カラスと紅について
第8話 黒川カラスは真実を知りたい
茜色から闇に変わるとき、たとえ夏でも肌寒く感じる。それは漠然とした暗闇への恐怖なのだろうと思う。特に、子供ならなおさらだ。
河川敷の野球グラウンドにぽつんと一人立っている七森紅を黒川カラスは遠くから眺めていた。
満潮になって波に飲み込まれそうになっていても、七森紅はそうやって立っていたと思う。
そんな風に夜の波が押し寄せてきても、小さい子供は微動だにしない。
肩にバッドを担いで、ぼんやりとグラウンドを眺めている。
「帰ろうよ!」
カラスが不安からそう叫ぶ。紅を心配してではなく、自分が怖くなったのだ。
早く家に戻らなきゃ、この暗闇に僕たちは飲み込まれてしまう。
もう足を取られて夜に飲み込まれそうになっている紅は、静かにこちらを見た。
子供らしい笑顔も反応もない、まるで大人のような雰囲気で、まるで死者のような静かさでこちらを見た。勝気なあの子は、静かに闇に飲まれて行った。
「黒川カラス! 黒川カラス!」
酷い目覚まし時計があったもんだとカラスは起き上がりながら自分の頭を軽く叩いた。一体どこを押せばこの声は止まるのか。ぱくり、と開いていた口を閉じた。
ゲジオは日の光、明るさで動き出すというのはあたりだったようで、カラスは大きな欠伸をすると、また自分の名前を連呼する声に頭を悩ませた。
嫌な目覚めだと目を擦りながら、紅が綺麗にした洗面所に行った。ぴかぴかとまではいかないが、人が住むに相応しい清潔さはある。
水だけで顔を洗い、うがいをし、歯を磨く。歯磨き粉は開けてしまってそのままで、きっともう使うことはないかもしれないと思いながら歯ブラシを口内に入れると、ガリッと嫌な音がした。
大きなため息を吐いてうがいをする。歯ブラシの残骸が排水溝に吸い込まれる事無く溜まっている。こちらは溜まったもんじゃない。
「自分はこの中を綺麗にするのは賛成だが、あの硬い棒は好きじゃない」
大きな欠伸をすると、またゲジオが意思表示をしてくる。
カラスの舌にしがみついて寄生しているゲジオに、カラスは眉間に皺を寄せる。
鏡越しに自分の口の中を見て睨み付ける。ゲジオは目をこちらに向けていた。
「ふむ、自分たちはよく一緒にいるが、こうして目が合う、という現象はとても珍しい事だな」
バッバッバッ
「踊りか? 楽しいのか?」
四六時中カラスと共にあっても、感情は理解してくれないようだ。わざとらしく肩を落としがっくりする姿を見せつけた後、カラスはまた万年床に戻り、大きく伸びをして眠ろうとした。
「学校に行かなくていいのか?」
小うるさい親みたいな事を言う。カラスは無視をして寝返りを打った。
「先生は学生で、学校に行っていると聞いた。お前が見ているアニメーションの話を見ていると、学生というものは学校に行くものらしいな」
口を閉じれば煩い声もなくなるが、カラスは口を開けたまま目を閉じていた。
「何故、お前には家族がいない? お前は子供で、学生だろう? 何故だ? お前はなんなんだ?」
それはこっちの台詞だよ。と、胸中で返事をしてカラスはやっと口を閉じて眠り始めた。
朝から二度寝タイムに入ろうとしていると、チャイムが鳴った。古臭い錆びた音で、カラスはゆっくりと起き上がって、さてどうしたものかと思いつつ、ドアを開ける。
「おは おは おは よう よう よう」
ぺこりと頭を下げた。
「これ これ よかっ よかっ たら たら 実家から 実家から 送られ 送られ てきた てきた 野菜 野菜 あげる あげる」
ぺこり、と頭を下げた。
「じゃっ じゃっ じゃっ」
ウインクをしてスーツ姿の金髪の男は隣の部屋に入って行った。煌びやかな見た目とは裏腹に、このボロアパートに住んで長い。
声の発せないカラスに対して疑問を持たず、いや、持っていても追及してこないのは、夜の世界で生きているからなのだろうか。
隣に住む長崎という男はホストを生業としているらしく、更に、発する声が常にエコーがついている。喉にボイスチェンジャーでもつけているのだろうか。
近くのスーパーのビニール袋に入った野菜を見て、カラスはどうするべきか悩んだ。
「なんだそりゃ」
バッバッバッ
「手旗信号やめて」
その台詞を言う時だけ、声が紅のものになる。カラスは一瞬怯んだ。
キョロ、と視線だけ部屋を彷徨わせる。もちろん紅の姿はない。学校に行っているであろう紅の事を思う。
彼女は今、ソフトボール部に所属している。試合にも出ていて、エースと言われている。誇らしい気持ちと共に、先ほどの夢を思い出すと憂鬱な気持ちになる。
カラスはもう一度布団に寝転がり、暫く天上を眺めた後起き上がった。
パジャマのスウェットを脱ぎ捨てTシャツとズボンを履き、机の上のメモ帳とペンをポケットに入れた。
ゴミの中から見つけた使い捨てマスクをつけて外に出た。
近くのコンビニに立ち寄ってサンドウィッチを買って詰め込むように食べる。
時刻は十時。通勤通学の人間はもういない。カラスは鈴谷駅に乗って二駅先の駅で降りた。改札前に立つ女性は柱に背を預けてスマホをいじっている。
彼女に近づき猫背気味のカラスは軽く頭を下げた。
「え? 風邪?」
カラスは喉を指差して首を振った。その仕草だけで話すことができないと理解してくれたようで、彼女、は腕を組み首を傾げた。
「それって、サボりたい言い訳なんじゃないの?」
首を横に振る。
「まあ、いいけど。お前怪しいし、聞けるものも聞けないかもしれないしね」
ふん、と鼻を鳴らして歩き出す南沢時雨の後ろをついて行く。
彼女は孤児院で一緒に生活していた二つ年上の女性だ。現在大学に奨学金を借りて通っていて、バイトで忙しいと言うがこうしてカラスを手伝ってくれる。
気の強そうなストレートの黒髪をポニーテールにしている。
鞄から帽子を取り出し被り、日傘を指す。
「お前は少しくらい焼けた方がいいぞ。その白さ、病人みたい」
びしっ、と指差し手痛い事を言う。
平日の午前十時に約束を取り付けたカラスに対して言葉を投げかけることはない。
「学費を払ってるアンタの自由でしょ。ま、もったいないとは思うけどね」
と、約束をしたときに聞いた言葉だ。
黒川カラスには保険金がたっぷり入っている。それを切り崩しながら生活をしている。
遠くでセミの鳴き声が聞こえる。もうすぐ夏がやってくる。
今更なんだと言われるだろう。これから聞き回る近所の人も、何を今更と言うだろう。
田村銀二、古風な名前だが大学生だった。
彼は二十二歳の時に殺人事件を起こしている。昼間に押し入ったとある家の住人を持っていた包丁で斬殺し逃走。その後灯油をかぶり焼身自殺をした。
凶器の包丁は放り投げられ、指紋も血も、更に目撃者の証言も多数あり、事件は解決した。
カラスは田村銀二に対して怒りと恨みを感じていた。だが、客観的にはそれは生きるための薪であり、もうどうしようもない事は分かっていた。
「突然すみません。私、十年前に起きたある事件について調べていまして……田村銀二さんという方はご存知でしょうか?」
それを理解している時雨は、それでも付き合ってくれている。
誰が見ても明白だった。証言者の一人はカラスだった。まだ七歳だったが、十七歳の今でも同じ証言をしただろう。
かくれんぼをして隠れていた。クローゼットの中から、田村銀二という男が血まみれになりながら包丁を振りかざして皆を殺したのを見た。
今もその光景が目の前に浮かび上がる。マスクの下で唇を歪める。
「お前、大丈夫か?」
大したことは聞けず、戻って来た時雨が顔を覗き込む。
心配そうな顔に、そういえば風邪をひいていると思っているのかと気が付き、カラスは視線を横に逸らした。
その目の動きに、時雨は眉をぴくりと跳ねさせた。
「なんだ、仮病なんだな? やっぱり聞き込み嫌だったんだろ、まったくそういうところだぞ」
詰る様にカラスの額を指先で小突き、踵を返す。隣の家のチャイムを鳴らしている。
時雨を見ていると紅を思い出す。強気で勝ち気な彼女たちは、カラスを雑に扱うが、その実誰よりも気にかけてくれていると言う事がわかる。
その日は祝日で、休みの父とかくれんぼをしていた。母はキッチンで洗い物をしていた。
田村銀二がチャイムを鳴らし母が扉を開けて刺された。その後、部屋を確認するように歩き回り、父を目の前で殺した。
そして悲鳴を上げた女の子を見つけ、田村銀二は簡単に喉を切って部屋を出て行った。
紅は野球の試合に出ていた。碧はカラスの家に遊びに来ていた。紅の双子の姉妹だった。
ゲジオ 三浦ケーキ @miurakumakumamiura
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