大首
もおろか也。
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より
一、聖別
「ああ、僕の愛しい女神よ」籐椅子に腰掛けた美しい女性の前に
部屋の床を余すことなくブルーシートが覆っている。ポリエチレンの巨大な
まずは眼球。僕は彼女の
赤い雫が
結局、彼女の
――エプロンを用意しておいて良かった。今は彼女の血液の一滴ですら愛おしい。後で絞って容器に移し替えておこう。そうだ、彼女の血には罪がないはずなのだから――
そう、罪である。彼女は大罪を犯したのだ。美しい存在はそれを才能と自覚し、責務として全うしなければならない。誰しもが何かしらの役割を
――あの品性のない髪の色。それにメイクアップ。過度に露出した服装も気に入らない。彼女は美しさを何一つとして理解していなかったのだ。責務の放棄、それだけは認められない。決して看過できないし、許容するつもりも一切ない――
だから、僕は女神を解体することにした。必要な部分を精査し、選別して切り分けて保存する。美しい女性の肉体に刃を突き立てて損なうことに
誰しもが何かしらの役割を
美の女神は四十八個の肉片に分割された。両手・両前腕・両上腕・両乳房・両乳首・
僕は
そうだとしたら、僕はいつから幻想に取り憑かれていたのだろうか。或いは、初めから全てが妄想で、アワノ・ハルコなどという女性など存在していないのかもしれない。
――いや、希望的観測は止めよう。僕はこの女に
僕は余りの悔しさと情けなさに
籐椅子に置かれたヌッペラボウな生首が、血だまりの中で
ピピピピピ――というアラームが真っ赤に染まった部屋に鳴り響く。惨劇の夜が明けて、代わりに一日が始まろうとしていることを
僕は職場のボスに休暇を申請するための
二、崇拝
ヨコハマニュータウンの主要財源は東部に開拓された港街に依存している。この数年間で外港は行政府の支援を受けて拡大し、それに伴うように内港も相応の賑わいを見せることになった。
毎日、
無論、一人前のビジネスマンと認定されるまでに厳しい
入社してから三年間の月日が流れた頃、
ちょっと廊下ですれ違うだけでも心が洗われるようだった。
こんな事があった。僕は
その日、僕は大事な案件を抱えて秘書室を訪れていた。僕が勤める会社には三人の秘書が交代制で職務に就いている。そのうちの一人が
秘書室の隣は社長室であるため、あまり
ちょっと物思いに
やや前傾の姿勢で、デスクに右肘をついて掌を頬に柔らかく当てている。左腕は緩やかに曲げられて机上に置かれており、左右対称でありながら全体を和やかな雰囲気が包んでいる。
ロダンの〈考える人〉ほど
「ああ、きっと彼女は夢を見ているに違いない」
その日から僕の人生は一変した。
――
とうの昔に人類が投げ捨てた信仰を取り戻し、図書館で様々な
だが、天が授ける試練は長く険しい。僕は気まぐれな女神による容赦のない裏切りを受けることになる。
ある春の日の事である。僕は
初めは眼を疑った。明かり窓から射す日光が秘書室内を優しく照らしていた。だが、
「
その日を境に女神の堕落が始まった。髪を染め、香水を付け、宝石で飾り、爪を塗り、口紅を差すようになった。
だから――だからこそ、僕は自分の役割を全うすべきだと判断したのだ。美への
三、懺悔
赤レンガ倉庫から歩いて十数分ほどの距離にある高層ビルディングの一室――そこが私のオフィスである。
窓の外には夕闇の
「
程なくして扉を押し開き、自称殺人犯の青年が深く
額を隠していたが、その下の表情は無論暗い。それは彼の不自然な挙動から容易に察することができた。――また、
「失礼します……」消え入るような声で呟くと
殺人犯を自称する患者は、そろりそろりとした
もう、うんざりです――こんな暮らしが続いたら、きっと気が
先生、僕は人を
人は誰しもが何かしらの役割を
誓って言いますが、僕は一片たりとも彼女の肉体を無駄に費やしはしませんでしたよ。四十八個の肉塊のうちでスポイルされていないものは
それでも、あの女は呪う事を一向に止めようとしないのです。断言しますが、天に対して不誠実を働いたのは彼女の方です。僕は責務に従って裏切り者を
先生、切断された人体が成長――いや、膨張し続けるなんてことが、一体全体ありえるとおもいますか。
そう、膨らみ続けているのです。斬り落としたはずの生首が冷蔵庫の中でブクブクと太り続けているのです。目と鼻、耳と唇、そして舌と頭皮を引き剥がされた生首が腐臭を放ちながら
勿論、何度もあれを
きっと信じては下さらないでしょうが――あれはまだ生きているのです。まるで、自切したばかりの
一度、激情に駆られてあれを石打ちして完全に潰してしまおうと考えた事があります。冷蔵庫に押し込めていた首を床に投げ棄て、ブロック塀で顔を
その頃、
僕は殺人を犯しましたが、罪を
あの様子をひと目でも見たら、石打ちして叩き潰す気など失せてしまいます。触れるのさえ
しかし、生首の膨張は一向に止まりそうにありません。冷蔵庫の中には
そして、そういった悲惨がおかしいのでしょう――あの首はゲタゲタという不愉快な
四、反駁
そこまで
――ある種の恐慌状態に陥ってしまったみたいね。ここは無難に立ち直るまで待つべきなのだろう。けれど――
腹の底でフツフツと
「人間は誰しもが何かしらの責任を
私の質問を聞くや
「あなたが天から与えられた責務を果たすために殺人を犯したというのなら、どうして嬉しげに話していられるのかしら。少なくとも、あなたは楽しんで
ある時、彼は
「――そんなことはありません」
「
ウウウウウウ――と
幸いにも、
このオフィスで交わされる
「じゃあ、あれは――冷蔵庫の中でひしめいている大首は」正気を失っていた患者が
一連の流れはまるで嵐のように展開されたが、それも想定の範囲内に収まる
――取るに足らない患者だったな。結局、人間は自身にとって
そんなことを考えつつ、そろそろ帰り
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます