第9話

毎日湿布を貼り替えてもらって何日か経った。

まぶしいおじさんと注射するお姉さんがわたしの脚を見たりさすったりしてる。

「うーん……」

おじさん、難しい顔して考えてる。

「湿布はもういいかな。明日からペース上げて乗り込もうか」

おじさんはそう言うと厩舎の奥の方に行ってしまった。

注射するお姉さんも一緒についていく。

残されたのはわたしと毎日湿布貼ってくれるお姉さんだけ。

「良かったねぇ。また頑張ろうねぇ」

お姉さんはそう言って喜んでくれた。

わたしは……、少しホッとしてた。

もともとそんなに痛くなかったし、すぐ良くなるって思ってたけど。

それでも、これで思いっきり走れるようになったからね。


「ようやっと治ったか。これで一安心やで」

壁のおじさんの声がする。心配してたもんね。

「そんなに心配しなくても良かったんだよ。痛くなかったし」

「それでも予定が狂ったことは狂ったんやで。治ったからまあええやで」

ん?予定?

「おじさんに予定なんてあったの?」

「ワイのやない。くぅの予定やで」

あ……。

「大きなレースに出る予定があるやで。それまでにきちんと走れるようになってないといかんのやで」

そうだった。

でも、今回ので出られないんじゃなかったっけ。

そう思ってたら、おじさんが落ち着いた口ぶりで教えてくれた。


「出られなくなったレースよりも大きなのに出る予定があるて先生言うてたんやで。もう少し先で寒くなってからやが、そこには先生も『みんな』も出てほしいと思うとるやで」

「そっか。じゃあ頑張らなくちゃだね」

「だが無理はいかんでござる。御身を大事にするのも武士の務めでござるよ」

いつの間にか鎧武者さんも来てたみたい。

「お前武士は命を惜しまず名を惜しめって言うてたやないか。言うことが違うやで」

「あいや、本懐を遂げるまでは身体を厭わねばならぬのは言うまでもない事でござるよ」

「なんでも物は言い様やで。ともかく、これからは少し走るのも多くなるんやで」

えー……。


「小林に戻るまでにある程度は身体を鍛えておかなあかんのやで。向こうに戻ってゆるふわやったら先生ガックリやで」

あー、そうだよねぇ。

「うん、わかった」

頑張らなきゃダメみたい。

「頑張るのは当然にしてもやで」

ん?

まだ何かあるの?

「今度みたいなケガはもう勘弁やで。『みんな』がだいぶハラハラしてたんやで」

あー……。


そりゃそうだよねぇ。

『みんな』に心配かけちゃったもんなぁ。

「おじさん、『みんな』にごめんなさいって言ってくれる?」

「ワイが言うより、くぅの走りで見せてくれた方がよっぽど伝わるやで」

「……そっか、わかった」

「くぅがやれば出来る仔なのはワイも『みんな』も知ってるやで。せやからこっから頑張るんやで」

「うん、わかった」

そう言うと、おじさんの気配が消えた。


次の日から、運動のペースが上がった。

「運動不足にならない程度」じゃ済まないくらいに。

おかげでご飯はおいしく食べられるし、ぐっすり眠れるからいいことなんだけど。

でも、それって小林に戻る日が近いってことなんだよね。

もうちょっとのんびりしてたい気持ちもちょっとあるんだけどなぁ……。


そうして何日か経って。

わたしは車に乗せられた。

これで小林に戻るみたい。

もうちょっとだけのんびりしていたかったけど、そうも言ってられないよね。

頑張らなくちゃ、いけないんだもんね。

そんな事を思ってたら、いつの間にか眠ってしまった。


目が覚めたら、車の音がしなくなってる。

窓から外を見てもよくわからない。

もう着いたのかな?そんなわけないか。

でも、ここはどこだろう。

「おお、お目覚めでござるか」

あれ、鎧武者さんの声だ。

「自分で車を探すと壁殿には申したのでござるが、ええからこれに乗れって押し込まれたでござる。くぅ殿の身辺警護もできるでござるよ」

「わぁすごい。危ないときは鎧武者さんが助けてくれ……ってなるわけないでしょ」

車の中は危ないことなんてないの、わかってるから。

「それもそうでござるな。そうそう、今は海の上でござる」

海?

「我々も車も船に乗らないと渡れないところでござる。くぅ殿の生まれたところからも見えたと伺っていたのでござるが」

「あー……」

見えてたかなぁ。よくわかんないや。

きっと壁のおじさんは見えてたんだろうね。

それに、前に海を渡ったときを覚えてないからなぁ。

多分寝てたな、うん。


「見てもあまり楽しいものではござらぬゆえ、また寝ていても良いのでござるよ」

鎧武者さんが優しい口調で言う。

「そうしたいけど、お腹空いちゃってさ」

わたしはそう言いながら周りを見渡す。

少し前にご飯もらったけど、あんまり食べた気がしなかったし。

食べられそうなものは……落ちてない。

ちぇっ。


「……くぅ殿は戰場に戻るのでござるな。鍛錬は厳しくなるだろうと壁殿が申していたでござる」

戦場かぁ……。

「……大井に戻るなら戦場だろうけど、小林に戻るから戦場ってわけでもないなぁ」

「はは、そうでござったな。拙者が言いたいのはどこにいても戦場にいる気持ちを持っていてほしいのでござるよ」

「どういうこと?」

「いつも戦だと思っていれば、心持ちが研ぎ澄まされて来るのでござる。鍛錬でも戦だと思えば身が入るものでござるよ」

「そういうものなのかな。よくわかんない」

「そのうちわかるようになるでござるよ」

「そうなのかぁ……」

「それともうひとつ、戦は最後まで諦めてはいけないのでござる」

「それはわかる」

「どんな相手でも、諦めたら勝てるものも勝てなくなるのでござる」

「相手が強すぎて勝てないってわかってても?」

「それでも最後まで諦めなければなんとかなるものでござる。拙者も諦めてなければこうはならなかったのでござるよ」

「そっかぁ……」

鎧武者さんも昔は色々あったのかな。

「くぅ殿は大きな戦にも勝てる器だって壁殿は常々言ってるでござる。きちんと身体が出来たらどこの戦に行っても負けないだろうと」

いやぁ、そこまで自信はないなぁ。

「今はまだまだでも、いつかきっとそうなるんだ。その日が楽しみでならんと言ってたでござるよ」

「あー、それは頑張らなくちゃいけないってヤツだねぇ……」

「拙者には馬の強い弱いはわからぬが、くぅ殿が無事に戰場から帰って来るならそれで良いのでござる」

「鎧武者さんはたくさん馬を見てきたんじゃないの?」

「拙者はただの馬好きでござるゆえ、良し悪しはわからぬのでござるよ。とにかく無事に戻ってくればそれで良いのでござる」

「そっか、わかった。それは自信ある」

「それなら良いのでござる。どれ、拙者はもう少し周りを見回って来るでござるよ」

「うん」と言うと、鎧武者さんの気配が消える。

大きなレースにも勝てるようになる、かぁ……。

ホントにそうなれるのかな。

自分じゃよくわかんないけど、やれることをやってたらそうなるのかな。

そうなったら、『みんな』が喜んでくれるんだろうし。

でも、そうなれなかったらどうなるのかな。

強くなれなかったらどうなっちゃうんだろ。


……よく、わかんないや……。


そうこうしてるうちに車が動き出した。

すぐに止まってご飯もらえたけど、全然足りてない。

お水を飲んだら、また車が動き出した。

しばらくしたらまたご飯がもらえるはず。

そしたら、今度はおかわりしてお腹いっぱい食べるんだ。

ご飯まだかなあ。

「次の休憩まであと3時間くらいだと車の人が言い合ってたでござるよ」

……げ。

3時間も先?

「うわーんお腹空いたー!!ご飯でも牧草でもいいから食べさせてー!!」

「車も予定があるからそう簡単に止まらないでござるよ。じっと我慢でござる」

そんなぁ……。


お腹を空かせたわたしと鎧武者さんを乗せた車は小林に向かって走る。

着く頃には、きっとお腹と背中がくっついてる。

そんな気がしてならないの。

そうならないよう、次のご飯はもっとよこせって言わなくちゃ……。

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今日のくぅちゃん @nozeki

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