不死の病

デッドコピーたこはち

薬と毒

「ねえ、私を殺せる薬ができたって本当?」

 私のラボに入ってきて早々、彼女はいった。

「うん、できたよ。理論上は完璧」

 私は 実験机の上に置いておいたアンプルを取り上げた。ラベルに『エリクサー911』と書いてあるアンプルの中には、透明な液体が入っている。

「理論上は完璧か。怪しいね。前もそう言ってなかったっけ。あれはひどかった。体中がドロドロになって……痛みで死ぬかと思った。死ねないけど」

 彼女は笑った。この類の不死身ジョークは、もはや私たちの中で鉄板と化している。

「あれはホントごめん。 まだ私たちの不死性について、理解が足りなかった頃につくったやつだから。でもあの薬の知見も、今回の薬に役立ってるよ」

「ふーん、そう」

  彼女は来客用に出しておいた丸椅子に座った。

「今回の薬の原理を教えてもらっていい? サラっとだけでいいから」

「へえ、薬の中身に興味を持つなんて珍しいね。いままでそんなことなかったのに」

「また死にきれなかったら困るし、それに」

 彼女は一度言葉を切った。

「なんか、今回自信あるみたいだしさ。最後くらい聞いておこうかと思って」


 私が彼女に初めて会った時のことは、覚えていない。いい出会いではなかったとは思う。彼女にひどいことをされて、わたしが怒っていたような記憶があるが、おぼろげだ。記憶も、憎しみも、すべては気の遠くなるような時の流れの中で、摩耗してしまった。

 私と彼女は不死だ。煮ようが焼こうが死なないし、老いもしない。おそらく、数千年は生きているはずだが、見た目は二十代前半のまま。それが理由で迫害を受けたこともあったが、それも遥か昔のことだ。しばらくの間、私は彼女以外の人間を見ていない。私たちが互いの名前すら必要なくなるほどに。もう、人類は絶滅してしまったのかもしれない。

 具体的に思い出せるのは、このラボを建てたときくらいからだ。そのころはまだ文明があった。彼女の「死にたい」という願いを叶えるために、私は全財産を叩いて、自律生産研究開発施設を買ったのだ。


「いままでの研究でわかったのは、私たちの身体の不死性が『恒常性の維持』からきてるってこと」

 私は彼女の隣の椅子に腰掛けた。

「『恒常性の維持』?」

 彼女は首を傾げた。

「恒常性ってのは、環境や内部の変化にかかわらず、体の中の状態を一定に保つ性質のこと。あらゆる生き物がこの恒常性を維持することで生命活動を続けているわけだけど、私たちの身体はこの恒常性を維持しようとする力が尋常じゃないほど強いんだよ。説明がつかないくらいにね」

「わたしたちが粉微塵になっても元の体に戻るのも、『恒常性の維持』の一環ってこと?」

「そういうことだね。私たちの身体にどんな損害を加えても、『元の状態に戻ろうとする力』が働いて、身体が再生されちゃうってわけ。溶岩に飛び込んでも、毒を飲んでも無意味なのはそういうこと」

「なんでそんなことになってるかはわかったの?」

「全然わからない。ただ、この宇宙がそういう風にできているというようにしか思えない。私たちを殺すのは不可能だってことしかわからないんだよ」

 私は長い年月をかけて、私たちの身体の不死性の源がなんなのか調べてきた。だが、あらゆる実験も観察も、ほとんど実を結ばなかった。超物理的な肉体の再生に、法則は見出せず、ただ、元通りになるとしかいえないのだ。

「それじゃあやっぱり死ねないじゃん」

 彼女はため息をついた。

「そうでもない。死の定義にもよるけどね。逆転の発想だよ。身体の破壊ができないのなら、その逆をやればいい」

「逆?」

「『恒常性の維持』を極限まで強めて、私たちの身体をまったく変化しないようにすれば良いんだよ」

「どゆこと?」

 彼女は怪訝な顔を浮かべた。

「私たちの身体は超常的な『恒常性の維持』によって、ずっと若く保たれてるよね? でも、変化がまったくないわけじゃない。食べ過ぎれば太るし、髪の毛は伸びるし、切っても元には戻らない。こうやって、私が動いたり話したりするのだって変化だけど許されてる。恒常性が定める『私』には幅があるんだよ。その幅を、限りなく小さくすると、どうなると思う?」

「動けなくなるってこと?」

「近い。私たちの身体がまったく変化しなくなる。時間が止まったみたいに、完全に静止するわけ。もちろん、脳活動も完全に停止するから、ものを考えることも、なにかを感じることもできなくなる」

「完全な停滞……確かに、それは『死』と等価だ」

 彼女は頷いた。

「 この『エリクサー911』は私たちの身体の超恒常性を強める効果がある。これは私の身体で実証済み。理論上、原液で5ml静脈注射すれば、この宇宙の寿命が尽きるまで『死んで』いられる」

「そういう理屈か」

 彼女は腕を組んで唸った。

「しかも『エリクサー911』をごくわずかに服用すれば、ほどよく超恒常性を強めることもできる。傷の治りを早めたり、精神状態を安定させたりすることもできるわけ。不死者を殺す毒としてじゃなくて、不死者を癒す薬としても使えるんだよ。『すべてのものは毒であり、毒でないものは存在しない。服用量だけが毒でないかどうかを決める』……パラケルススの言う通りだね。」

「すごいね。でも、不死者の一番の病は」

 彼女は机に突っ伏した。

「死ねないことだよ」

 私は何も言えなかった。彼女があまりにも長い生に疲れ果ててしまったことを、私は知っている。

「じゃあ、あとは実践あるのみだね」

 彼女はふいに顔を上げていった。笑顔だった。


 私たちは彼女の寝室に場所を移した。彼女にはベッドに横になって貰い、『エリクサー911』を注射する準備を整えた。

「そういえば、911ってのは救急車?」

 彼女はいった。

「いや、できあがったのが確か9月11日だったから」

 私は彼女の静脈を探しながらいった。彼女はいつもの寝巻姿だった。『眠るように死にたい』というのが、かねてからの彼女の願いだったからだ。

「なるほど」

 彼女は頷いた。

「どうやって私たちの身体の超恒常性を強める物質を見つけたの?」

「総当たりで。物質生産機であらゆる物質をつくりまくって、手あたり次第、自分の身体に入れてみた。初めは、超恒常性を弱める物質を探してたんだけど、見つからなかったから方向転換したわけ」

「天才だね」

「時間だけはあったから」

 私は肩をすくめた。私たちには無限の時間的リソースが与えられている。あるかわからない理論や理屈を探すより、無限の時間的リソースを活かす方向にシフトしたのが『エリクサー911』完成のカギだった。だがそれは、私の彼女に死んでほしくないという思いからくる、無意識による遅延行為だったのかもしれないと、いまさらながらに思った。

「私はね、ホントはきみに死んでほしくないんだ」

 私は永遠に言うつもりがなかったセリフを切り出した。

「じゃあなんで、いままで」

「私はきみのことが好きだ。私自身よりずっと。だからこそ、私の望みよりきみの望みを優先してやりたいんだよ。死にたいなら、殺してあげたい」

 私は彼女の静脈を見つけた。

 なぜ私が彼女を愛するようになったのか、まったく覚えていない。すべては忘却の彼方。それでも確かに、いまの私は彼女のことを愛している。私は彼女の望みをすべて叶えてやりたいと、心の底からそう思っている。

「そっか……ありがとう」

「どういたしまして」

 私はアンプルを折り、注射器に『エリクサー911』を10ml取った。

「痛い?」

 彼女は不安げにこちらを見上げた。彼女が言っているのは、注射のことではないとすぐにわかった。

「たぶん、痛くはないはず。眠くなると思う」

「そっか」

 彼女は頷いた。 しばらく、沈黙が部屋を支配した。

「ねえ、あなたはわたしと一緒に死んでくれないの?」

 彼女と目が合った。彼女の目は期待と不安に揺れていた。

「そうしたい気持ちはあるけど。実はね、私はきみほど人生を倦んでは居ないんだよ。生きているのが楽しいんだ。もっと知りたいこともあるし、やりたいこともある」

 私は世界がそれほど捨てたものではないと知っている。この世界に本当に美しいものが、本当に尊いものが存在しうると知っている。他ならぬ彼女に教えてもらったことだ。だが私は、彼女にそのことを教えることが最後までできなかった。

「私が居なくなったあとはどうするつもり?」

「さあ、どうしようかな。人類の生き残りを探してみようと思ってる。まだ決めてはないけど」

「そっか」

 彼女は深く深呼吸した。

「よし、やって」

「ちくっとするよ」

 私は注射器の針を彼女の腕に突き刺し、プランジャーを慎重に押し込んだ。注射器の中身が空になる。

「これで良し。きみが死ぬまでちょっと時間が掛かる」

 彼女は私の手を握った。

「私が死ぬまでこうしてて」

「わかった」

 私は頷いた。それを見た彼女は目をつむった。

 しばらくして、彼女の呼吸がだんだんとゆっくりとしたものになり、やがて止まった。彼女の手から柔らかさが完全に失われるまで、私はずっと手を握っていた。

「おやすみ」

 私は彼女の額にキスをした。穏やかな顔だった。見る限りは、本当に寝ているかのようだった。だが、もはや彼女が動き出すことは、永遠にないのだ。私の脳裏に、彼女の笑顔が思い浮かんだ。死。喪失の実感。

「ああ、死んじゃった」

 私の目から涙がとめどなく流れ出してきた。涙を流すのは久しぶりのことだった。そして、泣いている私の背を優しくなでてくれる人はもういない事実に、また泣いた。

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