第14話「だが、お前は俺が倒す!」

「な、なんだ?」

「クマだクマ」


 垂水から漏れ出た質問に、律義に答えてくれた。

 ていよく剣道部に連れていかれそうになったコルレットさんを止めた巨獣が、言った。

 やはりクマだった。


「はっ」

 とっさに我に返り、振り返る。

 登山グッズ店の前にいたクマが、いなくなっている。

 正確には、クマのポーズのままの白い綿の塊が置いてあった。

 まるで、ガワだけキレイにはがされたように。

 そして一番重要なこと。


 桜子さんの姿がない。


「返すクマーっ!」

 吼えた。


 腹の底から響き渡る声に、僕の近くのガラスまでビリビリ鳴らす。

 クマが凶暴な爪(多分フェルト)を振りかざし、垂水に向かって振り下ろす。


 薙ぎ払われるかと思った瞬間、疾風のように人影が滑り込んでくる。

 スポーツマン風の剣道部員――たしか、峰岸と呼ばれていた少年だ。


 竹刀を頭上に掲げ、クマの一撃を受け止めている。


「重」

 言いながら、いなす。反動で、背中で垂水とコルレットさんを押しのけた。


「み、峰岸――」

「先輩、とりあえず退いてください。ナリはふざけてますが、かなり使います」


 竹刀に口元を近づける。

「さて、持ってくれよ」


 クマが右左と鈎爪(多分フェルト)を次々と振り下ろす。

 右薙ぎを首をいなしてかわし、続く左薙ぎを竹刀で受け流す。まともに受けず、軌道をそらして最小限の動きでかわした。


 キラキラと光が舞う。

 削り飛ばされた竹刀の断片だ。


 え? フェルトなのに?


「胴ッッ!」


 攻撃の間隙を突き、一喝。

 クマの胴体を真横に打ちぬく。翻し、逆胴からも追撃。

 二つの打突音が同時に聞こえた。

 すごい。

 さく――クマの人外的な猛攻を、確実にしのぎ、反撃まで入れている。

 こんな動き、橘先輩以外で初めて見た。


「お、なんだあれ?」

「ショーなんじゃないの? クマ対イケメン」

「すげえアクション!」


 人が集まってきた。

 このままだと問題になるのは明らかだ。 

「なんとかしないと――」


 僕は物陰から飛び出し、呆然とするコルレットさんに駆け寄る。


「コルレットさん、とりあえず離れよう」

「Olala、アッパレさん? なんでここに」


 やべ。隠れてたんだった。

「と、とにかく、危ないから」

「あ、佐山!」


 垂水が僕に気付く。当然、同じ武道場を共有している剣道部には僕の面は割れている。


「そうか、これはお前の差し金か!」

「ちが――」

「あのキテレツ娘が入ってんだろ!」

 それは否定できない。


「はっ、読めたぞ。お前、居合道部存続のために、コルレットちゃん狙ってるんだな」

 無駄に勘がいい。女癖が悪い=女性の心をくすぐるのがうまいだけのことはある。

「だが、コルレットちゃんは剣道部に入るぞ。最初はマネージャーにでもと思ったが、部員としても歓迎だ」

「待て、彼女は居合道部に入ると先に――」

「そうかもな。けどそれは剣道部を知らなかったからだ。彼女にとっては、居合道も剣道も、どちらでも意に沿うんじゃないのか」

 痛いところをついてくる。まさにその通り――



「っきィィ!」

 裂帛の気合とともに、クマの喉元に神速の突き。

 クマの巨体が浮き上がる。

 と同時に宙で反転、回し蹴りを繰り出す。

 鞭のような一撃を、床に転がり峰岸がかわす。


「コオォォォォォルレェェェェェッッチャァァ――」

 クマの咆哮。

 正気を失っている。

 完全にウェンカムイのそれだ。


「突き、入ってますよね? 全然効いてねえ。へへっ、それ、狂戦士の鎧かなんすか?」


 あきれながら、しかしどこか嬉し気に笑みを浮かべ、峰岸は靴を脱ぎ、足だけで器用に裸足になる。



「こりゃ俺も本気ださないといけねっすわ」

「本気だァ!?」

 垂水が裏返った声をあげた。

「待て峰岸、ダメだ、お前の本気は――」

「先輩、悪ィっす。約束、守れなくて」


 竹刀を正眼よりさらに水平に、目線とまっすぐにクマへと向ける。


「だが、お前は俺が倒す!」


 ゴリゴリに固まった足の指が、ぴたりと舗装されているはずの床シートをつかみ上げる。


「爆ぜろ、轟旋――」


 クマに向かって背中を向ける。

 回転力の勢いを乗せた会心の一撃がクマに炸裂――


「裂空ざブッ」


 する前に、隙だらけの背中にクマの横薙ぎがクリーンヒットした。


「技の名前を叫ぶのはやめろォォォ!」


 垂水が悲壮の叫びをあげた。

「オマエ本気出すと隙だらけなんだよ中二! 技の画数無駄に多いし、こっちが恥ずいんだよォォォ!」

 吹っ飛ばされた峰岸の体が床を転がり、大の字になった。完全に伸びてる。無駄に満足そうな笑みを浮かべながら。


「くっそ、峰岸、あとで道場の雑巾がけやらす。全面やらす。七周やらす」

 毒づく垂水。

 泣き臥せった近山さん。

 呆然とするコルレットさん。

 そして、離れた位置で山の如く動かざる剣道部の巨漢。

 誰も、頼れない。


 ――違うだろ。


「コォォォォォルァァァァァ!」


 いまやそれは、守るべきものさえ忘れてしまった、悲しい怪物だ。

 だけど、僕の後輩だ。

 なら、ほかの誰でもない僕が、なんとかするしかない。


 手に抱えていた、桜子さんの刀を包んでいた上着を解く。

 僕ができること。

 峰岸のような身体能力はない。

 コルレットさんの異次元の作品愛もない。

 ついでに垂水のようなコミュ力もない。

 ならば――


「ほら、お刀さんだよ!」

 

 クマに向かって刀を掲げて、大きく体をくねらす。

 楽しく、笑顔で、軽やかに!


「らこちゃん戻ってカタナァって言ってるよ! ほらほら、早くしないと僕が振っちゃうよ――」


 笑いたければ笑うがいい。

 これで解決できるなら安いもんだ。

 クマは刀を視線で追って、右に左に首をふる。

 ちゃんと反応してる!

 よし、もう一い


『刀ってのはけっこう繊細なモンで、真横からの衝撃には意外と弱い。剣は盾じゃねえ。だから相手の攻撃は受けるな、流せ。それが、全剣連三本目受け流しの肝だ』


 橘先輩の言葉が脳裏をよぎり――


「グマァァァァァァ!」


 一撃が頭上をかすめる。

 否、さばいた。


 クマの爆風のような横薙ぎを食らい、かけた。

 とっさに、手にしていた刀で受け流せたのだ。体が勝手に動いた、らしい。自分でも信じられない。

 ただ、流しきれなかった。僕の体勢は完全に崩れ、刀は手を離れ床を転がる。


「う――」


 そして僕は丸腰で尻もち。

 クマの前に無防備にさらされた。

 間髪を入れず荒々しく左腕を振り上げてくる。

 これは、抜き身の日本刀だ。

 振り降ろされれば命を絶つ、絶対的死。

 この感覚は、知っている。

 部室で部員募集チラシを作っていた時に垣間見た、桜子さんに感じた戦慄。


 美は死に通じる――。


「Hitenmitsurugi style――Ryushosen!」


 コルレットさんが、飛び上がりつつ刀を払いあげ、僕に迫るクマの左手を弾き飛ばした。


 手にしていたのは、桜子さんの刀。


 それを中空で頭上に構え直す。


「Ryutuisen!」


 落下の勢いを乗せて、クマの脳天に渾身の一撃を叩き込んだ。

 技の名前を叫んでいるのに刹那の動きに追いついている。


「すご――」


 けど、中身、大丈夫?

 峰岸の竹刀ではびくともしなかった巨体が、頭を押さえてうなっている。


「アッパレさん、ありがとね。あとは、まかせてよ」


「でも――」



 コルレットさんは刀を鞘に納める。

 そのまま構える。

 いわずとしれた、抜刀術の構え。


「剣一本でもこの瞳に止まる人々くらいなら、なんとか守れるでござるよ」


 るろ剣から引用したいい一言だけど、それはそれとして、もしかしてクマの中身のこと気付ていない?


 伝えたほうがいいだろうか。けど恥ずかしながら今の状況でこの凶暴なケモノを止められるのは飛天御剣流しかない。


「グッマアア!」


 クマが飛び込んできた。

 その大きな胴に、神速の抜刀術が叩き込まれる。

 クマの巨体かくの字に曲がり、弾けた毬のように吹っ飛ぶ。


「アアアアアァァァァァァ――」


 吹き飛ばされたクマの体は、柵を飛び越え、落ちていく。


 ここは三階である。


「えええ!」


 僕の声と同時に、あたりがどよめく。

 いつの間にか僕たちをかなりの人だかりが囲んでいた。その群衆が一気に歓声をあげた。


「おお、すげえ!」

「やったあ!」

「ウェエエイ!」


 人垣を避けながら、柵の下を覗き込む。

 しかし、吹き抜けから見える一階の床に、クマの姿はない。

 ただ天井から階を突き抜けて伸びているセールの垂れ幕が、不自然に大きく揺れていた。

「……うーん」


 とりあえず今はそっちはいいや。

 このまま騒ぎの中にいてもいいことなんてなにもない。


 と、コルレットさんが垂水に向かっていた。

「あなたの部は おことわりします です」

 きっぱりと言った。


「ともだちをわるくいうひと いやです」

 垂水もばつが悪そうに頭をかく。

「あー、そうよねえ。ちょっと感情だしすぎたわ。反省」

「それに……」


 コルレットさんは僕のほうを見て、はにかみ気味に、にっこり笑う。赤い髪から汗が弾けて輝いた。

「J'aime les personnes avec une cicatrice cruciforme」

 何を言ってるか当然わからないが、まぶしさについ目をそらしてしまった。


 峰岸がのっそりと起き上がり、ぼやく。

「女癖は改めたほうがいいっすよ。あの人が重いのはともかく、先輩の浮気は事実でしょ」

「うるせえ。帰るぞ」

「あれ? おごってくれるんじゃないんすか?」

「ああ、くそ、わかってるよ! 大胴寺、いくぞ」

「うっす」

 ずっと不動でいた2メートルオーバーの生徒が、野太い声で応じた。

 結局、クマ騒動の間も微動だにしていなかった。

 正気を失っていたクマも、彼のほうには向かわなかった。

 僕はクマと比肩する大立ち回りを繰り広げた峰岸よりむしろ、彼のほうに脅威を覚える。


「……ああ……」

 床に崩れたまま、近山さんが刀を鞘に納めるコルレットさんを見上げている。

 開きかけた唇が震え、ただ息だけが漏れ出ている。

 見知った者の見慣れない姿――否、本当の姿を目の当たりにして、戸惑っているのか。


「居合に、遠山の目付、ということがあります」

 僕は彼女に声をかけた。

「遠くの山を見るように視野を広くすれば、おのずと動けるという意味です。逆に言えば、近くを見すぎると、身動きがとりにくくなる。だから――」


「……もしかして説教ですか? 赤の他人がいきなり現れてご高説とは、ずいぶんご立派なんですね」

 辛辣だった。


 さっきまでのこわばった表情はどこへやら。

 近山さんは立ち上がり、スカートの埃を手荒に払う。

 僕の体を肩で押しのけて、

「……そんなことわかってる」

 彼女がそうつぶやいたように聞こえた。

 近山さんがコルレットさんに向かう。

 

「コルレットは、強かったんだね」


 首を振った。


「キズナや、アッパレさんのおかげよ」

「えー、わたしのことはぁ?」

「うわ、びっくりした」

 横に桜子さんがいた。

 汗だくだ。息も荒い。右目の周りに青タンできてる。

 ていうかクマは?

 いた。もとの店前に。首が180度曲がってるけど。そしてなぜか手に赤い風船が結わいてあった。表面にピュアルールメイカーがプリントされている。どこかのイベントでもらえそうな風船だ。


「もちろん、らこちゃんも」

「いえーい、やったーって、あいたたた……なぜか全身痛いクマ……」

「くま?」

「うん? クマってなに? ていうか人多いねー」


 人だかりが人を呼んでいるのか、どんどん増えている気がする。

 手に手にスマホを遠慮なく向けて撮影してきてる。大注目。それだけさっきの大立ち回りが素晴らしかったのだろう。

 ただし、まごうことなき迷惑行為。

 ゲリラ活動だ。スタッフに怒られたり、炎上したり、下手したら警察沙汰なんてことも。


 とにかく、穏便に、迅速に、この場を離れなければ――



「みんな、私たち、居合道部だよ! 部員募集中! よろしくね!」


 桜子さんが何かをばらまく。

 ひらひらと舞い上がるA5サイズのわら半紙。

 それは居合道部募集のためのチラシだった。


「穏便とは!?」

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