第10例目『檻薪熾火(おりまきおきび)のチャンネル選び』
絆という言葉の意味を知った時、吐き気がした。
馬や犬といった動物、家畜を繋ぎ止めておくための綱。
これをみんなはありがたく、家族の絆、友情の絆、地域の絆なんて言ってありがたく錆びないように磨いて、掘り出してその言葉を使いたがる。
夏頃、徹夜で夜通しやっているチャリティー番組で『絆』がテーマに上がってくると、いよいよ目眩がしてくるのだ。
そんな言葉がみんな好きなのか、なにかに所属していると、無条件でそこの人間や、価値観をありがたく共有しないといけないような雰囲気が、少なくても私の周りには蔓延しているように見えて、結局高校2年になるまではその感覚に馴染めなかった。
まぁ絆なんてワードは私のその価値観を肯定するための材料の一つにしか過ぎないんだけど、少なくとも文化祭や体育祭といったギリギリ関連できる行事に、絆なんて言葉を持ち込まれると頭を抱えたくなる。
そんな私が少数派なのはわかっていて、声を大にして「絆っていうのは本当はこういう意味なんだよ、縛られるんだよ」なんて話したところで、人は「えー、結束できたほうが良いじゃん」なんていって耳を貸してくれないことは火を見るより明らかだ。
だからそのみんな大好きな絆を100歩譲って薄めて解釈すると、ようやく私を放っておいてくれる、つまり不干渉でそれほど興味を持ってくれない距離感の彼女との電話ぐらいに落ち着くのだ。
私は不登校で週の半分は学校に行っていないのは、どうもその辺に原因があるんじゃないかと思うようになってきたのだ。
『で、今日もそんな事考えてたわけ?』
「しょうがないじゃん。そういう病気なんだもん」
『病気って。別に心療内科に行ったわけでもあるまいし』
「まあね。でも休み時間に一緒にトイレに誘ってくるとかすらマジムリだし」
『それは、まぁ同意』
平日のど真ん中の23時過ぎ。
LINE通話で私の愚痴に付き合ってくれる各務原日翔麻(かがみはらひとま)。学校で唯一といっていい『私が話してもいいと思っている人間』だ。
話が始まって一時間。もう何からこの話題にたどり着いたのかは全く覚えていない。
友達未満赤の他人以上。それでも”友達らしく”お互いにひとまん、おっきーと呼び合っている。うん、私にはこの辺が人間づきあいの限界。
それにひとまんも不登校だから学校で会う機会もかなり少ない。
それも私が話したい時に気楽に話せる要因なんだと思う。
やたらと縄張りや絆を作りたい彼らの情報量は、私には荷が重いのだ。
だから週に2回ぐらいのLINE通話がちょうどいい。
「ひとまんは今日は学校に行ったの?」
『昼から行った。数学の単元進んでてわけがわからなかった。補習確定だね』
「数学は継続しないと無理だからな―。不登校組の私たちは補習必須だね」
『あ、そういえば、』
「なに?」
ひとまんのテンションがちょっと上がる。
『おっきーってアレ好きでしょ。なんだっけか、声優のアイドルみたいなやつ』
「あー、まぁね」
オタクっていうかライトオタクっていうか、昔からそういうのは好きで貯めたお小遣いでCDを買って家で聞くことがある。
『クラスの誰かがその握手会に行ったって話ししてた。おっきーは行かないの? そういうの』
「うーん。まぁ気持ちは行きたい。でも無理」
『あーね。おっきーらしいか』
なにせ情報量が多すぎる。
それに、
「そういうのに行くと、がんばってください! とか声かけないといけないじゃん。目の動きや口の動き、表情みて会話もしないといけない。しんどい」
『好きな声優さんでも?』
「多分無理。カンペ持っていって顔みないでいいならワンチャン」
『意味ないじゃん』
「だから無理」
『おっきー、ホント人と話すの苦手だよね。知ってるけどさ』
無理なのだ。
一秒ごとに変わる表情、声音、仕草、雰囲気。
それらを読み取って言葉を選んで投げかける。
それを10秒も繰り返すなんて、私のメモリには負担が多すぎるのだ。
苦手だし、疲れるし、何より相手を不快にさせてないかすごく心配してしまう。
私が”人間というチャンネル”を見るには生まれてくる時代がおそすぎたのだ。
まだ白黒程度ならがんばれたかもしれない。
だけど今はSNSやネットのブーストがかかってどうやら人類の解像度がどーんと上がってしまった。
そんな毛穴の一つ一つまで見えてしまう私には、このチャンネルはエンドコンテンツ過ぎてあと50年は触ることが出来ないのだ。
バグっているとしたら、チャンネルの選択権がなく、神様がチャンネル変更のスイッチを壊れたリモコンを治し忘れて私に預けたことだろう。神様は万能かと思いきや、時々アホみたいな設定ミスをする。
「人っていうか、私が苦手な人が多すぎるってだけで、実際ひとまんとはリアルであっても話せるじゃん」
『それは私も同類だからでしょ』
「それは、そう、なんだけど。でもしょうがないじゃん。だって嫌なんだもん」
ひとまんは解像度で言ったらキレイな白黒ぐらいだ。
動きもなくて気を使わなくて良い。優秀なbotっていう感じだ。
『ま、無理強いはしないけどね。そういえばそろそろ三年生に向けての進路調査もあるみたいだよ。日程決まってないけど』
「げ、めんどう」
『三者面談もあるからねー。ほんとダルい。私はどうしようかなぁ』
「ひとまんは進学?」
『まさか。出来るとでも? ……まぁ特にお父さんはそう言ってるけどね。安定安心の進学就職結婚のフルコースをご所望みたい』
「吐き気するわー」
『それは私も。せめて進学で留めておきたい』
「卒業は?」
『八年目で考えたいと思います』
「図太いなぁ」
『もしも宝くじがあたったら、って話ぐらい意味ないよ。お父さんが絶対に許してくれないし』
「8年在学はひとまんのお父さんでも許してくれないと思う」
『確かに』
ひとまんが『確かに』しか言わなくなったらそろそろ終わりの合図だ。ここまで付き合ってくれると本当に助かる。今にも千切れそうで、むしろ日毎に遠ざかるぐらいの感情でも絆と呼んで良いのなら、私とひとまんは大親友だろう。
「明日は学校行こうかな」
『私は行かない。一時間も夜更かししたからダルくなった』
ほんと、ひとまんのこういうところは大好きだ。
こうやってどんどん薄めて遠ざけて、もっともっとモノクロの関係にしていきたい。ひとまんとの情報量はどれだけ減らしてもきっと偽りの絆で繋がれそうな気がする。
そうやって神様が設定ミスしたチャンネルを強引に変えることができれば、いよいよ私の勝ちだ。
「私も休もうかな。そしたら朝からダラダラ電話しない?」
『お父さんが仕事に行って、お母さんもパートにでかけたらいいよ』
やった。
「よしじゃあ私も寝ようかな。運がよかったら明日LINEで」
『誘っておいてそれかよ! うん、分かった』
そうしてすぐに通話は切れる。
70分だった。
きっとひとまんの中のおっきーチャンネルの限界がこの辺なんだろう。
「さーて。8時間は寝たいな」
私はスマホでアラームをセットする。
なにげに検索でもう一度『絆』の意味を調べてみた。
「あー、やっぱ無理だわ。…………でも悪くないかも」
社会に不向きな青春たち あお @Thanatos_ao
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