方相氏
『今昔百鬼拾遺』より抜萃
一、鋭角の幽霊
幼い頃から中途半端な事柄が嫌いだった。単なる神経症とは言い難い。オーディオプレイヤーの音量が素数を含んでいると聴く気が失せる。残されたタバコの本数が奇数だと一本捨てないと気が済まない。
この悪癖のために
きっかけは
さて、僕が初めて「鋭角の幽霊」と出逢ったのは十歳の頃だったと記憶している。奴は庭に打ち棄てられた
「こんな
僕は母親のヒステリー気質を日頃から恐れていた。だから、意外なほどの出血への怯えよりも母親の不機嫌から免れることを優先して考えた。あの鼓膜を
しかし、それがいけなかった。母親への
数週間、僕は熱に浮かされ続けた。掌の傷は
熱病に
格子模様が施された
高熱に冒された脳髄が見せた悪夢と言ったらそれまでだが、僕は今でも六つ目の鬼――「鋭角の幽霊」に怯えながら日々を暮らしている。
実際、「鋭角の幽霊」は僕の肉体を
「幼い頃から中途半端な事柄が嫌いだった」と僕は書いた。人並み外れた醜い容姿が不安を誘い、或いは背中を焼くのだ。やがて、僕は美しい品々への飽くなき憧れを抱くようになっていった。それは欠落を埋めようという空しい求愛行動に他ならない。六つ目の鬼が僕に施した呪いの正体は「
しかし、その特権が及ばない領域が世の中には存在する。僕は理想よりも実利が尊ばれる世界に抗い続けてきた。が、気持ちの悪い
それならば――僕は自身に残された
二、後暗い献身
「
「残念ながら、僕の見解は全く違うね。学生じゃなきゃ指せない将棋などあるものか。さっきから聞いていれば――まるで大学に在籍しているおかげで将棋を続けられているとでも言いたげじゃないか。僕の価値はモラトリアムに依存しているとでも言いたいのか?」
「でも、君は高校生に負けたじゃないか」
「インターネット上で行われた対局とはいえ、君は高校生に負けたんだ。落ち込む気持ちも分かるが、学生だからこそ柔軟な発想が刺激されることもある。大学から援助を受けることは恥じゃないし、今の君には後ろ盾が必要だと僕は考えている。さあ、一度きりの失敗に固執しないで、とにかく外に出ようじゃないか」
「言っておくが、君は何か勘違いをしているらしい。僕は確かに格下に敗北を喫したが、ある意味では満足しているのだ。僕は君が考えているほどには勝敗に固執していない。ただ、負け方にも納得していないだけなのだ。あれは美しい幕引きとは程遠い試合だった」
「美しい幕引きというのが、僕にはさっぱり分からないのだが、それはさておくとしても挽回の機会があるのに、こうも
「ああ、それなら是非とも頼みたいことがある。実は僕が大敗した相手と話がしてみたいんだ。名前すらはっきりとしないが、どうにか探し出してもらえないだろうか。必要な情報は全て提供する。スマートフォンやタブレットも自由に使ってくれて構わないから、何としても突き止めてほしいんだ」
厄介なことに巻き込まれてしまった――と思いつつも、
三、棋譜を読む
危険を冒している――という自覚はあった。が、あの肉体の芯がジンと疼くような感覚が忘れられなくて、
――もう
そう考えると
――アッ、あの人が
「アノゥ、あなたが
「初めまして、
「そう、堂々とした戦略で大敗を喫した」
「まあ、意見というほどの考えは持っていないのですけれど、
「と言いますと?」
「ハア、では申し上げますが――
「詳しい
「アノゥ、すみませんがお暇させて頂きます。
「
勝負に固執しながらも、勝利を捨てるような試合を展開し、ただ
今日は、私は危険を冒した――と
四、留守番電話
――一件のメッセージが届いています――
7五歩同歩同銀7六歩8六歩同歩同銀同銀同飛車9五角行7三角行8六角行2八角成5三角成――いや、何かが違う気がしてならない。どこで
脳細胞を繋ぎ止める神経に電流が走り、あらゆる感覚が鋭敏になっている。意識さえすれば天井裏を駆け回る
8六歩同銀同飛車8七歩同銀同金6五桂馬同歩同銀――うん、こちらの方が
僕の脳細胞は歓喜に打ち震えている。必要だったのはイマジネーション――それにちょっとした数学的思考を加えた直感だ。言語化することは難しいが、
いつしか、
長い間、「鋭角の幽霊」は僕の中に宿ったある種の病だと考えていたが、六つ目の鬼の正体は僕自身を
僕は六つ目の鬼に
だから、僕は僕自身を破壊することにしたのだ。
全く、
ボイスメッセージという
3四歩同銀同飛車2五桂馬同金3三角成4三角成3二銀同歩同金――うん、とても良い気分だ。思考を遮る要素が一切ないのだから。
――メッセージは以上となります――
(了)
輾転草・令和百物語 胤田一成 @gonchunagon
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