いつかあの空を羽ばたく日まで
詠月
いつかあの空を羽ばたく日まで
「鳥って自由だよな」
不意に向かいのベッドから聞こえてきた声に、蓮斗は読んでいた本から顔を上げた。
窓の外を眺める那緒の横顔が視界に入る。
「突然どうしたの?」
「んー……別に」
思っただけ、と起こしていた体をシーツに投げ出す彼を蓮斗は少し意外に思った。
「珍しいね、お前がそういうこと言うの」
「そうか?」
「僕らけっこう現実派じゃん」
「……まあ、言われてみればそうだな」
夢なんて見れねぇし。
そんな呟きを蓮斗は聞き流した。
那緒だって返事を求めてはいないだろう。
夢なんか見ても何も変わらない。
十数年ほどしか生きていない二人はそれを痛いほど知っていた。
「……ねえ、那緒」
名を呼べば那緒はちらっと蓮斗に視線を寄越した。
何だよと目が問う。
ふいと目を逸らして蓮斗は手元の本を撫でた。
「やっぱ羨ましい?」
少しの間が空いて。
「……何だよ突然」
「いや、思っただけだけど」
蓮斗は僅かに笑みを溢した。
さっきとは立場が逆転した会話が何だか可笑しくて。
「……外は」
いつの間にか、那緒が点滴をガラガラと引きずって蓮斗のベッドまでやって来ていた。
蓮斗は慌てて本を棚に置き、自分の位置をずらして座る場所を作ってやる。
崩れるように腰かけてきた那緒の背中をトントンと叩いた。
「ちょっと、大丈夫? 歩くのキツいんじゃ……」
「俺はまだ平気。お前を歩かせる訳にはいかねぇだろ」
「だからって……突然はやめろよ、倒れたらどうすんの?」
「平気だって」
僕だって支えるくらいはできるのに、と蓮斗は頬を膨らませる。
那緒はすぐに無茶をしようとするから。少し前までそれを支えるのはいつも蓮斗の役目だった。
でも今は違う。
支えてもらう側になってしまった。蓮斗はそのことにまだ慣れることができない。
……いつかこのまま、僕の方が先に死ぬんだろうな。
最期まで一緒、なんて不可能なこと。
終わりはバラバラだ。一緒なんてまさに夢物語。非現実的だ。
そう思うのと同時に、自分がこんなにも冷めてしまっていることが悲しいことなのも蓮斗はわかっていた。
「――外は、自由だ」
那緒の言葉に俯けていた顔を上げる。
最初と同じように那緒は窓の外を眺めていた。
「俺らが見たこともない世界が広がってる」
見ろよ、と彼が指差したのは空だった。
綺麗な晴天の空。
「あの空だってそうだ。大きい。こんな病室なんかじゃなくて、世界は広いんだよ」
那緒の横顔は静かで、でもどこか寂しげだった。
きっと今、自分も同じ顔をしているだろうなと蓮斗は思った。
外の世界を二人が体験できるのは中庭くらいで。
世界は広い。
想像できないくらいに。
それを感じてみたかった。
実感してみたかった。
二人が見たことのない世界。
いろいろなもので溢れた、色鮮やかな世界。
「俺さ……生まれ変わるなら鳥がいい」
伸ばしていた手をぎゅっと握り込んで那緒は言った。
「人間なんかじゃなくて。鳥になってさ、飛んでみたい」
あの空を。光の下を。
「思いっきり飛びたいんだ」
僅かに開いていた窓から入り込んだ風が二人の髪を揺らした。
遠くから聞こえてくる子供の笑い声。
そして、鳥の鳴き声。
楽しそうな、光で満ち溢れた声だった。
「……そうだね」
飛べたらきっと気持ちいいだろう。
この空を自由になんて夢のようだ。
蓮斗は空から目を逸らした。
「楽しめるんじゃない?」
那緒が振り返る気配。頬に視線を感じたけれど蓮斗は顔を上げなかった。
「那緒に似合うと思うよ」
眩しいから。空に輝く太陽みたいに眩しいから。
自由という言葉は那緒に似合うだろう。
そして自分には似合わない。
羽織っているカーディガンの袖を蓮斗はさりげなく伸ばした。随分細くなってしまったそれを那緒に見せたくなかった。
「蓮斗」
不意に視界が明るくなって。
那緒が蓮斗を見つめていた。
「お前も一緒に飛ぼうぜ」
真っ直ぐな瞳でニカッと笑う。
影のない、懐かしい純粋な笑顔。
蓮斗は目を見開いた。
「え……僕も?」
「何だよ、俺と一緒は嫌か?」
「そ、そんな訳じゃ」
「じゃあいいだろ」
決定な。
そう強く言った那緒の瞳には、確かに自分の姿が映っていて。
「っ……うん」
蓮斗は泣きそうになるのを堪えながら、精一杯笑顔を浮かべた。
「僕も行く……那緒と、一緒に」
空を飛びたい。
「……ああ」
ぎゅっと握った手に那緒の手が重なった。
「約束な」
二人は久しぶりに笑い合った。
いつも目の前にある現実がこの瞬間だけは遠くて。
少しだけ……ほんの少しだけ、泣いてしまったのは秘密。
大切な存在。大切な太陽。
今まで生きてこられたのは君のおかげなんだ。
……“ありがとう”
いつかあの空を羽ばたく日まで 詠月 @Yozuki01
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