トカゲのしっぽ

ふさふさしっぽ

トカゲのしっぽ

 どうしてこんなことになったんだろう。


 気がついたら僕は柱にくくりつけられていた。

 お腹にぐるぐるとロープが巻かれている。

 両腕はバンザイした状態で固定されている。感触はロープだと思うけど、どういうふうに固定されているのかは僕から見えない。

 両脚は少し開いた状態でこちらもロープで固定されている。左右の地面から杭のようなものが出ていて、そこに結ばれたロープが左右の僕の足首をぐるぐる巻きで固定している。こっちは目で確認できる。

 頭がずきん、と痛む。

 そうだ、神社であいつらを探してたら、いつも神社にいる不気味なおじさんに声かけられたんだ……。それで、なにかで頭を殴られた?


 僕は誘拐されたのか? ここはどこだ?


 地面はむき出しで、お尻が冷たい。天井が高くて、埃っぽい匂いがする。どこかの倉庫かなんかだろうか。真っ暗でよく分からない。ロープはきつくて、お腹は苦しいし、両手両足は痛い。泣きたくなったけれどなんとかこらえた。もう小五なんだから。


 ガラガラという金属の戸を開ける音がして、僕の心臓は跳ね上がった。

 誰か入ってきた。

 誰かは後ろ手に戸を閉めると右足を引きずりながら僕に近づいてきた。あの歩き方は不気味なおじさんだ……僕は反射的にごくんと唾を飲み込む。

 ふ、と弱弱しい明かりがつく。目の前にいたのはやっぱりあの不気味なおじさんだ……と思う。おじさんは懐中電灯を持っているけど、電池がないのか光が弱い。この場所全体を照らすには足りない明るさだ。だから、おじさんの顔も、よく見えない。

 僕は体が震えて声が出せなかった。怖い。こわいよ。


「俺が誰だか分かるかな、君」


 おじさんが喋った。案外やさしそうで落ちついた声だった。だけど僕は何も答えられなかった。


「ああそうだ、こんなに暗くちゃ分からないよね、ごめんね」

「ひっ……」


 おじさんは僕の鼻先まで顔を近づけてきた。二つの大きな目ともじゃもじゃのひげ。間違いなくいつも神社をうろうろしているおじさんだ。お母さんには近寄ったらいけないと言われている……。


「分かるかな?」

「じ、じんじゃ……いる、おじさ……」


 おじさんなんて言ってしまって怒られないだろうか。お母さんは僕がふざけて「もうお母さんはおばさんだね」と言うとものすごく怒るんだ。

 だけどおじさんは、

「正解だよ。よく分かったね」

 と言って僕の頭をやさしくなでた。そして、

「さてさて、ここからが本題です」

 まるで学校の先生みたいにそう言って、


 どさどさどさっ。


 僕の頭に何かをぶちまけた。うぞうぞ動く、それは、たくさんのトカゲだった。


「うわああああああああああ」


 僕は狂ったように叫んで、もがいた。僕の、腕に、足に、首に、トカゲの感触が這いまわる。


「何泣いてるんだい? 君、トカゲ好きだろう? いっぱい集めてたじゃないか、神社で」

 好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない。僕は首をぶんぶん振った。

「いっぱい集めて、何してたのかな?」


 何してた……それは。


「言えよ」


 低く脅すような声に、僕のすべてが固まる。言わなきゃ、殺される。

「ト、トカゲのしっぽ、つ、つまむと切れるから、で、でもトカゲのしっぽって、また、はえて、くるし、だいじょうぶかなって」

 無我夢中で言い訳するように一気に喋った。


 トカゲは身の危険を感じると自分のしっぽを切って、逃げる……ジセツ、と言うんだよ、って理科の先生に教わって、僕はとても興味を持った。

 はじめは友達を誘って学校の裏でトカゲを捕まえて、ジセツ、する様子を観察した。

 しっぽを指でつまんで持ち上げると、トカゲはじたばたして、そのうちしっぽがぽろっと切れて、トカゲは地面に落ちる。つまんだしっぽだけがうねうね動いてる。

 友達は最初こそ興奮していたけれど、すぐに飽きたと言った。だけど僕の興奮はおさまらなかった。

 家の近くにある神社の境内の裏にたくさんトカゲがいることを発見し、捕まえては「ジセツ」の様子を最初から最後までながめた。切れる瞬間が、一番興奮する。体がぞくぞくってするんだ。そのことを友達に教えると友達は「お前、おかしくない? トカゲ、かわいそうだろ」って言って、僕と話さなくなった。だけどまたしっぽは生えてくるって理科の先生言ってたし、かわいそうっていう気持ちとか、罪悪感はなかった。それより自分のぞくぞくのほうが大事だった。気がつけば百匹以上やってた。あっという間だった。


「新しいしっぽを生やすのって、すごーくたくさんのエネルギーが必要なんだ。しっぽを生やすために力尽きちゃうトカゲもいるって、先生に教わらなかった?」

 またおじさんは優しい声に戻って僕に質問した。

「え……」

 しっぽが自動的に切れるっていうことにわくわくして、そこから先の先生の話はあんまり聞いてなかった。

「知らなかった?」

「し、知らな……」

 全身にまとわりつくトカゲの感触も今は気にならなかった。目の前のおじさんの目がらんらんとしていて、怖くて、それどころじゃなかった。

「それにね」

 おじさんは僕から離れると、右脚のズボンの裾をまくり上げて、左手で懐中電灯の光を当てた。

 僕はあまりの恐怖に息を止めた。

 おじさんの右脚は小っちゃかった。膝までは普通なのに、そこから先は細くて色も赤黒い。足先はあるけれど、枝にくっついた実みたいに、ぶら下がっているだけ。ああ、だからおじさんはいつも長いズボンをはいて、左しか靴をはいていなかったんだ……。


「新しく生えたしっぽは、もとのようなしっぽにはならない」


 体の震えが止まらなくて、自分の体じゃないみたいだ。歯がカチカチ鳴る。泣き続けているせいか、頭ががんがんする。僕はどうなっちゃうんだろう。いやだ、死にたくない、死にたくない、死にたくない。


「利き手、どっち?」


 おじさんが「宿題やった?」って聞くような感じで僕に聞いた。僕は呼吸がおかしくなっていて、何も答えられない。

 ぱん、と大きな音がした。

 しだいに右のほっぺたがじんじんしてきた。何かが唇から口に流れ込んでくる。どろりとして、鉄の味がする。僕は鼻血を出したみたいだ。


「どっち?」


 もう叩かれたくなくて、僕はしゃくりあげながら答えた。「み、右……」


 暗がりの中でおじさんがにっこりと笑ったのが分かった。

 洋服の下から、なにか布で包んだものを取り出した。ゆっくりと布をとく。床に置いた懐中電灯の光を受けて、それはきらりと光った。

 包丁だった。


「じゃあ、左にしてあげよう」







 地面を這う、トカゲを眺めていた。


 おれは「空気が読めない」らしく、話してるとイラっとするとクラスメイトの何人かに言われた。だから今日もひとり、中学校の中庭で、トカゲを眺めている。

 トカゲは自分に危機が迫ると、逃げるために自らしっぽを切る「自切」をする。敵が切られたしっぽに気を取られているうちに逃げるのだ。中学生にもなれば、誰でも知っていること。


 じゃあ、しっぽを切り離した後のトカゲってめちゃくちゃ必死なんじゃないか? なんてったって、体の一部を犠牲にして逃げるんだから。自分の命を守るために必死に逃げるトカゲ。


 見てみたいな。


 そんなおれの思いをよそに、何事もないような感じで歩く(?)トカゲ。そののんびりした様子が癇に障る。


「のほほんとしてんじゃねーぞ」


 お前がこれからどうなるかは、おれ次第なんだ、おれは神なんだぞ。

 トカゲのしっぽに手を伸ばす。

 ……

 ……

 ……

 …………くだらない。


 何だよ神って。バカかおれは。中二病か? いやおれまだ中一だけど。


 すると地面にふっと影ができた。しゃがんでいたおれはぎくりとして後ろを振り返る。そこには、校務員のおじさんがいた。

 校内の整備や、補修、ゴミの収集などをやっているおじさんだ。

 おじさんの左腕は短い。

 どういうことかっていうと、肘から先が、あとからくっ付けたみたいに細く、小さいんだ。掌も、子供みたいに小さい。袖口から覗くその肌の色は、くすんで赤黒かった。

 最初、何かの作業中に腕まくりをしたおじさんのその左腕を見たときは驚いたが、そんな左腕でも校務員の仕事をきっちりこなしている。何気にすごい人だ。


「……なんすか」


 おじさんがおれをじっと見ているので、おれはたまらず立ち上がった。左右の腕の長さが違うこのおじさんは、立ち上がるおれをご丁寧に最後まで目で追った。


「トカゲを、見ていたのかい」


 おじさんは聞き取りやすい、良く通る声をしていた。というか思ったより若い。今まで会話したことがなかったから分からなかったけれど、まだ三十代半ばだ。おれの父さんより若い、と思う。

 沈黙が降りた。

 気まずくなったおれは、軽く頭を下げておじさんの横を通り過ぎようとした。するとおじさんは、

「トカゲをいじめちゃいけないよ。必死に生きてるからね」

 と薄く笑った。おじさんは割とイケメンだった。

「うっす……」

 おれはもう一度頭を下げるとその場を離れた。少し歩いてちょっと振り返った。


 校務員のおじさんはもうおれのほうを見てはいなかった。

 トカゲが這っていた地面をじっと、見降ろしていた。

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