回転寿司攻防戦
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「鉄火巻きとたまごください」
注文した皿は二つとも百円なので、二つで二百円だ。安いと思う。一度、会社に海外のお客さんが来た時、社長の行き付けのすし屋に同席した事があるが、一人五千円くらいした。もちろん社長持ちだったが。そんなのに慣れている人は、こんな回転寿司には来られないだろう。如何にも庶民的で、休みの日など家族連れで店内が一日中賑やかしくなる。
注文した寿司が運ばれてきた。
店によっては、タッチパネルで注文し寿司がトレイに乗って自動的に運ばれて来る所もある。受付も自動の所があり、そんな店では人に接するのは支払いの時だけだ。本当は俺は、そんな店の方が好みだ。人と顔を合わせなくていいし、言葉を交わさなくていいし、誰にも気兼ねしなくていい。
世の中で華々しく活躍していくためには外交的な性格の方が良いのかもしれないが、俺はそうではない。いろいろと自動化されている社会のお陰で、なんとか生き延びている。本音で言えば、「会話レス社会」に感謝だ。
ただ、この店は、すいている時は余り回転台には皿が流れてこないので、対面で注文し、店員が運んで来る。ちょっと気を使うが、やむを得ない。
「まぐろとサラダ軍艦ください」
もう二皿注文した。ちなみに、ここまでは全て百円の皿だ。もちろん、安い方が良いというのもあるが、高級なネタはどうも口に合わない。幸か不幸か、うにや帆立などに二倍もお金出してまで食べたいとは思わない。子供が好む様なネタで十分だ。俺の味覚は安上がりにできているようだ。
ただ、一つだけささやかな問題がある。いや、俺が勝手に問題と思い込んでいると言ったほうが正確かもしれない。それは、俺の控えめな性格だ。控えめというと聞こえは悪くないが、どうも小心者で、いつも周りの目を気にしてしまう。それに、人に対してハキハキと物が言えない。仲間内では饒舌にべらべらしゃべりまくるが、知らない人に対しては急にモソモソしてしまう。子供なら「この子は人見知りするんですよ」で済むが俺は立派な大人だ。さらにこれに加えて、日本古来の「恥の文化」と昨今の「同調社会」の申し子のような優柔不断な性格をしている。
つまり、周囲の目を気にして、影響されやすいのだ。これが実は回転寿司で食事をする際にも影響してくる。
隣のカウンター席をちょっと覗いてみた。若い男性で、現場系という
しかし、見て驚いた。半分近くが二百円か三百円の皿だったのだ。その時、男はじっと見ている俺に気付いたようだった。俺は慌てて目を逸らした。
《うーん、このくらいが普通なんだろうか》
試しに、斜め後ろのテーブルを見てみた。こちらは若いカップルだ。そんなにお金に余裕があるとは思えないが、こちらも百円皿は半分もない。いや、3分の1以下だろう。
ちょっと考えてしまった。カップルは、見栄で高いネタを頼んでいるのかもしれない。しかし、現場系若者の場合はそうではないだろう。
俺のような普通のサラリーマンが全部百円皿というのが、なんだか浮いているように思えてきた。店員も目の前の職人もそう思っているかもしれない。これが旅の途中で一回だけ寄った店というならいいが、折角近所に出来た店だ、時々は来たい。
《あっ、また百円皿しか注文しない客が来た》
なんて思われたくない。しかし、他の客を気にして、自分も二百円皿や三百円皿を頼むなんて、もちろん馬鹿らしい。分かってはいるが、ちょっと気が引けてきた。周りを見なければ良かったのだが、見てしまった。どうしても気になってしまう。細やかな性格なのだ。
さて、どうしたものか。本当は「納豆巻き」が欲しいのだが、そうすると五枚連続で百円皿になってしまう。
俺はここで意地を張ってもしょうがないと思い、二百円皿を頼む事にした。今後もお世話にある店なのでチップ代わりだ、などと自分を納得させた。
『別に百円皿だけだっていいじゃないか』
と、内なる声が囁くが黙殺した。
「うに一皿ください」
寿司職人がジロっとこちらを見たような気がした。一皿だけの注文が気に入らないのだろうか。うにが特に好きという訳ではない。ただ、これで百円皿が四枚、二百円皿が一枚だ、周囲の客にも、
『あいつ、百円皿ばっかり食っている』
なんて思われなくて済む。
うにが運ばれてきた。店員はちょっとむつっとした表情で皿を置いて行った。やはり、一皿の注文は運ぶのも面倒なのだろうか。ちょっとマズかったかもしれない。別に気にしなくてもいいのは分かっているが、気になってしまう。
あと二皿ほど食べたいが、ここで百円皿を頼んでしまうと、二百円皿が申し訳なさそうに一枚だけあって、後は全部百円皿、という状態になってしまう。いかにも、「全部百円は避けた」という感じが見え見えだ。皿を数えに来る店員もそんな風に思うに違いない。そして軽蔑の眼差しで俺を一瞥するかもしれない。
《たかだか数百円の違いだ》
そう自分に言い聞かせ、最後の注文は、二百円と三百円の皿をそれぞれ一枚ずつ頼むことにした。これで、全体として適度な混ぜ具合だ。周りの客と比べても遜色ない。というか、遜色云々と考えている自分が情けなくなってくる。どうしても体裁が気になる。
「帆立と
回転寿司で鰻を初めて食べる。三百円皿の大盤振る舞いだ。帆立は二百円皿だ。鰻は好物だが、帆立は得に好みではない。
《百円皿なら五皿も食えるのになあ》
俺の中の貧乏人根性的損得勘定が、そう訴えているが聞き流した。
待っている間、ガリを食べようとした。しかし、ガリの容器は空になっていた。一瞬、店員にガリを頼もうと思ったが、
《注文もこれで最後だから、無理にガリ食べなくてもいいか》
と、頼もうとしない自分を正当化させた。さりげなく、店員とのやりとりを避けているのだ。お客様なんだから堂々と、
「ガリお願い!」
と言えばいいのだが、控えめな俺はそれがなかなか言えない。子供のように人見知りするをしているなら、まるで「ダメ大人」だ。
なんとか「声を出さずに」ガリを手に入れようと、頭を
《そうだ、空き席のガリ入れと交換しちゃおう!》
と思い、きょろきょろ周りを見回してみた。しかし、隣席の客に目撃されてしまいそうだ。では、その客がトイレに行っている間に、さっと取り替えようか。でもいつトイレに行くんだろう。見た所、お茶をがぶがぶ飲んでいる訳でもないし、ビールもないから、しばらくはトイレに行かないかもしれない。
そこまで考えて、自分が嫌になってきた。どうしてガリが欲しいのに、隣の客の水分摂取量を観察しているのだろう。これでは「風が吹けば桶屋が儲かる」ならぬ、「そいつが水分取ればガリが手に入る」だ。良く言えば、実に頭の回転がいい。推理小説家にでもなれるかもしれない。しかし、こんな頭の回転の良さは全く余計だ。余計な思いを巡らすのに脳ミソとブドウ糖を使っている。みみっちい思考回路がグルグルしているだけだ。
フウテンの寅さんなら、
「おう、ガリくれねえか。俺はガリ好きなんでねえ」
と、たぶん三秒で済む。それを俺は一人でぐちゃぐちゃ考えている。この不甲斐無さはいったいなんなんだろう。できれば俺も「三秒」の側の仲間入りしたい。
そうしているうちに、帆立と鰻がやってきた。これで最後だ。少し足りないが、今日はこれでおしまいにしよう。
『全部百円皿にしていたなら、同じ金額で、もっと満腹だろうに』
と、俺の中の貧乏人根性的損得勘定が、不満そうに
家に帰ってからも少し考えていた。店はなかなかいい感じだ。店員の応対も悪くない。寿司職人が、ちょっと無愛想だが、あれも職人気質というものなんだろう。むしろ、ニコニコしていたらなんだか気味が悪い。
しかし、今日の自分は、かなりダメダメだった。何がダメかと言うと、本当は全部百円皿を頼みたかったのだが、他のお客さんの皿の山を見て、或いは店員になんとなく気兼ねして二百円皿や三百円皿を注文してしまった。なんで思っている通りに注文できなかったんだろう。
『これじゃあ、コスパも悪い』
と、貧乏人根性的損得勘定が、文句を言っている。
この店は近くて便利だ。しかも安い。でも、高いネタを頼んでしまってはコスパが悪い。安く済ませるためには、周囲の客など無視して自分で思った通り注文できればいい。そう、簡単な事だ。でも、実際に店に行くとできない。周囲の客が気になる。周囲の客や店員の雰囲気を「空気」というなら、空気を読んではダメだ。誰かが「空気なんて読むな」と言っていた気がするが、その通りだ。空気さえ読まなければ、堂々と百円皿を注文できそうだ。
回転寿司での、何かすっきりしない不満と自己嫌悪のモヤモヤに陥っていた時に助言をくれたのは、他ならぬ友人だった。会社の同僚だ。休みの日には、たまに俺の部屋に遊びに来る。ある時、俺は友人に百円寿司での自分の不甲斐無さを話した。
「不甲斐無いというか何というか、良く分からないな。単に、食べたいものを頼めばいいだけだろ。空気を読むとか寅さんとか言っているが、全然関係ないじゃん」
俺の繊細さに比べて、友人は豪胆な所がある。決して荒削りな訳ではなく紳士的なのだが、物事にシャキシャキと歯切れ良く対応して行く。羨ましい性格だ。きっと俺よりずっと早く出世して行くに違いない。
「それがなかなかできないから、困ってるんだろう」
俺は反論したが、友人に通じないことは分かっている。友人は一つ提案を持ちかけてきた。
「こんなのはどうだ。とりあえず百円皿十枚を食べる。最初からそう決め込んで店に行くんだ。店員の態度や、周囲の客などは一切無視する。これができれば自信が付くんじゃないか」
友人は言いながら笑っている。この笑いは、
『どうせできないだろう』
という意味ではなく、
『単に注文するという普通の事を、まるで何かに挑戦するかのように話している事の可笑しさ』
からだろう。
俺にとっては、その通り、これは挑戦の名に値する。真剣にこの提案を受け止めていた。友人が一緒に行っては、俺一人でやり遂げた事にはならないので、自分だけで行く事にした。善は急げ、いざ出陣だ!
週末、俺は気を取り直して再び店の入り口に立っていた。今回はやるべきことは最初から決めている。今度こそ、自分の食べたいものだけを注文する。考えてみれば当たり前の事だが、それができていないから、こうして気焔を上げて臨んでいる。今日の目標は簡単だ。全部百円皿で十皿注文する事だ。
少し待たされた後、カウンター席に通された。努めて冷静さを保った。動じてはいけない。これは真剣勝負だ。俺は怖いほど真剣な表情をしているに違いない。そんな俺を見る人は、回転寿司で何をそんなに一途な顔をしているのだろうと、不思議に思うに違いない。
俺は、「空気読み遮断バリヤー」を起動した。いや、実際にはそんなものは無いが、そう思いでもしないと、つい周りの振る舞いに引きずられてしまいそうで怖い。
「鉄火巻きとたまごください」
前回と同じ出だしだ。もちろん百円皿だ。一枚ずつ頼もうかとも思ったが、店に手間隙を掛けさせるだけなのでやめた。店に嫌がらせをするのが目的ではない。まずは百円皿の一気通貫を完遂する事が第一目標だ。周囲は無視して精神を統一する。なんだか百円皿に託した不動の精神が、剣の道や禅の世界にも通ずるような気がしてくる。
「まぐろとサラダ軍艦ください」
これも前回と同じだ。さらに続けて百円皿を注文して行く。六皿食べ終わったところで、ちょっと休憩だ。お茶を
その時、心の中で何かがプチッと音を立てて、フッと緩むのを感じた。続いて、自分が自分のやりたいようにしている満足感を覚えた。ただお茶を啜っただけの刹那に充実した何かを感じている。当たり前の事なのだが、これまで自分はそうしてきただろうか。思い返してみると、これまでの自分はそうではなかった。自分の行為や仕草は、いつも周囲の人になんらかの影響を受けていたように思う。しかし、今は不思議と、ゆったり自分の世界に浸っている。寅さんだの何だのと言ってきたが、本当はこの感覚を求めていたのではなかろうか。落ち着きが心の底に染み渡るように広がっていく。湯飲みを手に、しばし、この感覚を楽しんだ。
そんな心地良さに浸った後、残りの四皿に着手した。二皿ずつだ。この頃になると、こちらをちらちらと見る客が目に付いた。こんな風に思っているのかもしれない。
『あの客、ずっと百円皿ばかりだよ。よく平気だなあ。俺だったら二百円の皿を一枚か二枚混ぜて頼んじゃうけどなあ』
でも、こんなのは無視だ。今の自分は、不思議なほど心が落ち着いてる。仮に、客の誰かが俺のところに来て、口頭でそう言ったとしても、
「ああ、そうですか」
と軽く受け流せるだろう。
前回はガリが無くなったが、今回はお茶が無くなった。俺は少しもためらうことなく大きな声を出した。
「すみませーん。お茶が切れました。お茶くださーい」
とうとう「寅さん」ができたことで、心の奥に、ささやかな高揚感を覚えた。思わずニタニタしてしまった。少しだけ、控えめな自分から脱した思いだ。こんな風に大声を上げるのを、「おじさんっぽい」というやつもいるかもしれないが、そんなやつは「空気読み人生」をずっとやっていればいい。
十皿目を食べ終わって、改めて、ゆっくりとお茶をいただいた。とうとう百円皿一気通貫ができて満足だ。そろそろ帰投だ。
大きな声で言った。
「お勘定お願いします!」
やってきた店員は、皿を数えながら何やら言いたげだ。
『こいつ、これじゃあまるで百均だな』
なんて思っているのかもしれない。そんな風に考えて、俺は自分で笑ってしまった。「百均」とはなかなかいい表現だ。
周囲の客が、こんな風にひそひそと話しているようにも思えた。
『全部百円皿とは見上げたもんだ。俺も今度来た時は百均にしようかねえ』
『百均いいねえ、安上がりで』
『いいお手本見た。無理して二百円や三百円の皿なんて頼まなくてもいいね』
店を出ながら考えていた。他の客もみんな俺と同じ事をしたら面白い。
『回転寿司、みんなで百円なら怖くない』
といった所だろうか。これでは、二百円や三百円の皿は全然売れなくなっちゃうな。想像すると楽しい。店には悪いが。
その後、何度か食べに行ったが、毎回百円皿だけで通した。店員や周囲の客を気にせずにいるのにも慣れてきた。実に楽チンだ。
ある時、久しぶりに店に行くと何か雰囲気の違いを感じた。少し観察していて気付いたのは、他の客の皿の山だった。どのテーブルを見ても、積んであるのはほどんど百円皿だけだ。二百円皿や三百円皿を見つけるのに苦労するくらいだ。いつのまにこんな風になったのだろう。これまでは大体、百円皿は半分くらいだった。百円皿ばかりの客なんて俺くらいだ。
《これは、もしかして、他の客が俺の真似をしたのだろうか》
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、慌てて打ち消した。そんなはずはない。考えすぎだ。確かに俺は目立っていたかもしれないが、周りにそんな影響を与えていたとは思えない。
改めて客席をゆっくりと見回した。店員も客もいつもどおりだが、積まれた皿が、すっかり百均になってしまっている。
いつものように百円皿を注文しようとしていると、店員が一人やってきた。店員は俺に向かって言った。
「あのー、百均様ですよね」
俺はそう言われて慌てた。「百均様」と呼ばれたのだ。確かに俺は百円皿ばかり頼んでいるから、「百均様」というのはその通りだ。そして、俺の顔を覚えていた事にも驚いた。確かに、ちょくちょく来てはいるが。
「あ、はい、そうですけど」
店員は手招きした。そしてある提案を持ち掛けてきた。
「百均様に特別の優待券を用意しました。今日からでも使えます」
聞けば、その優待内容はなかなかのものだった。二百円の皿を食べても、三百円の皿を食べても、百円に割り引くというのだ。要するにいくらの皿を食べても百円だ。これには食指が動いた。確かに俺は百円ネタの方が好みで、高級なネタだからと言って特に好んで食べるわけではない。しかし、鰻のように好きなものも幾らかはある。
俺の中の貧乏人根性的損得勘定は、盛んに、
『優待券いいじゃん』
と言っている。店員は、優待券を渡してくれた。券の左上には「百均様」と記してある。どうやら、俺専用の優待券のようだ。なんだか怪しいが、悪い気分ではない。
俺はここぞとばかり三百円の皿を次々に注文した。貧乏人根性丸出しだ。鰻はもちろんだが、中トロ、上穴子、蟹・・・・・・ これまで食べた事のないネタもあった。味は良く分からないが、悪くは無かった。俺のような者が食べても猫に小判のようなものだ。ちょっと勿体無い。しかし、百円とあらば、頼まない手は無い。店は丁寧な対応をしてくれる。いつのまにか、
『百円皿だけ食べよう』
という初心は、俺の中から消えていた。
首をぐるりと回して、もう一度周囲のテーブルを確認したのだが、どこも「百円皿の山」があった。二百円以上の皿を注文しているのは、どうやら店内で俺だけだ。なんだか、以前と逆になっているような気がする。
そんな時、近くのテーブルの二人連れの会話が聞こえてきた。
「こうして、どの客も百円皿ばかりだと気楽だな」
「うん、気兼ね無く、百円皿だけ注文できるから安く上がるな」
「これも、あの『百均さん』のお陰だよ」
「ああ、全くだ。それにしてあの『百均さん』は見事だったな。百円皿を十枚食べて、颯爽と店を出て行ったもんな」
「いやいや、格好良かったよ」
俺は、この会話の「百均さん」は自分の事なんだろうと思った。別に他の客に何か影響を与えようとしてやっていた事ではない。友人の助言をもらって、自分が自分の考えで行動できるようにするための「訓練」として始めたことだ。寅さんの様に、堂々としてみたかっただけだ。
しかし、この客の会話から察するに、俺は客達に大きな影響を与えてしまったようだ。俺の影響で、みんな百円皿になってしまった。店にとっては困った事だろう。これでは客単価が低くなってしまう。売り上げが減ってしまうのは気の毒だ。客の方は周囲に影響されずに好きなものを頼んでいる訳だから、これでいいだろう。
気がつくと周囲の客はちらちらとこちらを見ている。そりゃあ、そうだろう。みんなが百円皿しか頼んでいない中で、俺だけが全部三百円皿だ。これだけ格差があると、優越感を通り越して、ちょっと気まずくなる。もしかしたら、俺が「百均さん」だと気付いていて、
『百均さんなのに、なんで三百円皿ばかり食べているのだろう』
と訝しく思っているのかもしれない。みんなの持っている百均さんのイメージを壊してしまっているなら申し訳ない。しかし、せっかく得た特典だ。使わない手は無い。俺の中の貧乏人根性的損得勘定は、
『行け行け、どんどん三百円皿だ』
と一本調子で囃し立てている。俺は、三百円皿を注文し続けた。
優待券のお陰で、しばらくこの店に通った。優待券を使っても、普通の食堂で食べるより高くついてしまうが、そこは、悲しい貧乏人根性で、爆得気分が優先してしまう。バーゲンで要らぬものまで買ってしまうのと同じだ。
お陰で三百円ネタの味にもやっと慣れてきた。慣れれば確かにおいしい。三百円の価値があるかどうかは微妙だが、百円皿では味わえない良さが分かるようになってきた気がする。貧乏症の俺としては画期的だ。こういう安めの店で背伸びして三百円皿を頼むのは「エセ高級志向的純粋庶民」の本懐といった所だろう。
三百円皿はいつも十枚注文していた。百均でやった「百円皿十枚」とは大違いだ。しかし、普通なら三千円の所を千円で食べられる。お得だ。
優待券を楽しんでいた俺だが、ある時、周りの客が食べている皿に二百円や三百円のものが混じっているのに気がついた。もうすっかり、誰も彼も百円皿だけになっていたと思っていたのに不思議だ。俺はそれほど気には留めなかった。
《「百均さん」の効力が薄れてきたのかなあ》
そんな程度に思っていた。
しかし、状況は急速に変化していった。その次に行った時には、周囲の客の皿は、以前のように、半分以上が二百円皿や三百円皿になっていた。それでも俺は余り気に掛けなかった。
《やっと、最初の頃に戻ったという感じだな》
少し優越感が減退したが、それでも相変わらず三百円皿を食べ続けていた。ただ、後ろのテーブルで食べていた家族連れの会話が少し気になった。
「ああ、いつも三百円皿しか食べない客がいるよな。こんな客見ていると、こっちも百円だけでは格好悪いよな」
「お父さん、値段の高いのも頼んでよ。百円ばっかじゃ、恥ずかしい」
「分かった、じゃあ、三百円を頼もう。それにしても、あの客、前も見たような気がするんだよなあ」
父親は子供に促されて、三百円の皿のメニューをしきりに見ていた。
仕事が忙しくて、しばらく間が開いてしまったが、久しぶりに店にやってきた。店は相変わらず賑わっていた。いい事だ。
俺は、いつもどおり三百円皿を注文し、食べ始めた。なにげなく周囲の客を見ていて、
《おやっ》
と思った。食べているのが、全て三百円皿なのだ。二百円皿すらない。もちろん百円皿は皆無だ。
しばらく考えた後、もしやと思い、改めてメニューを確認した。そこからは百円や二百円のネタは消えていて、三百円のものしかなかった。この店はいつの間にか「三百均」になっていたのだ。しかし、回転寿司で三百円皿しかないなんて聞いた事が無い。でも客達は何の疑問も無いかのように三百円の皿だけを食べている。何が起きているんだろう。
俺には優待券があるが、普通の客はお金が掛かりそうだ。逆に言えば店にとっては客単価が上がり、大きく売り上げが伸びているに違いない。少し前までは俺も、他の客もみんな百円皿しか食べていなかったのにどうしたことだろう。
いや、思い当たる節はある。俺が優待券で三百円皿ばかり食べているのを見て、他の客も三百円皿を注文し始めたに違いない。それにしても、それが高じて食べているのが全部三百円になるなんて想像もしていなかった。店も店で、それに乗じてメニューを三百円皿だけにするなんてあこぎだ。いずれにしても、俺のやっている事が、他の客に大きな影響を与えている事は明白だった。
いつも通り三百円皿を十皿食べて、俺は帰ることにした。
《まあ、いずれにしても俺には優待券があるから、メニューから百円皿や二百円皿がなくなったってかまわないさ》
会計を済ませた。もちろん、優待券を使っているので、一皿百円だ。店から出ようとすると、店員は告げた。
「百均様への優待券は、今日で終了です。これまでご協力ありがとうございました」
急な通告に俺は驚いた。
「えっ?」
それまで当たり前のように使っていた優待券が二度と使えなくなる。もちろん、店員に文句を言っても始まらない。俺はすごすごと店を後にした。
《『優待券無しで三百円皿は食べないよな。これでこの店ともお別れだな。それにしても『ご協力ありがとうございました』というのは嫌な言い回しだなあ。まるで俺が店のいいなりになっていたような感じだ。いや、実際そうなのかもしれないが》
すっかり店には行かなくなった。さすがに三百円皿を自腹で食べるのは高すぎる。それでも時々店の事を思い出した。一時は俺を「百均様」扱いしてくれた店だ。また、「人見知り大人」の俺を、少しは「寅さん側」に近づけさせてくれた店だ。なんだか未練がある。前を通りかかると覗いてみる。やはり、客が食べているのは全て三百円皿だ。たぶんメニューも変わらず三百円皿しか無いのだろう。こうなっては、やはりもう店に入る事はなさそうだ。
しかし、客達の事が気になった。考えてみれば俺のせいでみんな三百円皿を食べさせられているようなものだ。調子に乗って、優待券を使いまくらなければ百円や二百円皿がメニューから消えることも無かっただろう。今考えれば、あの優待券は店の策略だったのかもしれない。俺が「百均さん」として影響力を振るうのを見ていた店は、今度はそれを
忘れようと思ってもなかなか忘れられなかった。自分が愚かだったのはともかく、他の客のために、もう一度百円皿メニューを取り戻したい。そう思った俺はあれこれ考えた。店に行って頼んでも無駄だろう。今の三百円均一は店が意図的に仕組んだものだからだ。かと言って、店の前でビラを配ったりプラカードを持って糾弾すれば営業妨害で捕まってしまう。最初の頃の様に、店に入って百円皿だけを頼もうとしても、そもそも百円皿はもうメニューに無い。
俺は要するに何もできないことを頭の中で確認し、半ば諦めていた。しかし、これにヒントをくれたのが、くだんの友人だった。一緒にこの店に行って優待券を自慢した事もある。彼の為に優待券を使う事はできなかったが、割り勘にすることで、いくらか安く食べてもらった。
「そうねえ、店を爆破する訳にも行かないし、人質をとって立てこもるのもなんだし」
友人は、やけに物騒なことを言う。真剣に考えてくれているのだろうか。
「ああ、俺も色々考えたけど、いい案は無いさ。別に損する訳でもないから、単に店に行かなきゃいいだけの事だけど、なんか心残りなんだよなあ」
すると、友人は言った。
「ちょっと地味だが、『百均さん』ではなく、『
聞いていた俺は、友人のこの提案を
「もちろん、お前一人でやっていても店は痛くも痒くもない。しかしだ、お前の『影響力』でそれが他の客に波及したらどうだ。話しを聞く限り、お前の影響力は相当なものなんだろ」
俺は少し興味を持った。でも、問題はその影響力だ。最初に百均をしたときには、それが他の客の思いや利害と一致した。それでみんなも百円皿だけになった。その次の時は、他の客の『周りを気にする意識』に働きかけ、みんなは三百円皿を頼むようになった。尤も、これらは結果論であって最初から意図していた訳ではない。
しかし、今回の「一皿さん」は何かが足りない。俺が一皿だけにしているのを見たとしても、それを真似する動機も理由もない。つまり、誰も付いて来てくれないという事だ。孤軍奮闘では、無意味だ。しばらく考えていた俺は、かなりこじ付け的な案を思いついて、友人に言った。
「ダイエットというのはどうだろう。一皿だけなので、糖質も少ないし、カロリーも低い。『痩せたい人、健康に気を使う人は是非』、という触れ込みだ」
友人の反応は今一つだった。
「うーん、悪くは無いが、それをどうやって周囲に伝えるかだ。ただ黙って一皿を前にしていても、回りの客は、お前が何をしているのか分からない。いくら健康の為とはいえ、店内で『皆さん、一皿ダイエットしましょう』とは叫べない。それこそ営業妨害になってしまう」
友人とあれこれ考えた挙句、席にわざとらしくダイエット雑誌を置き、「一皿ダイエット」のTシャツを着ることにした。店には相当睨まれるかもしれないが、この程度なら営業妨害とまでは言われないだろう。
Tシャツはこれから作る。黄色のTシャツに黒で大きく文字を入れ、目立つようにする。Tシャツが出来上がったら決行だ。
そして決行当日、お揃いのTシャツを身に着けた二人は店に入った。鮮やかな黄色のシャツは確かに目立つ。周囲の客もちらちらとこちらを見ている。席に着くと、ダイエット系の雑誌を席に数冊置いた。どれも「ダイエット」という大きな文字が目立つ。近くを通る客の目には入るだろう。
店員は雑誌やTシャツを見て怪訝な顔をしているが、もちろん咎められる
やっていてちょっと思ったのは、二人連れだと、こんなにも心強いものかという事だ。これまで一人で店に入っていろいろとやってきたが、一人はかなりの気力と根性を要する。しかし、友人と二人でいると、それだけで何でもできるような気になってくる。逆に自分がこれに甘んじてはいないか、心配になる。グループでいると堂々としていて、一人になると急にこそこそなんていうのは、俺が目指している所ではない。
そんな事を考えていたら、友人がメニューを見ながら言った。
「本当に三百円のネタしか無いんだなあ。変な回転寿司だ。これでもお客さんが入っているなんて驚きだよ」
「あー、元はと言えば俺のせいだけどな。責任感じるよ」
周囲の客は、誰もが三百円皿の山を作っていた。お店はホクホクだろう。
友人と俺は、計画通り一皿ずつ注文した。あっという間に食べ終わって、お茶を手に少し雑談をした後、ほどなく店を出た。長居をしても意味は無い。友人は言った。
「やっぱり、これじゃあ何にもならないかもなあ。インパクト弱いよ」
俺もそう思った。むしろ僅かだが店の売り上げに貢献しているだけだ。
「そうだな。でも、せっかく始めたんだ。俺一人で、あと何回かやってみるよ。例の『影響力』を信じてね。今日は付き合ってくれてありがとう」
友人と別れた。
その後、もう一度店に行ってみた。一回でたった三百円だし、これで昼飯を済ませれば、太り気味の俺には確かに良いダイエットになる。近くのスーパーでは298円弁当を売っているので、三百円一皿にはかなりコスパの悪さを感じるが、あと数回くらいはいいだろう。自分にそう言い聞かせて、もう少しやってみる事にした。
そんな時、近くのテーブル席の家族連れの女性が声を掛けて来た。
「あのー、そのTシャツってどこで売っているんですか。面白いので私も欲しいんですけど」
見れば、確かにダイエットをした方が良いかも、と思える、ふくよかな体系の女性だった。母親だろう。テーブルに目を
「このTシャツは自作なんです。もしよろしかったら作ってあげましょうか」
その母親としばし話し、父親と子供用を含めた三枚を作ってあげることにした。想定外の展開だが、これで「一皿さん」が広まれば面白い。Tシャツで金を儲けるつもりは毛頭無いから実費で引き受けた。
その後、約束の日にその家族と店で待ち合わせた。俺はもう何回か「一皿さん」を続けるつもりでいたので、そのついでだ。Tシャツを渡すと、家族には早速トイレに行き、真黄色の三人が出てきた。黄色が眩しく、なかなか鮮烈だ。
ちょっと驚いたのは、その家族連れが、本当に背中の文字の通り、「一皿さん」をやった事だった。一人一皿だけ食べて、帰って行ったのだ。本気で「一皿ダイエット」をやろうとしているらしい。俺はなんとなく責任を感じてしまい、ダイエットがうまくいくように願った。そういう自分もやや高いBMIと格闘していたので、これはいい機会かもしれない。
店ではこんな事もあった。隣のカウンター席の男性が俺に話しかけてきた。
「あんた、『百均さん』だよな。見覚えがある。見ていると最近は皿一枚だけでお勘定しているようだけど」
俺は簡単に事情を説明した。
「という訳で、他のお客さんに申し訳なく思っているんだ。だから、こうして『一皿さん』をやっているんだ。こんな風に『ダイエット』なんて書いてるけど、本当の理由はそっちなんだ」
その男は、
「ふーん、『一皿さん』か」
と言うだけだった。ただ、時折、その男は他の客に話しかけていた。何人も知り合いの客がいるようだった。それが影響してかどうか分からないが、その後も「一皿ダイエット」のTシャツが欲しいという客が現れた。実際、店に行くと、一人や二人は黄色のTシャツを見るようになった。そして、それらの客は実際に「一皿さん」をやっていた。徐々に広まり始めている手応えを感じ始めていた。店には迷惑だろう。友人にはやっと「一皿さん」が増え始めた旨、報告しておいた。
「一皿さん」は意外にも拡大を続けた。俺は店に行くのが楽しくなった。俺の影響力、いや、Tシャツの威力なのかもしれないが、段々と「一皿さん」が増えてきている。それを見るのが楽しいのだ。店から見ればとんでもないことだろう。
ある家族連れには感動した。4人家族なのだが、皿を一枚注文し、乗っていた二個の寿司をそれぞれ半分に切って、四人で分けて食べていた。なんだか映画「一杯のかけそば」を彷彿とさせる情景だ。
店にこれといった動きはなかったが、相当な打撃を受けているに違いない。店には悪いが、もう後には引けない。
そんなある日、店に入ろうとすると店員に呼び止められた。俺は営業妨害かなんかで苦情でも言われるのかと思ったが、違った。
「あの、百均さんですよね。いつもご利用ありがとうございます。百均様向けに特別な優待券があるので、説明させてください」
俺は予期していなかった展開に驚いた。またもや優待券だ。
《前回と同じように、百円で三百皿を食べさせてくれるのだろうか》
俺は話しを聞く事にした。
「今回の優待券では、一皿分のお金、つまり三百円で何皿でも召し上がれます」
俺は思わず、これは凄いと唸ってしまった。前回よりも割引率が高いと言える。俺の中の貧乏人根性的損得勘定がそう計算結果を伝えてきた。しかし、俺の良心はこれを拒んでいた。
《これを受け取ったら、前と同じだ。食えるだけ食って三百円皿をうずたかく積むのが関の山だ。《一皿さん》の決心はどうした? 他のお客さんの事はどうなったんだ?》
難しい判断を迫られた。爆得の誘惑が早く優待券を受け取れと言ってくる。対して、良識の神様が受け取るなとたしなめる。迷いに迷った挙句、俺は決断した。
「要りません」
確かにここで誘惑に負けては「一皿さん」を始めた意味がなくなってしまう。友人にも会わせる顔がない。元々得をしようと思ってやっている事じゃ無い。
きっぱり断ると、俺はカウンター席に着き、一皿だけ注文した。見渡せば「一皿さん」はもうすっかり行き渡っていた。皿を何枚も重ねて積んでいる客などいない。黄色いTシャツもずいぶんと増えた。店内全体が黄色っぽく見える。なんだか、そんな光景に涙が溢れてきた。みんなが協力してくれている。ありがたい。とうとうここまで来た。
少し店が可哀想にも思えてきた。しかし、ここで
店を出た俺は、これまでの事を思い返していた。元々はこんな、店対客の対立を煽る為に回転寿司の敷居を跨いだ訳ではない。ただ、成り行き上こんな展開になってしまっている。この先どうなるのだろう。
その次に店に行った時、店の入り口に臨時休業を知らせる張り紙が掲示されていた。他にも常連と思われる、黄色いTシャツを着た人が何人かいた。
「三日間の臨時休業をします。再開は〇月〇日です」
俺はほっとした。店が潰れてしまったのではないかと心配したのだ。いくらなんでも閉店に追い込むつもりは無い。店の従業員はそれで飯を食っている。それを取り上げる権利など俺には無い。
そして店は再開した。俺は早速行ってみた。店内の様子も店員の様子も以前と同じだ。別に変わりは無い。しかし、席について違いに気付いた。
「あっ、百円皿がある、二百円皿も」
そう、復活したのだ。見れば、メニューはこの店がここに開店した時と大体同じだ。普通の回転寿司に戻ったのだ。客側の勝利だ。いや、俺のへまで値上がりしてしまったのが元に戻っただけなので、大きな事は言えない。ただ、これでみんは普通に回転寿司を楽しめる。まあ、結果オーライという所だろう。
自由に注文すればいいのだが、全部百円皿にするのはやめた。俺には良くわからない影響力があるらしいので、これでまた変な事になったらややこしい。百円皿を中心に、少しだけ二百円皿を頼もうか。
そう思ってメニューを眺めていると、隣席の二人連れが俺の方にやってきた。始めて見る人達だ。
「あのー、『百均さん』ですか」
俺はそんなに有名なのだろうか。まあ、別に悪い事ではない。
「はい、そうですが、何か」
すると、二人は協力を求めてきた。
「私達、隣町に住んでいます。そこの〇〇寿司が、百円皿をやめてしまい、全部二百円以上の皿になってしまって困っているんです。店に百円皿を復活してもらいたいのですが、お力を貸してもらえないでしょうか」
俺はニタリと笑った。人助けほど、人間にやる気を出させる事は無い。そのすし屋なら俺も行った事がある。百円皿を無くすなど庶民の敵だ。俺は迷わず胸を張って答えた。
「もちろん、
二人は互いに顔を見合わせて喜びの笑みを浮かべていた。店の横暴は許せない。
俺は早速、その二人と「〇〇寿司 百円皿復活大作戦」の打合せを始めた。
回転寿司攻防戦 MenuetSE @menuetse
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