第3話 初めてのデートはVR

 ■■


「アオちゃん聞いたよ聞いたよ~」

「なにをでしょうか?」


 放課後の二年生の教室。

 快活な笑顔を浮かべて近付いてくる友人の日高結奈ひだかゆいなに、葵は説明を求める。


「も~、分かってるくせに~。後輩君のデートの誘い、受けたんだって~?」

「遊びに行くだけです」

「それをデートって言うんでしょうが」


 ちょいちょいと肩をつついてくるのが鬱陶しい。

 普段から笑顔を欠かさない結奈であるが、今回は殊更楽しそうに笑い、まるで演劇のように朗々と語り出す。


「冬の月のように冷たく美しい、どれだけ手を伸ばしても届かない天上のお姫様。冬月とうげつの姫なんて呼ばれてるアオちゃんがね~」

「はぁ……それを広めたのは結奈ゆいなでしょう」

「あっはっはー」


 笑って誤魔化す結奈。

 少々深読みできるこじゃれたあだ名を考えて広めた友人を、葵は目を細めて睨みつける。


「笑い事ではないのですが」

「いやいや。でもね? ほっておいたら氷の女王様とか雪女なんてあだ名が定着しそうだったからね。私としては、アオちゃんには綺麗なあだ名が定着してほしかったんだよ」

「感謝はしませんが、言いたいことは理解しています」


 氷の女王様や雪女など、葵の冷たさこそ表しているが情緒もなにもあったものではない。

 その点で言えば、冬月とうげつの姫は比較的マシであろうが、まるでアニメやドラマの登場人物のようなあだ名で呼ばれるのは、どうにも面映ゆく、葵は慣れなかった。


「で、なんで受けたの? 今までさんざ断ったのに」

「……それは、」


 一頻り笑った結奈に説明しようとした葵であったが、直ぐに口を閉じる。

 教室内を見渡せば、慌てて顔を背ける級友たちの姿があった。

 特に男子生徒の反応は顕著で、顔を背けながらも葵が気になるのか、ちらちらと盗み見ながら耳をそばだてているのは明らかだ。


 呆れて物も言えないと、深くため息をついた葵は、飾り気のない濃い青のスマートフォンを取り出すと、メモ帳を起動した。

 彼女の意図を察した結奈は、椅子に座る葵と並ぶように屈む。


 書いては消して。少し悩んだ葵が打ち込んだ一文。


『今までの男性とは違って誠実で、どこか、一生懸命なのが気になったからです』


 字にしても、なにやら納得ができず首を傾げる。

 幼い頃から容姿に恵まれ、男子からは好意と情欲を、女子からは羨望と嫉妬を集め続けた葵にとって、恋愛とは興味の外であり、距離を置きたいものであった。


 そんな彼女が、多少なりとも連に絆され、デートの誘いを受けたというのは葵自身驚くべき変化であった。

 やたら距離を詰めて触れようとしてくる男たちと違い、下心を全面に出さず挨拶に留める彼の距離感にこれまでの言い寄ってきた男たちとの違いを感じたのは事実だ。

 けれど、それは拒絶反応がでない程度のモノでしかなく、誘いを受けた理由は別にあるはずなのだ。

 ――一生懸命、というよりも、なにやら必死さを、感じたような……?

 その正体に興味を惹かれたからこそ、葵は連の踏み出した一歩を受け入れたのだ。


 葵の沈黙をどう受け取ったのか、結奈がニヤリと笑う。


『惚れた?』

『いえ、全く』


 そう打ち込むと、葵はメモ帳の文章を全て消した。


 ■■


 浜辺に寄せては返す波。

 透明感のある綺麗な海と、一粒一粒が小さな浜の真砂まさご

 泳ぐには先取り過ぎで、浜辺の散歩にしても気が早い。

 快晴の空で燦々さんさんと降り注ぐ陽光を、手を帽子のつばに見立てて遮る葵は、白のブラウスをくびれできゅっと締め上げるロングスカートという彼女らしく飾り気がなく、けれど清楚さのある姿で一言感想を零した。


「仮想現実でデートとは、予想外でした」


 葵の姿はヴァーチャルリアリティ。VR機器が読み取って作り上げた仮想世界の分身アバターでしかなく、現実の彼女は未だ自宅の自室で寝転がっている。


 昨今、技術の進歩に伴い話題になっている新たなデート方法を提案した連は、白のパーカーに黒のコートを羽織ったシンプルな服装であった。

 彼なりに、派手でなく、格好つけているわけでもない。けれど、格好良く見せたいという葛藤から生まれたファッションは、担当女医から『ファッションを嫌煙する草食系男子そのもの』という評価を頂いたお墨付きである。


「人混みは嫌いだと思ったので、これなら静かにデートができるかと思って」

「その気遣いはとてもありがたいですね。ただ、一般に発売されているものよりも高性能ですよね?」

「……知り合いから借りられました」


 連たちのアバターや眼前に広がる光景は、本物となんら遜色がなく、とても仮想現実とは感じられない世界であった。

 技術が日進月歩とはいえ、現在一般市民が手にできるレベルを超えた代物だ。


『治療の一環です』


 と、担当女医から壊さないようにと念押しされて貸し出されたVR機器。

 どうやら、病院の備品ではなくプライベート品であるらしい一般販売されていないそれを、どうやって手に入れたのか連は気になってしまう。

 ――これでどんなゲームをしていたのかはもっと気になるが……。

 担当女医の趣味から想像するに、青少年には規制がかかってしまう代物を想像し、訪ねるのも恐ろしく連は口を閉ざしたのであった。


「それで、本日はどのような場所に連れて行っていただけるのですか?」

「自然の水族館なんて、いかがでしょうか?」


 連なりに気取って見せたのだが、なぜか露骨に警戒心を高める葵。


「……まさか、水着姿を見たいとか言い出しませんよね?」

「見たっ……いですけど、違います」

「そうですか。危うく帰るところでした」


 デート開始して即解散なんて伝説を連は作りたくなかった。

 知らずビルの屋上から屋上へ命綱のない綱渡りをしていたことに気付かされた連は、背を冷やせでびっしょり濡らしながら、細心の注意を払って言葉を選ぶ。


「こっちです」

「海の中……濡れてしまうのでは?」

「ヴァーチャルですから」


 服のまま海へ促された葵は戸惑うが、連は笑顔で現実を否定する。



 ――


 眼前に広がる神秘な光景に、葵は目を大きく見開き感嘆の声を上げる。


「これは……凄いですね」


 彼女の目の前に広がるのは、自然の水族館という言葉通りの光景であった。

 上下左右、三百六十度。連と葵を中心に広がるのは、海中に住む生物の楽園であった。

 小さな熱帯魚に、悠々と泳ぐウミガメ。凶悪な牙を剥き出しにした鮫が勢いよく横切り、ペンギンが空を飛ぶかのように海中を泳いでいる。

 海の隔たりなどなく、世界中の海中生物が一堂に会する現実ではありえない、ファンタジーな世界に葵は魅入っていた。


 葵が喜んでくれてほっと一息をつく連は、無粋と思いつつも補足を入れることにした。


「本来、海辺近くにこんなに魚はいないので、あくまでこちらで設定したものですけど」

「自然であり、人工的でもある。自然の水族館とは言い得て妙ですね」


 連の説明にも気分を害した様子もなく、すり寄ってきたペンギンを抱きしめて葵は相好を崩している。


「気に入っていただけましたか?」

「ええ。良い意味で、予想を裏切られました」


 葵と出会ってから初めて見られた笑顔。

 彼女のことが気になっている連は、呆気ないほど簡単に見惚れて心奪われてしまうのであった。


 ――


 一頻り、海中の水族館を楽しんだ二人は、初期位置である浜辺に戻ってきていた。


「なかなか得難い体験をさせていただき、ありがとうございます」

「氷室先輩に喜んでいただけたのであれば、よかったです」


 すっかりいつも通りの冷たい表情に戻ってしまった葵を残念に思いながらも、彼女にお礼を言われるのは嬉しく、ついつい連の頬は緩んでしまう。

 ――残りも僅か。ここで決めるしかない。

 己の命を計算し、背水の陣で覚悟を決める。


「っ、氷室先輩……俺は」

「待ってください」


 言葉を続けようとした瞬間、葵からの静止。

 手で壁を作り、連の言葉を遮った葵の明確な拒絶に、連の心臓は早鐘する。


「氷室、先輩?」

「貴方の……薄衣さんの言いたいことは理解しているつもりです。私の自意識過剰でなければ、一定の好意は感じますし、私が不快にならないよう気遣っていただけているのはありがたいです」


 葵の話声に不快感はない。

 むしろ、連の行動自体は好意的に受け取られているようで、付き合う付き合わないはどうあれ、彼の告白を遮るほどに嫌っているという印象はなかった。

 それでも、葵は連の言葉を受け取れないと、彼の心臓を止める言葉を突き付ける。


「ですが、貴方の感情……でしょうか。

「不純……物?」


 まるで教会で罪を問われているかのような感覚に、連の血の気が潮のように引いていく。


「はい。先に言っておきますが、決して下心という意味ではありません。むしろ、それとは縁遠いなにか、もっと差し迫ったようなもの、でしょうか」

「……っ」


 それは皮肉にも、葵がデートを受けた理由であり、連に興味を持ったきっかけであった。


「申し訳ございません。感覚的なモノなので、言葉にしづらく。理解していただきたいのは、貴方の好意を断るために、迂遠な言い方をしているわけではないということです」

「それは……分かります」

「よかったです」


 安心したとほっと息をつく葵。

 普段であれば彼女の表情の変化にときめかせる場面であるが、罪の意識に震える連にそのような余裕は残っていなかった。


「貴方の言うデートを受諾し、このように楽しませていただきながら大変申し訳ございませんが、今の薄衣さんからの告白は受けたくありません」


 そう言って、仮想の現実から姿を消す葵。

 残されたのは、青褪めた表情で一人黄昏る、罪を突き付けられた罪人だけであった。


 ――


「あー、そりゃ、そうだよなぁ」


 しばらく時間を置き、どうにか落ち着いてきた連は、告白すらさせてもらえなかった状況を受け入れ仰向けで砂浜に倒れ込んだ。

 葵の指摘で気付かされた己の心。


時点で間違ってるんだよなぁ」


 結局のところ、死にたくないから貴女が好きですと言っているようなものだ。これほど身勝手で、相手に失礼な告白もあるまい。

 必死さはどちらが上なのかはさておき、気になっている程度の相手に好きですと宣っていた己が、連は今になって恥ずかしくなる。


 氷室先輩の言うところの不純物。

 連自身ですら自覚できていなかったモノを的確に見抜いてみせた葵は流石と言えた。


「死ぬのかなぁ……俺」


 連の余命まで、十日を切っていた。

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