩を夢想するのだ。

 「〈美〉しかない。しかも〈美〉の完全な表現は一つしかない。それが〈詩〉だ。これ以外はすべて嘘だ」と彼は書く。彼にとって〈詩〉はこの世界の虚無と唯一対峙するものだった。『ラルース世界文学事典』の「象徴主義以後の西ヨーロッパの文学」の項に、「前世紀(十九世紀)を通じて、とりわけてその末期に、金銭が支配する卑俗で息づまる世界から逃れようとする欲求が広まった。宗教的信仰が支配力を失うにつれて、詩への信仰が代替物の役割を果たすようになる」とある。マラルメは「一八六五年から六八年へかけて、その身も心も揺るがす精神的な危機をくぐりぬけた。彼は信仰を棄て、『この古い羽毛なる神を打ち倒した』と自負する。だが、こうして穿たれた溝は埋められねばならない。詩に対する信仰によって」(アンリ・ペール)マラルメにとっての〈詩〉は神にも代わるべき「聖なるもの」であり、〈詩〉の門を叩くこと、即ち入信することなのだ。

 彼は「聖なるもの、常に聖ならんとするものは、何であれ神秘をまとっている」と言う。この立場から彼は「万人の芸術」に反対する。詩はその道の玄人に対してこそ差し向けられており、芸術家は常に貴族主義者でなければならないとする。「詩のなかには常に謎があるべきで、これが文学の目的なのです」とマラルメはアンケートに答えている。こうして彼の晦渋さは意図的なものである。

 詩を信仰に代置した彼は、詩に仕える詩人を、神に額突く信徒のように非在化する。「私はいまや非人称であり、もはや君の知ったステファヌではなく、かつて私であった人間をとおして精神の〈宇宙〉がみずからを見、みずからを展開する場としての一個の能力である」と彼は友人宛の書簡の中で書いている。ロマン主義以来、詩の基盤になっていた〈自我〉がマラルメに至って終滅を宣告されたと言える。詩は彼において〈自我〉から断ち切られ、「広大な気違いじみた形而上的夢の追求」(アンリ・ペール)を課せられることになる。

 マラルメが評価されるようになったのは第一次大戦後であり、その地位が揺るぎないものになったのは第二次大戦後という。(アンリ・ペール)二つの世界大戦の惨禍は近代を育んだ人間理性やヒューマニズムへの信頼を大きく損なった。一方で、独占段階に達した巨大資本による支配の浸透、人間までを含めたあらゆるものの商品化の進行がある。こういう事態は個々の人間の尊厳を掘り崩す作用をした。こうした状況を背景にして文学の世界では、ロマン主義以来、核とされてきた〈自我〉の「解体」が言われるようになった。詩から〈自我〉を先駆的に放逐したマラルメが評価されるのにはこうした事情が作用していたと思われる。 

                       (2002年執筆)


〔参考文献〕

*ドミニック・ランセ『十九世紀フランス詩』(阿部良雄・佐藤東洋麿共訳 文庫ク    セジュ 白水社) 

*同右『十九世紀フランス文学の展望』(加藤民男訳 以下同右)

*アンリ・ペール『象徴主義文学』  (堀田郷弘・岡川友久共訳 以下同右)

*『ラルース世界文学事典』(角川書店)


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ランボー試論 坂本梧朗 @KATSUGOROUR2711

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