4辺目(最終辺)・最後踏みしめたもの

 「おーい。お待たせ、悪かったな。」


 座って隼人を待っていた少年の肩にポンと手が乗る。もちろん、隼人の手だ。


 「ああ、まあいいけど。隼人は大丈夫なの?身体は。」


 「ああ、俺は全然問題ないぜ。医者もなんだかびっくりしてたな。『君、ガタイもいいけど、回復力も高いね。』とか言ってたよ。」


 隼人も少年の横に腰をおろす。


 「そうなんだ。さすがだね。でも、とりあえず本当に生きてて良かった。」


 「だね。」


 隼人も体は大丈夫らしいと聞いて安心する。まあ、なんとなく隼人は大丈夫そうな気はしていた。それは彼の体格から受ける直感的な印象だ。でも、回復力も高いならなおさらラグビーだのアメフトだのをやればいいのに、と今までに100回は抱いた考えをまた反芻する。


 それからしばらく沈黙が続いた。こんなことになった原因がなんとも阿保らしいからなのか、それとも単に話題がないだけなのかは分からないが、おそらく前者だろう。そうしているうちにひとつ上の階からゆっくりとした足取りで降りてきた老人が、少年たちの横を通ってさらに下の階、少年の病室がある階へと降りて行った。


 「ま、何度も言うけどさ、とりあえず生きてて良かったよ。」


 先に言葉を綴ったのは隼人だ。すくっと立ち上がりながら、そう言い放つ。いったん病室へ戻ろうということなのだろう。隼人は少年の数少ない友人であるから、そのくらいのことは言葉にでなくても分かる。少年も自分も病室に帰るか、と思って立ち上がりながら


 「そうだね。生きてて良かった。でも、しばらく海はいいかな。」


 と応えた。少年のその返しにふたりでフフッと笑って、それぞれの病室へと戻ろうと歩き出した。


 しかし、その瞬間、少年は歩き出したはずの脚がいつまでたっても地面につかないことに気付く。と同時に、世界があり得ない角度に傾きだす。


 「!?」


 ダメだ。起きてる現象に脳の処理が追い付かない。ただ、とにかく自分の体がもはや立ってはいられないほどに傾いていることは分かる。その時、ドン、と地に向かって傾き落ち始めた肩が何かにぶつかる。そう、隼人だ。態勢を崩した少年が、隼人の脇腹にラグビー部員顔負けの見事なタックルをかます形になった。


 「おい、どうしたんだっ……うわあああぁ!!」


 倒れ行く刹那、少年は隼人の叫び声を聞いた。ドップラー効果のかかったような、急速に離れ行く叫び声を。


 ――ドン、ガタガタガタガタッ、ドドドドドドっ、ズド――


 それはもう日常生活では聞くはずのない、大きな大きな音がなった。野球の応援団の太鼓をすぐ隣で聞いたかのような、そんな、鼓膜は空気の「振動」をとらえているのだということを再認識する音。


 ようやく少年の脳が現状を把握した。少年はどうやら立ち眩みと、そこが階段の一番上であったことを忘れたことによる踏み外しで、態勢を崩したようだ。その後、横にいた隼人にタックルをかまして、今自分は器用に一番上の階段の段にすっぽりと収まってうつぶせに倒れている。


 「ううっ、痛ってぇ……。」


 腰と肩が痛い。階段に強打してしまった。


 「隼人……。隼人は大丈夫か……?ごめんな。」


 自分がタックルをかましてしまった隼人謝る。しかし、返事はない。両腕で地面を押して、とりあず上体を起こし、階段の下を見る。


 「……!!」


 そこには、階段の踊り場には、等速で滑らかに広がる深紅の真円の中心に頭を置いて横たわり、ピクリとも動かない隼人がいた。人間、こうも短時間に2度も脳の処理が追い付かなくなると、意識を失うようだ。いや、実際は「処理が追い付かなくなった」のではない。その目にした光景を、「本来できない速度で認識してしまった」のだ。過度な処理速度の実行によるオーバーヒート。それほどに強烈な光景であった。今まで綱引きされている綱のようにピンと張っていた意識がブチンと切れ、何かがはじけ飛んだ。




 ああ、なんてことだ。結局、隼人はその後意識を取り戻すことなく、齢17にしてこの世に別れを告げた。いや、正確には僕が告げさせたんだ……。僕が……。せっかくふたりで生きれたのに。せっかく、せっかく……。なんでなんだ。なんで隼人なんだ。なんで隼人を殺したのが僕なんだ。ああ、ああ、ああ……。こんなにも死ってあっけないのか。こんなにも死ってくだらないのか。こんなにも死って唐突なのか……。なんでだよ……。なんでだよぉ!ああ……。




 オレンジ色に染まる貯水槽の上に3羽のカラスが止まっている。カァーカァーと意味もなく真ん中のカラスが鳴く。いや、意味はあるのかも知れない。少なくとも、今の僕よりは……。

 

 少年は、病院の屋上にいた。屋上をぐるりと囲んだフェンスに背をもたれて、そんなことを考えていた。あれから丸々2日が経った。あれというのは……もちろん隼人の命日。自分が隼人を殺した日。少年の心では受け止めきれないことがあまりにも起きすぎた。今日、少年はその受け止めきれないものを捨てたくて、無意識に、吸い寄せられるようにして屋上に来た。背を持たれる少年の影は長く伸び、反対側のフェンスに頭がぶつかっている。


 「……。どうしようもないよ。」


 少年が呟く。少年はあまりにも受け入れなければならない要素が多すぎて、それらははっきりとした像を結ばず、心の中で巨大なモザイクアートを形作っていた。しかし、そのモザイクアートが何かを示したり表したりしているわけでもない。ただただ、そこには無数のピースが無秩序に並んでいるだけだ。


 「そうだね……。そうだよね……。」


 少年がまた独り言をぼやく。そして、唐突にスリッパを脱ぎだし、脱いだかと思えば今度はフェンスによじ登り始める。フェンスは少年の身長の2倍くらいの高さしかないので、すぐに登り切り、反対側へとたどり着けてしまう。


 フェンスを越えた少年は、屋上の縁ギリギリに立ち、遮るものがなくなった地上の様子を見る。仕事中らしきサラリーマン、下校中らしきカップルの高校生、公園で遊び回る元気ハツラツな小学生たち。もう夕方であるからか、道も少々混雑している。しかし、誰一人として少年に気付く者はいない。いるはずがなかった。


 「ああ。そうだよな。僕だって、僕だって、唐突で……。」




 何も思わない。何も思えない。何も考えない。何も考えられない。少年の心にあるのは……。ただただ、「死」のみ。死はこんなにもあっけなくて、こんなのも唐突で、今まで生きてきた自分が思っていたほど特別なものでもなかった。少年は短期間のうちに、2回も死にかけた。そして隼人は2回目で死んだ。死なせた。僕が……。


 最近、そんな「死」に関する本を読んだ気もする。でも、今はそんなことはどうでもいいんだ。僕も、潔く行こうと思う。だって、たぶん2回目で死ぬのは僕のはずだったんだから。それに、この大きさの罪を僕は背負えない。この罪と共に僕も落ちるよ。




 少年は、屋上の縁から空へ歩み始めた。踏み出したその足は地を捉えることはない。少年は、今まで視てこなかった、でも確かにそこにあった、足元にひしめく「死」を踏みしめた。

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二面体の死神 沖田一 @okita_ga_okita

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