第2話 初めてのアプローチ 参考資料はエロゲ

 ■■


 三月初頭。春の訪れを感じそうな頃合いであるが、まだまだ肌寒い季節。

 特に陽が上ったばかりの早朝は冬の寒さが残雪のように留まっており、上着を置いてきた肌にちくり、ちくりと針のように刺さる。


 そうして、校門の柱に寄り掛かり身を震わせること一時間。

 ぽつりぽつりと学生たちが登校し始めてきた。

 校舎に入らず、校門前で立ち続ける連に訝しげな目を向けて通り過ぎていく学生たち。

 無遠慮な視線に晒され、居たたまれなさで連は逃げ出したくなったが、目的の人物が登校したことに気が付き、自身の両頬を思いきり叩いて気合を入れる。

 突然の奇行に周囲の人たちがぎょっとして目を剥いたが、連は意識して気にしないようにしつつ、寒さで固まってしまった表情筋を気合で動かして満面の笑顔を作る。


「氷室先輩、おはようございます!」

「……」


 女性雑誌の表紙を飾るモデルのように、背が高くほっそりした氷室葵。

 生徒共通の学生服ですら一流デザイナー渾身の一作のように着こなす彼女は、声をかけた連に一瞬胡乱げな目を向けると、歩調を緩めることなく無言のまま去っていった。


 北風だろうか。冷たい一陣の風が流れる。


 赤い紅葉とは別の理由で頬を染める連は、周囲の可哀想な者を見る目に耐え兼ねて涙目になりながらとぼとぼと俯きがちに校舎へと歩いていった。


 ――


「氷室先輩! お一人ですか? ご一緒してもいいですか?」

「他の席が空いていますので、そちらを使ってください」


 命がかかっているがゆえのへこたれなさで、お昼休み、食堂で一人サンドイッチを食べている葵に突貫した連は呆気なく爆発四散。

 ――朝と違って、返答があっただけ進展なのでは?

 己の慰撫しながら、最後の抵抗と彼女の近くの席で食べた焼きそばパンは少しばかり塩味が強かった。


 ――


 そして、訪れる放課後。

 厚手の雲が一日中太陽を遮り、日の拝めない一日であったが、連が葵に向ける表情はいつだって太陽のように輝いている。


「氷室先輩、さようなら! また明日!」

「……はぁ」


 対して、雨でも降っているのではないかと思うほどに、憂鬱そうなため息をついて校舎を後にする葵。

 衆人環視で哀れな姿を晒し続ける現状。

 近くで見ていた顔も知らない先輩であろう女子生徒に缶コーヒーを恵まれた時、連は心から泣きそうになったが、彼は挫けなかった。

 助かるために頑張ろうとプシュッと缶コーヒーを開けると、一気に飲み干した。

 ……ホットかと思ったらアイスであった。間違えて買ったのを体よく押し付けられたのではあるまいか。


 ――


「先生……! 心が折れそうです!」

「安心してください。泣き言を口にできるのであれば、まだ大丈夫です」


 あれから数日。同じように朝挨拶、昼に挨拶、放課後に挨拶ととにかく声をかけ続けたが見事全戦全敗。

 黒星と同情の目ばかりが増えていき、ついに連の心は折れてしまっていた。


「無理ですよぉ。最近なんて、氷室先輩に躱される度、捨てられた仔犬扱いで見ず知らずの先輩たちに慰められる日々」

「そうですか……ちなみに、先輩というのは女生徒ですか?」

「……? そうですね」

「……傷心を狙われてますね」


 なにやら遠い目をする担当女医。

 彼女の言っていることがよくわからない連は、とにかく話を聞いてくれと項垂れながら弱音を零す。


「まともに話すらできないんですけど、本当に効果はあるんですか?」

「あります」


 断言。

 効果の程が疑わしくなってきていた連は、予想外の力強さに目を丸くする。


「印象の良きにしろ悪きにしろ、まず覚えてもらわなければ話になりません。そして、印象というのは接した回数により向上します。最低限、路傍のゴミから路傍の石ぐらいには見方は変わっていることでしょう」

「それは認識されていないのでは?」


 路傍のゴミと石にいかほどの違いがあるのだろうか。

 むしろ、ゴミなら捨てようという気持ちにさせられるが、石では見向きもされない分、認識としては下がっている可能性がある。

 だというのに、担当女医は無表情ながらもどこか得意気で、自身ありと白衣を内側から押し上げる大きな胸を張る。


「問題ありません。恋愛経験豊富な私に任せてください。女性の一人や二人、簡単に攻略してみせましょう」

「それがそもそも疑わしい……ん?」


 胸を張った拍子に担当女医の肘が机のなにかにぶつかり、滑るように箱が落ちた。

 カッ、コトンッと転がりながら連の爪先にやたらカラフルな箱がぶつかる。

 特に考えもせず手を伸ばして拾う連とは対照的に、珍しく焦った様子の担当女医が箱に手を伸ばしている。


「……待ってください、私が拾います」

「『クレッシェンド ~魔法の島で君と恋しよう~』……エロゲじゃねぇか!?」


 やたら色とりどりな髪色をした美少女キャラクターたちが描かれたパッケージ。

 一見、一般向のように見えるが、側面には銀色に光る丸いシールに『18』と書かれていた。まごうことなき十八歳未満お断りの成人向けゲームである。それも、恋愛シュミレーション。


 常識的観点、倫理的観点から医者のデスクに置いてあっていいものではない。

 なにより、本気で恋をしなくては死ぬやまいにかかっている少年の前に見せるべきものではなかった。


 だというのに、連のエロゲ発言が不満だったのか、やたらキリリと表情を引き締めた担当女医が至極真面目に告げてくる。


「違います。これは私の人生です」

「おいふざけんな女医! まさか経験豊富ってゲームの女の子のことか!?」

「違います。確かに私は未経験の処女ですが、恋愛経験は豊富です。私の手によって落とせない女性はおりません」

「処女っ……へ、変なこと言うな!」

「だいたい、恋愛の行き着く先は性行為なのですから、それを突き詰めたエロゲは恋愛において最高の教材と言ってはばかられないのではありませんか?」

「口にするのもはばかられるよ!」


 無表情の鉄仮面の裏から出てきたのは、日本文化を間違って理解してしまった外国人であった。

 その対象がエロゲというのは、なんともはや筆舌に尽くしがたい醜聞である。

 それも、見た目だけはドイツ系のクールな美人なのだから、中身とのギャップに連が頭を抱えて混乱するのも仕方ないのことだろう。


「ごほん。参考資料はともかく、これでも私は医師であり女です。女性の気持ちは手に取るように分かりますのでご安心ください」

「一気に信憑性が落ちてるんだよなぁ」


 恋愛経験豊富な美人が一転、おぼこなエロゲ愛好者を信用しろというのは、少女漫画を読んで恋に憧れ大人ぶる小学女児となにが違うのか。連は甚だ疑問であった。


 ――


 とはいえ、文句こそ口にした連であったが、では他に方法があるのかと問われれば、彼に残されるのは初日同様当たって砕けろの自爆特攻のみ。

 始めから結果の見えている方法よりは、まだマシだと担当女医の助言通り挨拶アプローチを繰り返していた。


 けれども、気が付けば三月も半ばの十五日。

 告げられた余命の半分を切った連に焦りが見え始めた日の朝、小さな変化が訪れた。


「氷室先輩、おはようございます」

「おはようございます」


 葵が挨拶を返してくれる。


「……? ……………………っ!?」


 日課となった葵への早朝挨拶。

 今日も今日とて変わらることのない反応に、涙が零れないよう曇天を仰いで異変に気付く。

 ――返事が、返ってきただとっ?


 ――


 変化はそれだけに留まらなかった。


「どうぞ、お掛けになってください」


 朝はなにかの気まぐれだと思い、平時と変わらぬまま、笑顔で葵を昼食に誘うと思いがけない良き返事に連は言葉を失ってしまう。

 勧められた、彼女と対面する席に連は無意識で座る。

 二人の間に訪れるのは静寂。

 断られることに慣れてしまった連は、まさかの事態に半ばパニックとなっているが、無言の気まずさに声をかけずにはいられなかった。


「あの……」

「はい」

「今日は一緒に食べてくれてありがとうございます」

「お礼を言われることでは……ありますか。正直鬱陶しかったので」


 グサリと刺さる一言。

 うっと小さく呻き連は胸元を押さえる。

 ――そりゃぁ、鬱陶しいよなぁ。

 声をかけるだけ、とはいえこうも毎日では目障りに思うのは当然だ。

 明確な拒否をされないことをいいことに、調子に乗っていたことを自覚した連は、購買で買った焼きそばパンに手をつけられず項垂れるしかない。


「ごめんなさい……」

「ただ、」


 予想外の繋ぎに連は顔を上げる。


「他の男性にもしつこい方は多かったですが、適切な距離感を保って接してきたのは貴方が初めてでしたので」

「氷室先輩……」


 盗み聞きしていたのか、彼女の言葉に覚えがあるだろう周囲の幾人かの男子生徒が気まずそうに顔を逸らした。

 葵は類稀な美貌の持ち主だ。

 高校二年である彼女が、連が入学する前から多くの男子生徒から言い寄られていたのは想像に難くない。

 中には強引に迫ってくる男も居たのだろう。

 そんな男共と比較すれば、まだ連は理性的でマシだと葵は言っているのだ。


 褒められたというよりは、待てができて偉かったと捨てられた仔犬の頭を撫でているかのような印象だ。マイナスから出発してようやくゼロに戻ったかのようなで、好感とは程遠かろう。


 とはいえ、変化は変化。それも良い方向のだ。

 嬉しくなって頬を緩めようとも、誰に咎められるものでもない。


「ところで、貴方の名前はなんというのでしょうか? 告白してきたのに、名前すら教えていただけませんでしたから」

「……すみません、薄衣連うすいれんと申します」

「そうですか」


 それきり興味なさそうに卵のサンドイッチを小さくぱくつく葵。

 告白しておいて名乗ってすらいなかった連の落ち込みようなど気にした様子もない。


 穴を掘って自身で埋まってしまいそうな連であるが、彼の脳裏で担当女医の言葉が思い起こされる。


『どのような反応であれ、相手からのアプローチはチャンスです。必ずモノにしてください。正しい選択肢を選ぶのです』


 最後の言葉に連は引っ掛かりを覚えたが、この変化は担当女医の助言によって持たされたものだ。

 ならば彼女の言葉を信じようと、連は緊張した面持ちで葵に声をかける。


「ひ、氷室先輩!」

「なんでしょうか」

「こ、今度の週末、で、で、デート、していただけないでしょうか!?」


 知らず大きくなったデートの誘いに、周囲で耳をそばだてていた生徒たちは一様に静まり返った。

 相手は冬月とうげつの姫というあだ名が学校中に広まるほどの難攻不落の美女だ。

 結果は見えているようなものだが、冬月の姫の冷ややかな対応にもめげずアタックを続ける一年生のことは、ここ二週間で噂になるぐらいには広まっていた。


 憐憫か、同情か。

 同席を許した相手にどのような反応を返すのか。誰もが緊張した面持ちで見守る中、渦中の姫の返答は至極あっさりとしたものであった。


「――構いませんよ」

「あーそうですよね。鬱陶しいだけの路傍の石ころがなにを言ってるっていう…………? 『構いませんよ』?」

「はい。遊びに行くぐらいは、お付き合いします」


 その辺の散歩に行くぐらいの気軽さで、了承する葵。

 予期せぬ冬月の姫の雪解けに、周囲の生徒たちがざわつき始める。

 天変地異の前触れか。今日の天気は槍ところにより飴玉でも降り注ぐのか。

 正に阿鼻叫喚。右に左の大騒ぎと化した食堂で、連は一人両拳を握り天に突き上げた。


「や――やったぁあああああああっ!!」

「静かにしてください。周りの方に迷惑です」

「……はい」


 しょんぼり小さくなって椅子に座り直す。

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