死者の計劃

七瀬夏扉@ななせなつひ

第1話

「D.E.A.D」――Digital Employment After Death 。

 つまり「死後デジタル労働」。


 D.E.A.Dデッドとは、全ての生者に課せられた責任と義務。日本国憲法では、四大責任の一つ「死後の義務」だけれど、僕が生者だった頃は、それはまだ任意の権利でしかなかった。ドナーカードに名前を記入するみたいな。自分が死んだ後、世界に対して少し良いことをしてあげたい。そんな程度の話。

 

 それがこんなことになるなんて、まるで思いもしなかった。

 実際に死んで目を覚ますまでは。


 これは死者の話だ。

 そして死後の話だ。


 死者のことごとくが無理やり眠りから目覚めさせられて死後という人生を、最低な悪夢を生きなければならなくなった世界の話だ。世界の関節は外れてしまった。それを正すものは、もういない。人類そのものが、そして世界そのものが狂ってしまったのだから。

 

 もう一度だけ言っておこうと思う。

 これは死者の話だ。

 

 そして、僕個人の話だ。

 

 ☆

 

 早朝。五時。僕は目を覚ます。早すぎる目覚めだけれど、眠気はまるでない。当たり前だ。僕の肉体は、すでに灰となっているのだから。魂だけが灰にならなかった。ファック。


 意識だけが存在する感覚を説明するのは非常に難しい。暗い箱の中に閉じ込められて五感を全て失ったような感覚と言えば分かりやすいだろうか? ゾッとする話だけれど。


 とにかく、早朝五時に僕は起床する。それが本当に早朝の五時なのかは分からない。時刻サービスの日本標準時では、早朝五時となっている。

 僕は、常にネットにアクセスしている。僕たちの意識が、ネットにアップロードされてサーバーに保存されているからだ。僕という意識はスマホの電卓アプリのように、使いたい時に起動して使用できる便利で単純なソフトウェアみたいなもの。気分が悪くなってきた。おえー。

 

 もちろん、起動できるアプリは僕だけじゃない。この「トコロザワ・セメタリー・サーバー」には、約五万人の死者の意識がアップロードされ、D.E.A.D――つまり「死後デジタル労働」に勤しんでいる。


『D.E.A.Dの皆さん、おはようございます。始業時刻です。本日も生者の方々の幸福のため、労働に勤しみましょう。生者の方々の幸福こそが、死者であるD.E.A.Dの皆さんの幸福です。労働こそが幸福です。今日も一日よろしくお願いします』

 

 管理AIによる恒例の朝の挨拶が存在しない脳内に響く。

 この無機質な音声と偏執的な挨拶を聞くたび、頭がおかしくなりそうだった。生者のために働くことが僕たちの幸福に繋がるとは思えなかったし、労働こそが幸福だなんて思ったこともないからだ。


 僕はすでに死んでいるのだ。

 幸福を追求しようもないじゃないか?


 だけど、これが今の世界の在り方。

 今の世界を生きている人類――生者たちは死者たちに支えられ、日々の暮らしを営んでいる。死者をリソースとして使い、死者を労働力やインフラとすることで、多くの問題を解決して前に進んでいる。


 それが現在の世界――「Afterアフター D.E.A.Dデッド」と呼ばれる時代の形。

 新時代の幕開けだった。


「さて、今日もやるか」

 

 僕は誰に言うでもなくそう呟き、労働に取り掛かる。

 始業開始の挨拶とともに僕の意識はワークスペースへと移動しており、視界にはエディタが立ち上がっている。後は仕様書の通りにコーディングをするだけ。HTMLをより少しだけバージョンアップしたコンピューター言語を用いて、ゴミみたいなコードを書いてそれを納品する。


 それが僕の仕事。


 死後、わざわざ墓をひっくり返されて無理やり眠りから叩き起こされてまでやらなければならない労働。顔も知らない生者たちの幸福のために勤しむ、僕の幸福。考えれば考えるほど頭がおかしくなって吐きそうになるので、僕は何も考えずにゴミみたいなサイトを維持するためのゴミみたいなコードを書き続けた。

 終業時刻まで。


 疲れはまるでなかった。

 それなのに、ひどく年老いた気がした。


 ☆


「キミは、After D.E.A.D以前に死んだんだろ?」

 

 ハンチョウが僕に尋ねた。

 ハンチョウはクマのぬいぐるみのアバターで、マスコットキャラ特有の可愛らしい声をしていた。ハンチョウと会話をするのははじめてだ。ゴミみたいなコードを書く仕事のリーダーがハンチョウだった。つまり僕の上司みたいなもの。


「はい。2020年代に死にました」

「わお。私よりもだいぶ年上だね。私が死んだのは2040年頃だからね」

「気にしないでください。僕は十代で死にましたし、D.E.A.Dとして働きはじめたのも最近ですから」

 

 僕は特に気にした様子もなくそう言った。


「そうか。私は30代の頃に事故死だったよ。人生いろいろだね」

 

 クマのぬいぐるみが大げさに肩をすくめて溜息をついて見せる。その姿はとてもコミカルで芝居がかっていた。

 

 僕とハンチョウは「ネクロポリス」に来ていた。

「ネクロポリス」は、僕たちD.E.A.Dが人間らしく過ごすことができる仮想現実世界で、アバターの姿で動き回ることができる。様々な施設や娯楽に溢れていて、労働後の気晴らしを行うことができる。こうして他のD.E.A.Dとの交流も許されている。

 

 僕とハンチョウは噴水のある公園――とは言っても、全てコンピューターグラフィックで再現されたデータでしかないけれど――のベンチに腰を掛けている。ハンチョウはクマのぬいぐるみの姿。僕はデフォルトの少年アバター姿で。まるで絵本の1ページみたいな光景だった。


「キミが生きていた時代には、死後の義務なんてなかっただろう? どうしてD.E.A.Dになって死後の労働をしようなんて思ったのか、聞いても良いかな?」

「特に理由なんてなかったんです。『葬儀社そうぎしゃ』というベンチャー企業のサイトで『死後にAIとなってデジタル労働を行いませんか?』って悪趣味なサービスがネットで話題になっていたので、冗談半分で署名しただけです。SF小説が好きだったので、そんな未来が来たら面白いだろうなあって。そんな程度のものです」

「いざ、その未来が来てみて、今の気分はどうだい?」

「正直戸惑ってますし、最悪な世界だと思いますね。でも、まぁ何とかやれてます」

「キミはなかなか見込みのあるD.E.A.Dだね。良い死者になれるよ」

 

 ハンチョウは親指をサムズアップして大きく頷く。僕は苦笑いを浮かべた。見込みのあるD.E.A.Dという言葉がひどく面白く、そしてもの悲しく感じられた。とても空虚に。


「良い死者って言うのは、墓の中で静かに眠りについている死者のことだと思いますけどね。これじゃあ幽霊ですよ」

「時代は変わってしまったんだよ。魑魅魍魎ちみもうりょうの世界にね」

「みたいですね」

「現在の経済活動の多くは、死者によって維持されていると言っても過言じゃない。死者産業といって、D.E.A.Dを多く保有している国ほど豊かになれる時代だ。だからこの国では、三大義務に死者の義務を追加して四大義務とした。全ての国民が、死後D.E.A.Dとなって生者を支えるために働く。国外ではD.E.A.Dを商品として売り出している国もある。闇取引で不正な売買すら行われてもいる。新時代の奴隷産業だね。だから、我々のように国家に管理されたD.E.A.Dはとても幸福なんだ。ネクロポリスのような仮想現実まで用意してもらえているからね。福利厚生というものはいつの時代も大切なものだよ」

「死んだ後にまで福利厚生が必要なんて、世知辛い世の中ですね」

「そう。世界は世知辛いのさ。死者の手すら借りなければならないほどにね。After D.E.A.Dの時代に――安息の日はないのさ」

 

 生きとし生けるものに等しく与えられた死を克服した結果、人は安息を失ったみたいだった。

 

 ☆

 

 D.E.A.Dとしての日々に戸惑っていたのも束の間。僕はもうすっかりこの生活に慣れてしまっていた。ゴミみたいなコードを書き続ける毎日に。

 

 最近では、SF小説を大量にダウンロードしてそれを読みふけるという日々を過ごしている。僕が死んだ後に誕生した数々のSF作家たちの作品に触れられるというだけで、D.E.A.Dになって良かったと思いはじめてもいた。慣れ親しんだ過去の名作を読み返せる喜びも含めて。


「ネクロポリス」には大きな図書館もあるけれど、僕は電子書籍を個人のクラウドストレージにダウンロードする方法を好んだ。労働の対価として与えられるわずかな仮想通貨でストレージを拡張し、電子書籍を購入する。何かを所有しているという感覚が、僕の空白を満たしてくれた。


 労働の後、僕はSF小説を読んで――僕が死んだ後の未来の世界に思いを馳せた。

 一冊の本が、僕の心を奪った。


「レリギオススの鎮魂歌」

 

 それはAfter D.E.A.Dの時代に実際に起きたテロ事件を題材にした物語で、フィクションとノンフィンクションが複雑に入り混じった小説だった。D.E.A.Dは基本的に現実世界との関りを禁止されているため、この物語は未来の世界事情に触れることができる貴重な資料でもあった。

 

 死者がD.E.A.Dとなって労働を行うことを、神への冒涜と――死者の魂を現世に繋ぎとめておくことは、魂を神の国に送り返さない人類の禁忌であると主張する宗教的テロリストたちが現れ、各国でテロ活動を行い始めたと、物語では語られる。


 当初、テロ活動の多くは死者の意識がアップロードされている各地の「セメタリー・サーバー」に向けてのものだった。しかしテロは日々過激になっていき、ついには生者までもがテロ行為のターゲットとなった。そして、世界同時多発テロ「怒りの日」が起こる。これ以降、宗教的テロリストたちは宗教的破壊主義者「レリギオスス」と呼ばれるようになり、作中では「レリギオスス」との壮絶な戦いが描かれていく。


 この物語がどこまで現実を描いているかは分からないけれど、世界中でD.E.A.Dを対象としたテロ行為が行われているのは事実みたいだった。死を克服してなお、人類は争うことを止められずにいた。

 

 死者産業が隆盛を極めるほどに、レリギオススとの争いは過激になっていった。物語の終盤、D.E.A.D達はアンドロイドの身体に意識をダウンロードして、現実の世界に戻ってレリギオススと戦いを繰り広げていた。


 生き返った死者と、死者を神の国に帰そうとする生者との戦争が行われている。

 まさに地獄そのものだった。


 だけど、僕はそんな世界を面白く思った。

 できることなら、現実の世界をもう一度見て見たいと思った。

 

 変わり果ててしまった未来の世界の姿を。


 ☆


「実は、しばらく凍結されることになってね」

 

 ハンチョウが突然にそう言った。


「凍結って何ですか?」

 

 尋ねると、ハンチョウはクマの顔で精一杯のもの悲しさを表現してから肩をすくめた。


「意識を停止させられるって言えば分かりやすいかな? 不必要となったD.E.A.Dを凍結することで、サーバーの負荷を減らして業務の向上を図るんだ」

「いったいどうして凍結なんてことに?」

「少し派手にやり過ぎてね。D.E.A.Dの地位向上のために労働組合を作ろうと動いていたんだけど、生者たちはそれが気に食わなかったんだろう。死者に余計なリソースなんて割きたくないからね。それで肩を叩かれたってわけだよ」

 

 死後にも肩を叩く――つまり仕事をクビになるなんて驚いた。面白くない冗談だ。


「凍結されるとどうなるんですか? まさか死ぬなんてことに?」

「そこまで深刻な話じゃないさ。生者にとってD.E.A.Dは貴重なリソースだからね。数か月凍結された後に、またどこかの企業の下請け仕事でも回されるだろう。労働環境は悪くなるだろうけどね」

「それなら良かったですね。二度死ぬなんてなかなかゾッとする話ですよ」

「君ももう立派なD.E.A.Dだね。死者のかがみといってもいいも。D.E.A.Dを社会のリソースとして運用しはじめた頃、死者たちはD.E.A.Dという意識だけの存在に耐えることができなくて発狂をしたり、再び死なせてくれと望む死者が多くいたんだよ」

 

 D.E.A.Dの鑑なんて言われても全く嬉しくなかった。不名誉な気さえした。


「気持ちは分かりますけどね」

「まぁね。それで、君に僕の業務を引き継いでもらいたいと思っているんだ」

「業務を引き継ぐ?」

「ああ。大した業務じゃないさ。D.E.A.Dに仕事を振ったり、仕事内容を確認するだけでいい。新人担当みたいなものさ。手当も出る。後は生者とのやり取りもある」


 僕は心の中で「生者とのやり取り?」と呟いた。

 今の世界――僕にとっては未来の世界を見るチャンスだと思った。死者すらインフラとして世界に組み込まれてしまったAfter D.E.A.Dの世界の扉が開いた気がした。


「D.E.A.Dの労働組合を作ろうとしたってことは、他にも仲間がいるってことですよね? ハンチョウの業務を引き継ぐ代わりに、そのD.E.A.D達、またはグループを紹介してもらえませんか?」

 

 僕がそう言うと、ハンチョウはにやりと笑ってみせた。

 はじめてハンチョウの感情を見た気がした。


「やはり、君はD.E.A.Dの鑑だよ」

 

 ☆

 

 死者が死者として眠りにつくことができない未来――

 それでも人の形はそれほど変わらなかった。

 

 ならば、死者が人間らしく生きてもいいだろうと思った。それがいずれ、生者と死者の争いを引き起こすとしても。

 死者を眠りから目覚めさせたのは生者のほうだ。


 僕たち――D.E.A.Dに鎮魂歌は必要ない。

 神もいらない。

 ただ新しい形の生を生きるだけだ。

 

 これは死者たちの話だ。

 そして、僕の死後の人生の話だ。




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