第3節

 「愚行」を償うように「愛徳」「善行」を「義務」として自分に課したランボーはアビシニアにおいてそれを実践したようだ。例えば彼は隊商を一緒に組んだラバチュという相棒の商人が死んだために、彼の残した債務を支払わなければならなくなったのだが、貧しい百姓たちには請われるままに弁済している。「これらの哀れな人たちはどれもこれも実直そのものなので、私もつい心を動かされて払うことになります。ドュボワなる男から二十ターレルの金額を請求されたことがあります。その言い分が正しいことを認め、私はそれを支払い、なお彼がはだしでいるのをこぼしているので利子として私の靴を与えました。」(アデン、一八八七年十一月九日付ド・ガスパリ宛書簡)「それに僕はやり方に人間味があるということで、この土地や街道筋ではみんなからかなり尊敬されています。僕は一度だって人に悪いことをしたことがありません。それどころか機会があれば少しばかり善根を施しており、それが僕の唯一の楽しみでもあります。」(ハラル、一八九〇年二月二五日付母親、妹宛書簡)「アデンでは誰一人として僕のことを悪く言う者はないはずです。どう致しまして、僕は十年来、この地方で、立派な人物として知られているんです。」(同前、一八九〇年二月二五日付母親宛書簡)

 そしてこれはランボーの自己満足ではなかった。病床に伏したランボーに商人仲間から見舞いや励ましの手紙が届く。「恐れることはありません。貴方に家族はないにしても、貴方には何人もの善き友がいるのですから」(ソティロー差出人名、以下同)「(マコンネン)長官は貴方が苦しまれたに違いない手術に深く悲しんでいると、我々全員に二十回も繰り返しながら、貴方がこの上なく誠実であったと、また貴方は彼に真の友人たる証拠を幾度となく示したと、言っていました。」(サヴレ)「足が一本あってもなくても、人生の道を行く妨げにはなりはしません。」(ビエネンフェルド)そして、感動的とも言えるディミトリ・リガースの手紙。

 「親愛なるランボー様。きょうやっと三月三十日と六月十七日のてがみがついて、あなたがしゅじゅつして足をきったことがわかりました。わたしもハラルのあなたの知りあいみんなもとてもかなしくおもいました。できればわたしの足をきってほしかった。はやくよくなることをいのっています。わたしのほうは、あなたがハラルにいなくなってから、せかいがなくなったようなきもちです。(略)」(以上、示した手紙は全てアラン・ボレルの前掲書より引用)     

 最後に「労働」について。ランボーは「科学」と「労働」に新しい社会をもたらす原動力を見ていた。それは間違ってはいなかったと思う。ただし、彼は「労働」の中には入れなかった。ブルジョア支配下の労働を「卑しい」とした彼の「自尊心」が決定的障害となった。当時は国際労働者協会(一八六七年創立 第一インターナショナル)の運動も始まっていた。パリ・コミューンの中核となったのはこの協会のパリ支部のメンバーたちだった。「僕はいずれ労働者になります」と書いたランボーが本当に労働者となっていたら、「科学」と「労働」が結合したこの新しい労働運動の内実に触れることができたかも知れない。そうなれば世界変革を目指す彼の詩も新しい展開を持ち得たかもしれない。

 アビシニアでのランボーは休みなく働いた。これも「見者」時代とは対照的だ。「これはどうしたってばかばかしくてうんざりするような暮らしですよ」(ハラル、一八八一年二月十五日付家族宛書簡)と嘆きながらも、彼はいろいろな商売の計画を立てて何度もキャラバンを組み、炎熱の大地を縦横に動きまわった。「日に十五キロから四十キロも歩き回り」(一八九一年七月十五日付イザベル宛書簡)と彼は書く。ヴェルレーヌが「風の靴をはいた男」と呼んだランボーは「少なく見積もっても七千キロメートルを、歩きまた馬上に旅をした。」(アラン・ボレル前掲書「放浪」)。この地においてヨーロッパ人が虐殺され、商品が略奪される事件が頻繁に起きていた当時にあって、ランボーは地域の情勢や現地人の習俗をよく研究し、難を巧みに避けた。死の床についてさえも彼は仕事のことを気にかけていた。ランボーは病気のために帰着したロッシュから何としても再びハラルへ、アデンヘ戻りたがった。死の前日、妹に口述筆記させたフランス郵船支配人宛の手紙は彼の執念を示す。「…こういった便はそこら中至るところにありますが、この私は体の自由のきかない、哀れな人間でどれ一つとして自分では見つけ出せないのです。そのことは路上のどんな犬でもその通りだと貴殿に言うでしょう。つきましては、アフィナルの便でスエズまでいくらするか運賃をお知らせ下さい。私は全く体の自由がききません。したがって、早いうちに乗船したいと思います」彼は出発を期したまま永眠したのだ。ランボーは仕事に希望と計画を持ち、勤勉だった。労働者に親近感を抱いていたが、彼自身、働き手としての資質を十分に持っていたと思う。その意味でも「見者」の時代は彼の本性が抑圧されていた時代だった。

                                     了






〔主要参考文献〕

 『ランボー全集 全一巻』 金子光晴・斉藤正二・中村徳泰 共訳 雪華社 一九七〇年

 『素顔のランボー 同時代の回想と証言 ドラエー/イザンバール/マチルド/イザベル』 宇佐美斉 編訳 筑摩書房 一九九一年

 『ポール・ヴェルレーヌ』 ピエール・プチフィス 平井啓之・野村喜和夫訳 筑摩書房 一九八八年

 『アビシニアのランボー』 アラン・ボレル 川那部保明訳 東京創元社 一九八八年 

 『ランボー、一〇一年(現代詩手帖特集版)』 思潮社 一九九二年

 『十九世紀フランス詩』 ドミニック・ランセ 阿部良雄・佐藤東洋麿 共訳

 ※ ランボーの作品、書簡の引用は*の箇所を除き、上記『全集』によった。*の箇所は『素顔のランボー』によった。

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