第12話「C’est pas vrai!」

(※本稿にはるろうに剣心のネタバレ感想が含まれておりますが、当時の時代的背景及びコルレット氏の情熱を考慮し、編集を加えず掲載することをご了承ください)



 リヤカーに載せた畳を戻しに、部室に戻ってきた。

「コルレットちゃん、ここが部室だよ!」

「ぶしつ、です?」

「居合道部のホーム!」

 秋水さんはテンション最高潮のままだ。

 ついさっきまで風紀委員を向こうにして大立ち回りを繰り広げたのだ。まだ興奮が抜けきれなくても無理はない。

 が、ひとつけじめはつけねばならない。


 部室に入って畳を戻したところで、僕は秋月さんに問いかける。


「ところで秋水さん。よく時代小説なんかでは居合使いは強キャラの位置づけで描かれるけど、なんでだと思う?」

 唐突な質問に、秋月さんは首をかしげて答えた。

「うん? 居合、めっちゃ速いとか?」

「そう。めっちゃ速い」

 おお当たったよ、と秋水さんはご満悦。

 コルレットさんも、多分話はわかってないと思うが、喜ぶ秋水さんに向かって「よかったよ」と、ふんわり微笑んでいる。


「なんでめっちゃ速いかって、納刀状態から抜くと同時に斬りつけるから。普通、刀は振り上げてからでないと斬れない。それが納刀している状態がもう振り上げたときと同じと言える。しかも鞘に入っているから軌道も見えにくいしね」

 ほえー、と秋水さん。多分わかってないけど、とりあえずはいいや。

「さらに、抜き打つ瞬間に、鯉口で勢いを溜めて、抜刀と同時に解き放つ効果もある」

 どうも流派によっては鞘を痛めるとか、かえって勢いを殺すとか言われてるようだが、僕はこう教わったので気にしないことにする。


「ちょうど、デコピンと同じ要領だね」

 親指で中指を押さえ、中指を外側に向かう力をため込んで、一気に放つあのデコピンだ。

 中指一本だけで弾くより、親指で溜めてから弾くほうが何倍も強い。

 さらにいえば、居合道家は握力が強い。

 握力は握り込む力だが、反対側に弾く力も相反して強い。

 つまり居合道家はデコピンが強い。


「こんな感じに」

 油断しきっている秋水さんのデコに、渾身の一発をお見舞いした。


「フギョォォォォォッッ!」

Aieアイエ!」

 秋水さんは額を押さえてもんどりうつ。

 なぜかコルレットさんも短い悲鳴をあげておでこを押さえた。


「いい、いたた痛い! ううう、痛みが尾を引いてる!」


「刀をあんな風に人に向けちゃダメ」


 一言添えるが、額を押さえて地面を転がる彼女には聞こえていないかも。

 コルレットさんが畳に膝をつき、秋水さんの頭を太ももに乗せる。


「らこちゃん、だいじょぶよ?」


 優しく頭をなではじめた。

 見る見るうちに秋水さんの表情が和らいでいく。

 コルレットさんは僕のほうを見上げる。

 青い目を細めて、微笑みを浮かべている。


「アッパレさん、心配してくれてたんだね、ありがとうね。でも、だいじょぶ。わたし、らこちゃんに ありがとうって――感謝、してるから。ほんとに」

「どういうこと?」

「わたし、きっと、ひとりじゃイアイドー部、はいれなかったとおもいます」


 右手で秋水さんをなでながら、左手を胸元で握りしめた。


「むかしから、人に話しかけるの、にがてだったよ。イアイドーのおしらせ みつけて おもしろそうとおもったけど、きっと、それだけ。でも らこちゃんがつかまえてくれたから、はいれた。えっと、おかげさま?」

 たどたどしい日本語。しかし感謝の気持ちとまごころは伝わってくる。

 被害者である彼女がこう言っているのなら、それ以上言うことはなくなる。


「秋水さん、わかった?」

「うへへへ」


 膝枕されてうっとりしてる。

 いろいろ言いたいことが出てくるが、今はやめておく。


「コルレットさんが居合に興味を持ったのって、やっぱりるろうに剣心?」

 何の気なしに質問しただけだった。

 が、

「そうなんです!」

 コルレットさんの目が爛々とした。

「わたしが日本に来ようと思ったのもるろうに剣心なんです! フランスでアニメを見て続いてマンガを読んで、一気にとりこになりました! わたし、ほら、赤毛じゃないですか! これ昔から悩んでて嫌だったんですけど剣心と同じだって思ったら誇らしくて! あ、フランスではKenshin Le Vagabondケンシン ル ヴァガボンドていうんですよ! 井上雄彦先生になっちゃいますよね! あ、どうでもいいですね?」

 十秒一息にまくしたててきた。

 てか、誰?

 オタクは得意分野の話になるとやたら饒舌で早口になるというけど、そういうレベルじゃない。

「あ、私も読んだよ、るろ剣」

Vraimentほんと? どの回が好き? わたしはいろいろあるけど、追憶編での決戦かなあ。五感のほとんどを奪われて窮地に陥った剣心が巴さんを斬ってしまい、彼女のまとった白梅香の香りで気付くという、物語の起源ともいえる悲しいエピソード、ああ、思い出すだけで鼻っ面が痛くなるよぉ――」

「うん、わかるわかる」


 いやあんた第三話までしか読んでないだろ。


「ともえ、巴ね。強かったよね」

 ほら早速ボロが出てる。巴さん、敵じゃないからね?

「うん、強い人だったよね」

 いいように解釈してくれてる。コルレットさんは多分、心が強い人、と思ってくれている。


「私がいちばんおもしろかったのは、そうだなぁ、股関節脱臼のところかなぁ」

 どこだよそれ、あったか?

「えぇ……ど、独特……う、うん、でもいいよね! 初回登場時のまだ情けない剣心を描いてるシーンだよね! 普段は頼りないけどいざというときはキメるって、少年漫画の王道だよね!」

 ちゃんとどのシーンかわかってるよこの子。

 しかも気まで遣ってるよ。

 正直に言っとけよ三話までしか読んでないって。


「アッパレもるろ剣読んでるんだよ」

Formidableすごい! アッパレさんはどこが好き?」

 いきなり振られても困る。読んだの、結構前なんだけど……。

「えっと、奥義を会得するところかなぁ」

C’est pas vraiマジで!」

 立ち上がった。

 秋水さんが後頭部を殴打する。

 完全に油断したところに落とされた。畳の上とはいえこれは痛い。

「わたしもあのシーン大好き! 死を覚悟していた剣心が、師匠の九頭龍閃という絶対的な死を前にして、土壇場で生への希求を見出し、一歩踏み出す! それまで自分の命をないがしろにしていた剣心が自身の命に向き合う物語の分水嶺的なエピソード! 命を捨てるのでなく、それでも生きるという意志が力と変わり奥義と為す、物語のテーマとバトルの必殺技の意義が重なった奇跡の名シーンだよね!」

 一気にまくし立てて僕に迫ってきた。

 目、キラッキラさせてる。

 フランスからの留学生でも内気な少女でもなく、ただのるろ剣ファンだった。

「さっきの九頭龍閃は?」

「飛天御剣流を真似して練習してたらできるようになったんだよ。天翔龍閃あまかけるりゅうのひらめき以外なら再現できるよ。さすがに奥義は難しいよね」

「九頭龍閃だって普通は無理だと思うけど――」

 コルレットさんは僕の手をぎゅっと握ってくる。

 顔も鼻がぶつかりそうなほど大接近。

「アッパレさんだって左頬に十字傷あるよね! びっくりした! うわ、本物だって思っちゃった! わたし、日本に来きてよかった、アッパレさんに出会えてよかったよ!」

「えぇ、これ? いや、これは――」

 左頬のばんそうこうの説明をしようとしようとした矢先、

「いたいぃぃぃ」

 秋水さんが後頭部を押さえて震えていた。

「あ、ご、ごめん」

 ようやく秋水さんを落としたことに気付いたらしい、コルレットさんが謝る。

 デコピン食らって膝枕から落とされて、前頭葉に後頭部と衝撃を受けて大変である。半ば自業自得だけど。


「股関節脱臼は?」

「え、あ……うん、すき、だよ?」

「うぅ、うそだぁ。セパブレ、とか言ってないし。こっちはとんだシルブプレだよ」

「う、え? え?」

「ああ、気にしないでいいよコルレットさん。すねて、へそ曲げてるだけだけだから」

「へそは、あななのに、まがるです?」


 あぁ、日本語って難しい。

 コルレットさんもまた通常モードに戻ってしまった。

 秋水さんは起き上がって頬を膨らませる。


「だいたいなんなのアッパレ。わたしのことは名字呼びなのに、初対面のコルレットちゃんはファーストネームで呼ぶの? 差別じゃない? 洋モノが好みかい?」

 洋モノ言うな!

「ようもの、なにですか?」

 ほら変な言葉覚えちゃったじゃない!

「アッパレもらこちゃんって呼びなさいよ。コルレットちゃんもそう呼んでくれてるんだから!」

「えぇ……」

 たしかにコルレットさんのことは名前で自然に呼んでいた。名字は知らないというのもあるけど、不公平と言われればそんな気がする。

 とはいえ、さすがにらこちゃんとは呼べないが。


「じゃあ、桜子、さん」

「むー」

 うなって三秒。

 目を閉じて、口元をうにうにさせる。しっかり味わうように。

 にっと、笑顔になる。


「C’est pas vrai!」

 満足そうで何よりである。たぶん使い方微妙に違うと思うけど。


 コルレットさんも微笑みを浮かべてうなずく。

「で、ようもの、なにですか?」

「ところでコルレットさん、改めて確認するけど、入部ってことでいいんだよね」

 強引に話を変える。

 一応、はっきり確認はしておくべきだと思ったのだ。

 しかし、


「Ohlala……そう……です、ねぇ……」

 妙に、歯切れが悪い。

 穂村さんとのやり取りの中ではあるが肯定してくれてたし、るろうに剣心好きだし、絶対二つ返事だと思ってたのに――え? これって、大丈夫?


「ええっと、それは――やっぱり入りたくない、ということ?」

nonノン! いや、はいりたいきもちはあるですけど……ええっと、いえのひとにきいてみないと――」

 携帯の着信音が鳴る。

 コルレットさんが弾けたように飛び跳ね、鞄からスマホを取り出す。


「もしもし、はいコルレットです。いえいえぜんぜんだいじょぶです!」

 流暢な電話応答だった。

 ただ、さっきるろ剣について語っていたのとは違う。

 表情が硬い。言葉もスムーズだが、録音した内容を繰り返してるみたいだ。


「ねー、だれだれ?」

 ダメな時にあえて出てくる天性のKY、秋水さんである。電話にかお寄せてしゃべったら聞こえるっての。

「なんかまた名字で呼ばれた気がする。桜子さんね。秋水じゃないよ、桜子だよ」

 なんで心の声がわかるんだこの人。


『秋水桜子!』

 電話越しに、女性の甲高い叫び声が聞こえてきた。


『コルレット、あんた秋水桜子のところにいるの! どこ! 今どこにいるの! ああもういい!』

 切られた。

Oh là làオ ラ ラ……」

 スマホを両手で抱えて、コルレットさんは僕と桜子さんを交互に見やる。

 迷子になった子犬みたいに。


「えっと、今のは――」

 ポーン、と場違いに軽快な音がスマホから鳴った。

「ん? 『ちかやまきずなさんが位置情報を確認しました』だって」

 横から見てた桜子さんが読み上げる。

 え、それって親とかが子供の携帯のGPSを補足して、居場所を確認するやつじゃん。


「あ、いた!」

 すぐさま、すごい形相で女子生徒が駆け込んできた。

 背が高い。僕や桜子さんよりも。170センチはゆうに越えているだろう。

 髪も長いが、それを振り乱している。全力で走ってきたのだろう、息も荒く、汗だくで、顔中に乱れた髪が張り付いていた。

 恐い。


「コルレット、帰るよ! ああもう、委員会の緊急招集なんてすっぽかせばよかった!」


 よく見たら風紀委員の黄色い腕章をしている。


「誰? 不審者?」

 刀に手をかけて桜子さんが言う。

 歯に衣着せて!

「誰が不審者よ! 私は、この子のホストファミリー。この子、まだ日本のことよく知らないし、ちっちゃくてかわいいでしょ? 何かあったら大変。あんたたち、コルレットに変なことしようとしてたら、承知しないからね」

「きずなちゃん、みんな、いいひとだよ」

「ああ、コルレットは優しいなぁ。でもね、悲しいけど世の中にはあなたみたいな人ばかりじゃないの。委員会の連絡では、刃物で人質とって逃げようとした人がいたみたい。ああ、恐ろしい。コルレットもなるべく私から離れないようにしてね」


 それ、うちじゃん。

 でも、幸いこの人は現場には居合わせなかったようだ。そういえば穂村さんが安藤先生を探すように連絡飛ばしていたし、ほかにも委員の人がいたのだろう。ていうか風紀委員どんだけ多いんだよ。


 桜子さんがポンと手を打つ。

「あ、それわたしのことだね」

 言うなよ!

「は? あ、あんたね! 秋水桜子! 風紀委員のレッドリストのSクラスの要注意人物! うちのコルレットをどうするつもり?」

「いやまあちょっと人質に――」

「あの!」


 白状しかけたところを、慌てて遮る。

 キッとにらまれた。穂村さんとは違う、剥き出しの敵意。風紀委員ってこういう人ばかりなの?

「なんですか?」


 しまった。桜子さんの発言をカットすることばかり考えていて、質問まで用意していなかった。


「えっと――る、るろうに剣心は、好きですか?」

「るろうに?」


 苦し紛れの質問だったが、彼女は一応考えて、

「ああ、佐藤健の時代劇? ファンの子がクラスがいたけど、私は特に。で、それが?」

「いやぁ、技の冴えがいいんじゃないかなぁ、と思ったりして」

 露骨に顔をしかめられる。

「技ぁ? あの、女の子にする質問ですかそれ? コミュ障ですか?」

 ひどい言われようだった。

 自分でもひどい質問だったと思うけど。

 面と向かって否定されるとショックだ。


「もう行こうコルレット。ここはあなたには必要ない場所よ」

Oh là làオ ラ ラ……」

 何か言いたげなコルレットさんを強引に引っ張って、去っていった。


「家の人、か」

 たぶんあの子のことだろう。

 あの様子だと、コルレットさんのるろ剣愛は知らないのだろう。いや、言い出せないのか。

「ねえアッパレ、コルレットちゃんどうすんの?」

「どうもこうも、本人に入部の意志がなければ――」

「意志はあるじゃない。邪魔されてるだけで」

「それはそうだけど……」


 どん、と畳を叩いて立ち上がる。

「よし、助けよう! そしてちゃんと部員にする!」

「えぇ……いやまあ、一応人様の家庭の事情ってやつだし――て、何持ってるの?」

「うん?」

 桜子さんは自分の手を見やる。

 コルレットさんのスマホを持ったままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る