第31話 契約満了!王子様の飼い主係

 内密な婚約を済ませた日からお店『灰猫の隠れ家』は師匠に任せ、ミランダは宮廷魔女の居住区や研究室がある黒百合宮に住まいを移した。


 今日は黒百合宮の図書館で勉強だ。まだ慣れない環境ではあるけれど、魔法書が読めることはこの上なく楽しく、充実した時間を過ごしていた。

 朝から机に向かっていたため、分厚い魔法書も読み終わってしまった。次の本を――と思ったとき、正面に銀髪の青年が座っていることに気が付いた。きっちり首元までボタンが締められた騎士服は、彼のためにあるのではと思うほど似合っている。


「ハインツ様、いつから居たのですか?」

「十分ほど前からだ」

「そんなに?お声掛けくだされば良かったのに」

「真剣に読むミランダの顔を見ていたかったから」



 ハインリヒは幸せそうに微笑んだ。キツイ印象を与える自分の顔のどこが良いのだろうか。しかし褒められて嫌なはずはなく、頬を赤く染めて俯いた。



「ど、どうなさったのですか?」



 立太子の式典が近く、早ければ諸外国の重鎮や使者が訪れる時期になった。王族である彼は準備で忙しく、実際にここ数日会えていなかった。訪ねてくるだなんて何か問題でもあったのかと、ミランダは心配する。

 するとハインリヒは寂しそうに微笑んた。



「本当は他愛のない話をしたいが……今日はキャメリア嬢の処遇が決まったから、供述も含めてミランダにも報告をと思ったんだ。時間良いか?」

「はい。教えて下さい」



 キャメリアはドーレス家の慈善活動の一部を任されていた。その一環で訪れた孤児院を任されていた老齢の魔女の得意な魔法を知って犯行を企てたらしい。


 孤児院の経営は厳しく、特に今年は冬を越すことが難しい状況だったという。助けてほしいと願う老齢の魔女に、キャメリアは取引を持ちかけた。「協力しなければ寄付はできない。それだと孤児院の冬はどうなるのかしらね?」と――あまりの非道な行いにミランダは眉を寄せた。



「子どもたちの命を盾にするなんて……取引ではなく脅迫ではありませんか……酷い」

「呪いは事前に用意した杖で解呪でき、孤児院も助かる。年老いた自分の先は短く、子どもたちのためになるのなら残りの人生は猫でも良いと、老齢の魔女は考えたようだ」



 契約が成立したあと、キャメリアは屋敷の一室に老齢の魔女を招いた。そこで刺繍と布地、呪いの図案を用意させ、婚約者候補の最大のライバルであるマリアローズに送った。

 マリアローズが完成させた贈り物は派閥の貴族を利用して、第一王子に届けられる前に盗み出して回収。そのあとは老齢の魔女に命じてラブレターに偽造させ、使用人を通してハインリヒへと送り届けられた。


 そしてハインリヒの呪いが発動したと同時に、老齢の魔女は猫になった。


 問題はそのあと起きた。猫になったハインリヒは呪いのハンカチとともに私室で発見され、すぐに保護される予定だった。

 王子が呪いにかかるなど大事件。公表されたあと、タイミングをみて魔女の遺産があると名乗りあげる。そこで魅了の魔法を先にかけ、解呪する。 そうすれば人に戻ったハインリヒはキャメリアに恋をして、めでたく結ばれる――そんな未来図を描いていたらしい。


 しかしハインリヒは私室ではなくキャットホールで手紙を確認したために、他の猫に紛れて行方不明。国王が警戒を強めたために事件も公表されず一部の側近たちで調査が行われ、名乗り出るタイミングを失ったらしい。


 キャットホールで開かれたお茶会で、老齢の魔女を紛れ込ませハインリヒを探させようと試みたが失敗。老齢の魔女はもう人としての思考が消えて使いものにならず、そのまま手放したという。



「宮廷魔女ですら警戒されている状況で魔女と関わりがあれば疑われる。キャメリア嬢は外部の魔女も頼ることもできず、自力で白猫を探すほか無かったらしい」



 そしてマリアローズを狙った理由は単純だ。父親が騎士の長という理由で縁があり、ハインリヒとマリアローズは幼馴染と呼ばれる関係だ。周囲は彼女が一歩有利と噂されていたようで、真に受けて焦ったキャメリアに標的にされてしまった。


 しかし実のところマリアローズはハインリヒの婚約者の座には全く興味がなかった。魔女の元に通っていた理由は、式典のドレスやアクセサリーのラッキーカラーを入念に占うためだった。内密にしていたが、意中の令息がおり、ハインリヒの騎士仲間らしい。式典でエスコートをしてもらうために、仲を取り持ってもらうようハインリヒに頼みたかったのだとか。



「マリアローズ嬢は俺の婚約者候補に名前が挙がっていて、アンダーソン卿はそれを喜んでいた。だから父親である彼には頼みにくかったんだろうな」

「ハインツ様が取り持ったとなれば、婚約者候補を降りることもできますし、アンダーソン卿も反対できませんものね」



 キャメリアはマリアローズに探りを入れる過程でそのことを知ったらしいが、すでにハインリヒは猫になったあと。引くこともできず、マリアローズがハインリヒを探していることを利用した。

 これが今回の事件の顛末だ。



「それでキャメリア様はどのように?」

「ドーレス家が所有する領地に送られ、幽閉されることになった。今後社交界に出ることもなければ、他家と婚姻を結ぶことなく、侍女ひとり付けて田舎の小さな一軒家で一生を終えさせるとのことだ。表向きは急病による静養。もし抗うようであれば、病死にするとドーレス卿は言っていた」

「……そうですか」



 立太子の式典直前で呪いの事件を公にすれば、諸外国の信頼も揺らぎ、式典に汚点が残る。それを避けるために事件のことは隠蔽することにしたということだ。

 本来なら王族の身に危険を及ぼしたことから処刑だってありえた。そうしなかったのはハインリヒが無事だったことに加え、これまでのドーレス家の王家への忠心と功績があってこその恩情なのだろう。

 ちなみにドーレス卿は式典が終わり次第、外交大臣の座を退く予定だ。あとは平穏な日常に戻るだけ。



「事件も一区切りですね。お疲れ様です」

「ミランダもお疲れ様。あなたがいてくれたお陰で最低限の混乱で収められた。何より俺を救ってくれた」



 ハインリヒは立ち上がり、ミランダが座る側に片膝をついた。流れるようにミランダの片手をすくい上げ、手の甲にキスを落とした。



「心よりあなたに感謝を。本当にありがとう」



 ミランダは空いている片手で胸を押さえた。トキメキの鐘が激しく鳴り響いて、痛くて仕方ない。

 その間にハインリヒは自然とミランダの隣に座り、彼女の肩を抱いて頬にまでキスを落とした。



「――っ!」



 心の準備ができておらず、甘さの連続技に堪えられなかったミランダは慌てて距離をとり、口をハクハクさせて目で訴えた。恥ずかしさでどうにかなりそうだ。



「ごめん。非公表のものだが、今日から正式な婚約者になったのが嬉しくて」



 そう言ってハインリヒは胸ポケットから書状の写しを一枚だした。そこには国王とネヴィル家当主の直筆のサインが書かれていた。ミランダの父親が縁談の申し出を受け入れ、正式に婚約が認められた証拠だった。

 それを受け取り、まじまじと見つめる。



「本当に……ハインツ様と結婚できるんですね」



 ふわふわと夢心地で現実味が無かったが、婚約書を読むと実感が湧いてくる。呪いの事件のことは公表できないため、魔女としての有用性を貴族たちに証明できていない。これから新たに魔女としての実績を積むまでは、秘密の婚約者という立場だ。

 それでも今更ながら気が付く。ハインリヒについてくる者がおらず、未婚の男女がふたりきりでいることが許されている状況に。



「夢じゃない。ようやく猫ではなく、人の手であなたに触れられる」



 ハインリヒはまたミランダを抱き寄せて、その腕に彼女を閉じ込めた。



「本当はずっとこうやって、あなたを包み込んでしまいたかったんだ。マッサージは格別だったけど、やはり撫でられるより撫でたい」



 そう言いながらミランダの茜色の髪を撫で、指で絡めては解く。何度か髪の質感を楽しんだあと、彼の長い指が彼女の指に絡められた。



「やはり綺麗な手だ。ずっと触れていたい」



 ハインリヒはミランダの耳元で囁いた。少しでも動けば、彼の唇が触れてしまいそうなほど近い。



「ハハハハ、ハインツ様!?」

「なんだ?笑っているのか?」

「違います!」



 精一杯ハインリヒの胸を押して抵抗するが、鍛えられた彼の体はビクともしない。「お願いです」と涙目ながらに見上げ訴えれば、彼はぐっと何かを堪えるように体を離した。



「すまない……舞い上がってしまっていた」



 彼は目を覆うように手を当て、声を絞り出すように答える。あまりにも悔しそうに言うものだから、本当にハインリヒがこの婚約を喜んでいたことが伝わってくる。恥ずかしいけれど、ミランダもこの上なく嬉しいことは事実で、本当は彼の愛情表現を全て受け止めてあげたい気持ちはあった。

 ただ人見知りのせいで人との関わりに慣れていないミランダには刺激が強かった。もうハインリヒとの触れ合いは、儀式のときの様に割り切れない。



「ハインツ様は悪くありません。私の心の準備の問題で……幸せが多すぎて受け止めきれないのです」

 ミランダは恥ずかしさで震える両手で、彼の手を包み込んだ。今はこれが精一杯の触れ合いだ。

「本当に可愛いな……」

「え?」

「コホン! いや、そうだな。こういう時間を過ごすのも素晴らしいなと。焦らず、一から始めよう。茜の魔女ミランダ、飼い主係の任を解く。そして今度は俺の恋人になってくれないだろうか」



 先程まで悔しそうだったハインリヒの表情は柔らかい笑みに変わっていた。

 婚約者という言葉ではなく、愛を通わせた関係の『恋人』の言葉を選んでくれたことが嬉しい。

 小さな気遣い。されど大きな幸せを前にミランダの顔も綻ぶ。この時だけはいつも釣り上がっている目尻も下がった。



「はい。喜んでお受けいたします」



 こうして茜の魔女は王子の飼い主係をやり遂げたのだった。


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王子様の飼い主係〜呪われた殿下がモフモフボディで誘ってきます〜 長月おと @nagatsukioto

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