第4話 いつだってハッピーエンドは愛あればこそ
■■
いつものようにサンドイッチを注文して一人席に着いた葵は、サンドイッチに手を付けず、まるで誰かを待つかのように落ち着かない様子で時折顔を上げては周囲を見渡していた。
カツ、カツと後ろから近付く足音を聞きつけ勢いよく振り返れば、出迎えたのは嫌らしい笑みを浮かべた結奈であった。
「あれれ? 慌てて振り返って、残念そうな顔。どこの後輩君が来てくれると思ったのかなぁ?」
「結奈」
不愉快だと眉間に皺を寄せる葵は、彼女に背を向け座り直す。
当然、逃がすつもりのない結奈は、葵の席の正面を陣取ると手に持ったミートソースの乗ったお盆を机に置いた。
「で、だぁれを期待したのかな?」
「誰でもありません」
答える気はないと葵は手を付けていなかったサンドイッチを食べ始める。
そんなわかりやすい葵の態度はお見通しなのか、結奈は目元は笑ったまま、
「そーいえばー。とある後輩君が、ここ最近休んで学校に来てないみたいだねぇ」
「……」
「体調不良ってことらしいけど、心配だよねぇ」
「…………、」
海面に浮かべたウキがピクリと反応するように、獲物のこめかみが動くのを見た結奈は内心で一層深い笑みを浮かべる。
「その…輩……前は?」
「はいぃ? なんでしょうかよく聞こえませーん」
「っ、その、後輩のお名前は、なんというのでしょうか?」
ヒット。
大物が餌に食いついたのを感じた釣り師のように、結奈は小気味よい笑い声を上げる。
対して吊り上げられた獲物という自覚があるのか、葵は恥ずかしそうに顔を逸らすのであった。
――
三月三十一日。
黄昏時の夕刻にベッドの上に転がる葵のスマホに一通のメッセージが届いた。
「結奈でしょうか? ……」
届いたメッセージを見て、瞠目する。
そして、スマホをベッドに放り投げると返すタイミングを逃し借りっぱなしになっていたVR機器を引っ張り出す。
彼女が放り投げたスマホの画面には、一つの文章が映し出されていた。
『仮想現実で待っています』
■■
「薄衣さん」
「よかった……来てくれないかもって、思ってましたから」
いつかの浜辺。
現実世界同様夕刻に設定された仮想現実では、太陽が半分地平線に隠れていた。
「ここしばらく体調が優れなかったのは、私のせいでしょうか?」
「あー、休んでたの知ってったんですね」
まさか知られているとは思わず、連はバツが悪そうに頭をかいた。
確かに始めの数日こそ葵に会わす顔もないと休んでいた連であったが、残り数日は連の体調に則した休みでしかない。
「大丈夫……というのもおかしな話ですし、もしかしたら失礼かもしれないですけど、別件です。安心してください」
「そう……ですか」
連の言葉で安心したのか、そう零す葵。
「では、本日はどのようなご用件なのでしょうか?」
「うん、そうですね」
連はこれまでと違って言い淀むことなく、素直な言葉を口にした。
「氷室先輩……ありがとうございました」
突然の感謝の言葉に、葵は困惑する。
「なんの、お礼でしょうか?」
「高校の面接の時、緊張している俺を励ましてくれたことに、です」
予期せぬ言葉に葵は首を傾げる。
「そういえば、手伝いをしていたような……? いえ、待ってください。受験生と話をした記憶はありませんよ?」
「そりゃ話してないですから」
「どういう意味ですか?」
不思議がるのは当然で、葵に覚えがないのも当たり前であった。
連が思い出すのは校舎の窓の外。
数匹の猫と戯れる在校生の一幕だ。
「緊張して外の空気を吸おうとしたら、窓の向こう側で猫じゃらし片手に猫と戯れる在校生が居たんですよねぇ」
「……、……っ!?」
しばし悩んだ素振りを見せた葵だが、思い出したのか頬を朱に染めて顔を逸らした。
「無表情に猫じゃらしを操って、傍から見ていて楽しんでいるのかどうか分かりませんでしたが、なんだかおかしくて。思わず気が抜けちゃって、自然体で面接を受けられましたよ」
「……休憩中だったんです。忘れてください」
「大丈夫ですよ。墓の下まで持っていきます」
大袈裟なという葵の言葉に、連はただ笑って返した。
「だから、ありがとうで、それでごめんなさい」
「お礼を言ったり、謝ったり、今日の薄衣さんはおかしいですね」
「かもしれません」
おかしくなければ、最後の最後にこのようなことはしないだろうな、と連自身自覚していた。
それでも、連は葵に伝えておかなければと思ったのだ。
「ただ、こんな程度で氷室先輩が気になって、好きだなんて勘違いしていたんですから。そんな俺の身勝手な気持ちに巻き込んでしまって、申し訳なかったと思っています」
「勘違いだったんですか?」
「勘違い、でしたよ」
ただの勘違い。
本気で恋をしなくては死ぬと告げられて見た夢幻だ。
恋とも言えぬ儚い想い。
「そんな勘違いに気付かせてくれて、俺の幼稚な恋心と向き合ってくれた氷室先輩――」
未熟な名もない想いが変わったのは、葵が指摘をしたからで、
「――俺はあなたに死ぬ気で恋をしました」
死を前にして本気で向き合おうと覚悟が決まった。
連の言葉を聞いた葵は、一言一言間違えないよう丁寧に言葉にする。
「正直、困惑しています。ただ、嬉しいという気持ちもあります。そこまで、真剣に想っていただけたことはありませんでしたから」
今度は連の言葉を遮ることなく、葵は受け止めた。
以前と違い、不純物が取り払われたからだろうか。
だからこそ、葵も葵なりに彼の真剣さに向き合おうとしてくれていた。
「ですので、お友達から、というわけにはいけませんか?」
お断りの常套句。
けれども、彼女にとっては前向きな回答であった。
「私自身驚きですが、貴方のことが気になっています。でも、それはまだ恋ではない、と思うのです。ですから、恋人というわけにはまいりませんが、友人から始めさせていただけないでしょうか?」
これまで、難攻不落と揶揄されるほどに男を振ってきたお姫様の変化であった。
「我儘を言って申し訳ございません」
そして、同時に今は連の気持ちに応えられないという明確な断りでもある。
申し訳なさそうにする連を見ていた葵が、突然ぎょっとしたように目を剥いた。
「薄衣……さん?」
「いえ、いえ……。すみません、こんなつもりじゃなかったんです」
葵の反応で初めて、自身が涙を流していることに気が付いた連は、手の甲で涙を拭う。
けれど、涙腺が壊れたようにとめどなく涙が流れて止まらない。
拭うの諦めた連は苦笑する。
「悲しいわけではないんです。とっても嬉しくって」
事実、連はただただ嬉しかった。
「俺の行動で、あなたの気持ちを少しでも変えられたのが、涙が出るほど嬉しいんです」
誰も変えることのできなかった
「氷室先輩……」
だから、連は涙を流しながらも笑うのだ。
「友達から、宜しくお願いします」
「…………あ、」
連を驚きの表情で見ていた葵は、皺になるほどブラウスを強く握り、小さく声を漏らすのであった。
――
総合病院の一室。
明かりのない個室のベッドで、VR機器を頭から外した連が横になっていた。
「満足しましたか?」
「ありがとうございました、先生」
痛みで動けなくなり、数日前から入院をしていた連。
余命最終日、彼の我儘を受け入れてくれた担当女医に連は心からのお礼を口にした。
「悔いはいっぱいあります。けど、想いは伝えられたから」
だから、満足だと赤く腫れた目元を擦りながら言った。
対して、酷く淡泊に「そうですか」と告げた担当女医は、連の最後の遺言染みた言葉をあっさりと聞き流した。
「それはよかったです。というわけで、さっさとベッドから降りて欲しいんですけど」
「……これから日付を跨げば死ぬ人間に辛辣ですね」
「死にませんよ」
「……………………は?」
今 な ん て 言 っ た ?
予想だにしなかった言葉を受け、連はあれほど痛くて起き上がれなかった体をあっさりと起こす。
「いえ、ですから死にませんと言っているのです」
「はぁあっ!? いやだって本気で恋をしなきゃ死ぬって……!」
「だから、しているのでしょう? 本気の恋を」
「……っ」
指摘された連は顔が急激に赤くなる。
他人に恋心を指摘されることほど、恥ずかしいものはない。
「誰も成就させろなんて言ってませんよ。本気の恋をしろと言っただけです」
「つまり、日付を跨いでも?」
「死にません」
「四月一日になっても?」
「死にません」
淡々と返してくる担当女医の言葉に、連は体をプルプルと震わせると――
「な、なんだそりゃぁあああああああああああああああああああああああああああっ!?」
絶叫。
「じゃあ、俺の覚悟は一体なんだったんだ!?」
「いいではありませんか。どちらにしろ、完治ではありませんから」
「……なんだって?」
治ったわけではないという言葉によって強引に現実へと引き戻された連は、微笑むエンゲル女医から神のお告げかのように厳かに告げられる。
「昔から言うではありませんか。不治の病を治せるのは――本物の愛だけですよ」
■■
全てが全て連の空回りだったと知った翌日の登校。
死にそうな顔で項垂れている連の足取りは牛歩のように重かった。
「顔合わせたくねぇ……」
「薄衣さん、おはようございます」
「はい、おはようございま……」
条件反射で返事をして、聞き覚えのある声にん? とクエッションを浮かべると、慌てて連は背筋を伸ばして顔を上げた。
すると、いつかの連のように校門の柱で立つ葵の姿が視界に飛び込む。
「氷室先輩!?」
「私はそんなに驚くような顔をしておりますか?」
会いたかったような会いたくなかったような。
頭の天辺を糸で吊っているのではないかと思うほど姿勢の整った葵の登場に、連は今にも逃げ出したくなっていた。
とはいえ、本当に逃げ出すわけにもいかず、連は取り繕うように質問を投げかけた。
「い、いや、そうではなく、どうしてここに?」
「挨拶をするためです。貴方がいつもしていたことではありませんか?」
「そうですけど、え? なんで?」
連が毎朝校門で待って葵に挨拶をしていたのは、彼女に好意を寄せていたからだ。
つまり、アプローチの一環であり、連に友人以上の感情を持ち合わせていない葵がするべき行動ではないはずだ。
「それは…………友人に挨拶をするのがおかしなことでしょうか?」
「氷室先輩っ」
なにやら言い淀みながらも友人宣言してくれる葵が嬉しく、思わず連は泣きそうになってしまった。
そんな連の歓喜が癇に障ったのか、葵はあっさりと彼に背を向けてしまう。
「では、さようなら」
「あ、待ってくださいよ氷室先輩! 友達というのなら、一緒に行きましょう!」
「お断りします」
「そんなぁ」
泣き言を言いながら追いかける連。
断っておきながらも、葵は歩く速さを緩めるのだから否やはないのだろう。
未だ決死恋愛症候群は完治せず、死の危険と隣合わせの彼ではあるが、隣り合う彼らの姿を見れば、いずれ奇跡も起こるであろうと、そう予感させた。
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