第5話 スーノの最期
あたしは街を北側へ抜けて非武装地帯の境界線まで数百メートルのところまで来ていた。途中、何度か国連軍に見つかったけど威嚇射撃をされた程度で逃げ切ることが出来た。
この辺りは建物のほとんどが倒壊してて、瓦礫の山になってる。
あたしは、瓦礫の陰に隠れて息を整えた。喉がからからで水を飲もうと思ったけど、水筒の中で水が音を立てるので途中で飲みかけの水は全部捨てちゃってた。
あたしは横になって空を見上げた。薄い筋のような月とたくさんの星が見えた。
ここまで一生懸命走ってきたけどなんだか急に体がだるくなってきた。目を閉じればすぐにでも眠ってしまえそう。
だが、息を整えるとスーノは起き上がった。二人が待つカシマールインまではもう少しだ。
とっても疲れてる。だけど自分でも信じられないくらい感覚が冴えている。暗闇に慣れた目はかなり先まで見えるようになってきたし肌に触れる空気の振動で虫の歩く気配も感じ取れるくらいに冴えている。
「よっし!」
あたしは移動を開始した。瓦礫の隙間を縫って慎重に慎重に境界線を目指す。
警戒しながら瓦礫の中を進むのは十メートル進むだけでも大変だ。
辺りは静かで、敵の潜む気配もない。もう周囲には国連軍などいないかのように思えた。
身を乗り出して周囲を見渡すと、東のほうに境界線のバリケードらしきシルエットが見えた。
はっきりとは見えないが、ここから直線距離で二百メートルと少しといったところかな。あたしは移動の速度を上げた。
20メートルくらい進み、ちょうど一人が隠れることが出来る程度の瓦礫の側にしゃがむと、あたしの周りが突然に昼間のように照らされた。南からサーチライトに照らされているようだった。
あたしはライトの反対側になるように瓦礫の陰に体を潜ませ、見つかったのか、たまたま照らされただけなのか様子を見ることにした。見つかったんじゃなければ、このまま隠れてやり過ごすほうがいい。
考えている間に機関砲の発砲音が響き、スーノが潜む瓦礫の周辺に弾丸が火花を散らす。
見つかっている。これはもう完全に見つかっている。
サーチライトに照らされたせいで、せっかく闇に慣れた目も周囲の僅かな範囲しか見えなくなってしまった。それでも次に飛び込める遮蔽物を必死に探す。
だが執拗に浴びせつける弾丸が移動の邪魔をする。あたしをあぶり出すため、反撃をさせないための制圧射撃が続く。
小さな乾いた炸裂音の後、空気を切り裂く甲高い音が接近してくる。
あたしは背筋がぞくりと冷たくなるのを感じた。誘導式ロケット弾の音だ、ここにいちゃマズい。
すぐに飛び出して目の前の大きな瓦礫目指して走った。
間一髪、瓦礫の陰に潜り込んだと同時にロケット弾は前に隠れていた瓦礫を吹き飛ばした。
なんとか事なきを得たものの、今度はロケット弾の爆発音がスーノの耳を奪った。
甲高い耳鳴りがスーノの集中力と判断力を鈍らせる。
それでも戦場を生き抜いてきた経験が、むやみに飛び出さず物陰に潜むという選択をスーノに取らせた。
耳鳴りのせいで自分が銃撃に晒されていることに気付くのが随分と遅れた。すでに隠れている瓦礫は特定されて制圧射撃を浴びている。早く移動しなければ、また、あのロケット弾が飛んでくる。
射撃の間隙をついて、素早く這うようにして遮蔽物を渡るように移動していく。
いくつか移動するうち、直撃こそ受けなかったものの、機銃弾が砕いた瓦礫の破片のいくつかがスーノの体を傷つけた。
寝そべって何とか銃撃を凌げる程度の瓦礫に潜り込み、体を捻って見渡すと、少し離れた所に建物の一階部分だけが残っているのが見えた。
スーノは激しい銃撃から逃れたい一心でそこまで走ることにした。
仰向けだった体を捻ってうつ伏せになる、少し腰を浮かせてすぐに走り出せる状態で息を整え銃撃の止む瞬間を待った。
すると一瞬、銃撃が止んだ。スーノは思い切り地面を蹴って、走りだす。
だが次の瞬間、耳鳴りとは違う甲高い空気を切り裂く音が僅かに聞こえた気がした。
走りながら振り返ると、光の球が猛烈なスピードで迫るのが見えた。
ロケット弾だ!
スーノが地面に伏せるのと爆発はほぼ同時だった。
強烈な衝撃波を浴びながら転がったスーノの肺が破裂しなかったのは奇跡的な幸運だった。
スーノは気力を振り絞り、立ち上がろうとした。目指す建物の残骸はもうすぐそこだ。
「いたっ」
立ち上がろうとしたスーノの右足に激痛が走る。
太ももの後ろ側に違和感を感じ、手を当ててみると何やら硬いものが刺さっていた。恐らくロケット弾の破片だろう。生暖かいぬめりは出血によるものだ。
そのまま倒れている訳にはいかず、とにかく身を隠そうと必死で這った。
敵からの死角に身を隠すと、足に刺さった破片を抜こうと力を込めてみるが、あまりの痛みに断念した。
負傷のせいか、息が乱れて意識も朦朧としてくるのが分かる。
とても思考して判断できる状態ではなかったが、生存本能だけが『ここは危険だ、早く離れろ』とスーノの頭の中で喚く。
その声に答えるように、死角に隠れて瓦礫の中を這った。
建物の反対側に出ると、折り重なった瓦礫が途切れて谷間になっている。
スーノはそのまま進んで、谷間に転がり込んだ。
体を丸めて下まで転がり落ちると、右足を打ちつけ、しばらくはうめき声をあげてうずくまった。
痛みが多少鎮まると、谷間の底で仰向けに横たわる。
銃撃は止んでいるようだが、敵が追ってきているのか、もう殺したと思って諦めたのか、あるいは殺したかどうか確かめにくるのか、さっぱり見当がつかない。
耳を澄ませてみても、耳鳴りがするだけで何も聞こえない。
それでも足元のほうにある月を見て、境界線は左手のほうだな、とスーノは考えていた。
疲労と負傷が重なり、複雑なことを一度に考えられるような状態ではなくなってしまっていたが、ホテル・カシマールインに行くという目的だけがスーノを突き動かし、瓦礫の谷間をひたすらに這って移動していった。
何度も休みながら、何とか境界線バリケードの北側、その基部まで辿り着いた。
この辺りのバリケードには非武装地帯へと脱走を図った少年兵達がたくさん縛り付けられている。
ロープで縛り付けられている者や、手錠で繋がれている者もいる。
だが、すでに生きている者はなく、ただの肉の塊だ。
激しい腐臭を放っており、おかげでこの辺りに近付く者はいない。
スーノはバリケードの基部まで這い寄ると、カバンから銃剣を取り出し、大事に抱えてきたカラシニコフに取り付けた。
そしてフェンスを切ろうとするが、力が入らず切ることが出来ない。
鞘をグリップに差し込み、延長してからもう一度試すが、それでもなかなか切ることが出来なかった。
何度も、何度も試すうちに、スーノの目には涙が溢れてきた。
何もかもが理不尽だった。
自分達はカラシニコフ一丁に手榴弾で戦っているのに、国連軍は装甲車や戦車、飛行機、ミサイルやロケット弾、夜でも見える装備を持っている。
大人数で隠れ潜み、たった一人を執拗に追い詰める。
ワイヤーをようやく一本切断したところで、スーノはカラシニコフを投げ出し、泣き出してしまう。
苛立っていた。
理不尽に妨害され思うように進むことが出来ないことに。
負傷した傷の痛みに。
何より不甲斐ない自分の力に。
うなだれ、地面を掻きむしって、唸るような声でスーノは泣いた。
しばらく泣いていたが、やがて二度、三度鼻をすすると、力なくカラシニコフを拾い上げた。
そしてもう一度、フェンスの切断に挑戦した。
今度は力が入りやすいように持ち方を変えてみたり、石を拾って叩きつけたりと色々工夫を試した。
そうやって一本ずつ切断していき、ようやっと通れるくらいに切り開いた時には東の空は白み始めていた。
ヘトヘトだったが、切り開いた隙間に体をくぐらせ、痛みを我慢して右足を引き抜いた。
やっと……やっとだ。やっと非武装地帯に進入した。
だが、まだ安心はできない。
非武装地帯といっても国連軍や政府軍は武装している。
スーノは右足を引きずりながら、ホテル・カシマールインを目指した。
もう……随分、出血もした。まだ子供の体には多すぎる量だ。
スーノは必死に歩くが、目眩が彼女を襲う。
立つこともままならず、気を失うことを避けようと即座にしゃがみ込む。
あと少し、もう、すぐそこにホテル・カシマールインはあるはずだった。
スーノは這った。這って、目的地を目指して、這い続けた。
もう少し、もう少し、と思って這い続けるが、次第に体は自由に動かなくなっていく。
意識すら繋ぎ止めておくのがやっと、な有り様だ。
スーノはまた涙が溢れてきた。だが、止まらなかった。
泣きながら、泣きながら、這い続けた。
しかし遂に力尽きて、スーノは倒れこんでしまった。
頬に冷たい地面の感触を感じながら、ふと横を見上げると、民家のようだった。
力を振り絞る。腕に力を込めると上体を起こすことが出来た。
民家をよく見ると、納屋か物置のようだった。身を隠して休むことが出来そうだ。
――とにかく……休もう。……少しだけ休んで……それから……
普通ならば住人に気付かれないように、と音を立てないようにするところだが、耳鳴りの続くスーノには音に対する頓着はなく、カラシニコフでこじるようにして扉を開けると、中に潜り込んだ。
中から足を使って扉を閉じると、積んであった藁束の上に体を横たえた。
カバンの中から唯一の防寒着であるヤギの毛皮で作ったベストを取り出すと体の上にかけ、カラシニコフを抱くように腹の上に置いた。
「少しだけ、休もう。少しだけ休んだら、パディと、パディーノのところへ行くんだ……。少しだけ休んで……」
眠ったのか失神したのかはっきりしないまま、スーノの意識は深い混濁の中へと沈んだ。
人の気配を感じて、スーノは目を覚ました。
壁や扉、いたるところにある隙間から漏れる光が、すでに陽が昇っていることをスーノに悟らせた。
朝の冷気のせいか、それとも大量に出血したせいなのか、凍えるほど寒く、かじかんだ指は思うように動かなかった。
不思議なことに太ももに負った傷の痛みはほとんど感じない。
人の気配は扉の前まで来ている。
やがてガタガタと扉を動かし始める。開けようとしているのだろう。
スーノは身構えようとするが、体が言うことを聞かない。ただ力なく視線を扉に向けることしか出来なかった。
立て付けの悪い扉は力任せに開かれた。朝の低い陽の光が納屋の中に差し込んだ。
開いた扉から中を覗き込んだ男は、スーノの姿を認めると驚いたような顔でスーノを見つめた。
青いベレー帽を被った男の胸には白地に赤い丸のマークが縫い付けてあった。スーノは初めて見るマークだったが、左腕に巻かれた青い腕章は国連軍の兵士がしているものと同じだ。
武器は持っていないようだが国連軍の兵士に違いなかった。
スーノは起き上がろうとしたが、立ち上がることはおろか、胸に抱えたカラシニコフを構えることさえ出来なかった。
男が外に向かって何かを叫んでいる。男が叫ぶ言葉は理解できなかったが、仲間を呼んでいるのだということは分かった。
引き金を引く力すら無くなった体には、抗う術は無く……もう、殺されるのを待つしかないのだと静かに悟った。
そして全身の力を抜いて、眠るように目を閉じた。
まぶたの裏には、あの双子の顔が蘇った。
ここで頭を撃たれるのか、外に引きずり出されて死ぬまで暴行を受けるのか分からない。
それでも、死ぬことは怖く無かった。
ただ、あの双子にもう会えなくなる。
それだけが、ただそれだけが残念でならなかった――
少年兵 四(ナンバーフォー) 福山 晃 @fukuyama
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