会社の朝礼が断罪イベント化してクソ上司がセクハラで窮地に立たされたけど、仕留め損ねたので俺が受けたパワハラの実状も追加してやった。

ただ巻き芳賀

短編 会社の朝礼が断罪イベント化して、クソ上司がセクハラで窮地に立たされたけど仕留め損ねたので、俺が受けたパワハラの実状も追加してやった。

「村山! テメエはバカか? 一体何度言われたら分かんだ!」


 またかよ。

 このクソ上司、朝から皆の前で人のことを罵倒して嫌がらせしやがって!


 毎朝、課長の席に集まってその日の予定確認を目的に朝礼をするんだけど、今日も課長は俺を名指しして大声で叱責をはじめた。


 皆が見て見ぬフリをして下を向くか横を向いている。


 もうすでに恒常イベント化した課長の嫌がらせは、ほんの些細なこと……例えば週報に自分の次週予定を一件書き洩らしたとか、渋滞で帰社が遅くなったとか、回覧の雑誌を読むのが遅いとか、そんなことが皆の前で行われる屈辱のつるし上げに発展する。


 明らかに会社や家庭のストレスを、俺をいじめることで発散していやがる。


 社風が体育会系のこの会社は、土建業というのもあってか体格も性格もごついのが多く、いじめのターゲットにはなりにくいらしい。

 そんな中で俺は線が細くて物理的な脅威度も低いので、課長にとって格好のターゲットみたいだ。

 この土木営業課には課長以外に3人の男性社員がいる。

 その中で俺だけが課長のターゲットにされていじめられている。


 同じ課のあとの2人は俺のいじめを見て見ぬフリで、助けようともしてくれない。


 クソ、本当に薄情な奴らだ。

 もし自分の家族がこんな理不尽な目にあってたら助けるだろうに、赤の他人の俺なんてどうなろうが知ったことではないんだろう。


 残る女性事務2人は酷いセクハラを受けているので、俺を助けるどころじゃない。


 ……もうこの部署は終ってやがる……。







 俺の務める会社は従業員100人そこそこの会社で、土木工事と建築工事の両方を手掛ける地場のゼネコン(土木建築の施工会社)だ。


 地方都市の土建会社であることを考えればまあまあの企業に就職できたといえるけど、土建業者なんて全国で考えればうちと比較にもならない大規模会社は数多くある。


 そんな中、ゼネコン業界とは無縁と思えた流通系の大手企業が、うちの会社を買収したのだ。


 うちの会社はオーナー企業だったので社長が良くも悪くもワンマンだった。

 一代でこの規模まで会社を大きくしたその手腕は確かに凄かったけど、アメリカ企業の破綻が切っ掛けで日本全体が不景気になり、地方都市の土建業にまで飛び火して一気に経営難に陥った。


 そこに目を付けた流通系の巨大グループ企業が、土木建築工事を内製化するために経営難に陥ったうちの会社を買収したのだ。


 ワンマン社長はギリギリまで単独での再建を諦めず足掻いたけどどうにもならず、従業員とその家族を守るため完全子会社化を受け入れた。


 現在の社長は親会社の役員が就任しており、初代のワンマン社長は形だけの会長に退いた。


 経営者が変わり、親会社の人間が複数視察に来て聞き取り面接をした後、大規模な社内風土の健全化が打ち出された。


 親会社で実施されている『内部統制活動』というのをこの会社でも実施するというのだ。


 親会社が掲げる『内部統制活動』とは、法令順守を柱とした業務のルール化定めて、その順守を自主的に推進していくことらしい。

 

 そんな大手企業でやる活動を、こんな地方のゼネコンでやっても意味ないだろうとみんなで笑っていた。

 でもどうやらパワハラやセクハラを撲滅させるのも目的の一つらしいと聞いて、内心少しは期待していたのだが……。




「村山のようなやり方はダメだ! これじゃ客から愛される俺のようにはなれない」


 てめぇこそ何言ってやがんだ!

 だいたい毎日毎日、下請けの土建屋に押しかけて接待をせびるこいつのやり方が評判いい訳無いだろ!


 うちの営業は客先だけでなく、下請けや協力会社との連携も業務範囲に入っている。

 工事案件によっては下請けに無茶無理をお願いする場合もある。それに、下請けに相談せずに仕事を取って、もし他に予定が入っていて断られたら困るからだ。


 前にクソ課長の引継ぎで回った下請け先から、さんざん愚痴を言われた。

 休みも無いほど忙しいのに、クソ課長がフラフラ訪問してきてはグダグダ無駄話して時間を浪費させられ、挙句帰らずに飲みに行こうと言っていたそうだ。

 それも下請け会社の支払い、つまり接待をせびるのだ。


 業者からも評判の悪いコイツがなんで課長なんだよ!


 すべては今年定年しやがった、あのことなかれ部長が元凶なんだ。

 このクソ課長を増長させた前の部長は、小心者でこの状況を放置して定年でさっさと退職しやがった。


 クソ課長からの長ったらしい罵倒を受けながら、席にだまって座っている新しい部長を眺めた。


 この新部長は親会社から来た30歳後半で、うちの会社の部長連中よりだいぶ若い。

 親会社から来て何か変えてくれるかと思ったけど、遠慮しているのかこの一カ月間黙って俺たちの仕事を観察しているだけだ。


 新部長が赴任して少しの間は課長も様子を見ていたようだけど、部長が大人しくて何も言わないと見るや、俺へのパワハラを再開した。




「俺が村山へ言いたいことはこんぐらいだ。ま、これだけ言ってもアホのおめえには分かんねぇと思うがな?」


 だったら、言うんじゃねえよっ!


 と言い返してやりたい気持ちをぐっと堪える。

 やっと終わりかけた話が再燃すると、更に時間が無駄になるので自分の心の中で思うだけにする。


 あまりにも長い俺への嫌がらせが終わって、今朝の朝礼がようやく終了した。




 いくら毎朝のことで聞き流そうと努力しているとはいえ、流石に精神が削られてここのところ体調が悪くなりつつある。


 こうやって人は病気になっていくんだろう……。


 朝からかなりの精神ダメージを負って、多少の吐き気を覚えながらデスクに戻る。

 割と几帳面な俺は、ネットで見掛けたパワハラ対策に日時とパワハラの内容をメモしておけと書いてあったので今日の分を書き留める。


 ふと顔をあげると、新しい部長の赴任と同じタイミングで配属された派遣社員の女性が目に入った。


 この女性は変わっている。

 今どき見かけない、昭和の親父が掛けていそうな黒眼鏡をしていて、花粉症なのかいつも白いマスクをしている。


 化粧も必要最低限眉毛を描いている程度、長い髪を黒いゴムで束ねていて髪飾りなどは付けているのを見たことがない。

 別に自分をよく見せようとは思っていないのだろう。そうじゃなきゃ、あんなオヤジくさい黒縁眼鏡を掛けないと思う。


 特に気になるのは、凄い猫背でいつも前かがみにモニターを見つめている姿勢の悪さだ。

 背は少し高いようで、いつもサイズの大きい貸与の制服を着ている。太っているようには見えないけど、なんであんなに大きなサイズの制服を着ているのか。よほど体形に自信がないのかもしれない。


 この女性に対してクソ課長が最近セクハラを始めた。

 派遣の女性までターゲットにするなんてちょっと考えられないけど、性的趣向のセクハラというよりはいじめ・・・に近いセクハラである。


「君ぃ、またそんな変な姿勢して! キモいよ。姿勢よく仕事しなさい」

「……はい」


 俺への今日のパワハラはネタが尽きたのか、今度はこの黒眼鏡の女性に絡んでいやがる。

 お前は自分の仕事をしやがれ。


「だいたい、女なんて会社に結婚相手探しに来るのが目的だろ? カタカタとパソコンいじって仕事するのもいいが、もうちょっとおしゃれしなきゃ! その調子じゃ彼氏なんていないだろ?」

「……はい」


 彼女もそんな質問に返事することないのに。

 でも、返事しなきゃ余計長く絡まれるだろうし、派遣という立場上完全に無視するのもできないのだろう。


「ほれ、もっと努力しておしゃれして彼女みたいに可愛くしないと、男に絡んでもらえなくて結婚できないぞ」

「……はい」


 き、聞くに堪えない……。


 クソ課長が彼女みたいにと言って指さした先には、物凄く嫌そうな顔をした同じ課の女性がいた。

 確かにあの子は可愛いが、奴に酷すぎるセクハラを受けていて俺と同じで精神はぼろぼろだと思う。


 今度は嫌がらせのターゲットを彼女へ変えたようで、クソ課長がへらへらと笑いながら彼女の席の近くへ移動した。


 それだけで泣きそうな顔をした彼女は、化粧ポーチを持って席を立ち上がった。

「待て待て! どこへ行くんだ? これから俺が仕事の仕方を教えてやるんだからすぐ座りなさい」

「……」


 何とかして逃げ出したい彼女は、クソ課長へ返事をせずにやり過ごそうとするが……。


「きゃあっ!」


 すかさず彼女の腰に手を回したクソ課長が、自分の横に引き寄せようとする。

 抵抗する彼女は涙目になりながら、腰に回された手を振りほどこうと体をくねくねさせた。


「むふぅっ」


 その動きに色めき立ったカス男が、鼻の下を伸ばしてにやにやと気色悪い顔をした。


 腰の手を振りほどけない彼女は、移動を阻止してくるカス男を突破できないと諦めたのか、ストン自分の席に座って背もたれに背中を密着させた。


 やっと腰に回された手から逃れられたと安堵する彼女に、カス男が後ろから覆うようにかぶさって密着すると、耳元で囁き始めた。


「今日は表計算ソフトのセルの結合・・を教えてあげるね」


 そんな事、新入社員研修で習うわ!

 お前に教えられるレベルはその程度か!


 ……いや教える内容が問題じゃない。

 あんなに密着して……、彼女震えているじゃないか!


「お? 髪にゴミが付いているねぇ? 俺が取ってあげよう」

「やっ……」


 泣き声に近い抵抗をしたのを分かっていて無視した下種野郎は、彼女の髪を撫でまわすと髪の毛に手櫛を入れて指で何度もこねくり回した。


 ぐ、ぐえぇ……。

 はたで見ているだけなのにこの気持ち悪さ……。

 やられている本人はどれだけ気持ち悪いことか。


「そうだ! 今日は定時後に時間があるから仕事の相談に乗ってあげるよ。食事に行こう! それがいい」

「あ、あ、あの、今日はちょっと……」

「なんだ? 仕事の話なのにヤル気ないのか? 君は仕事をヤル気はないってことか?」

「そ、そんなことは……」

「じゃあ、決まりだ」


 ミッションコンプリートとばかりに笑顔で身をひるがえした下種野郎は、自分の席に戻ると歯を見せて笑った。


 パワハラをされ、セクハラのフルコンボを見せられた俺は、むかむかする胸を押えながらアポを取った市役所の都市整備課へ向かった。







 午後から別の役所を回って、今度の入札の現場を下調べしてから、付き合いのある産業廃棄物引き取り業者に顔を出して会社に戻った。


 幸いなことにあのクソ課長は帰ったようで、新任部長と黒眼鏡の女性が残っていた。


 同僚の男性営業2人は、行動予定表にNR(ノーリターン)と書いてあるので今日は戻らないみたいだ。


 あの可愛らしい事務女性は、どうやらクソ課長に拉致されたらしい。

 助けてあげたい気持ちは強いけど、俺へのパワハラがこれ以上加速したらと思うと声が出ない。

 すまん、情けない俺を許してくれ。


 それにしたって、この新任部長だ。

 親会社から来たあなたなら、奴を何とかできるはずなんだ。


 俺は部長の方を向くと正面から見据えた。




 なんで何もしてくれないんだ!

 一体、何のために親会社から来たんだ!

 この状況を改善するのが、上司のあんたの仕事じゃないのかよ!




「……」

 意気地なしの俺は声を出して部長に伝えることが出来ず、ただただ部長の眼を見た。




「……」

「……分かった」




「な、何が……、一体何が分かったんですか?」

 俺は少しだけ怒気を込めて返事をした。

 この状況を放置しながら、俺の視線から逃れるために安易に返事した部長にムカッ腹がたった。


「君の気持ちは伝わった」


 は? 親会社から来たお偉いさんに、俺の気持ちが伝わる訳ないだろ?


「どうせ理解してもらえませんよ」


 天下りで来た部長に腹を立てている自分が馬鹿らしくなり、下を向いて吐き捨てた。




「いや……、理解できる」

「え?」

「……私は理解できるんだよ……」




 部長は目を閉じたまま何かに思いを巡らせているようで、歯を噛みしめているのかぐっと唇を真一文字に結んでいた。


 部長の表情に俺がたじろぐと、目を逸らした部長は黒眼鏡の女性をちらりと横目で見てから付け加えた。


「今から大事な打ち合わせをする。君は被害者として関係があるから、外回りで疲れているだろうけど付き合って欲しい」


 何のための打ち合わせ?

 被害者として関係する……?


 よく分からないけど、部長に打ち合わせをするから付き合えと言われたら断れる訳がない。


 黙って部長の後を歩き会議室に入る。

 なぜだか黒眼鏡の女性も一緒に会議室に入った。


 え? 派遣事務の彼女も一緒に打ち合わせするの?


 会議室に入ると、黒眼鏡の女性が奥側の中央に座りその横に部長が座った。

 俺は手前側の中央へ座る様に促された。


 何なの? この席配置。

 俺、これから二人に何か言われるの?

 しかも派遣の女性が正面だし……。


「あ、あの……。これから何の打ち合わせをするんですか?」

 派遣の女性を見てもしょうがないと思い、部長に質問する。


 ところが質問に答えたのは黒眼鏡の女性だった。


「もう十分に課長のハラスメントの証拠は揃いました。これ以上時間を掛けるのは、ただ被害者の心の傷を大きくするだけです」

 淡々と話す彼女の声は冷徹で、何かに対しての怒りが見え隠れした。


 ハラスメント? クソ課長のセクハラか?

 彼女が証拠を集めていたのか?


「そ、そうですね。では明日人事部に話して、人事部から本人に伝えて貰いましょう」

 黒眼鏡の女性の迫力に遠慮したのか、丁寧な口調で部長が返事した。


 部長の答えに小さく首を横に振った彼女が、目付きを鋭くして反論した。

「いいえ。明日の朝礼で皆がいる場で本人に言い渡して、それから人事に話してください」


「それはちょっとまずくないですか? 部長という立場を利用して、公開で断罪するのはそれ自体パワハラの恐れがありますよ?」

 慌てた部長が強い口調の彼女を抑えるように遠慮気味に答えた。


 なんだろう?

 部長がかなり黒眼鏡の女性に遠慮している。

 口調も丁寧だし、まるで会社での立場が逆転したように見える。


 セクハラされまくった黒眼鏡の女性が切れて、会社を訴えると脅してでもいるのか?


「私たちの目的は社内風土の改善です。彼一人を処分しても第二第三の彼が現れるでしょう。それではダメです。会社全体にハラスメントは悪であることを知らしめて、がらりと社内風土を変えなければ。だから明日の朝、社員が大勢いる場で断罪イベントをします! これは上からの必達事項です」


 あれ?

 この黒眼鏡の女性はただ事務の派遣で来ているんじゃないのか?

 確か部長が事務を増やしたいって言って、クソ課長が嫌々親会社系列の派遣会社に連絡してたよな……。


「うーん困りましたね……」

 彼女の強い主張に部長がたじろいでいる。

 普通に考えれば、人事に関する内容を他人に知らしめるため、部長という立場を利用して断罪イベントをすれば間違いなくパワハラだろう。


 でもこの会社だぞ!

 あれだけ毎日パワハラやセクハラが横行して黙認されているのに、それをやっている張本人への対処だけ慎重になるっておかしくないか?


 俺はクソ課長みたいな奴こそ、断罪イベントできっちり捌かれるべきだと思う。


「あ、あの、部長……」

「何だい村山君」


 真横を向いて黒眼鏡の女性と話していた部長が俺の方を向いた。


「人事に関する内容を上司が本人以外の人に伝えたら……、あるいは本人の人格を無視する状況になったらパワハラなんですよね?」

「パワハラというか名誉棄損だな」


「本人が自分の人事を自ら周りに話すのは問題ないですよね」

「そりゃ、自分で言うんだから問題ない」


「本人が広めることを許可したら、それも問題ないですよね?」

「問題ないけど、普通は許可しないだろう?」


「たぶん大丈夫です。理不尽だと感じたら説明を要求してくるタイプなんで」

 あいつの性格は知り尽くしている。


 部長は少し首をひねった後に目を見開いた。

「つまり彼に理由を説明しろと言わせればいい訳か」

「課長は……、すみませんが部長を舐めていると思います。その部長からイラ立つような処分があればたぶん……」

 俺は恐る恐る本音の部分を伝えた。

 オブラートに包むとちゃんと伝わらず、大事な場面で失敗する恐れがあるからだ。


「よし、じゃあそれでやってみよう」

 気分を害さないかと緊張しながら伝えたけど、まるで意に返さないように明るく返事された。


 もう打ち合わせは終わりとばかりに、二人が顔を見合わせて席を立つ。


「副社長がいつものように来たがったけど、それじゃあなたの経験にならないから今回は自制してもらったわ。つまりこのミッションの成否はあなた次第。しっかりね!」

「が、頑張ります」


 黒眼鏡の女性に軽く肩を叩かれた部長は、緊張した様子で丁寧に返事をして会議室を出て行った。


 この二人の関係はなんなんだろう。


 それに副社長って何のことだ?

 うちの会社に副社長なんていないぞ。


 ポカンと口を開けた俺に対して、黒眼鏡の女性が「うふふ」と声を漏らした。

「部長と私は親会社の特別チームなのよ。それ以上はヒミツね」

 そう言ってマスクの上から人差し指を当てた。


 いつも変わった女性だと思っていた彼女から、一瞬だけ凄い色気を感じた。


 戸惑う俺に彼女は付け加える。

「もし、課長が卑怯な手段で自衛をしていたら、あなたに期待するわ。そのときは……覚悟を決めて勇気を出してね」

「……か、覚悟?」


「頼りにしているわよ」


 その一言を残して黒眼鏡の女性は会議室を出て行った。

 去り際に見せた別人のような雰囲気は微塵も無くなり、また極端な猫背のいつもの彼女に戻っていた。







 昨晩は良く寝られなかった。


 大事な打ち合わせと言われて会議室で話した内容は、クソ課長の断罪イベントに関してだったからだ。

 そんな話を聞いた後、普通に寝られる奴なんかいないと思う。


 そもそも、昨日の仕事もあの後は手に付かず丸々残っている。あの状況で落ち着いて残業しろという方が無茶というものだ。


 いつも通り八時四十五分になったので、朝礼で課長の席の近くに集まる。

 そもそも始業は九時からなのに、何でそれより前から仕事の話で打ち合わせを強制されるんだ。たまになら別にいいけど、毎日だぞ。


 そしてついに、いつも通り朝礼が始まる。


 部長は昨日と同じで朝礼には参加せずに自席に座ったままだし、黒眼鏡の女性もいつも通りの猫背で後ろの方に立っているだけである。


 もしかしたら、昨日の打ち合わせは夢だったのかもしれない。

 現状があまりに酷過ぎるので、脳内願望が展開されただけだったのかもしれない。


 寝不足の頭でぼんやりとそんなことを思っていると、昨日クソ課長に拉致られた女性が困っているのに気付いた。

 当番である『今日の注意業務』を上手く挙げられないみたいだ。


 この『今日の注意業務』の当番は、自分の担当業務について今日はどこに注意して取り組むかを毎日持ち回りで宣言するのだ。


 いつもの彼女ならそつなく言えていたはずだけど、今日は何故か口ごもっている。

 もしかしたら、何を言ってもクソ課長が教えてやると言い出すんで、とうとう何も言えなくなってしまったんじゃないか?


「何だ。何に注意すればいいか分かんないのか? じゃあ、後で俺がじっくりと教えてやろうな」


 クソ課長のその言葉を聞いた彼女がとうとうしゃがんで泣き出してしまった。


「泣いたって仕事は出来るようにならないぞ。じゃあ次、気になった点だが……」


 そう言ったクソ課長がニヤリと笑いながら俺の顔を見た。




 ああ、またこの展開かよ……。

 もういい加減にしてくれよ……。




 精神的な苦痛が極限まで達して胃液が逆流して喉が痛くなる。


 もう限界だ……。




 俺の心を何とか支えていた細い柱が今まさに折れる、そう感じたときだった。


「君、ちょっとこちらに来て欲しい」


 急に立ち上がった部長がクソ課長の事を呼んだ。

 クソ課長は急に部長に呼ばれたので少し面食らったようだけど、眉をひそめてすぐに反論する。


「今、朝礼の最中ですんで。終わってから行きますから」

「いや、それは分かっているが今来てくれないか」


 珍しく我を通そうとする部長に、あからさまに首を傾げて小バカにした態度をとったクソ課長は「お前らそのままちょっと待っとけ」と俺たちに命令した。


「一体何なんですか?」

 部長の席の前に移動したクソ課長は、さも迷惑そうに腰に手を当てている。


 部長はA4の紙一枚をクソ課長に手渡してから一言だけ声を掛けた。

「後のことは人事部に聞いてください」


 それを見た彼は時が止まったようにA4用紙を持ったまま固まっていたけど、急に震え出した。


「何だこれは! 何で俺がこんな扱いを受ける!?」

「理由は人事部に聞いてください」

「いや、ちょっと待てよ! おかしいだろ」

「理由は人事部に聞いてください」

「俺はあんたに聞いてんだよ! 俺の人事を決めてんのはあんただろ?」


「そうです」

「だったら理由を説明しやがれ! あんたからの説明もなしに※諭旨解雇ゆしかいこなんて受け入れられるか!」(※理由を説明して辞めさせる。退職金など退職恩恵あり)

「※懲戒解雇ちょうかいかいこよりはマシだろう」(※一方的に辞めさせる。退職恩恵なし)


「ふざけんじゃねぇぞ、コラ!」


 大声で吠えるクソ課長の罵倒がフロア全体に響き渡り、別部署の社員たちがこちらに注目した。


「親会社から来て何も出来ねぇクセに舐めたマネしやがって! オイお前ら! こいつは理由も自分の口で説明できねぇのに、急に人のことを辞めさせようとしやがるぜ」

 後ろを振り向いて、朝礼で集まった俺たちに同意を求めている。


 そのクソ課長の台詞にさっと前に出た者がいた。黒眼鏡の女性だ。

「部長! 私もこの場で理由を聞かれたんだから、上司としてちゃんとこの場で答える義務があると思います」


 派遣の女性がこんな騒ぎに口を挟んだので皆が顔を見合わせて驚いているけど、クソ課長だけが笑顔で頷いている。


「眼鏡女! 昨日は居酒屋での個人指導の最中に急に現れて邪魔しやがったが、ようやく俺をサポートする気になったか。お前は今一つ俺の好みじゃねぇが、気が向いたら仕事を教えてやるからな」

 ニヤニヤ笑ったクソ課長が部長の方に向き直る。


「さあ、今すぐこの場で説明してみろ。正当な理由じゃなかったら覚悟しろよ」

「わかった。本来、人事部で君に伝える内容だが、本人の強い希望により今この場で私から理由を伝える」


 この場で理由の説明を強く要求された部長は、立ったまま引き出しから書類を二部取り出すと、一部をクソ課長に渡してから理由を読み上げ始めた。


「会社規定32条に該当する以下の行為があったため、会社規定30条2項により諭旨解雇の処分とする。

 課長は、次の4タイプのセクシャルハラスメント行為について、日常的に社員へ実施していた。

 1.勤務中に腰を触る

 2.後ろから覆いかぶさり事務処理の業務指導をする

 3.ゴミが付いていたと言って髪を触りまくる

 4.二人きりの食事を強要

 以上だ」


 理由書を読み上げ終わった部長がクソ課長の顔を見ると、奴は悪びれもせずに理由書を見ながら反論を始めた。


「こんな理由おかしいだろ!

 まず1だが、尻はセクハラでも腰は別にいいだろが。

 それに2だって、業務指導を親切丁寧にやってんだから逆に感謝して欲しいくらいだ。

 あと3は、髪にゴミが付いてりゃ取ってやるだろ? 身だしなみを改善してやろうという優しさが何で解んねぇんだ?

 4の最後の食事の件は、仕事のためなんだぜ? 飲み会での女性の役割なんて、普通は実地で教えて貰えないことだぜ」


「いや、これらの行為は会社規定32条に該当する行為だから懲戒解雇の理由になる。懲戒解雇で進んでいた話を私の意見で諭旨解雇にしようとしていたが、君は納得しないようだ。もう懲戒解雇処分に戻す」


 部長の厳しい口調を聞いたクソ課長は、ひるむどころか不適に笑い出した。


「言ったな、俺のことを懲戒解雇だと。上手いこと皆の前で宣言してくれたおかげで証人が沢山できたぜ」


 なんだろう?

 一体クソ課長は何を企んでいるんだ?


「正当な理由もなく人を懲戒解雇扱いしてくれたんだ。あんたには責任取ってもらうぜ?」


 チンピラみたいに斜め下から見上げるように部長を睨んだ後、スマートフォンを操作して部長の机に置いた。


 何かの録音が最大音量で再生されているようだ。


『……いらっしゃい、お客さんご注文は――。おい、オヤジうるせえぞ! ちょっと静かにしてろ! ……○年△月×日、俺の職場での行為が彼女にとってセクハラじゃないことの証拠を残す。おい、いいぞ、言え。

 は、はい、あ、あの、か、課長からの私への指導は、あ、あくまで指導であって、セ、セクハラと私は感じていないです。

 よーし、良く言えたな』


 な、なんてことだ……。

 クソ課長の野郎、昨日彼女にこんなこと言わせて録音してやがったのか……。


「なあ、眼鏡女。セクハラの定義ってなんだっけ?」


 かるく顎をあげながら首だけ横に向けたクソ課長が、後ろにいる黒眼鏡の女性に聞く。


「男女雇用機会均等法で定義される職場におけるセクハラを説明します。

 1.職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われる

 2.それを拒否したり抵抗したりすることによって解雇、降格、減給などの不利益を受けること

 3.性的な言動が行われることで職場の環境が不快なものとなったため、労働者の能力の発揮に重大な悪影響が生じること

 以上です」


 即答した彼女に対して驚いた様子のクソ課長は「俺が説明する手間が省けた」と言った後、こう付け加えた。


「前提は労働者の意に反するかどうかなんだよ。つまり、相手がセクハラだと感じればセクハラ、セクハラと感じなければセクハラじゃない」


 言いながらしゃがみこんでいる彼女の方に歩く。


「昨日、証言してもらっておいてよかったわ。もう皆に気持ちは伝わってるから、勝手にしゃべんなよ? 分かってるな・・・・・・?」


 クソ課長のドスのきいた強い口調に、彼女は震えながら小さく何回も頷いた。


「さてと。残念部長」


 目付きが鋭く口角だけいやらしく上がったクソ課長が、部長のところまで近寄る。


「セクハラでもないのに勝手にセクハラだと決めつけて、根拠もないのに懲戒解雇だと言って傷つけてくれた俺の名誉に対してどう責任取ってくれんだ?」


「そ、それは……」

 言い掛けた部長がしゃがみ込む彼女の方を見ると、急いで近寄り声を掛ける。

「なあ、君、あれは本当に自分の気持ちなの? 前に相談を受けたときと違うんだけど……」


 慌てて尋ねる部長に対して、彼女は震えながら黙って下を向き何の反応もしなかった。


 かわいそうに。

 彼女はすっかり怯えてしまって、今は話し掛けても反応を返せるような状況ではなさそうだ。


 これは流石に部長も想定外だったようで、真っ青になり視線を泳がせて黒眼鏡の女性の方を見ている。




 なんだよ、折角クソ課長を追放できるかもしれないと思ったのに……。

 それどころかこのままだと部長の方が追放されかねない……。


 俺たちの職場を良くしようと部長が準備をして臨んでくれたのに、このままでは失敗に終わってしまう。


 何とか……、何とかできないのかよ!


 高笑いするクソ課長を仕留めたい、部長を助けたいとは思うけど、自分にはどうすることもできない。




「村山さん!」


 下唇を噛んでクソ課長を積年の思いで睨んでいると、急に名前を呼ばれた。


 声のした方を見ると、黒眼鏡の女性が俺のことを見つめている。


 その瞬間、昨日のことが鮮明に思い出された。




「もし、課長が卑怯な手段で自衛をしていたら、あなたに期待するわ。そのときは……覚悟を決めて勇気を出してね」

「……か、覚悟?」


「頼りにしているわよ」




 もしかして、彼女はこのような事態を予測していたのか!?


 彼女は真っすぐに俺を見ていた。


 頑張れ! できる! そう言われているように感じた。


 でも、俺に何が出来るのか。


 セクハラの手はもう使えない。

 しゃがみこんだ彼女は震えてしまって、これ以上何かを証言させるのは無理そうだ。


 黒眼鏡の女性もセクハラをされていたけど、彼女が自分から言い出さないところを見ると、セクハラ相手が派遣社員では課長を仕留め損なう可能性があるからなのか?

 いや、体裁は派遣社員だけど、実際は親会社から来た部長と同じチームと言っていたから、仕掛け人・・・・であることが問題なのか?


 俺がクソ課長を追い込むには、俺がクソ課長にされたことでなければ……。

 俺がクソ課長にされたこと、それは毎日毎日執拗に繰り返されたパワハラだ。




 この悪夢のような状況に終止符を打たねば。


 最悪な風土のこの会社で、クソ課長の処分を人事部に了承させた部長のために。


 証拠を集めるべく、セクハラに耐えて頑張ってくれた黒眼鏡の女性のために。


 酷いセクハラを受けて、心に傷を負ってしまった彼女のために。




 そして、感情を殺し自尊心を犠牲にしてきた俺自身のために。




 俺は静かに自席まで戻ると、いつも朝礼の後に几帳面に記録したノートを取り出した。


「○年□月□日朝礼、課長にアホ、バカと言われる。高速道路が事故渋滞で昨日の帰社が遅れたのに、時間管理ができない能無し、と課長に言われる」


 周りの皆に聞こえるように少し大きめ声で読み上げる。

 周囲が少しざわつく。


「○年□月×日朝礼、課長にカスと言われる。他の担当者の工事案件にトラブルが発生して一緒に現場へ張り付いていたのに、雑誌の回覧が遅いのは仕事が遅いグズだからだ、と課長に言われる」


 周囲がざわついてきたので、ちゃんと皆に聞こえるように大きめ声で読み上げる。

 

「○年△月□日朝礼、課長に役立たずと言われる。お前の数字は前任者の俺のお陰で、お前は何の役にも立っておらず居ないのと同じ、と課長から言われる」


「おい! てめぇ、村山ァ! 何言い始めてんだよ!」


 奇声を上げて俺の元に駆け寄って来たクソ課長が、俺のノートを奪い取ろうと手を伸ばす。


 ちくしょう、こんなところで阻止されてたまるか。

 こんなの俺が受けた毎日の仕打ちからしたら、序章も序章なんだよ!


 ノートを掴まれて奪い取られそうになる。


 いい大人二人が力ずくでノートを確保しようともみ合いになった。




 負けてたまるか! ふ、ふざけんじゃねぇぇええええ!!




 全力で抵抗していたら、急にクソ課長がノートを手から離して軽くなり、俺は後ろの方によろけた。


 違う……、クソ課長が自分からノートを離したんじゃない。


 俺の目に映ったのは、クソ課長を後ろから二人掛かりで羽交い絞めにして拘束する同僚の姿だった。


「村山、今まで助けなくて悪かった」

「報復が怖くて何もできなかった。ごめん」


 え? 二人とも何言ってんだ?


「村山が勇気を出して抵抗してるんだ。俺らも覚悟を決めた」

「早く続きを読み上げて皆に聞かせてやってくれ」




 どういうことだ?

 この二人は俺のことなんてどうでもよかったんじゃないのか?




 俺は意味が分からずに困惑するも、彼らは実際に目の前でクソ課長を取り押さえてくれている。

 この行動こそ、彼らの気持ちを代弁しているのだと、はっきり伝わって来た。




 俺のことがどうでもよくて助けなかったんじゃなくて、クソ課長の報復が怖くて助けられなかったのか? そう……なのか?


 ……。


 ……よ、よかった。


 いつも俺だけがいじめられて放置されていたから、誰も俺を見ていないのだと思っていた。

 彼らも俺のことを見ていてくれたんだ。




 そうか、俺もチームの一員なんだ……。




 俺はやっと自分もチームの一員だったんだと気付くことができた。


 途端に得も言われぬ感情が内から込み上げてきて、涙が瞼に溜まる。


「おい、村山。押さえているのも大変だから早めに頼む」

「他の部署の奴らにも聞こえるように大声で頼むぞ!」


 頷いた俺は涙声になりながらも、大声でノートを読み上げる。


「○年△月××日朝礼、クズ、ゴミと言われる。引継ぎ前に課長が手配した現場でミスがあり、課長と役所に説明に行った帰り、お前の尻拭いで一日無駄になったからお詫びとして食事を奢れと要求され、課長に焼肉代金の支払いをさせられた」


 一時騒然としていた社内も静まり返っていた。

 会社のフロア内には、涙声で今まで受けたパワハラを告白する俺の声だけが響いている。


「○年△月□×日朝礼、給料泥棒と言われたけど、他には特にいうことが無かったのか、朝礼が終わった後に俺の足を踏みつけて転ばせ、指を刺されて笑われる」


「村山君」


 部長が俺に声を掛けた。


「もう十分だよ、村山君」

「は、はい」


 一瞬の間があってから、今度は黒眼鏡の女性が静かに続けた。


「セクハラ、パワハラの判断は本人の感じ方によるところが大きいですが、それだけでなく、周りに働きにくい影響を与えても問題になります」


 皆、派遣の彼女の話を黙って聞いている。


「さっきスマホで再生された彼女の発言は本心ではないと思いますが、仮に本心だったとしても周りに十分悪影響を与える行為でした」


 クソ課長が「んだとコラ!」と喚いている。


「それでも、された本人がハラスメントでないと言えば懲戒解雇の対象にまではならなかったでしょう」


 俺の方を見た黒眼鏡の女性は、ウインクしてこれから言うことが大事だと合図した。


「先程、村山さんが課長にされた記録を読み上げていましたが、事実だけ淡々と記されていました」

 そこで一旦区切った彼女は見た目とはかけ離れた、凛とした声で俺に質問した。




「あのノートに記されていた事実は、あなたにとってパワハラでしたか?」




 彼女の問いを聞く俺に、クソ課長が声を張り上げて必死に訴える。


「な、なあ村山。あれはパワハラじゃなかったよな? お、お前は俺の指導を感謝してたよな?」


 俺はクソ課長に向き合うと深く息を吸い込んでから、皆に聞こえるように声を発した。




「課長が俺にした今までの記録全てが、つらくて苦しい本当に酷いパワハラでした!」




 クソ課長が態度を急変させて「てめえ! 村山だまれ!」と騒いでいたが、周りの男どもが彼の口をふさいだようで静かになった。


「部長!」


 黒眼鏡の女性の声に気付いた部長が、咳払いをしてから課長の方を向いて続きを話す。


「課長が村山君にしたこれらの行為は、会社規定32条2項に該当する行為であり、これが今回の懲戒解雇の理由です。懲戒解雇は即日解雇であるから、すぐに荷物をまとめて出て行くように」


 フロア中から大歓声が上がった。


 覆すことが不可能だと悟ったのか課長は崩れ落ち、同僚たちが拘束を解くと床にヒザと手を付いて絶望の表情で固まった。


 同僚の二人が近くに駆け寄って来る。

「助けるのが遅くなってごめんな」

「それはさっき聞いたからいいよ」

「パワハラが怖かったんだ」

「それも聞いたって。さっきはありがとうな」


 その後は他部署の連中まで、俺の近くに来て声をかけてくれ、握手したり肩や背中を叩かれたりした。


 視界の端には、しゃがみ込んでいた彼女が別の女性に抱き起されて、ゆっくりと立ち上がっていた。

 

 フロアの奥の方では、悪い覚えがあるのかこそこそと部屋から出て行く年配者が数名見えた。


 これをきっかけに彼らも駆逐されて欲しい。




 騒ぎが少し収まってきたところで、黒眼鏡の女性が着替えてくると言って出て行った。


 部長は自部署のメンバーを集めると、自分と黒眼鏡の女性はハラスメントの横行する風土を改善するために親会社から来たこと、今日の出来事で目的が達成されたこと、二人とも今日付で退職することを告げた。


「村山くん。君は課長の前の仕事を引き継いで、課長に次ぐポジションで仕事をしていたね」

「ポジションのことは分かりませんが、課長の仕事を引き継いでいました」




「これからは、君が課長としてメンバーを引っ張ってください」

「え、お、俺ですか!?」




「彼からは課長職の引継ぎを受けなくても平気です。彼はほとんど何もしていなかった。君は今の仕事をしながら、課長として働きやすい職場を作り上げて欲しい。私の代わりの部長は、ちゃんと仕事ができる優秀な奴が来るから」


 部長の説明が終わったところで、俺たちの輪の中につかつかと歩いてくる女性がいる。


 長く伸びる黒い髪、すらっとした少し高い身長で体に合わせた黒のスーツを着込み、ひざ上スカートからは黒ストッキングの脚線が見える。

 スーツと同じ黒のヒールで歩く姿はまるでモデルのようだ。


 整った目鼻立ちに派手ではないがシンプルなポイントメイク、もの凄い美人だ。


 俺はたぶんこの人を知っている。


 あのとき一瞬だけ感じた色気を今彼女から感じるからだ。


 黒髪の美女はどこかへ電話を掛けた。

「副社長、ええ、はい、例のミッションは完了しました。部下と共にこれから帰社します。では」


 気付くと部長も帰り支度を済ませている。


 彼女は俺たちの方を振り向くと、小さくお辞儀してから女神のように輝く微笑を浮かべた。


「皆さん、今までありがとうございました。ほら、行くわよ」


 そう言うと黒髪の美女は颯爽と歩き出す。

 彼女の後を部長が急いで追いかけて行った。


 俺は二人の後について行き、会社の外まで丁重に見送ってから自席に戻ると、セクハラでショックを受けていた彼女が自席で業務の準備を始めていた。

 俺に気付いた彼女は、泣いたからか頬を赤く染めていて上目遣いで軽く会釈してきた。


 ちらりと課長の席を見ると既に彼の鞄はなかった。


 主のいない席を見ながら、俺が課長になるならば彼を反面教師に働きやすい職場を実現することが使命であると強く感じた。


 了

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会社の朝礼が断罪イベント化してクソ上司がセクハラで窮地に立たされたけど、仕留め損ねたので俺が受けたパワハラの実状も追加してやった。 ただ巻き芳賀 @2067610

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