第13話「えっと、にほん、せっかくきたですよ?」

「これは早く持ち主に届けるための必要な手続きなのです」

 そういってコルレットさんの携帯の中を見ていく。開きっぱなしのまま置いていったので、パスワード解除すら必要なかった。



「ちょっと、まずいよ――」


 秒でコルレットさんのスマホをあさろうとする桜子さんを止めようとしたが、妙に自信満々に言い返す。



「あのねアッパレ。これはコルレットちゃんのメッセージかもしれないよ? わたしを助けて、って。じゃないとスマホなんて置いてかないよ」

「そうかなぁ。普通に、あのホストファミリーの子の勢いにつられて忘れちゃっただけじゃないの?」

「そうだとしても、今日中に届けないとでしょ。あと入部届、書いてもらわないと。ほら、手段は選んでいられない」

「それはそうだけど……」


 僕が止めあぐねている間に、桜子さんがどんどん探っていく。


「あ、LINEにやりとり残ってるね」


 悪いとは思いながらも、覗き見てしまう。

 絆さんのほうはいろいろなスタンプもバンバン使っているが、コルレットさんのほうは短いひらがなの文面だけだった。


「今日はショッピングモールでお買い物……」


 絆さんが事細かに放課後のプランを書いていた。ほぼ分単位だ。


「よしラッキー! 行き先が分かった!」


 桜子さんが駆けだした。


「ちょっと、待ちなって」


 僕も慌てて追いかける。

 部室の鍵を閉めながら、ふと思う。

 本当にラッキーだろうか。

 たかが買い物にいくのに、あんな綿密な計画を立てるなんて。

 そこはかとない寒気が走った。




 遠山の目付け、という言葉が居合にはある。

 斬るべき敵を目の前にしても、遠くの山を見るように、相手を通り越してさらに後ろを見ることだ。

 そうすることで視野を広く持ち、相手の一挙手一投足まで把握でき、さらには伏兵の来襲にも対応できるようになる。

 

 ところで僕は今まさに遠山の目付で桜子さんを見るともなしに見ているが、これはまた別の理由。


「見てアッパレ、忍法逆走の術!」


 桜子さんは下りエスカレーターを全力で駆け上がっている。速い。隣りの上りエスカレーターだってこんな速さでは駆けあがれない。人並外れた豪脚だ。

 ただし、まごうことなき迷惑行為である。


 僕は全力で他人のふりをしていた。

 ここは市内有数のショッピングモール。200を超えるテナントを有するため、放課後は近隣の学生にとっては格好の遊び場になる。

 僕もたまに本屋に立ち寄る。立ち読みはできないが、ポイントがつくのがうれしい。

 もちろん一人でだけど、それがなにか?


「うわあ!」


 桜子さんが、エレベーターを降りようとした人と鉢合わせになる。その瞬間、手すりに左手を突いて飛び跳ね、隣りの上りエスカレーターへ飛び移った。華麗な身のこなしで、まさに忍者のようだ。

 ただし、まごうことなき迷惑行為である。


 いい加減、他人のふりを続けるのも心苦しくなってきた。

 僕は携帯で電話する。

 やむにやまれず登録した、桜子さんの番号だ。

 ひとつ上のフロアで、桜子さんが電話を取り出すのが見える。


『うん? どした?』

「人の迷惑になることはやめようね」

『えー、下りエレベーターを見たら上りたくなるのが人情ってやつじゃない?』


 鯉なの?


「ていうか、本来の目的、忘れてない?」

 この広いショッピングモールから、二人を見つけるのだ。

『大丈夫だよ。何も無意味にエレベーター駆け上ったわけじゃないからね。こうしている間にも、横目で探してます』


 まさに遠山の目付、と言いたいところだけど、だったら普通に上りエレベーター上れよ。


『あ、いた!』


 桜子さんは遠くを指さし、そのまま上のフロアを走り出した。

 こちらからはコルレットさんの姿は見えない。

 ついでに通話も切られてしまった。


「――ああ、もう!」


 僕も桜子さんを追って、上りエスカレーターを駆け上った。

 逆走ほどじゃないけど、やっぱり迷惑行為。

 しかしここで桜子さんまで見失ったら、何をしに来たのかわからない。

 上のフロアに駆け上って、そのまま桜子さんが消えた方向へ走る。

 すぐいた。


 登山グッズ販売店の前のクマの前にいた。

 2メートル以上ある巨体で、二本足で立ち上って両手を広げている。


 そこに向かって、刀抜こうとしてた。


「ちょちょちょ――何してんの!」


 さすがにここで抜刀はシャレにならん。

 ていうか普通に見慣れてたけど、この人街中でも平気で帯刀してるよ!


「もうアッパレ、抜きやしないよ。現代にタイムスリップしてテレビ斬りつけるお侍さんじゃないんだから。これがニセモノだってことくらいわかります」

「そういうことじゃなくて――」

「思ったんだけど、クマぐらいなら刀使えば倒せるんじゃないかなぁ? 無理かな? どうかな? だもんで、ちょっとイメージトレーニングをね」


 クマは刀持った程度じゃ倒せないよ。てか、そういうことでもなく――


「街中では刀は袋に入れておかないとダメだって!」

「なんで?」

「なんでって……」


 そんなこと普通は言わなくたってわかるだろうけど、普通じゃないこの人には言ってやらないとわからない。

 ただ、急に訊かれるととっさに答えが出てこない。


 法律で決まってるから? そんなこと、この人だってわかるだろう。


 みんなが危ないと思うから? 他人のことなんて微塵も気にしないだろう。


 じゃあ、他人じゃない人なら?


「あー、刀差してると目立つし、騒動になったらコルレットさんを探すどころじゃないでしょ」

「むぅ――なるほど」


 一応、納得したらしい。

 刀を抜いて、僕に預ける。


 ……いや、預けられても困るんだけど。


 僕の刀は部室に置いてある。刀袋やケースも当然持っていない。

 危険人物が僕になっただけだ。


「ええっと……」


 しかたなく、上着を脱いで片方の袖口を縛り、両袖に刀を通し、残った裾をぐるぐる巻きにする。

 刃渡り二尺三寸なので柄も合わせれば約一メートル。両袖を使えば、即席の刀袋になった。


「あ、いたよ!」


 見ると、コルレットさんと近山さんがいた。服屋の中を覗き込んでいる。

 長身長の近山さんと紅毛碧眼のコルレットさんの組み合わせは、かなり目立つ。


「よし、突撃!」

 こちらもけっこう存在感を放つ桜子さんが堂々と宣言する。


「あ、待って。そもそも行ってどうするの?」

「どうって――コルレットちゃんを確保、脱出、入部の三本立てでお送りします」

 雑すぎる。


「どう考えったって無茶でしょ。そもそも確保って言ったって、コルレットさんは近山さんちに帰るんだから、根本的に意味がないでしょ」

「うち広いからひとりぐらい定住可能だよ」

「誘拐だよ」

「なんならアッパレもOKだよ」

「共犯になっちゃう」

「んでも、さすがにアッパレもってなると、押し入れに入ってもらわないといけないかなぁ」

「被害者は僕かよ」


 絶対無理だ。


「とにかく、近山さんにはコルレットさんの入部を了承してもらうのが必須ってこと。難しいかもしれないけど」


 ひとまず、二人の近くから様子を見ることにした。

 二人はピンクが基調の服屋の前にいた。フリフリで、布地表面積大目な、いかにもカワイイって感じの服が並んでいる。

「ああ、これなんてコルレットに似合うんじゃない?」

「そ、そうかな?」

「こっちもいいかも。あ、あれも試してみよう」


 近山さんはあれこれ手にとっては、コルレットさんに重ねてみる。

 コルレットさんはこわばった笑みを浮かべて、なされるがままだ。


「あーん、迷っちゃう! コルレットはどれがいい?」

「Oh là là……あれは、どうです……?」


 コルレットさんが指さす方向。

 となりの着物売り場だった。

 近山さんは露骨に顔をしかめる。


「えぇ? 着物? なんで?」

「えっと、にほん、せっかくきたですよ?」

「あー、だめだめ。着物って日本人の寸胴体型に合うように作られてるから。コルレットには似合わないよ。たとえば――ほら」


 手に持ったフリフリのワンピースを、自分の体に合わせてみる。

 手足が長すぎて、子供服を無理やり大人が着たみたいに、違和感があった。


「ね。こんな女の子らしい服、わたしには似合わないでしょ? 人には、どうしたって合うものが決まってるんだよ」

「うぅー……でも、きずなも、かわいいよ?」

「ああ、コルレットは優しいなぁ。ありがと。でもいいの、私はそういうのもうあきらめてるから」


 からっと言い捨てて、また次の服を見繕っていく。

 そのあっさりとした様子に、僕は引っかかりを覚える。


「なるほど」

 桜子さんも神妙にうなずいた。

 彼女も、同じことに気付いたらしい。


「女の子は買い物が長いって本当なんだね」

「…………」


 違ったらしい。


「あのね、きっと近山さんは――」

「あれ? 絆じゃん」

 男子生徒が、近山さんに声をかけてきた。

 三人組だ。声をかけたのは、中心にいる男子。髪を染めて、整った容姿をしているが、なれなれしい笑みを浮かべている。一言で言えば、チャラそう。

 細長いケースを肩に下げた短髪のスポーツマン。

 そして、2メートルを超える巨漢。

 全員、僕の学校の制服を着ている。


「か……垂水、さん」

 近山さんは、少しだけ後ずさる。

 男子はその三倍の歩幅で、距離を詰めてきて、肩に手を撫でるように置く。


「なんだよ、他人行儀だなぁ。前みたいに翔先輩って呼んでくれてもいいんだぜ」

「誰すか?」

 連れのスポーツマンが表情変えずに尋ねた。


「元カノ」

「――っ」


 近山さんが肩の手を振り払う。


「な、なれなれしくしないでください! 浮気したくせに!」

「浮気かあ。それは解釈の相違ってやつかな。僕は誰とでも仲良くしたいだけ。ほら、君とも」


 宙に浮いた手が、今度は隣りのコルレットさんの肩に置かれる。


「Hey there, gorgeous! I'm Kakeru Tarumi, and I must say, you've got me completely captivated.」

 存外流暢な英語を発してきた。英検3級の僕には厳しい。

「なんて?」

「ちょま別嬪さん、オイラたるみかける、あんたにメロメロさ」


 桜子さんが英訳してくれた。

 かなり意訳くさいけど。


「Oh là là……にほんごで、いいですよ」

「マジで? ありがと、次までにフランス語勉強しとくよ。改めて、僕は垂水翔。よければ君の名前を教えてほしいな」


 一言のやり取りだけでコルレットさんの母国語まで見抜いたのか。


「えっと、コルレット=マリー・ヴィニャール、ですよ」

「いいのよコルレット、こんな人相手にしないで」

「うーん、絆、悪い癖が出てないかい?」

「な、なにがよ」

「僕と付き合ってる時もそうだよね。なにかと自分の理想を押し付けてくるの。あなたはこうじゃない、こうあるべき――そんなんじゃ、嫌われちゃうぜ?」

「よ、余計なお世話! コルレットのことはちゃんとわかって――」


 近山さんを無視して、垂水がコルレットの手を取る。

「おお、マジだ! 峰岸、お前の言うとおりだ、よく見えたな!」

「Oh là là」

「あ、ごめんごめん。ほら君のてのひら、剣ダコでしょ? 僕らと同じ」

「お、おなじ?」

「そ。僕ら、剣道部」


 彼らの持つ長いケースは、竹刀袋だ。

 まさに僕ら居合道部と武道場をめぐって対立している、剣道部である。

 ただ、僕は垂水しか知らない。後ろの二人は新入部員だろうか。

 でも今はそれどころじゃない。


「コルレットちゃん、優しいから絆に気を使ってたんでしょ。君は、本当は剣をやりたかった。違う?」

「コルレット、そう、なの……?」


 垂水と近山さんを見比べる。

 言いよどむその様子が、答えだった。


「はい決まり! コルレットちゃん、剣道部に入部決定!」

「Pourquoi!?(なにゆえ)」


 やっぱり、そうなってしまう。


「え? どういうこと?」

 桜子さんも目を白黒させている。


「コルレットさんにとっては、剣道部だっていいんだ。彼女は、るろ剣に憧れて日本に来た。居合より、むしろ躍動的な剣道のほうが近いかもしれない」

 そして、僕たちがそれを止める権利は――


「待ってよ!」

 悲痛な叫びとも思える声で止めたのは、近山さんだった。


「わ、私はただ、コルレットのために……」

「うそだあ。絆は、自分の代わりに、コルレットちゃんで遊んでただけでしょ。かわいい服着せて、女の子らしいことさせて、満足する。コルレットちゃんの優しさに付け込んで、人形遊びしてるだけだ」

「そんなこと――」


 垂水はスマホを取り出す。

「たとえば、僕との最後のやり取り、覚えてる?」

「え?」


「覚えてないなら、教えるよ。これ、僕が別れ話をしたあとだよね。『ごめんなさい、私が悪いところあれば直すから。なんでもするから』。で、僕が『じゃあ人のスマホに怪しいアプリ勝手に入れたり、僕と仲いい女の子の家に凸ったり、アカウントなりすましたり、言えばやめられたの? やっちゃいけないって知らなかったわけじゃないよね。だから無理』と返した。そして絆の答えが『あなたのためだったの』。で、ここから僕はブロック。でも、結局同じことを続けてるわけだよね」


 近山さんは声をあげて泣き崩れる。

 そりゃ別れ際のやりとりをさらされるとか鬼だけど、内容が重たすぎて同情もできない。

「き、きずな……」


 コルレットはただ困惑しつつ、近山さんに手を伸ばそうとする。

 が、それが阻まれた。


「コルレットさん、それは優しさじゃなくて甘やかしだよ。今は一人にしてあげたほうがいいんだ」


 垂水が優しく、しかし確実にコルレットさんの肩に手をかけ、前に促す。


「コルレットちゃんを、返すクマ」

 二人の前に立ちはだかったのは、クマだった。


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