第2話

「ただいま」


 玄関のドアを開けると小さく呟いた。旺介は授業が終わる度にスマホで地域のネットニュースを読み、行方不明になった少女がいないかチェックしていた。が、何も情報はないまま帰宅。

 あの踏み切りを通ってきたものの、いつもと変わらない風景があるだけだった。


「丁度、良かった」


 そう言いながら、母親が玄関まで足早にやって来た。喪服姿だ。


「旺介、そのまま着替えないで。お通夜があるから受付を手伝ってほしいのよ」

「ええ~、やだよ」

「自治会長さんの親戚だから手伝わないといけないの。お寿司食べれるから」

「別に食べたくないし」

「お香典持って来た人に紙袋渡すだけでいいから。明日休みでしょ」

「やだよ」


 旺介はカバンを無造作に置くと自分の部屋へと向かう。


「お線香は後藤さんが頼んでくれたから…お花はどうしようかしら」

 独り言をブツブツ言いながら黒い革靴を揃えている母親を尻目に旺介が部屋へ入りかけると


「そういえば、知ってた?銀木犀のこと」


 一瞬、動きが止まる旺介。


「な、何が?」

「昼間気付いたんだけど、枝が折られてたのよ。花だけちょっと取りました、っていうレベルじゃないの。明らかに花が沢山付いている枝を折っていったのよ。酷いと思わない?」

「それは……悪質だねぇ」


 一度部屋の中に入った旺介はまた廊下へ顔を出し、母親に聞いた。


「お通夜って何時から?」



 通夜は静かだった。自治会長の伯父さんにあたるその男性は享年102歳。1時間ほど経つと訪問客も少なくなり、特にすることがないまま旺介は受付の椅子に座っていた。

 一度に三つの葬儀が行える程の大きな斎場。旺介のいる受付は一番右奥にある。中央の会場は使われておらず、左側の会場へとやってくる訪問客が終始長い列を作っているのが見える。その多くが子供連れだ。お焼香を済ませた母親達が数人集まり泣いていた。


「旺介、もう2階に上がっていいみたいよ」


 会食ができる部屋は斎場の2階にあり、テーブル席とお座敷とに分かれている。親戚であろう人達は座敷に座り、旺介達はテーブル席についていた。

 若いんだから、と大きな寿司桶を目の前に出され黙々と食べ続けた旺介は眠気を覚ます為にもトイレへと席を立った。

 長い廊下に出ると旺介は全面ガラス張りの窓に近づいた。外はすっかり暗くなり、街灯によって駐車場の周りだけがぼんやりと照らされている。そんな窓の景色を見ながら、両腕を真っ直ぐ上へ伸ばし身体をほぐした。腕を降ろしていくと右手に生暖かい物が触れた。

 窓ガラスには少女が映っている。旺介はハッとして右を見ると、そこにはののかが立っていた。


「ののちゃん? ののかちゃんだよね?」

「うん」


 当然という表情でののかが頷いた。


「さ、探したんだよ。急にいなくなるからさ。家に帰れたの?大丈夫だった?」


 矢継早の質問には答えないまま、ののかはイタズラな表情を作り首を傾げている。


「っていうか、何でここにいるの?」


 朝会った時とは違う服装で、紺色のベルベットのリボンで髪を2つに束ね、同じ紺色のワンピースを着ている。靴は黒のエナメルだ。


「こっち」


 旺介の右手を引っ張るように廊下を歩き、ののかは階下へと続く階段を降りていく。


「ちょ、ちょっと待って」


 旺介は転びそうになりながらも一緒に階段を降り、一階の式場の入口で立ち止まった。

 そこは正面から左側の会場。参列者の姿はもうなかった。祭壇には、はにかんだ笑顔の少年の遺影があり、旺介の手を離したののかは真っ直ぐにその前に歩いていく。

 会場の係りであろう女性が椅子を何脚か重ねて、旺介のいる入口の方へ歩いてきた。


「すいません、通ります」

「あ、すいません」


 旺介は邪魔にならないよう、会場の中へと入る。祭壇の前に立つののかは、旺介が隣に来るとまた右手を握った。

 鮮やかな色の花が飾られている祭壇。旺介が受付していた葬儀の祭壇は、白と黄色の菊がほとんどだった。

 今目の前にある祭壇にはピンクや淡いブルーの洋花や大きな白い百合などで埋め尽くされている。

 改めて遺影を見上げた旺介。細面の少年が笑っている。


「お兄ちゃん」


 握った手を少し揺らしながら、ののかが言った。


「お兄ちゃん? …ののちゃん、のお兄ちゃんなの?」

「うん」


 旺介は思わず唾をのみこんだ。今日を含めて葬儀に参列したことは何度かあったものの、自分よりも年下、ましてや子供の葬儀に立ち会ったことは初めてだった。


「お兄ちゃんは病気だったの?」

「うん。ここにね、悪いバイ菌が沢山いるからそれを倒していくんだって」


 ののかは、お腹の辺りを擦っている。


「朝、お兄ちゃんは家にいないって言ってたよね? 病院にいたの?」

「違う。のの、の後ろにいたよ」

「後ろ? ののちゃんの後ろにいたの?」


 こくんと頷くののか。

 踏み切りで、お兄ちゃん、とののかが後ろを振り向いて言った事を旺介は思い出していた。そして聞くべきだった質問をした。


「…どうして…どうしてあの踏み切りを渡りたかったの?」

「約束したから。お兄ちゃんがね、向こうに行かなくちゃいけないんだけど、一人じゃ嫌だなって言ったの。だからね、ののが先に行くって」


「それで…それから踏み切りを渡った後は?」

「お兄ちゃんにお花あげたの、全部。そうしたらね、もう大丈夫だから、ののは家に帰れって」


 ののかの横顔を見つめながら旺介はかける言葉を探したが、何も浮かんでこなかった。ののかはまっすぐ遺影を見つめてる。


「お兄ちゃん、今も痛い痛いって言ってるのかな?」


 旺介は答えられずにいた。


「あ…ごめん。ちょっと手を離すよ」


 握っていた手を離した旺介は合掌しながら頭を下げた。それから顔を上げると、ののかの顔を見つめて聞いた。


「踏み切りを渡って、ののちゃんが俺にありがとうって言ってくれていた時、お兄ちゃんはどうしてた?」

「お兄ちゃん? ええとね、手を振ってたよ。こんな風に」


 ののかは右手を精一杯上に挙げて大きく手を振った。


「そうなんだ。うん、それならきっともう痛くないんじゃないかな」


 旺介がののかの左手を優しく握ると、ののかもそっと握り返してくるのが分かった。柔らかく温かい体温が伝わってくる。


 会場にあった椅子はいつの間にかすっかり片付けられ、高い天井にある眩い蛍光灯が2人の影を床に映し出している。開け放たれたままの扉から涼やかな風が吹き抜けていくと、旺介は祭壇には無いはずの銀木犀の香りを感じていた。


 了

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踏み切りの向こう側 AKIRA @akirashan

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