スーパー店員ナツキ 戦闘

フィン


微かに音が聞こえると、ナツキは左手の甲に暖かさを感じた。


はっと、左手を見やれば音と共に手の甲より5センチほど浮いた虚空に、『救援要請きゅうえんようせい』と描かれた日本語と、その周囲には円形状に幾何学的な紋章が蒼白く光る粒子を散りばめながら出現していた。


こんな時に救援要請ですって。


ナツキは恨めしく宙に浮かぶ文字に毒づいた。


ナツキ達『因子ファクター』持ちは、この世界に迷い混んだ時点でこの世界の『縛りルール』に縛られているおかげで、言葉や文字は概ね理解することができていた。目に見えているものが同時通訳的にバークライツ語に訳されている、そのような奇妙な感覚も、この数年でほぼ消えている。


要請の主は1人しかいない。


この世界を守るとされている6人の勇者の内の1人、ナツキにとっての契約者だ。


10秒程考えて、ナツキは今回の要請を断ることに決めた。


まだ30分程シフトの交代まで時間があるのに、驚異が紛れ込んでいるであろう職場を離れるわけには行かない。


ごめん。と小さく呟くと、ナツキは発光する紋章に向かって話しかける。


「こちらナツキ、救援不可です。すみません」


胸のざわつきを感じながら回答する。


「了解」


紋章から直接脳に、無機質な女性の声が聞こえると、紋章は蒼白い光の帯をたなびかせながら、周囲に溶けて行った。



ナツキは、少しの罪悪感と焦りを覚えながらも捜索を再開する。


何気ない様子を装いながら右端の商品棚の列から順番に不審な動きをしている者がいないか確認していく。たまに見かける客については、そのほとんどが大学生のような若い数人の青年グループであったり、ジャージ姿といったラフな格好をした若いカップルであったりと、客層に偏りはなかった。


所々に商品の補充をするためにカートを押している、あまり声をかけたことのないバイトの人達が働いている以外に異常は見受けられなかった。


おかしい、いない。ナツキは一通り一階を捜索して怪しげな人物がいないことに焦りを感じた。


基本的に『因子ファクター』持ちのための商品は、普通の商品棚に紛れ込むように陳列されている。何しろこの世界の住人にとって、それらの商品は認識できないために間違って購入されることがないためだ。


商品を狙った強盗であればまだ近くにいるはずだ。すれ違いになったか確認すべく、ナツキは今度は反対回りに店内を探し始める。1つ、2つと棚の並びを確認したその時だ。


「すみません」


突然後ろから声をかけられ、ナツキは飛び上がった。


「ひゃっ!」


裏返った声が口元から溢れ、一気に恥ずかしさを覚える。


「あ、あの。どうされましたのですか」


動揺で回らない呂律で拙い言葉が口を出た。


振り向いた先には、中肉中背、紺色のスーツを着た男性が申し訳なさそうに立っていた。


「あの、驚かせてすみません。ちょっとお聞きしたいのですが」


物腰柔らかく男は前置きを述べると、少し微笑みながら続ける。


「トイレはどこですか?よければ案内してもらえませんか?」


お客さんだったか。不審者も心配だがお客さんをないがしろにするわけには行かない。


「びっくりしてすみません。ご案内しますね」


なんとか笑顔を作り応える。今日はお客さんに失礼をしてしまう日だ。男に背をむけて案内をするために1歩歩きだし。


そこで気付く。


何故この男の人は迷いもなく私に声をかけたのか。


この世界の人間であれば、注意をしないと自分のことを認識ができないはずだ。レジにいる長田さんを除いて、商品の補充するバイトさんは数人残っている。しかし、この客は迷いもなく私の元へやってきて声をかけてきた。


ぞわっとする寒気を感じ、咄嗟にナツキは左足に力を込めると前方へ飛んだ。


助走のないその1歩からは想像もつかない程の脚力が生み出され、ナツキの身体は宙を舞った。1秒はあるかと思われる滞空時間で、ナツキは5メートル程前に飛び出し、空中で身体をねじる。右足からフワリと着地をすると、男は変わらず微笑を浮かべたままナツキを見つめていた。


「どうされたのですか、とても驚かれたようですが」


変わらない口調、表情にナツキは少し苛立ちを覚える。


「普通の女の子がこんなにジャンプできるわけないじゃないですか。それを見て平然としているお客さんは、この世界の人じゃないのでしょ」


ナツキの質問に男は小さく頷くと、やれやれといった様に軽く右手を上げた。


「トイレに行きたかったのは、一応人のいない所で確認したかったんですよ。貴方が『勇者』の仲間なのか」


『勇者』という言葉にナツキはドキリとする。


こう君のことを知っている?


顔には出していないつもりだった。


しかし、男はナツキの微細な目尻から頬にかけての皮膚の動きと、小さく揺らいだ瞳を読み取ると満足そうに笑った。その微笑みは、さわやかさを見せた初めとは違い、ナツキを値踏みするかのような、鼻で笑うような表情を見せた。


「結構です。やっぱり当たっていましたか」


男が1歩ナツキへと歩を進める。


それに応じてナツキも1歩下がる。嫌な汗が背中に沸いてくる。


「店員さんがここにいてくれて助かりました。あちら側より先に私が貴方と接するはずでしたから。まぁ、結局あちら側が先に始まったのですが、それは仕方ないですよね」


この人は昂君を知っている。そして、私が昂こう君の召喚を受ける前に、私を殺しにきたんだ。


男の発言は、男と男の仲間が、明らかに勇者である昂こうと自分を同時に襲撃する予定であったことを示していた。


「なんで私を」


嫌な汗は流れているが、ナツキは冷静さを取り戻しかけていた。目の前の人物が明確に自分に敵意があると分かった今、どう対処すべきか。そのことを第一に考えて動くだけでいい。


「店員さんは、強いですからね。私達は勇者と店員さんが一緒に戦うことは好ましくないと思ったのです」


「私より強い人はいっぱいいます。買いかぶりすぎですよ」


少し苦笑いをして答える。


「まぁ、それを決めるのは私達ですからね」


男はそういい終わると共に、地面を蹴った。


早い!


両手を交差させ衝撃に備える。


ドンッ


という鈍い音と共に、鉄塊で殴られたような衝撃が両腕に伝わり、ナツキはそのまま2メートル程衝撃によって身体を後方へと運ばれた。


余りにも強い衝撃に、腕が折れなかったことをナツキは感謝した。そして同時に、明らかに男はこの世界で使える以上の力を使っていることに気づいた。


「これほどの力を、『縛りルール』を受けているのに使えるなんて、『無効化装置キャンセラー』を持っているの?」


痛みをこらえつつナツキはガードした腕を見る。右前腕に赤黒い痣が浮かび上がっているのが見えた。


男は自らの手応えに満足したかのように、ナツキを殴った右手を眺めた。


「えぇ、私達は。『無効化装置キャンセラー』を多く手にしていますから。おかげさまで、迷うことなくあなたに挑むことができる」


次の瞬間、男の身体は吹き込み始めた風船のように膨らんだ。スーツは弾け飛び、膨張すると共に男の皮膚は固く岩壁のように変化した。顔はゴツゴツとした黄土色の岩に覆われ、以前の風貌はどこにもない。2メートルを超え、ゴリラの様に張り出した肩が身長よりも男を大きく見せた。


「中途半端に大きくなったね」


もう、敬語を使う必要はない。男の変身を見てナツキは素直な感想を答えた。


「勿論、これはこの地形に合わせたからですよ。しかし、この体型は早く動けるし、何より密度が濃い」


動かなくなった岩でできた口の間から、少しくぐもった様に変化した男の声が漏れた。


理由あってのこの大きさね。ナツキは少し警戒する。



この世界に入った時、『因子ファクター』を持つ人々は必ず、この世界から『縛りルール』を受ける。それは、ナツキや男の本来の力を制限するだけではない。『因子ファクター』持ちは、『縛りルール』という膜を被ることによって、この世界に干渉できるようになっていた。『無効化装置キャンセラー』は、その『縛りルール』を一時的に止めることができる装置である。『縛りルール』を止めた彼らは、直接その力を持ってこの世界を破壊することはできない。本来の力を取り戻す弊害はそこにあった。


つまり、『縛りルール』という膜をなくした状態では、『因子ファクター』持ちは幽霊のように実体を持っていないことと同じであった。今や『因子ファクター』だけで構成される男は、すぐ横にある棚を触れることはできても、棚を動かす、商品を手に取ったり壊すことは完全にできなくなっていた。この世界に干渉することができないのだ。


しかし、例外はある。同じ『因子ファクター』を持つ相手には攻撃し傷つけることができた。『縛りルール』という膜に覆われている中にある『因子ファクター』に、男の『因子ファクター』が直接作用させることができるためだ。


無効化装置キャンセラー』がないと勝てない。本来出回ることがほとんどない希少品である『無効化装置キャンセラー』を何故彼と、その仲間は持っているのか。疑問はつきないが、それを考えることをナツキは全て後回しにした。


このままでは、確実に男によって殺されるであろう。『縛りルール』を受けたナツキの身体は、普通の人間と大差はなく、身体能力は大きく制限を受けており、本来の力のごく一部しか使えなかった。


仕方ない。ナツキは素早く右人差し指を左胸ポケットに刺繍されているセインズのロゴに触れた。


「コード0115発生。武器転送お願いします」


ロゴの一部から小さな針が出現し、チクッという痛みをナツキは人差し指に感じた。


『規定により体格認証、声紋認証、指紋認証、遺伝子認証適合を確認。ナツキの武器転送を許可します』


機会的な女性の声がロゴから発せられると、ナツキのすぐ前方上方に、直径3メートル程の機会的な紋章が浮かび上がった。紋章は緑に発光すると、その直下から巨大なコンテナが出現した。


コンテナは自然落下と共に落ちてくると



ゴドンッ



という爆音を立ててナツキの前に屹立した。


因子ファクター』を持つコンテナである。床には傷1つついていない。2.5メートル四方、高さ4メートルのコンテナは見るからに厳重で、重厚感に満ちており、輝くばかりの銀の合金で覆われていた。



ピッ



コンテナ前面についている黒いパネルにナツキが手を触れると、認証により、コンテナのロックが解除された。



ゴウンッ



ナツキが後ずさると、コンテナは自動で厚さ5センチはあるであろう扉を開き、その中身を晒した。


ここまで一瞬しか時は流れていない。


男の攻撃が入る前に、ナツキはコンテナの中で主を待つ武器を手に取った。


汎用型超重量級打撃武器、通称「ガイアハンマー」はナツキが手に取ると、歓喜するように起動音を響かせた。


ハンマーと呼ばれるだけあり、ヘッドと柄部に分かれており、特筆すべきは、そのヘッドの大きさと特異さであった。ヘッドの直径2メートル、柄部3メートル、金槌のような形のヘッドは片側が丸型、柄を挟んだ先はツルハシのように尖っており、柄の左右にはジェットエンジンのような換気口を備えた加速装置が2つ配置されている。色は白をベースとして、黒いラインがそれぞれのパーツを縁取っており、凹凸が強調されるように配置されていた。


柄部はナツキの小さい手に絶妙にフィットする太さであり、素晴らしいグリップを発揮した。


無効化装置キャンセラー起動!」


小さく叫ぶと、驚く程簡単にガイアハンマーはナツキの細腕に導かれるように、コンテナの中からその全容を現した。



ドゴンッ!



直後に眼前にあったコンテナは、男の体当たりによって段ボール箱のようにナツキを目掛けて飛んできた。


それを見るや、ナツキは軽く右手でガイアハンマーを振るった。重さ1トンの暴力の塊が、プラスチックのような軽さを感じさせる動きでコンテナを迎撃する。



バギッ



可愛そうになる程に変形したコンテナは、まるで木の葉のように宙を舞い、ナツキの10メートル程後方へ落下した。


コンテナがなくなった先には、驚きを隠せずに立ち尽くす、怪物と化した男が見える。


「私とは相性が良さそうだね。お客さん」


ナツキは不適に笑う。パワー勝負、望むところだった。


無効化装置キャンセラー』を起動させたナツキは、少し本来の姿を取り戻していた。今やナツキの髪と瞳は銀色に染まっている。


「まだ、完全じゃないけど充分よね」


ナツキはガイアハンマーを右肩に担ぐ。



プシュー



ガイアハンマーが、その換気口から威嚇するように蒸気を吐いた。


予想外の力を見せるナツキに動揺を隠せない男に、ナツキはにこりと笑うと言った。


「バークライツ共和国、第7遊撃隊隊長兼、勇者仲間ヒーローパーティーナーシャ=トラスト。砂になっても恨まないでね」


名乗りと共にナツキは歩みだす。


そう、私は勇者の仲間なんだから。私が皆と昂こう君を助けるんだ!


ナツキは自分を鼓舞すると男と対峙した。

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ヒーローパーティー 〜パーティーの視点から見た勇者の話〜 赤木 公一 @akaironeko

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