輝きが紡ぎだす、世界に抗う者たちの群像劇

 ヒトにとっての善き隣人であるアニマルガールと、それらに仇なすセルリアン。
 けものフレンズという作品に通底している二項対立だが、この構造は常に成り立つものなのだろうか。もしも殆どのアニマルガールやヒトが死滅し、均衡を保っていたパワーバランスが崩れてしまったら。もしもその時に頼ることが出来る存在がセルリアンしかいなかったとしたなら──。そんな場合でも、彼女らは対立し、相容れることは無いのだろうか。

 本作ではそのようなシビアな問いが投げ掛けられていると感じた。
 各防衛線に閉じ籠り何とか残喘を保っている人類とアニマルガール。強大なセルリアンに対抗するには、セルリアンそのものの力を借りなくてはならない。各話ではそれぞれの防衛線における攻防が描かれるが、大半のヒトやアニマルガールは前線に出ることなく、何処か他人事だ。実際に戦っているセルリアン達の方がより当事者意識を持っており、多くのことに悩み、喘いでいる。かつて輝きを生み出す側であった彼女達は言わば、課題の回避と延期を繰り返す、種族単位でのモラトリアムに陥ってしまったのだ。
 そんな彼女達が、かつての同胞が遺した輝きを引き継いだ「新たな他者」としてのセルリアンらに段々と歩み寄り、向き合い、再び群れとして立ち上がる。セルリアン達もまた、彼女達と向き合う形で自らの在り方を識る。本作は、敵そのものとなってしまった「世界」との戦いを描く中で、根底に据えられたであろうアイデンティティの再確立というテーマが上手く描き出されていると考えた。

 勿論、多くの示唆に富む本作の主題は、読み手の解釈次第で多岐に渡るだろう。これから本作を読まれる方は、その重厚なSF描写に没入しつつ、奥深い世界観に隠されたテーマというものをじっくりと読み解いてみて欲しい。