第2節

 その後のランボーの詩に関する完全な沈黙について述べなければならない。その理由の第一は既述のように、彼の目指したものと食い違ってしまった詩は彼の人生には必要でなくなったということだ。ランボーは一八七四年以降、イギリス、ドイツでフランス語の教師をしながら英語、ドイツ語の習得、その他の勉強に精を出す。七五年にはドラエー宛の手紙で大学入学資格試験についての問い合わせをしたり、ロシア語やアラブ語などの勉強にも熱を上げている。つまり彼は精神的に萎えてはいない。しかし、文学については「僕は今はもうその方面に夢中になるような気にはなれないんだ」(一八七五年十月一四日付ドラエー宛書簡)と言う。つまり文学は彼の知的営為の範囲にないのだ。アフリカに渡ってからも同様だ。ランボーの知的好奇心は衰えない。彼は家族宛の手紙で何度も書籍を買って送ってくれるよう頼んでいる。書名の例を上げれば、「土木工事の施工」「測地学」「水理学」「曲線作図法」「力学の初歩」「応用天文学概論」「鉄道線路敷設工事便覧」(一八八三年三月一九、二十日付家族宛書簡)等々。いずれも彼が現地で必要と判断したものだ。こうした形でランボーの「真理」の探究は続いているのだ。しかし文学はない。文学は必要でないのだ。

 理由の二番目は彼の深い慙愧だ。「見者」への道は彼に多くの代償を支払わせた。最大のものがヴェルレーヌの破局だっただろう。ヴェルレーヌはランボーにとって恩人とも言うべき存在だった。彼をパリに呼び寄せ、芸術家仲間に紹介し、生活を支えてくれた。それだけではない。「地獄堕ち」の相棒ともなったのだ。ランボーは彼に何を報いたか。長男が生まれて間もない幸せな新婚家庭の破壊と、ヴェルレーヌを犯罪者として監獄に送り込むことだった。それがたかが「幻覚」を「定着」するために支払われた代償だった。彼は『地獄の季節』の「草稿」のなかで、「今や、おれは、芸術とは一個の愚行なり、と言い切ることができる」と書いている。そして懺悔のように、「善行に敬礼しよう」と書き添えているのだ。『ランボー、一〇一年』(思潮社、一九九二年刊)の「ランボー年譜」によれば、一八七九年の九月、シャルルヴィルのカフェで、ドラエー、ピエルカンと談笑していた時、文芸書を買ったピエルカンに対して、その手の本は「壁のシミ隠し」に過ぎないと冷笑したという。アラン・ボレルはランボーが「愚行」の時代を否定した多くの言葉を紹介している。一八七六年十二月、文学活動について問い掛けたドラエーに、「もうそんなことにかかずらわっちゃいないさ」と答え、ブリュッセル事件の裁判の後、ヴェルレーヌの話をしようとするエルネスト・ミロに、「ゴミためをほじくり返したりしないでくれ、不愉快きわまりないんだ!」と言った。商人となったランボーと関わりのあったモーリス・リエスの一九二九年の証言。「若気の過ちと呼んで彼が毛嫌いしていた過去を捨て去ってきたのだと、いつもうれしそうに語っていた」また、ランボーは彼に、「安酒みたいなもんさ!あんなのは、安酒に過ぎなかったのさ!」と言ったという。ランボーの雇主だったバルデー商会の店主の弟、アルフレッド・バルデーが、ロンドンでの生活を尋ねた時の答え。「あそこでの僕の生活? 酔っ払っていただけさ…だけど、もう芸術家連中の話はしないでほしいな、あんな奴らのことは知りあきた。」さらに、スイス人探検家ジュール・ボレリの手紙。「一緒に過ごした時間は長かったけれど、彼の以前の生活について私も彼に尋ねなかったし、彼も決して語ることはなかった。」死が迫っていた一八九一年、ロッシュで、ヴェルレーヌについて質問したボーディエ医師に対して、「ひと言でいえば、詩なんか糞くらえ、ということなんです」と答えた。こうした事例を見ると、「見者」の時代に対するランボーの深い慙愧、そして忌避までもが感じとれるのだ。これが彼の沈黙を徹底したものとした。

 この沈黙は「名声」が彼のもとに訪れはじめても変わらなかった。アラン・ボレルによれば、一八八三年、ヴィシーで休養中のバルデーは、彼の雇っているハラル支店長(ランボー)が詩人ヴェルレーヌの知己であり、それも俺おまえと呼び合う仲だったと知って驚く。さらに彼はアデンへの帰途、フランス郵船の船上で、新聞記者から、ランボーの詩がカルチエ・ラタンで人気を博しているという話も聞く。バルデーは早速そのことをランボーに伝えた。ランボーの答えは、「馬鹿げてる。お笑い草だ。聞くのもいやだ!」というものだった。一八九〇年七月、マルセイユからロラン・ド・ガヴォティが送った手紙がランボーに届く。「敬愛する詩人へ。貴兄の美しい詩篇を拝読いたしました。そこで貴兄へのお願いです。小生の編集する『ラ・フランス・モデレヌ』誌に、デカダン及びサンボリスト一派のリーダーとして御寄稿いただければ幸甚です…」ランボーは黙殺した。さらに病に倒れたランボーを息をひきとるまで献身的に看病した妹イザベルの思い出がある。苦痛のために奪われた睡眠を取り戻すために罌粟の箭じ薬を飲んだランボーは「正真正銘の夢のなかで」数日間を過ごす。彼の記憶は異常に透明になり、子供の頃の思い出、心に秘めた思いを語りだす。そのなかで、イザベルは「あのひと(ランボー)はあのハラルで、文学上フランスで成功を収める可能性のあることを聞き知っていたにもかかわらず、青年期の作品は、『くだらない』のだから、続けなくてよかった、と思っていた」ことを知る。「名声」は多くの詩人が求めるものだ。才能への報酬として。或いは創造の労苦への報酬として。中には、ただ「名声」だけを求める「詩人」も多い。ところが、ランボーのこの「名声」への無関心、死に至るまでの徹底した無視。多くの詩人にとってランボーの「謎」とは実はこのことなのだ。それは永遠の「不可解」となるだろう。ランボー本人にとっては自明のことなのだが。

 

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