夜啼石


 遠州ゑんしう佐夜さよの中山にあり。むかし孕婦はらめるおんなこの所にて盗賊とうぞくのためにがいせられ、胎胞たいはうの内につゝがなく、さいはゐ生長せいちゃうしてそのあたむくひしとかや。


                                                            

                『今昔百鬼拾遺』より



  一


 弘仁こうにん十四年の事である。一人の僧侶が法衣ほうえすそからかぜひるがえしながら古都の坂道を歩いていた。物思いにふける僧侶の表情は無論暗い。時折、不意に立ち止まっては天をあおぎ、彼は短い嘆息を漏らす。抜けるような冬の青空が憎らしい。もう、久しく雨が降っていない。

 ――朝廷がしびれを切らして私を処罰するのが先か、天が根負けして慈雨をもたらすのが先か。どうやら、貴人あてびと達は私が敗北することを期待しているらしい――

 そんなことを思案しあんしながら僧侶は肩を落として歩き続けていた。諸国を巡り、海を渡って学問を修めてもまつりごとに利用されて捨てられる。誰も教義を理解しようとせず、相変わらず他力本願たりきほんがんに頼り続けている。もはや、立身出世りっしんしゅっせは望むべくもないので放って置いてほしい。

空海くうかい殿、ようこそおいで下さいました」突然、坂上さかがみから声を掛けられて、僧侶――空海くうかい上人しょうにん項垂うなだれていたこうべを上げた。福々ふくぶくしい丸顔に満面の笑みをたたえた藤尾寺ふじおでら住持じゅうじが山門を背に負って立っていた。また、肥えたようだな――と上人しょうにんがぼんやりと考えていると住持じゅうじは快活に笑ってみせた。「さあさ、積もる話は中で伺いましょう。ここは寒くていけません」

 墨染すみぞめそで寒風さむかぜに揺らしながら住持じゅうじが手招きしている。空海くうかい上人しょうにんよわい五十になる老体を引きるようにして、のろのろと坂道を登り始めた。――気が利かない御仁ごじんだが、何か良い案を思い至るかもしらん。道場にいても気が滅入るばかりでしようがないのだから。

 朝廷から祈雨きうみことのりが下されて久しいが、未だに上人しょうにんは成果を上げられずにいた。わらにもすがる思いで知己ちきを訪ね歩いてみたが、かんばしい結果は得られなかった。空海くうかい上人しょうにんは半ば逃げるような心持ちで古都にやって来た。良い策だとは思っていないが、他にがないことも確かだった。

 だが、藤尾寺ふじおでら住持じゅうじ無頓着むとんちゃくな丸顔を見た途端とたん上人しょうにんは激しい不安と後悔を覚えた。このおよんで自分は何かを期待していたのだ、と思い知らされたからである。都を離れた時、上人しょうにんは一切の希望を捨てたつもりでいた。それなのに――空海くうかい上人しょうにん暗澹あんたんたる心地で坂上さかがみに広がる青空を見遣ると大きな溜め息をついた。


 いつしか、神霊石みたまいしに夕日が掛かり、内陣ないじんとはいえ寒さが本堂をおかしつつある刻限になった。上人しょうにん住持じゅうじ千手千眼観世音菩薩像せんじゅせんげんかんぜおんぼさつぞうに見守られながら旧交を温めていたが、それも徐々じょじょに難しくなってきた頃合いである。

 空海くうかい上人しょうにんいとまげ、それを住持じゅうじが引き留めるという慣例を一通り終えて、さあ、今度こそ辞去じきょしよう、或いは見送ろう――と法衣ほうえそでを揃えて礼を交わした直後に、ギョーギョーという遠吠とおぼえが室内むろのうちに響き渡った。

 ――気味の悪い鳴き声だ。あれは鳥か獣か。だが、どこかで聞いた覚えがあるような気もする――

 空海くうかい上人しょうにんが首をかしげていぶかしんでいると、藤尾寺ふじおでら住持じゅうじ呵々大笑かかたいしょうして、「あれはぬえですな」とことげに言った。都住みに慣れてしまった上人しょうにんは久しく聞いていないものの叫びを懐かしみながら、「ここにはぬえがでますか」とうなるようにつぶやいた。

おりれて出ますな。まあ害をす物でもなし、放って置いておりますが――空海くうかい殿にとっては不慣れな土地でもありましょう。しばらく、逗留とうりゅうなさった方がよろしいでしょうな」

 そう言うと住持じゅうじは本堂の雨戸を閉めて回るために立ち上がった。機敏に働いてみせる坊主の後ろ頭を眺めながら上人しょうにんは、「これは、ちょっと厄介やっかいなことになったな」と考えていた。ぬえの鳴き声は中々なかなか止みそうにない。都に残してきた仕事が気掛かりだった。

「しかし、あの鳴き声を聞く度に二十年程以前に起こった事件を思い出さずにはいられませんな」

 戸締りを終えた住持じゅうじ高灯台たかとうだいの油にともした火の具合を確かめながらポツリとつぶやいた。二十年前か――と空海くうかい上人しょうにんは思う。

 その頃、上人しょうにんは日本を離れ、とうの地で学問を修めるために奔走ほんそうしていた。みのりある試練しれんの時だったが、代わりに上人しょうにんから渡世とせいすべを奪ったことも確かである。空海くうかい上人しょうにんは自身が無知である事実を恥じていた。住持じゅうじの言葉が上人しょうにんcomplexコンプレックスひそかに刺激したことは言うまでもない。

 だが、そういった屈託くったく住持じゅうじが知るはずもない。おりしも話題がきかけていたところでもあり、彼のひとり言めいた物語は止まず、ぬらぬらと先へと続いていった。


 空海くうかい殿は遠江国とおとうみのくににある小夜さよ中山なかやまというとうげ御存知ごぞんじでしょうか――と。



  二


 空海くうかい殿は遠江国とおとうみのくににある小夜さよ中山なかやまというとうげ御存知ごぞんじでしょうか――いや、実に裏寂うらさびれた所で史跡が残されているわけでもなし、地元の者でも滅多めったに踏み入らない山道なのですから、御存知ごぞんじなくとも至極しごく当然とうぜんのことでございます。

 が、そのひなびた峠道とうげみちが大変なにぎわいを見せたことがあるのです。それが二十年程以前に相応するというわけで――ええ、それまで一顧いっこだにされなかった山寺が名跡のごとく扱われ、当時は随分ずいぶん羽振はぶりの良い思いもしたと聞き及んでおります。

 全く、人間の口さがなさというものは都もひなも変わりはありませんな。つつしむべきことなのでしょうが、人々の不思議・・・を求める熱意は物凄ものすごさまで覚えるほどです。

 そう、不思議・・・でございます。小夜さよ中山なかやまとうげ不思議・・・と言えば――やはり、あの夜啼石よなきのいしの他にありません。無惨むざんなお話ではございますが、当座とうざとはいえ小夜さよの一帯をうるおした事実は変わりません。

 桓武天皇の治世ちせい延暦えんりゃくの頃の事でございます。小夜さよ中山なかやまとうげはらみ女が斬り殺されるというむごたらしい事件が起こりました。

 ひなびた土地である上に検非違使けびいしなどない時の事でしたから、小夜さよ菊川きくかわの辺りは大いに混乱したようですな。それにじょうじて下手人げしゅにんは逃げおおせたのでしょう。

 山狩やまがりの甲斐かいもなく、後に分かった事情といえば、はらみ女の正体が小夜さよに住むおいしという寡婦やもめである事、また、彼女が菊川きくかわの里で物売りした際に受け取った銭がことごとく盗まれていた事くらいでした。

 おいし亡骸なきがら小夜さよ九延寺きゅうえんじに運ばれ、そのまま荼毘だびされる手筈てはずになっておりましたが、ここで不思議・・・が起きたと聞き及んでおります。にわかに信じがたいことですが、まあ、そこが魅力なのでしょうな。

 九延寺きゅうえんじ和尚おしょう亡骸なきがらとむらっている最中さなかに、ギョーギョーという遠吠とおぼえが堂の外から響いてきたらしいのです。おいしが惨殺された場所と九延寺きゅうえんじの間はわずかばかりしか離れておりません。和尚おしょうが声の鳴る方へ耳をかたむけると――やはり、おいしが斬り殺された辺りから不穏な音が聞こえてくるようなのです。

 和尚おしょう熊笹くまざさの生い茂る脇道わきみちに分け入ると、ぐに声のぬしを探り当てたと言っておりました。それは――ひと抱えほどの大きさの丸石まるいしでした。仔細しさい検分けんぶんしてみると表面にひと筋の太刀傷たちきずらしいあとがある。どうやら、ギョーギョーという声はその傷痕きずあとから発せられているらしいのです。

 怖ろしいのはここからで、丸石まるいしの鳴き声を聞いている間に、和尚おしょうはとある妄念もうねんに取りかれてしまったようなのです。「あのはらみ女の中にいる子は、ひょっとしてまだ生きているのではないか」という疑念が脳裏のうりから離れない……。

 そして、つい和尚おしょうは決意しました。彼はきびすを返して本堂に寝かされている亡骸なきがらの前までやって来ると――というわけなのでございます。

 山狩やまがりから戻った男連中が九延寺きゅうえんじたりにした様子は悲惨ひさんなものでありました。和尚おしょう血塗ちまみれになった墨染すみぞめそで嬰児みどりごを抱き、百面相ひゃくめんそうしてあやしていたというのですからすさまじい。無論、彼らの後ろには腹を裂かれて臓腑はらわたを垂れ流した女人にょにん亡骸なきがらが横たえられております。和尚おしょうは血の海の中で嬰児みどりごたわむれていたそうです。

 この孤児みなしごの行く末を九延寺きゅうえんじ和尚おしょうあわれんだことは言うまでもありません。音八おとはちという名を授けると村長の反対を押し切って引き取ってしまったのです。村の者たちは男も女も、童ですら音八おとはちと関わりを持とうと致しません。また、音八おとはちの方も彼らに近寄ろうとは致しませんでした。音八おとはちとして寂しい幼年時代を過ごしたということになります。

 それでも、音八おとはち和尚おしょうの世話の甲斐かいもあって尋常じんじょうに成長してゆきました。ただ、屡々しばしば小夜さよ中山なかやまとうげに出向いては夜啼石よなきのいしの前で終日ひねもすぼんやりと立ちくして思案しあんに暮れていることがあったようです。

 九延寺きゅうえんじ和尚おしょうも不審に思ったのでしょう。何故なにゆえ、あの場所にさまで執着しゅうちゃくするのかとたずねたことがございました。

 すると、音八おとはちは顔を真っ赤に染めながら言ったそうです。「母が恋しくてしかたがない時は夜啼石よなきのいしを見に来ることにしているのです」と。

音八おとはちにとって母親との間に結ばれたよすがとは、もはや、夜啼石よなきのいししか残されていないのだ」と考えると九延寺きゅうえんじ和尚おしょうは哀しみで胸がつぶれる思いだったとのちに語っているようです。まこと不思議・・・なお話でございますな。



 三


 さて、九延寺きゅうえんじ庇護ひごもと音八おとはちは大事なく生い立ちました。和尚おしょう剃髪ていはつせまるような真似まねは決してせず、代わりに様々さまざまな学問や知識をしみなく与えたと聞きおよんでおります。

 周囲からのように扱われていた音八おとはちにとって、空想に遊び、或いは歴史を紐解ひもとくことは良いなぐさみとなったようです。

音八おとはちが大人になっても暮らしに困らないように――」わば、親のなさけから和尚おしょう様々さまざまな知恵をほどこそうとこころみましたが、幼い音八おとはちが最も心をかたむけた学問は『仏の教え』でした。和尚おしょうは少なからず戸惑とまどったらしいですな。仏門ぶつもん帰依きえするからには一切の煩悩ぼんのうを捨て去り、涅槃ねはんに至ることを目的としなければなりません。「殊勝しゅしょうな心掛けだとは思うが、音八おとはちには家庭をきずいてほしい」

 ある日の早朝の事でございます。和尚おしょう夜啼石よなきのいしとむらうために境内けいだいから十軒じっけんほど先にある峠道とうげみちに差し掛かったところ、丸石まるいしかたわらに木彫りの観音像かんのんぞうらしいそなものがされていることに気が付きました。手習いの作らしく稚拙ちせつな仏像ではありましたが、ちょっと見ても観世音菩薩かんぜおんぼさつを彫ったものと分かる意匠いしょう散見さんけんできる代物しろものでした。

 それが音八おとはち供物くもつであることは明白でした。夜啼石よなきのいし供養くようを続けているのは和尚おしょうの他には音八おとはちしかございませんし、仔細しさい検分けんぶんしてみると目立たない所に『おとはち』というめいも彫られています。ほほう――と和尚おしょうは腕組みして思いました。

「このような才覚まで音八おとはちは隠しておったか。まだとおにも満たないはずなのに細工物さいくものこしらえることもできようとは思いもよらなかった。ひょっとすると、これこそが音八おとはち天賦てんぷさいかもしれない。坊主になれずとも細工師さいくしとしてなら音八おとはち納得なっとくしてくれるはずだ」

 その晩、和尚おしょう寝床ねどこを整えている音八おとはちの小さな背中を見守りながらたずねました。今朝の勤行ごんぎょうのち夜啼石よなきのいしを訪れたら仏像がそなえられていた事、また、それは音八おとはちの手によって彫られた物である事、そういった細工物さいくものをいつから作っているのかという事など――和尚おしょうおびえさせないように優しく問い掛けました。

「あれは母親を思うて彫った仏像――まだ見ぬ母の姿を想像しながら彫った観世音菩薩像かんぜおんぼさつぞうでございます。

 本当はここの千手観世音菩薩様せんじゅかんぜおんぼさつさまのような立派な仏像を彫りたかったのですが、自分の稚拙ちせつな技では到底とうてい届きませんでした。これまでにもいくつかの観音像かんのんぞうを彫っておりますが、仏門ぶつもん帰依きえしていない身であることを考えると、恐れ多くて打ち明けられませんでした。

 今朝、そなえた観音菩薩像かんのんぼさつぞうぐに下げるつもりでおりましたが、手抜かりでそのままにしてしまいました。御仏みほとけかたどった物ゆえいたずらに壊すわけにもいきません。どうか、お許しくださいませ」

 和尚おしょうは涙でしゃくり上げる音八おとはちの頭をぜると、これまでに彫った観世音菩薩像かんぜおんぼさつぞうを全て見せるように言いつけました。音八おとはち悄然しょうぜん項垂うなだれながらむろを出て行くと、やがて両手いっぱいに小さな仏像を抱えて帰ってきました。十数躯じゅうすうく観音菩薩像かんのんぼさつぞうには同じような意匠いしょうらされており、音八おとはちが亡くなった母親を思いつつ彫ったということが真実であると和尚おしょうは察しました。

「確かにお前は仏門ぶつもん帰依きえしていない身の上であるが、ここにします菩薩像ぼさつぞうは皆にっこりと笑っていらっしゃる。お前が母親のことを思うて懸命けんめいに彫ったと知っていらっしゃるからだろう。決して壊してはならぬぞ」

 和尚おしょうは涙を流し続けている音八おとはちの肩を抱きながら言いました。そして、音八おとはちこころざしがあるのなら細工師さいくしとして都の近くで修業してみるつもりはないか――と問い掛けました。おそらく、和尚おしょう音八おとはちの行く末を案じていたのでしょうな。

「ここにいると音八おとはちは母の影を追い続けるだけの生涯しょうがいに終わるだろう」くの昔に和尚おしょう老齢ろうれいに達しており、都とのえんはなはだ細いものになっておりました。頼りを探し出すのも並大抵なみたいていの仕事ではありません。知己ちき住持職じゅうじしょくふみを出しても返事があるかいなか分かりませんし、厚かましい田舎坊主めとそしりを受けることすら考えられます。「だが、母が恋しくて涙する子供にとがなどありはしない」

 九延寺きゅうえんじ和尚おしょうせ細った腕の中で、音八おとはちは小さくうなずきました。音八おとはちの行く末がさだまったことに和尚おしょう安堵あんどしました。が、音八おとはち生涯しょうがいは川の流れに乗るささぶねのように不安なものであり、また、九延寺きゅうえんじ庇護ひごを失ったことにより、運命の輪は拍車はくしゃをかけて目まぐるしく巡るようになってゆくのでございます。



  四


 それから十年の歳月が流れた頃、九延寺きゅうえんじ和尚おしょう縁故えんこを頼り、音八おとはちを都に程近い大和国やまとのくにへと送り出しました。そして、彼を引き取った仏閣ぶっかくが、ここ藤尾寺ふじおでらということになります。

 十年間を掛けて、音八おとはち細工作さいくづくりの腕をみがいていたらしく、それは見事な観音像かんのんぞうを彫ったと先代の住持じゅうじから伝え聞いております。

 寺住みを許された音八おとはち益々ますます細工作さいくづくりに熱中し、寝食しんしょくを忘れることも度々たびたびあったといいます。実際、細工物さいくものを作らせたら右に出る者がいないまでに、音八おとはちは優秀な腕前を誇っておりました。

 やがて、町の職人集しょくにんしゅう音八おとはちの評判を聞きつけて弟子にしたいと申し出る始末しまつでございます。かねてより、音八おとはちくろがねに興味を抱いていたらしく、とあるもとで修業をすることに落ち着きました。彼の精緻せいち細工さいくさらに評判を呼び、貴人あてびとから依頼を受けることも屡々しばしばあったようですな。

 音八おとはち様々さまざま細工物さいくものを作りましたが、特に心惹こころひかれた道具は刀剣でございました。彼が夢中になって太刀たちぐ姿は鬼気迫ききせまるものあり、先代の住持じゅうじ九延寺きゅうえんじから音八おとはち不思議・・・出生譚しゅっせいたんを聞かされていたことも手伝って、何か剣呑けんのんな考えでも抱いているのではないかしらん――と疑ってしまうことも往々おうおうにしてあったと伝え聞いております。

 だから――音八おとはちが人をあやめたというしらせを受けた時も、人々はさほど驚かなかったようでございます。が、彼が殺人を犯すに至った経緯いきさつつまびらかにした途端とたん、人々はてのひらを返して「孝行こうこうだ、忠義ちゅうぎだ」とめそやし始めたのですから、人の世とは実につかみ所のない曖昧あいまいなものでございますな。

 音八おとはちには罪を犯さねばならない事情がありました。少なくとも、当時の大衆はそうであると信じておりましたし、この椿事ちんじは広く語り知らされることにもなりました。事の顛末てんまつおよそこのような次第しだいでございます。


 その日の暮れ方、音八おとはちつとを一人の男が太刀たちたずさえて訪れました。その男のいわく、「ここに腕の良いがいると聞いて来たが、この太刀たちみがいてはくれまいか」と。音八おとはちが品物を受け取ると切っ先に刃こぼれがあるようだ――これは良い太刀たちだが、修理すりをするのに時間が掛かる、とくと男は肩をすくめて言いました。

「これは特別な思い入れがある太刀たちだ。いくら手間てまが掛かってもいいので、どうか直してくれまいか」

 音八おとはちしばら太刀たちの具合を調べておりましたが、これほどの名刀をぞんざいに扱った理由を知りたくなり――また、としての立場から諫言かんげんを述べたくもなったのでしょう。さりげなく、問い掛けたようなのでございます。すると、男はにやにやといやしい笑みを浮かべながら言いました。

「これは遠州えんしゅうのさるとうげはらみ女を斬り捨てた時にこしらえた傷なのだ。随分ずいぶんと以前の話だが、かなり深く切りつけたせいで路傍ろぼうの石に切っ先が当たってしまったらしい。だが、その女を斬ったおかげで山師やましの商売を始める元金もとがねを揃えることができた」

 その話が終わるやいなや、音八おとはちは手に握っていた太刀たちで男を斬り捨てました。つとにいた職人たちが止める間もないほどに素早く殺人は行われたそうでございます。


 音八おとはちは罪を認めて縄に掛かることになりましたが、母親の仇討あだうちげたという世間の声も高く、いくらかの徒刑とけいふくするだけで御免ごめんになったとか。

 あれから二十年程が経ちますが、音八おとはち行方ゆくえようとして知れません。郷里きょうり小夜さよに帰ったか、それとも野辺のべ髑髏されこうべてたのか。

 もう、とうの昔のお話ではありますが、こうしてぬえの鳴き声を耳にする度に、小夜さよ夜啼石よなきのいしのことを思わずにはいられないという次第しだいでございます。



  五


 藤尾寺ふじおでら住持じゅうじは話を終えると両瞼りょうまぶたを閉ざした。宵闇よいやみの向こうから時折ときおり聞こえるぬえの鳴き声に耳をませているらしい。しばらくの間、空海くうかい上人しょうにんは腕組みをして思案しあんふけっていたが、やがて、考えがまとまったのかそろりそろりと私見しけんを述べ始めた。

「全くあわれな話ですな」空海くうかい上人しょうにん依然いぜんとして瞑想めいそうし続けている住持じゅうじにポツリと意見をこぼした。とはいえ、これはほとん虚仮威こけおどしのような文句であった。上人しょうにんはこの玉虫色たまむしいろの言葉に住持じゅうじがどのように返事するか興味を抱いていた。住持じゅうじ上人しょうにんの言葉を反芻はんすうしながらも言う。「しかし、我々は誰をあわれむべきなのでしょうね」

 上人しょうにんしばら逡巡しゅんじゅんした後に、「無論、音八おとはちという男になるでしょうな」と答えた。が、住持じゅうじはこの返答に満足していないと見える。彼は低いうなり声をらすと沈黙してしまった。ギョーギョーというぬえの悲鳴が遠くで響いている。

「母親を殺されたことにより、数奇すうきな人生を宿命づけられた音八おとはちこそ、御仏みほとけに救われるべき男だったのではないでしょうか」

 空海くうかい上人しょうにん戸惑とまどいつつも言うと、沈思黙考ちんしもっこうしていた住持じゅうじようやく口を開いた。その瞳はここではない何処どこかを見詰めたようにうつろであり、声風こわぶりつねとは違う沈んだものであった。

存外ぞんがい、救われるべき者など誰もいなかったのかもしれません。全ては夜啼石よなきのいしが見せた幻影まやかしで、九延寺きゅうえんじ和尚おしょう音八おとはちなどという子を亡骸なきがらから取り上げていないのかもしれません。

 いずれにせよ、私はこのお話が全て真実であるとは考えておりません。誰かが何かしらの欺瞞ぎまんを抱えているように思えてならないのです。おそらく、それは悪意ある嘘偽きょぎではないのでしょう。未練みれん執念しゅうねんが長い時間を掛けて沈殿ちんでんしてゆき、ついには御仏みほとけの力を頼らざるをない所まで来てしまった。

 が、御仏みほとけが彼らを救うことはないでしょうな。一切の執着しゅうちゃくを捨てない限り、彼らに安息あんそくは約束されません。夜啼石よなきのいしの悲鳴は底知れぬ未練みれん執念しゅうねんの声でございます。私はそれを思う度にゾッとせずにはいられません」

 住持じゅうじはそこまで語ると再び両瞼りょうまぶたを閉ざして黙ってしまった。空海くうかい上人しょうにんは思う――あのお話で語られた人々の中に虚偽きょぎの者がいるとしたら、それは一体誰なのか。

 ギョーギョーというものの悲鳴が、外陣げじんへと通じるふすまの向こうから大きく響いた。近い、あまりにも近すぎる。本当にぬえなのか。もしや、あの仕切しきりの奥には夜啼石よなきのいしが……。空海くうかい上人しょうにんたまらずふすまを引き開けた。が、外には無明むみょうやみがどこまでも広がるばかりであった。


                 (了)


            


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