第15話「ちがうクマ」

 次の日。

 登校した僕は、妙な視線を感じていた。

 教室の席について、鞄の中身を机に移し替えるいつものルーチン。その間に、みんなが僕のほうをチラチラ見てる気がする。

 もしかして、これって統合失調症ってやつだろうか?

 みんなが自分のことを悪く言ってるとか、妄想を感じてしまうやつ。

 うーん。まあいっか。どうせ妄想だし、現実じゃないんだからね。


「あ、佐山くん、ちょっと――」


 教室の入り口から声をかけられた。我らが居合道部の顧問、安藤先生だ。朝一から姿を見るとは珍しい。

 調子が悪いのだろうか。僕が駆け寄る間、ずっと頭を押さえていた。


「なんですか?」

「校長室、今すぐ来いって」


 なるほど、頭が痛くなってきた。


「えっと、一応確認しますけど、なぜ?」

「え? わからない? ほら、みんなスマホと君を見比べてるじゃん」


 振り返ると、何人かのクラスメイトがこちらを見ていた。みんな手に手にスマホを持って。すぐに目をそらされた。

 現実だった。

 精神疾患かなと思おうとしたのに、しっかりリアルに注目されてた。


「うん? もしかして、誰も声かけてこなかったの? えぇ、大丈夫? いじめられてる?」

 普通に心配された。

「ついさっき教室に来たばかりですから」

「ああ、そう? そう、ね。そう、だよね。きっと声をかけてくれたんだよね」

 優しい笑みが、かえってつらい。


「って、知らないなら一応見といたほうがいいよね。えっと――」


 と、先生がスマホを取り出す。真新しくて、まだフィルムもとっていない。

 画面を開くと、てかりを帯びた肌色が絡み合っていて――


「ソイッ」


 先生がスマホをぶん投げた。

 壁にぶつかる。

 フィルムがはがれて飛んだ。


「やっべ、手がすべちゃった」


 てへぺろとかやりながら、先生はスマホを拾う。

 手早く何かを操作してから、僕のほうにスマホを見せた。

 画面に亀裂が入っちゃってた。


「って、これは――」


 ユーチューブだった。


 【イオンに人食いクマ】地元高校生が刀でクマ退治してた


 すごいタイトルだった。

 恐るべきことは、絶対釣りのこのタイトルが、まさにそのままだったということ。


「わかった? じゃあ、行こうか」


 僕の表情で、伝わったことを悟ったらしい。

 僕は黙って先生についていく。

 脳裏にはドナドナが流れていた。



 五分後。

 校長室前。



「おっはよーアッパレェェェ! 今日も辛気臭い顔してるね!」



 お元気な桜子さんがいた。

 きれいな歯並びを見せつけて、全身で手を振ってきてる。腰のお刀さんもカチャカチャ言ってる。


「すっげえご機嫌だね」

「そりゃもう、コルレットちゃん入部したでしょ? このうえ、校長室からお呼びがかかるなんて、何もらえるんだろうね!」

「もらえる?」

「校長室って、なんか表彰してくれるところだよね! このタイミングってことは、部の存続OKとかかな? 天誅とか言っちゃって悪かったね!」

 そういえば、この子は元優等生だったのだ。校長室なんてポジティブな記憶しかないのかもしれない。

「あれ? アッパレ、ほっぺまだばんそうこうしてんの?」

 桜子さんが僕の頬に貼りっぱなしの特大絆創膏を指摘してくる。

「誰のせいだ」

 油性マジックの一撃は、一日二日じゃ消えてくれないのだ。


 僕らのそんなやりとりをよそに、安藤先生がため息混じりに重そうな黒木のドアをノックする。

「失礼します」


 開けた扉をくぐる。

 校長室は厳かな雰囲気だった。赤い絨毯が敷き詰められ、横には革張りのソファとガラステーブル。壁には歴代の校長先生と思しき人たちの白黒写真が並んでいる。

「ふん」

 鼻を鳴らしたのは、腕を組んだ生倉先生だった。いつものジャージでなく、スーツ姿。

「あれ? 生倉センセ、ジャージじゃないね。またトイレ間に合わなかったのかな?」

 桜子さんがケラケラ笑う。

 誰も答えず、校長室にケラケラと響き渡った。


「あー! アッパレ! この絨毯、すごいふかふか!」

 桜子さんが寝ころんだ。

 赤いフワフワの絨毯に顔をうずめる。

「すごいねー。高そう! さすが校長室だね! お金のかけ方が違うね!」

 キャッキャ楽しそう。

 誰も答えず、校長室にキャッキャが響き渡った。


 ああ。

 安藤先生、顔が真っ青だ。倒れそう。

 生倉先生、顔が真っ赤だ。倒れそう。別の意味で。


 ノック音が響き渡る。

 振り返ると、不安そうなコルレットさんが顔をのぞかせた。


「し、しつれい、します」


「あ! コルレットちゃん!」

「Oups、ら、らこちゃん、なにしてるの?」


 床にはいつくばってる桜子さんに面食らってた。

「コルレットちゃんもやってみなよ!」

「え? え?」

「ほら早く!」


 押しに弱いのか、コルレットさもおずおずと桜子さんの横に座って、絨毯に手をやる。

「あ、やわらかいよ」

「うん、顔くっつけるともっと気持ちいいよ!」

「か、かおを?」

 さすがに抵抗があるようだ。

 そりゃそうだ。

 コルレットさんが周囲を見やる。きっと、雰囲気を察してるんだろう。

「……コルレットさん、やらなくていいよ」

 見かねて、僕が声をかける。

「もうアッパレ、ノリ悪いよ! コルレットちゃん、早く!」

「あの桜子さんも、そろそろ立ったほうがいいと思うけど――」

「知りませーん。らこさん、ここで寝まーす」

「――秋水!」

 怒号。

 ついに堪忍袋の緒が切れたように、生倉先生が吼えた。

「ふぉっふぉっふぉ、生倉先生、今日はお控えくださいと、申し上げておいたでしょう?」

 たおやかな声が校長室を包み込む。

 隣りの部屋から入ってきたのは、白いひげを蓄えた小柄なご老人。

 校長先生だ。

 生倉先生がなにか言いかけたが、飲み込んで、ぐっと頭を下げる。

 手にした湯飲みをすすりながら、ゆっくりと秋水さんの前に歩み寄る。

「秋水桜子さんだね。入学式以来かな」

「おぉ、校長先生、いつ見ても立派なおひげですね! 自由に死にそう!」

 誰が板垣退助だ。

「君はいつも元気なようだ。よく名前を聞くよ」

「いやあ、それほどでもないよ!」

 たぶん悪名だと思うぞ。

 ちなみに秋水さん、ずっと絨毯に寝そべって左頬をスリスリしながら話しているぞ。

 校長先生はこちらに視線を移す。白く太い眉毛の下から優しそうに細めた目が覗く。

「佐山くん。居合道部の勧誘は大変なようだね。橘さんのような傑物のあとだと気づまりも大きいだろうが、気負わずともいいんだよ。君らしくやればね」

「は、はい」

「コルレットさんも、慣れない土地でがんばっているようだね。新たな居場所を得て、これらかますます楽しみだね」

「はい」


 思いのほか、優しい声かけ。

 あれ?

 これから大目玉食らわせる相手に、こんな声をかける?


「さて、本題に入ろうか。生倉先生」

「はい」

 生倉先生が壁のスイッチを操作する。

 自動で窓のカーテンが閉まり、照明が落ち、天井からスクリーンが下りてくる。

 プロジェクターが光を照らす。

「おお、すごい! 悪の秘密基地みたい!」

 なんて感想だ。


 映し出されたのは、さっき安藤先生が見せてきたユーチューブの画面だった。


「昨日の様子を、撮影していた人が載せたようだね。顔や制服が映っているし、本校の生徒だとばれてしまったようだ」

 映像が再生される。


 クマと峰岸の激闘から始まった。

 映像越しに見ると、動きがすごすぎて映画のようだ。だが、カメラワークも音楽もないので、かえって違和感もすごい。

「おー、この人すごいねー」

 秋水さんは呑気な感想を言っていた。


『爆ぜろ、轟旋じ――』

 必殺技を放とうとした瞬間吹っ飛ばされた映像。

「ぶはっ、なにあの人、すっごい飛んだね! なんか叫んでたけどなんだろうね?」

 ああ。

 痛い。

 画面越しの中二は、本当に痛い。


 というか、待て。

 待ってくれ。

 この先はたしか――


『らこちゃん戻ってカタナァって言ってるよ! ほらほら、早くしないと僕が振っちゃうよ――』


「うひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 桜子さんが体をくの字にして大笑いしてる。

 なんだこれ。

 このお刀さんダンスが、全世界に配信されたのか。

 クラスの人たちの視線が思い出される。

 思い出して死にそうになる。

 死にたい。

 いっそ殺せ!


『剣一本でもこの瞳に止まる人々くらいなら、なんとか守れるでござるよ』


「Oh là là(ふわぁ)」


 コルレットさんが恥ずかしそうに頬を押さえる。

 たしかになりきってる一言は客観的に見ると面映ゆいものはある。けど君は大丈夫。ちゃんとかわいさと凛々しさが両立してる。


『おお、すげえ!』

『やったあ!』

『ウェエエイ!』


 見事な抜刀術にてクマを一閃。

 絶技に一気に観衆が沸いた。


「おぉ、コルレットちゃん、一番すごいね!」


 まさにそれは同意できる。


「アッパレはもうちょっとがんばったほうがいいね」


 余計なお世話だ。

 そして映像が終わった。


「秋水さん、この映像を見て、どう思ったかな?」

「うん、おもしろかった! 剣道部の人もいい動きしてたし、コルレットちゃんめっちゃすごい! アッパレは残念!」

「このクマ、秋水さんじゃない?」


 場が、凍った。


「……………………………………ちがうクマ」


 プロジェクターの駆動音にさえ掻き消されそうな、か細い否定。


「ふざけんな秋水! お前に決まってるだろォが!」

「生倉先生」

「――すみません」

 

 こほん、と校長先生が咳払い。


「ちょっと巻き戻してみようか」


 生倉先生がパソコンを操作する。

 ちょうど、僕が刀を手に取ったところだ。


 まさか……


『らこちゃん戻ってカタナァって言ってるよ! ほらほら、早くしないと僕が振っちゃうよ――』


「ぶふっ」


 秋水さんが吹き出した。

 お前笑ってる場合じゃないだろ!


「何か気づくことはなかったかな?」

「アッパレがおもろい?」

「少し違うかな。ではもう一回見てみようか」


『らこちゃん戻ってカタナァって言ってるよ! ほらほら、早くしないと僕が振っちゃうよ――』


「ぶふっ」


 また秋水さんが吹き出した。


「げほっ、げほっ、げふんぶふ」

 安藤先生がせき込む。

 ごまかしてるが、肩を震わせて必死にこらえているだけ。

 あんたも笑うんかい!


「どうだい? まだわからないかな?」

「アッパレの腰の切れが悪い?」

「少し視点を変えてみてはどうかな? ではもう一回」

「すみませんでした!」


 耐えられなかった。

 僕は校長先生に深々と頭を下げる。

 認めてしまえばおしまいだろう。けど僕はもう耐えられな――


『らこちゃん戻ってカタナァって言ってるよ! ほらほら、早くしないと僕が振っちゃうよ――』


「ぶふっ」

 結局、再生された!


「佐山くん、何について謝っているのかな?」

 その問いは再生する前でもよかったのではないでしょうか……。

「さ、桜子さんの監督責任についてで――」

「君はクマの中に秋水さんがいると思っている?」

「そ、そうです」

「ちがうクマ」

「クマって言ってるだろ! 桜子さんじゃなくて誰がやってるんだ!」


『らこちゃん戻ってカタナァって言ってるよ! ほらほら、早くしないと僕が振っちゃうよ――』



「ぶふっ」

 なぜまた……。


「Oups!(ああっ) アッパレさん、らこちゃんって言ってるよ!」


 コルレットさんの答えに、校長先生がうなずいた。


「この映像は一晩のうちにたくさんの人がご覧になったようだ。バズる、というやつかな? 当初は迫力のある立ち合いに好意的な意見が多かったようだが、佐山くんが秋水さんと思しき名前を叫びながら踊っていることから『クマに入っているのも生徒だ』という指摘が出てね。一転、いまや批判コメントが多数を占める状態となった。炎上、というやつかな?」


 え?

 いやまあ、たしかにこの映像だけでは、クマの中に桜子さんがいるなんてわからなかった。

 僕の一言がなければ。

 つまり、僕のせい?


「クマの中に秋水さんがいたとなれば、これだけの騒動を引き起こしたんだ、何かしらの処分は受けてもらう。部長である佐山くんも関わっていたとなれば、部の進退も考えなければならないね」

「し、進退――」

「たとえば、廃部とかね」


 その言葉が、僕の胸に重く落ち込む。

 まさか、こんなことで止めが刺されるなんて。


「正式な処分は職員会議にかけたうえで決定されるがね。ただ、今のことは参考にさせてもらうよ」

「ちがうクマ!」

「もちろんだ。秋水さんが『ちがうクマ』と言っていたことも含めて、判断させてもらうよ」


 このために呼び出されたのか。

 最終的な確認。

 間抜けな僕は、それにまんまと乗せられて、唄ってしまったのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る