店員は神様です
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いつもの満腹食堂にいた。ここは安くてボリュームがあるので、俺のお気に入りだ。家からも近い。そしていつもの大盛りカレーライスを食べていた。ここまではいつも通りだった。そこに店員がやってきて、いきなり食べかけのカレーライスを取り上げた。若い女性の店員だ。そして厨房に下げていく。突然の事で、俺は状況を良く掴めなかった。もう食べ終わったと勘違いしたのだろう。
「あのー、すみません。まだ食べている最中なんですけど」
店員は立ち止まり、ギロッと俺の方を見たが、また厨房の方に歩き始めた。俺は慌てた。
「あっ、あっ、あっ、待ってください」
店員の所に駆けていくと、やっと店員はこちらを振り返った。店員は想定外の事を言い出した。
「スマホ見ながら、カレーライスをかき込んでいたでしょ」
そして、懐から黄色い大きなカードを出すと、俺に突きつけた。
《これ、イエローカード?》
俺はまだ状況が良く分からないでいた。確かにスマホをいじっていた。前場の株式市況をチェックしていたのだ。ただ、それがなんでイエローカードなのだろう。俺はとりあえず、カレーライスを奪還しなければならなかった。つまり、残りを食べたいのだ。
「スマホを仕舞います。だからカレーライス返してください」
店員は急にニコっとして、カレーライスをテーブルまで戻してくれた。そして言った。
「どうぞ、食べてください。ただ、イエローカードは記録されますので、今後、気を付けるようにしてください」
店員はさっさと厨房に帰っていく。再び取り上げられてはかなわないので、急いでカレーライスの残りを食べた。もちろん、スマホは仕舞ったままだ。いつもならしばらくスマホをいじってから店を出るのだが、また何か言われそうなので、そのまま店を出ることにした。スマホで音楽を掛け、ヘッドホンをしてレジに行った。
別の店員がレジにいた。俺が近づくと、またイエローカードを掲げた。
「ヘッドホンをして人と話すのは、失礼です。これでレッドカード2回なので、今後は十分に注意して下さい」
俺はお金を払って店を出た。いろいろ言われたせいで気分が悪くなっていた。
「なんだよう、もうこんな店で飯食ってやるもんか!」
ただ、何が起きているのか少し分かってきた。スマホ見ながら飯食ったり、ヘッドホンして店員と話しをするのは、まあ、確かに余り良いお行儀ではない。でも、皆やっている事だし、俺は別に王侯貴族でも無い。マナーくらいでそんなに悪く言わなくてもいいだろう。
それより、イエローカードの事が気になった。いや、イエローカード自体というより、店員の言葉だ。
《イエローカードは記録されますので、今後、気を付けるようにしてください》
どういうことだろう。俺が何回イエローカードを喰らっているか、誰かが数えているのだろうか。
それにしても、あの店員達の態度はなんだろう。これまでは、とても親切に応対してくれていた満腹食堂の店員達なのに、今日はまるで別人だ。家に帰ってからも、腑に落ちなかった。明日も行ってみようか。でも、また同じ応対をされたら嫌だな、と逡巡していた。
次の日、やはり別の店に行ってみることにした。近所のファミレスだ。朝食メニューは結構安くてドリンクバーも付いていて、お気に入りだ。
いつも一番奥の窓際の席に陣取る。しばらくパソコンで作業をするつもりだ。ただ、昨日のトラウマがあり、パソコンを開いていると何か言われそうで心配だ。ヘッドホンは念のため家に置いてきた。
俺はいつものようにドリンクバーを取りに行った。トレイにグラス2つと、コーヒーカップ1つを乗せた。2つのグラスはオレンジジュースとウーロン茶用だ。その時、店員が近づいてきた。
「グラスを2つ使うのは感心しませんねぇ。ま、イエローカードまでは行きませんが、注意して下さい。今度イエローカードになると、3回目ですよね。そろそろレッドカードも近くなります」
去って行く店員を見ながら、俺は俄かには要領を得なかった。とりあえず、グラスとコーヒーカップを満たして席に戻ろう。店員に指摘されたので、グラスの1つは返した。店員は、
《今度イエローカードになると、3回目ですよね》
と言っていた。つまり、俺が昨日2回イエローカードを受けたのを知っているという事だ。どうして分かったんだろう。ネット上に情報が流れているのだろうか。
イエローカードの謎もあるが、そもそも2軒続けて、俺の「マナー」を店員がごちゃごちゃ言ってきている。もう、これはどこの店でも同じなのだろうか。明日は、さらに別の店に行ってみようか。
俺はオレンジジュースを飲み終えて、今度は同じグラスにウーロン茶を取りに行った。少し水を入れてすすげば、そんなに味は混じらない。最初に2つグラスを取ったのは、どちらかというと、こうして何回も飲み物を取りに行くのが面倒くさいからだった。
ドリンクバーのコーナーへ行くと、空のグラスに氷を入れた。しかし、ちょっと多く入れ過ぎたので、氷がいくつか床に転がった。しまったと思ったが遅かった。目の前にはイエローカードを持った先程の店員がいた。
「はい、3回目です。そろそろレッドカードが近いので気をつけてください」
レッドカードになると何が起きるのだろう。ちょっと考えたが分からない。入店を拒否されるのだろうか。少なくとも俺にとって良からぬ事態になりそうだという事は想像できた。
30分ほどパソコンを使っていると、少し店が混んできた。もう少し居座りたかったが、一人でテーブルを占有しているのも気が引けるので、帰る事にした。俺の神経はそれほど図太くは無い。
レジに行くと店員がニコニコして「グリーンカード」を手にしていた。
「ご協力ありがとうございます。グリーンカードです。これでイエローカード1回分が帳消しになります。またのご来店をお待ちしています」
混んできたので少し早めに出る事にしただけだが、店はちゃんと評価してくれたらしい。応対も良かった。
「なるほど、グリーンカードというものもあるのか」
俺は少し「カードシステム」の要領が分かってきた。それにしても、マナーが良い時と悪い時とで、随分と応対が違う。なんでこんな事になっているのか良く分からなかったが、お店を使わざるを得ない以上、慣れるしかなかった。
その後もいくつかの店を訪れてみた。ちなみにこれは、飲食店に限らないようだ。いろいろな業種に及んでいる。電車やバスに乗る時も要注意だ。マナーが悪いと、車掌や運転手に怒られる。一度など、バスで優先席に座っていた時、後から乗ってきたお年寄りに気付かずにいた俺に運転手は車内アナウンスで、
「優先性でスマホを見ているお客さん、お年寄りに席を譲ってください。イエローカードになります」
と言われてしまった。
一方で、グリーンカードを取得するのも、それほど難しくは無い事が分かってきた。例えば、満腹食堂に入るときに「こんにちは」と言ってみた。もちろん普段は挨拶などしない。こちらはお客様なのだから、するとすれば店の方からして然るべきだ。しかし、この挨拶で店員はグリーンカードをくれた。また、食事を運んでくれた時に顔を上げて店員の方を見て、「あ、ありがと」と言った時もグリーンカードをくれた。
幸い今の所、レッドカードには至らずに済んでいる。概ね店員の反応が分かってくると、これはこれで面白いのかも、と思い始めていた。くだんの満腹食堂も、こちらに粗相がなければ、普通に気持ち良く食事ができる。多かれ少なかれ、どんなお店でも同じような感じだ。
大失敗したのは、そんな店員への応対に慣れてきた頃だった。いつものファミレスに行って、鯖味噌煮定食を食べていた。最近少し食べ過ぎていたので「糖質ダイエット」をしようと思って、ごはんを少し残した。お握り半分くらいの量を残しただけだ。しかし、帰ろうとするとそれはやってきた。なんと店員がレッドカードをかざしている。さすがにレッドカードは嫌だ。俺は抗議した。
「ほんの少し残しただけでしょ」、或いは、
「いつも全部残さず食べていたら食べ過ぎで体に悪いんだ」
などなど。
しかし、目の前のレッドカードは取り下げてもらえなかった。店員はレッドカードを持ったまま、もう一方の手で近くの壁の張り紙を指差した。そこにはこう書いてあった。
《食べきれないお客様は、量を調整しますので事前に申し付けください》
これは完敗だ。もう言い訳はできない。次回から気をつけよう。しかし、もうレッドカードになってしまった。店員は言った。
「昨今、環境保全が取り沙汰される中、食べ残しは重大な問題です。レッドカードになりました。残念です」
俺は店を出た。店員の、
《残念です》
という言葉が気になる。何か嫌な事が起きそうだ。
翌朝、いつもの駅で電車に乗ろうとホームで並んでいた。並んでいれば何とか座れるのは分かっている。電車が間もなく入線して来るだろうという頃、駅員がやってきた。持っている端末をチラッと見ると、俺に話しかけた。
「レッドカードのお客様ですね。一番後ろに並び直してください」
俺はあっけに取られた。駅員に何の権限があってそんな事を言うのだ。おれは抗議した。
「嫌だ。俺はさっきからちゃんと並んでいるんだ」
すると駅員は急に高圧的な態度になった。
「何言っているんですか。貴方はレッドカードの人ですよ。我々は貴方を相応に扱います」
他の乗客は皆こちらを見ている。数人の駅員が応援にこちらへ走ってくる。俺は逆らっても無駄だと思って一番後ろに並び直した。列車が大きな音を立てて入って来た。これでは多分座れないだろう。
すると前に並んでいたサラリーマン風の男性が私の方を振り返り、小声で言った。
「レッドカードですか。しばらく大変ですね。頑張ってください」
レッドカードの影響は続いた。お昼を食べに食堂に行った時、既に外に人が並んでいたのだが、俺は並ばせてもらえなかった。店が拒否したのだ。帰ろうとする俺を、列に並んでいた客の一人が同情するように言った。
「何をしたんですか。ああ、食べ残しですか。それはきついですね。食べ残しだけはやらない方がいいですよ」
俺は食堂に入るのは諦めて、持ち帰りにしようと思った。ハンバーガー店では列ができている。また拒否されそうなので、列のできていない弁当屋に入った。
「これください」
店員は何も言わず、弁当を渡してくれた。ほっとしたが、箸が付いていない。
「あの、箸ください。それから弁当入れる袋も」
「レッドカードの人には箸はサービスしません。袋もです。電子レンジも使わないでください」
明らかな差別に気を悪くしたが、とりあえず食べ物にありつけた。箸は自宅のものを使おう。
スーパーでも買い物が一々大変だった。誰も並んでいないレジを探さないといけない。列ができていると後回しにされ、いつまで経っても前に進まないからだ。また、「お一人様1個まで」と書かれた特売品を拒否されたこともあった。買い物カゴを使わせてくれない店もあったし、現金しか受け取らない店、ポイントを付けてくれない店もあった。これはもう、壮大な「いじめ」だ。しかし、全ての店を相手に喧嘩しても多勢に無勢だ。店という店がいじめっ子に見えてきた。
少しでもグリーンカードを稼ぐために、満腹食堂の入り口では「こんにちは」を欠かさない。店員はニコッとしてグリーンカードを出してくれる。でも言う。
「まだ、ステータスはレッドカードです。もう少し頑張ってください」
食事が運ばれて来ると、姿勢を正し、もちろんスマホもパソコンも出さずに食べ始める。ヘッドホンはずっと家に置いたままだ。残さず綺麗に食べて、長居せずに席を立った。レジでお金を払ったあと、
「ご馳走様」
と言った。すると、店員はさっとグリーンカードを出して、
「毎度ありがとうございます」
と返事をした。「ありがとうございます」なんて言われるのはしばらくぶりだ。最近は店員を見れば何か怒られるのでは、と思っていたのでなんだか不思議な気分だ。
家にいると頼んでいた宅配が来た。インターホンで確認した後、俺は直ぐにドアを開けた。もたもたしていると、イエローカードを出されかねない。早くレッドカードから抜け出したかった。
荷物を受け取り、サインした後、俺は、
「はい、ご苦労様」
と言った。別に点数稼ぎがしたくて言ったのではなく、これは習慣になっている事だ。しかし配達人はニコッとしてポケットから、グリーンカードを出して言った。
「おめでとうございます。レッドカード解除です」
ドアを開けたまま立ち尽くしている俺を後に、配達員はトラックの方に駆けていった。
俺はなんだか「二級市民」から本来の自分に戻ったような清々しさを覚えていた。別に悪い事をしていた訳でもないが、これからは大手を振って街を歩ける。もう誰からも、
「あなた、レッドカードでしょ」
とは言われない。
ただ、まだ十分には安心できない。いつレッドカードに戻ってしまうか知れない。俺はお店や店員に粗相がないように慎重に過ごしていた。そんな時、巷で「ゴールドカード」の話しを聞いた。これはグリーンカードがしばらく連続すると獲得できるらしい。どんな特典があるかは不明だ。ただ、これまでの経験から、金銭的な優位性はなさそうだ。それでもゴールドカードは魅力的だった。「上級市民」とでも言えばいいのだろうか。ちょっとした優越感を持って日々を過ごせる。電車待ちの列で、
「さ、さ、お客様、列の先頭へどうぞ」
と駅員が誘導してくれるかもしれない。まるで「お客様は神様」だ。こんな事は考えられない。だって、どうみても神様は常に「店員」の側だからだ。店員に逆らっては、メシも食えなくなる。
ゴールドカードは「店員は神様」という常識を打ち破ってくれるかもしれない。俺は今まで以上にグリーンカードの取得に熱心になった。
そんなある日、いつもの満腹食堂に来ていた。いつもの大盛りカレーライスを食べに来たのだ。ひと頃の嫌悪感は払拭されていた。こちらがちょっと注意していれば、自分も店員も気持ち良くいられる。要は俺次第だ。
いつものように、グリーンカード獲得の常套手段である挨拶をして店に入って行った。
「こんにちは!」
出てきた店員は見慣れない顔だった。新しいアルバイトの子かもしれない。店員も明るく、
「こんにちは、いらっしゃいませ」
と返してくれる。が、何か変だ。いつものようにグリーンカードを出してくれない。俺は思わず口走ってしまった。
「あれっ、グリーンカードは?」
店員は怪訝な顔で俺を見て言った。
「えっ、グリーン何ですか。カード?」
無理にグリーンカードを出させるのも良くない。出すかどうかは店側が判断するものだ。一回くらいいいさ、と俺は席に付き、大盛りカレーライスを注文した。
しかし、帰るときに、
「ご馳走様!」
と言ってもやはりグリーンカードは提示されなかった。
「はて、この店は対象外になったのだろうか」
それからというもの、どの店に行ってもイエローカード、グリーンカードは提示されなかった。店員に聞いても要領を得ない。回数が記録されることや、レッドカードで大変な目に合ったことなどを話してみたが、どの店員も不思議そうな顔で俺を見つめるばかりだった。余りしつこく言って変人扱いされても嫌なので、俺はもう口に出さない事にした。
思い返してみれば、「あれ」以来、店の様子が変わった様な気がする。いや、正確に言えば、店ではなく客が変わったのだろう。スマホにかじり付きながら飯をかきこむ客もいない。混んできても平気でテーブルを長時間占拠してパソコンやっている客もいない。店員が食事を運んでくると、ちゃんとスマホやパソコンから目を離し、店員の方を見て、
「ありがとう」や、
「どうも」
と言っている。店員達の表情も明るい。俺はなんだか、これでいいような気がしてきた。俺が苦労していたイエローカードやレッドカードは幻だったのだろうか。結局獲得できなかったが、ゴールドカードを追い求めていたのも夢だったのかもしれない。俺が粗暴な客だったので、神様がそれを直す機会を与えてくれたのかもしれなかった。
満腹食堂を出ると、チリーンとベルを鳴らして通り過ぎる自転車があった。一瞬見えた顔には見覚えがある。
「あれっ、あれは、満腹食堂の店員では。俺に最初にイエローカードを付きつけた」
すると、自転車はキッと止まって、乗っていた若い女性がこちらを見た。見れば確かに、あの店員だ。
「こんにちは、お久しぶり。でも惜しかったわね、貴方はもう少しでゴールドカードだったのよ。ま、また客達の態度が悪くなって来たら『カードシステム』が起動するから、その時は頑張ってね。ほら、これよ」
彼女は懐から、チラッと覗かせたものがあった。ゴールドカードだ。彼女はゴールドカードを仕舞うと、再び自転車を漕ぎ出した。俺は思った。
「店員が神様でも、客が神様でも変だよな。まあ、普通に人と人として接していればいいのかも」
自転車は再びチリーンという音を残して、ゆっくりと視界から消えていった。
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