第16話「ある日 店のなか クマさんと出会った」
僕の失意をよそに、校長先生が腕時計を見る。
「ではそろそろ時間だ。手間を取らせたね。みんな、教室に――」
ノックの音が校長先生の言葉を遮る。
「お話中、失礼します」
ドアから現れたのは、近山さんだった。
「キズナ?」
「コルレット、やっぱりここにいたね。教室からいなくなってたから、もしかしたらって思ったけど」
「近山、お前は呼んでないぞ」
生倉先生が言うが、近山さんは毅然と返す。
「これ、昨日の件についてですよね? 動画がネットに流れているのは知っています。なら、その場にいた私も意見をする権利はあると思います」
「それは――」
「むしろ剣道部の方たちがこの場にいないことのほうが、不自然に思いますが」
たしかにそうだ。
この場にいるのは居合道部の関係者だけ。
身に覚えがありすぎるから当然だと思っていたが、考えてみれば不公平な話だ。
「いや、剣道部のほうは俺が話を聞いておいた。おおむね同意見、クマの着ぐるみの中には秋水が入っていたとな」
「それは確かですか? 彼らは実際に見たんですか?」
「それは――そういってるんだから見たんだろ!」
「少なくとも私は、あのクマの中が秋水さんだとはわかりませんでした」
生倉先生が目を見開く。
「お前、まさか居合道部の味方をするのか?」
「味方とか、そういう話ではありません。風紀委員として、公正に判断したいだけです」
「公正も何も、部長自身が認めてるだろ。あれは自作自演だって」
「問題はそこではありません。あのクマの、別の正体について」
「どういうことだ?」
僕のほうをちらりと見て、
「近くから見ているばかりでは気付かないこともある、ということです」
――遠山の目付。
「ちょっとお借りします」
近山さんが、生倉先生のパソコンを操作する。ユーチューブの検索欄に、イオン、クマ、女の子と入れた。
出てきたのは、『ある日 店のなか クマさんと出会った』というタイトルの動画。
「暴れクマ騒動ばかり注目されてますが、実はほぼ同じ時間に別の動画も撮影されてたんです」
イオンだ。吹き抜けに垂れ下がる『スプリングセール』と書かれた垂れ幕を、クマがつかまり速度を殺しつつ落ちてきた。
まあ、そりゃ撮るよね。上の階からクマが垂れ幕を滑り降りてきたら。
状況から、コルレットさんの抜刀術で弾き飛ばされ、下に落ちた直後だろう。吹き飛ばされながら空中で垂れ幕をつかみ、下の階へ軟着陸したのだ。アクションスターさながらの運動能力。二階に降り立ち、頭を押さえる。曲がった頭の位置を直した。
その前に、赤い風船を持った3歳くらいの女の子がいた。
泣いていた。
クマに背を向けているから、その姿に驚いたわけではないようだ。
近くに親の姿はない。迷子だろうか。
気配に気づいてか、後ろを振り返る。
「ちょ――」
思わず声が出る。
血に飢えたケモノのごとく暴れ狂ったクマだ。何をしでかすかわからない。
目の前の状況を理解できないのか、固まった女の子の前で――
クマは、逆立ちした。
そのまま両足を180度開脚。
両手を軸に、独楽のように回る。
と、失敗して顔から落ちた。
頭がねじれて90度に傾いた。
「キャハハハハ!」
女の子が、笑った。
さっきまで泣いていたのに、目の前の曲芸に一瞬で虜になったらしい。
起き上がったクマは頭を直しつつ、照れたように頭をかく。周囲を見回す。
「迷子クマ?」
うつむく女の子。
と、彼女を抱え上げて肩車する。
「探すクマ!」
駆け出した。
ものすごいスピードで、フロアの中を二足歩行で駆け巡る。それなりの人が行き交っているが、それを感じさせないほどの速度で、どんどん遠くへ離れていく。
止まった。
うっすらと、女の子を下ろしているように見える。
女の子を抱き寄せる、別の人影。女性のようだ。お母さんだろうか。
女の子が風船をクマに差し出す。
クマは踵を返し、先ほどまでの倍の速度でその場を去る。
赤い風船をなびかせ、下りエレベーターを登って行った。
そこで映像は終わった。
「え? クマさんは、迷子の女の子を助けてあげた、ってこと?」
安藤先生が、疑問を口にした。
「だからどうした! いいことしたって、乱闘騒ぎは帳消しにならんだろ!」
「でも、その乱闘騒ぎにもやむを得ない理由があったんです」
「ほう」
校長がひげをなでる。
「それは興味深いね。なにせ、君は現場にいたのだから」
「クマは、コルレットを拐わかそうとした剣道部の排撃を目的としていました」
「かどわか……はいげき?」
首をかしげるコルレットさんに、近山さんが小さく答える。
「困ってるコルレットを助けた、ってこと」
「Oh là là――そうだよ。わたし、困ってたよ」
「なんで剣道部の人たちはコルレットさんを連れ去ろうとしたのかな」
「剣道部の――垂水翔は、女衒のような男です」
「ぜげん?」
「女好きってこと」
「Oh là là ――たしかに、女の子好きだって言ってたよ」
コルレットさんも納得。ポケットからメモ取り出して書き込んでた。ぜげん。勉強熱心だけど、それは別に覚えなくていい言葉のような気もする。
というか、さっきから難解な言葉を使ってるのは、コルレットさんから同意を得るためだろうか?
「私も恥ずかしながら、彼と交際して、手ひどく裏切らました。彼は女性を
別に垂水の肩を持つつもりはないが、あまりにも一方的な言い方だった。まるで女の敵。近山さんの敵であったことは間違いないけど。
生倉先生も垂水の人となりはわかっているようで、苦い顔をしながら、
「今回は、女子部員を勧誘しようとしたと言っていたが」
「わざわざ自分に都合が悪い話をする人なんて、いません。だから、当事者同士を並べて判断する必要があったんじゃないですか」
近山さんは胸に手を当て、にやりと笑い、
「勝手な話を一方的にさせないために」
これには、生倉先生も言い返せなかった。
剣道部員をあえて呼び出さなかったのが、あだになった形だ。もっとも、当事者全員呼び出して、居合道部に全部の責を負わせられるとも限らない。人が多いほうが想定外が起こるものだ。なら、炎上問題の追い風があるうちにで畳みかけたほうがいいと思ったのだろう。
近山さんが自ら乗り込んできたことですべて狂ったのだ。
「な、お、お前――」
顔を真っ赤にして震えている。
風紀委員からの反撃。生倉先生からすれば、後ろから撃たれたようなものだ。
「私は証言します。あのクマは、コルレットを助けるために割って入っただけです。しかし悲しいかな、その風体から居合道部長さんから秋水氏と誤認され、当のコルレットには撃退されてしまった。この上、ネットで悪評にさらされるのはあまりに忍びないです」
「なるほどね」
校長先生はひげを撫でながらうなずく。
「見方を変えれば意味することも変わる。言うは易しだが、実際に結果を覆すだけの材料を用意するのは、並大抵のことではない。近山さん、よくこれを見つけてきたものだ」
「こ、校長! まさか、こいつの戯言を信じたんですか!」
生倉先生が慌てる。
「どう考えたって、あのクマは秋水ですよ!」
「ここは裁判所ではない。罪科の可否を決めるのでなく、彼らをどう導くかを考える場所だ。間違いがあれば正すし、相応の罰を与えることもある。だが秋水さんの無実を晴らすため、こうして奔走する友人もいる。それを培う場である部活動を取り上げることが、果たして教育と言えるだろうかね」
「う、ぐ、そ、それは……」
「むしろ、顧問として剣道部の内実を鑑みたほうがよいのではないかね?」
生倉先生は押し黙る。見る見るうちに顔が青くなっていった。
予鈴が鳴る。
校長先生がぱんぱんと手を打った。
「さあ、もう時間だ。みな、教室に帰りたまえ。秋水さんも、そろそろ起きなさい」
寝てた。
絨毯に顔をうずめたまますやすやと。
よだれ垂らしてるし。こぼれたよだれも絨毯に弾かれて、品質の良さを証明してる。
「って、寝るなよ!」
そもそもよく寝れるものだ。
彼女を激しく揺さぶる。
「ぐへへ、ニンゲンくってニンゲンのチカラもらうクマぁ」
それは森の賢者だ。
それはともかく、全然起きない。
だからってここに置いておくわけにもいかない。
「起きないようだね。じゃあ安藤先生、秋水さんを保健室に連れて行ってくれないかな」
「わ、私ですか!」
「部長とはいえ彼に寝入りのお世話をさせては何かと問題だろう」
至極まっとうなご意見。
なんだろう、この安心感。まっとうな人を久しぶりに見た気がする。
「わ、わかりました。うーん、噛まないでよぉ」
ぼやきながら、安藤先生は眠ったままの秋水さんを背負う。
「あら、意外と軽い。うわ、肌もちもち。あぁっ、なんかいい匂いするぅ」
思いのほか上機嫌に退出していった。
「佐山くん」
退出しようとしたところで校長先生に呼び止められた。
「居合道部と、秋水さんのこと――よろしく頼みますよ」
太い眉の下から眼光が差したように感じた。
答えようとして、しかし息を呑んでしまう。
声が出ない。
が、強引にうなずく。
と同時に声が出た。
「……はい」
答えは、決まっているのだ。
橘先輩から部長を引き継いだ時点で。
校長室を出たところで、近山さんの視線に気づいた。
なんともいえない、監視カメラのレンズのよう。ただ無機質にこちらを観察するかのような。
ドアを閉めると同時に、彼女に頭を下げる。
「ありがとうございました。あなたのおかげで、助かった」
「別にあなたのためじゃありません」
一見ツンデレみたいなセリフだけど、本当につっけんどんに言われるので言葉のままだろう。
「じゃあ、コルレットさんのためですか」
無言で目線をそらす。
なぜか恥ずかしそうに、目を泳がせる。
「好きなことがあるなら、やらせてあげたいって思っただけよ」
「きずな!」
コルレットさんは素直にうれしそうだ。
「いいの? 居合道、やっても!」
「うん」
「Youpi!《やったー》」
小さな体を大きく広げて飛び上がった。
「にゅうぶとどけ、書いてくるよ!」
言うが早いか、廊下を飛天御剣流の速度で駆け抜けていった。
二人きりになったところで、近山さんが咳払いする。
「ところで、昨日コルレットが垂水先輩の誘いを断った時に言ったことは、わかってる?」
「え?」
「J'aime les personnes avec une cicatrice cruciforme」
たどたどしいながら聞き取りやすいフランス語だった。
そして思い出した。僕の目を見て、ちょっと頬を赤らめた一言。なんだかこちらまで背筋がむずがゆくなる。
「十字傷がある人が好き、て言ったのよ」
「へえ」
剣心かな。左頬の十字傷は彼のトレードマークである。
「あなたでしょ」
近山さんは左頬を指さす。
僕も左頬を触る。
繊維質な感触。
昨日桜子さんに食らったマジック跡を隠す、ばんそうこうだ。
「え? こ、これ?」
「志々雄真実と対決するため京都に入った剣心が、因縁ある土地で正体を悟らせぬため十字傷を隠したのと、同じよね」
そう見えるのか。
まさかこれがコルレットさんが居合道を選んだ決め手?
というか――
「るろ剣、読んでたの?」
「昨日ね。正確には夜中。おかげで寝不足」
「え……」
この人、昨日コルレットさんがるろうに剣心フリークなこと知って、さっそく夜通し完読したのか。たしか30巻近くあるけど。しかもそのうえ、クマ騒動の逆転動画まで探し当ててる。
それもすべてコルレットさんのため。
怖。
「えっと――」
これは厄介なことにならないうちに、早く誤解を解いたほうがいい。これは十字傷でもなんでもなくてたまたま貼ってるだけだって――
「勘違いしないでほしいのは、私はあなたを認めたわけじゃない。コルレットを傷つけるようなことしたら、許さないから」
僕を睨めつける視線は、真剣よりも鋭いものだった。
「あ、アッパレさん!」
コルレットさんが柔和な笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「にゅうぶとどけ、書いたよ」
たどたどしいカタカナで『コルレット マいー ブィこャール』とあった。
「あ、こういうときのにほんご、あったよ。えっと――」
ポケットからメモを取り出し、めくっていく。
「ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
近山さんは無言でうつむいている。組んだ腕を震わせて。
まるで一人娘を嫁に出す頑固おやじのような気迫。
これ、もう手遅れじゃね?
いまさら「間違いでした」なんて、言い出せなくね?
「こちらこそ、よろしくお願いします」
かくして、三人目の部員が入ったわけである。
どうなることやら。
「あ、そうだ、きずな。これってどういういみ? きくのわすれてたよ」
コルレットさんがメモを見ながら尋ねる。
「ようもの」
「……は?」
「アッパレさん、好きらしいよ。ようもの」
……今夜あたり刺されるかも。
バットーハッピー 京路 @miyakomiti
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