最終話:初恋

文化祭が終わった夜、二人で体育館に忍び込む。

垂れ幕やら花火のカスやら模擬店の焼きソバの匂いやら、

祭りのあとの残像がまだ暗闇にと残っている。

そのクラゲの海を体育館のステージ目指して二人で泳いでいく。

「足もと気を付けろ……」

「うん。おおきに……」

二人はステージそでから重いグランドピアノを中央によっこらしょっとゴロゴロゴロ鈍い音を立てながら移動させる。

そして、新島が拝借して作った合鍵でピアノのふたを開ける。

月明かりにスパンと光る白鍵と黒鍵の88鍵の鍵盤。

二人……ピアノを眺める……。

「長いことおつかれさん、やね?」

「泥棒みたいで妙な記念だな」

「こういうの、好きよ」

「僕もだ。エへへ」

結子がゆっくりイスに座り気持ちを入れる……。

「いけるかい?」

「なんか足りひんなあ」

「ライトが無いからだ」

新島は自分と結子の懐中電灯を取って、それをステージの上手と下手へ起き、無造作に中央を照らした。

するとぼんやりステージ中央に古びたピアノとそこに主役として構える結子が、脚光を浴びる舞台俳優のように浮かび上がる。

「おッ」

「どうだい?」

「なんか、感じやね」

「いい顔してるよ」

新島はポンと舞台から飛び降りて前面真ん中にチョコンと座る。

静かな夜の海……。

結子に音楽の神様が降りてくる。

結子が新島を見つめる。

「いい?」

「どうぞ」

「じゃあ、歌うね」

「僕のために歌って」

「うん」

結子はステージ中央に立ち、新島に向かって深々とお辞儀をする。

そしてニカニカ密やかな笑顔でウキウキ落ち着いて挨拶する。

「本日は、私、筒井結子のコンサートにお越し下さいましてありがとうございました。短いコンサートですが、どうぞ最後まで楽しんでいって下さい」

新島は笑顔でひっそり力強く万雷の拍手を送る。

結子は会釈して再びピアノに座る。

そして大きく深呼吸……。

そして深い……。

そして……


 !。

 始まった!。


薄明りに響くアコースティックの優しい温かい響き……。

胸が熱くなる……。

この深く暗い静寂の中で、二人は、二人の胸に、二人だけの音を大切にしまう。

 結子、ありがとう。

 センセ、ありがとう。

結子は一生懸命心を込めて新島のために歌う。

その歌声はどこまでも空を突き抜けて満天の星のかなたにまで響いていく。

そして新島の身体を愛おしくくるむ。

結子の唯一許される新島への愛の表現。


二人だけのコンサート……。


実は、結子がステージの使用を断られたとき、新島がねばって協力をすればなんとか最後の5分だけ一曲歌わせてもらうことができたのかもしれなかった。

一曲だけ全校生徒の前で結子のスポットライトを実現させてあげられたかもしれなかった。

でも、新島は協力をしなかった。

これでよかったのである。

新島には、結子の自分への愛が痛いほど分かっていた。

冗談めいて『愛してる』なんて口走っていたけど、それが本気だということは胸が破裂するくらい切なく理解していた。

でも、それは新島にとっては許されることではなかった。

明日を考えず破滅的に肉体的に成就じょうじゅさせることも出来ただろう。

でも、少なくとも今の新島には、結子の未来を考えるとそれをやる決断を下そうとは思わなかった。

優等生的だが、でも、それでいいと思った。

結子のイノセントはまだまだこれから先、結子自身の手で脱皮させるものだと思った……。

だから、こうやって二人だけのコンサートという形を借りて、なんとか結子に愛の表現をさせようとしたのである。


結子は今、新島を必死で見つめ新島のために歌っている!。


結子は、今、精一杯何の偽りもなく全力で新島に愛を叫んでいる。

なんて真っ白く純粋で美しい歌声なんだろう。

 そうとも

この二人だけのコンサートは結子のためにこそふさわしい。

が……。

でも、実はそれだけではない。

新島は気付いていない。

実は、このコンサートは結子を優しく見守る新島本人のためにもなっていたのである。

知らぬうち、気付かぬうちに新島自身も熱い想いを或る人物に送っていたのだ。

 そう……

何ともマヌケで微笑ましい話である。

だって、新島もすでに結子を愛していたのだから。

本人が気付いていないだけなのだ。

これは最初で最後の、新島の14歳の少女への初恋だったんだから。

この世の誰も気づかない、でも、美しい本物の、淡い初恋だったんだから。


(完)

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先生、私のアソコ見て@エロ目的の方ごめんなさい純愛小説です 武田優菜 @deadpan

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