【小説:掌編】鈴色の猫

綾沢 深乃

鈴色の猫

 ザザァァァーっと雨音が耳に入る。


「つめたい」


 私は帰りの通学路で呟いた。傘を持っているといつも手首と足首に雨が当たる。

 澄んだ青空を汚い重い灰色で覆いつくし、永遠に続くのではと錯覚するくらいの水を降らす。雨は嫌いだ、容赦がないもん。

 雨水がアスファルトを濡らし、それに呼応して生まれる独特の気味の悪い匂いも嫌い。

 だから、私は雨の日は必然的に早歩きになる。

 この日もそうだった。ただ、早歩きの理由がいつもと違っていた。

 チリンチリンと、通学カバンからキーホルダーの鈴の音が控えめに主張している。


「まだついてくる……」


 曲がり角にあるカーブミラーを覗くとその姿はまだ見える。私の後方、数メートルに一匹の灰色猫。もう十五分は一緒。周りに誰もいないせいか、はたまた行き先が偶然同じなのか。雲より少し薄い灰色猫は私の後ろをずっと歩いていた。

 普通、野良猫なんて人間を極端に警戒するもの。それなのに、この灰色猫は私が何もしてこないのを悟ったのか、怯えるようもなく堂々と後ろを歩いていた。

 空気に耐えきれなくなった私の方が早歩きで歩いているのに、灰色猫側もスピードを上げて離れようとしない。

 餌をあげた記憶はないし懐かれる理由がない。ついてきても家には絶対に入れないのに。


「はぁー」


 雨音にかき消される私の溜息に灰色猫は何の反応も示さない。猫好きな人なら、この状況はさぞ嬉しい事だろう。だが残念ながら私は猫が嫌いだ。いや、嫌いは言い過ぎた、苦手なだけだ。

 小さい頃から動物を飼った事がないので、普段から動物がいる日常を送っていない。それ故、接し方分からないのだ。別に怖くはない。

 どうしたらこの猫を振り切れるか。脳内で作戦会議が行われる。

 走るか? 却下、雨の中を走ると水が跳ねて余計に濡れる。

 振り返り追っ払うか? 却下、それは可哀想。

 どうしよう……明確な解決策は一向に生まれない。

 困った私はいつの間にかその場に立ち尽くしてしまったらしい。

 後方にいた灰色猫が目の前にいた事に全く気付かなった。


「うわっ!」


 思わず大きな声を出す。

 灰色猫は私の声に動じず、その丸くて金色な瞳でこちらをじっと見つめているだけだった。


「あのね、ついてきても良い事なんてないよ?」


 猫に話しかけるなんて内心馬鹿らしい行為なのは承知していたが、幸い雨音プラス歩行者が他にいない事で、誰にも知られていない。


「ニャア」


 小さく灰色猫が鳴く。人間の言葉が伝わるのだろうか。反対に猫語は理解出来ない。教科書にも載っていない猫語は理解の範囲外である。


「家に入れてあげれないの。分かる?」


「……」


 分からないだろうなぁ。


「仮にだよ。君を家に入れたとして、ミルクなんてあげたら君は明日も家にやってくるでしょう。ミルクがもらえると思ってね。でもね、それはダメなの。そんな事したら、お母さんに怒られるのは目に見えてるんだから」


「…………」


 私の話に沈黙を守る灰色猫は一見すると、じっと耳を傾けているようにも見える。その態度が余計に口を加速させた。


「私、ペット飼った事ないし。君にどう接して良いのか分からないよ。そりゃ、友達の家にいる犬とかに触った事はあるけど、それはあくまで一時的なスキンシップであって――」


 言い訳めいた事延々と愚痴る私。ああ、何をしているのだろう……。疲れてるのかな? そう考えた時、後ろから自転車が駆け抜けていくのが映った。

 チリンチリン。鈴の音が耳に響く。


「……ッッ!?」


 瞬間、沸騰したように顔が赤くなる。

 恥ずかしいいい……。見られたなんてっっ!! 相手の顔は見えなかったが、悠長に気にしている暇もない。もう限界だ。

 私は猫に向き合うのを止めて全速力で走った。持っているだけの開いたままの傘は、本来の役割を全く果たさず、顔面に手加減なく雨水がぶつかってくる。

 もう猫なんて知らないっ!!

 他人に見られた事が恥ずかしい、その感情が灰色猫と会話するより圧倒的に感情キャパシティを占めていた。心に中で叫び声を上げながらも足は家まで一直線。


「はあ……っ! はあ……っ!」


 感情に任せてろくにペース配分もしなかった体はすぐに限界を訴えて、私はその場で立ち尽くす。息が荒い、口から勝手に吐き出される二酸化炭素は、雨に上手に溶け込んでいた。白い息と透明な雨は相性が良いよう。


「すぅー、はぁ~」


 深呼吸をして体内の環境を整える。



「帰ろう」


 呼吸のメンテナンスを終えて私は家に帰る為、再び足を動かし始めた。

後ろは振り向かない。振り向いてやるもんか。知らない、私には関係ない。

 水溜まりをパシャパシャと弾く私の足音、すぐ後に同じようにパシャパシャと弾く足音を耳に入れないようにして歩く。相手にして恥ずかしい思いはしたくない。

 でも、どうしてついてくるのだろう。

 知るものか、知った事じゃない。そういった無視してやろうという気持ちは確かにあるのに、同時に嬉しいと言った気持ちもここにいるぞと主張している。私の足にピッタリ息を合わせたように歩き、決して追い抜く事もどこかに消える事もない。

 灰色猫は私に何かを訴えたいのだろうか。

 でもだとしたら何を? 私は何も持っていない。この子に何かをしてあげる事が出来ないと言うのに。考えだしたらキリがない、私の頭は再び体を振り向かせるのに充分だった。


「これで最後だよ」


「ニャア」


 振り返った先にいる灰色猫に私は話す。しゃがみ込み、視線を合わせた。傘の範囲に猫入れる事でさっきみたいなヘマはしないように工夫する。


「あなたは一体、私にどうして欲しいの? 何か用があるなら教えてちょうだい」


「……」


 灰色猫に向かって、はっきりと強く私は主張する。すると、灰色猫は金色の瞳に私を捕えた後、少しずつ前進してきた。今まで、決して私に必要以上に近付かなかったのに、ここにきて初めて態度を変えた。予想外の出来事に一瞬体がビクっとなるのを否めない。

 灰色猫はしゃがみ込んだ私に近付き、あるものに手を伸ばした。触れた途端、チリンチリンと高い音が鳴る。


「へっ?」


 その突拍子もない事に変な声が出る。

 ああ、なんだそう言う事か、この子の視線の先は私ではなかったのか。

 灰色猫が手を伸ばした物、それは私が通学カバンに付けている小さな鈴のキーホルダー。

 この雨音の中で、この子は鈴の音に反応してここまで来たのだ。カバンに付けられた鈴のキーホルダーは歩く度に左右に揺れて音を出す。私を追い抜かないのは鈴を見ていたからで、私が止まるとこの子も止まるのは、鈴が鳴らないから……。


「しょうがないなぁ」


 キーホルダーに自身の右手を当てて鈴を鳴らす灰色猫を私はすっと抱き上げる。

 てっきり暴れるかと思った灰色猫は意外にも大人しかった。もっとも、興味の視線は相変わらず、鈴に向かっているようだが。

 丁度良いのでこのままにしておこう。

 外すのは家に帰ってからでも遅くはない。


                            <鈴色の猫 (了)>




<あとがき>


 学校からの帰り道と雨と猫をテーマに大学からの帰りにスターバックスで書いたのが、この作品です。外も雨が降っていたので、情景描写が描きやすく楽しかったです。

 今後も投稿出来そうな、掌編はどんどん投稿しようと考えています。


 拙い作品でしたが、読んでいただき有難うございました。

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