付録 象徴主義覚書き 『沙漠』224号 

第1節

 「象徴主義」が世界の詩史に登場してから既に一世紀以上が経つ。その影響は全世界的である。現在も「象徴主義」の流れに立って詩作していると自認している詩人は多いことだろう。わが国は特に「象徴主義」と縁が深い。西洋詩の移入が始まって間もない前世紀の初頭には早くも象徴詩を標榜する詩集が発刊され、その後の詩の発展に大きな影響を与えることになった。私の詩作の立場は「象徴主義」の流れとは異なるが、それゆえに逆に気になる対象と言おうか。とにかく詩に携わる者として無視できるものではなく、無視すべきものでもない。むしろそれを研究することで得るところも多いのではないかと考える。

 「象徴主義」の動きは世界各地に見られるが、以下の叙述では特にフランスの詩史に限定して述べていきたい。 ルネサンス以降の西洋の詩の歴史は一九世紀までに、古典主義、ロマン主義、象徴主義と推移するとされる。象徴主義を考えるにはその前のロマン主義を概観しておく必要がある。フランスの詩におけるロマン主義は一八二〇年に出たラマルティーヌの『瞑想詩集』が口火を切ったと言われている。そしてその世紀の半ばまではロマン主義の詩の時代とされている。代表的な詩人にはラマルティーヌ、ミュッセ、ヴィニー、ユゴー、ネルヴァルらがいる。理性を重んじ、人間の普遍性を対象とする古典主義に対して、ロマン主義は感情と想像力を重んじ、個的な〈自我〉を詩作の基盤に据える。自己の内面に詩の源泉を求め、自己の存在と情熱の独創性を主張する。詩の内容と形式に様々な規則を設けていた古典主義に対し、自己の心内の衝動以外には何の規制も認めまいとする。十九世紀のフランス社会は大革命によって生まれた近代社会であり、個人の内面的解放を主張するロマン主義はまさに近代的な自我の確立を担う文学思潮だった。

 自由に書くことを主張するロマン主義は、また、自由のために書こうともする。ユゴーは、「文学の自由は政治的自由の娘である」と述べている。ロマン主義の詩人達は、「表現力が欠けている」「言葉を見つける訓練ができていない」(スタール夫人)民衆の代弁者として専制に対しても闘おうとする。

 以上のような特徴を持つロマン主義に対して反動が起こる。繰り返される個人的な主題とその変奏、過剰な心情吐露にうんざりした一部の詩人はロマン主義への意義申し立てを始める。さらに一八四八年の革命の挫折はロマン派の政治的参加の主張に幻滅をもたらす。こうしてロマン主義への反動として現れてくるのが高踏派だ。高踏派は象徴主義への橋渡しとなる重要なグループだ。高踏派の盟主と目されるルコント・ド・リールに即してその内容を見ていこう。

 まず彼にとって詩作とは何より自制の行為である。彼はロマン派が基盤とする〈自我〉のめくるめく内面から距離を置く。そして、没個性的な、壮大な、永遠な大主題だけを詩の主題として選定する。これによって彼は現実生活がもたらす厭世主義ペシミズムから身を守る。一方では彼は「純粋かつ絶対的にして超越的な〈美〉を詩篇のなかに到来させようとする欲求」(ドミニック・ランセ)も抱いている。彼は古代や異国の考古学、歴史、文化の資料を研究し、自らの詩中の美に客観性をもたらそうとする。詩の有する自由と偶然性を科学の厳密さと折り合わせようとするこの志向は、当時、科学の進歩を背景にして強まった実証主義の考えと結びついている。彼において詩作は完璧な美を得るための苦業であり、修辞や形式においても非妥協的に完璧さが求められる。ルコント・ド・リールに同調する若い詩人達は高踏派パルナシアンのグループを作る。『現代高踏派詩集』が刊行されるが、その中には、ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメといった後に象徴主義を生み出す詩人達も含まれていた。マラルメが高踏派に惹かれたのは偶然ではない。ルコント・ド・リールの詩作に対する態度や考え方はマラルメが表明するそれと非常に親近している。

 

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