第8例目『筆とCDとシャボン玉』
二筆(にふで)からLINEが届いた。いつもはパチンコで負けただの金を貸してくれだの、道で出会った猫が可愛かっただの、どうでも良いことばかりを送ってくるので、既読だけつけてスルーしてるんだけど「今ネットが使えなくて編集に原稿が送れない。締切が近いから直接届けてほしい」と連絡が入った。
さすがに冗談ではなさそうだった。ただ「自分で行けば?」と聞こう思ったが、やつは最近岐阜から上京してきたばかりで、でよく電車を間違える。それこそ原稿を落としてしまったら目も当てられないし、俺だって寝覚めが悪い。俺の家からもそう遠くは無いし、しょうがないので「わかったよ」と返信して彼女の部屋へと向かった。
そんなわけで俺は今やつので部屋で、預かる原稿が出来上がるのを待っている。書ききってはいるので、あとはこれを保存媒体に保存するだけらしい。ただこいつはパソコンが苦手なので少々不安だ。聞けばタイピングもホームポジションではなく北斗打ちらしいし。速筆で有名なのにマジかよ、といつも思う。
彼女は外出時、腰まである黒髪に黒い浴衣、黒い雪駄に黒い番傘と全身黒ずくめ。だから白足袋がワンポイントになって映えるんだけど、もうひとつ。
「お前、家の中ではマスクしてないのな」
格好こそ同じだが、唯一そこだけが違った。
「うん。別に必要ないし」
「この部屋、結構空気悪いぞ? あまり換気されてないみたいだし」
「別にそういうのじゃないからさ、あれは」
「マスクキャラとか?」
「そんな感じ」
「へえ」
こっちを見てそう言う彼女の口元を、もしかしたら初めて見たかもしれない。
目鼻立ちからして、美顔というのは解っていたが、こんなに顔がいい女だとは思わなかった。マスク無いほうが美人じゃん、って言いたかったが、多分こいつは喜ばない。だから逆に突っ込むことにした。
「なんでマスクキャラ?」
瞬間、表情に陰りが見えた気がしたが、すぐに、
「なんだろう。自己防衛かな」
「心理的に落ち着く、みたいな?」
「有り体に言えばそう。あたしはこう見えて人に”見られてる”ってのが好きじゃないんだよな」
「これほど奇抜な格好のやつっていないぞ」
「半分は趣味みたいなものだからな。だから、街に出れば好きを貫き通すにしても、好奇の視線は向けられる。そういうのも苦手なんだ。でもこの格好があたしには必要だ。だからマスクをつけて顔を隠して、匿名性を得たつもりになって視線を避けているつもりになっている」
難儀なやつだ、とちょっと思った。
「普通の服を着るってのは?」
「あたしもあんたも作家だ。だけど完璧じゃない。いつだって書けなくなって消えてしまう可能性がつきまとう。だから弱気な自分を鼓舞するために、この格好をしている。好きな格好で好きな仕事に向かうための戦闘服なんだ。これを着ることであたしはギリギリ作家として振る舞える。だからこの格好はどんなに変わり者と言われようと、どんに頭がおかしいと言われようと貫き通したいと思っている」
「だからマスクをつけてその他大勢に溶け込んで、自分は誰にも見られていない、期待もされていないと思いたいわけなのか? ますます難儀なやつだ」
「意外に思ったか? あたしはこの程度のちっぽけな人間だよ。変わった格好で、おかしなことを言って、変人ぶって、それでいてある程度結果を残せてるから、周りからは一定の評価を貰えている。でもこれはあたしの中ではギリギリなんだ」
速筆で有名。
奇抜で大胆なアイディアが散りばめられた作品。
一度見たら忘れない格好。
軽妙な喋り口。
どれもこれも二筆流(にふでながれ)という作家を構成する独特のパーツは、そんな薄氷の上に成り立っていたものだったのか。わずか18歳にしてその人生観は凄まじいとすら思った。俺より2つ上とは思えないほどに。
だからこそ少しだけ踏み込みたくなった。
「昔からそうだったのか?」
「少なくとも作家を目指した辺りからは」
声のトーンは変わらない。気分を概して無い方にかけて俺は続ける。
「いや、もっと前。小学校とかそれより前とか」
「ロリコンだったの?」
「ちげーよ」
「だよな。だってお前さっきからあたしの顔ばっかりみてるもんな」
「――なっ!」
「いいっていいって。結構いい顔だろ?」
「自分で言うかな」
「原稿届けてくれるサービスだよ」
「だからそんなんじゃないって。で、いつからそうだったんだよ」
「幼稚園からこの格好が出来てたらある意味幸せだったかもしれないけど、残念普通の美少女だったよ」
「また自分で言う」
「確か小学校低学年の頃だったかな。親が忙しくて全然かまってもらえなかった。その時は本や小説には興味がなくて外で駆け回って遊ぶタイプだった」
「全然想像できないな」
「だろ。人って変わるものだよ。それで、近くに公園があったから毎日学校が終わるとそこで遊んでたんだ。ただ親が転勤族で友達もいないから、ひとしきり遊具で遊び尽くしたあと、親にシャボン玉を買ってもらったんだ。それを作って毎日一人で滑り台の上から飛ばしてたよ」
「聞いてるとだんだん切なくなってくるな……」
「別にあたしはそうは思わなかったよ。シャボン玉ってさ膨らましてる時何が見える?」
「何って……別になにも見えないだろ。膨らむ様子は視界に入るかもしれないけど」
「そうだな。今はそうだ。あたしらには多分等しくそう見えるはずだ。でも子供って顔が小さいだろ? それで徐々に膨らむシャボン玉に周りの景色が写ってすげーキレイに見えたんだよ。それまでは砂の城を作っても滑り台を駆け上がっても見える景色って一緒だったのに、シャボン玉はその時の出来栄えで見える世界が全然違う。それが面白くて毎日作った液体がなくなるまで飛ばし続けてた。その時は世界はこんなに風にみえて、そしてどこまで行けるんだなって、思った。青空に舞い上がっていくそれを見てたら、絶対毎日楽しいんだなろうなって。
だからあたしは一人でも寂しくなかったし、転校して友達が出来なくても、きっと訪れるシャボン色の未来を信じて生きていけた。……でも大人になるにつれて、そんなことは無いんだな、って思い始めたよ」
二筆は俺に向かってブラックの缶コーヒーを投げてきた。
もう少し付き合ってくれってことか。缶を開けて一口飲んで、一息つく。それを合図に彼女は続ける。
「お前にもわかると思うけどさ、ちょっとずつ歳を取ると、何をどのぐらいやれば、どのぐらいの結果になるってある程度予測出来るようになってくるだろ?」
「そうだな」
「子供の頃、シャボン玉に見た壮大な夢や妄想も、三年も経てば可愛いものっていう笑い話にすらなるんだ。大きく写った街の向こうには何があるんだろう? 走っている電車の車掌になりたいな、そんな子供の夢なんて簡単に推し量れるようになる。街の隣は何ら変わりのない、同じような隣街だし、車掌だって簡単になれるものじゃない。――今だからわかるけど、当時のあたしはそれぐらい純粋に世界を見る子供だったよ」
そしてようやく二筆もコーヒーに口をつける。
一気に飲むと二本目を開ける。それはどこか過去の話に対する照れ隠しのようだ。
俺から振った話だったが、ここまで話させてしまってよかったのだろうか? と思ってしまう。だけど俺は彼女の話に惹かれていた。その理由は、作家として俺には遠く及ばない存在だと思っていたのに、そんな彼女は実はどこにでもいる女の子で、人並みの悩みや子供らしさを持っていたことで発生したギャップがそう思わせたのだろう。
「だから作家になったのか?」
「多分そうだろうな。小学校の六年生になれば、三年前のあたしの考えは荒唐無稽そのものだったし、中三になれば小六のあたしはなんて夢見がちなお花畑少女だったんだ、とため息が出る……だけどどこかでシャボン玉に見た夢や妄想を手放したくなかったんだろうな。その結果が今ってんなら、まだ一つぐらいは割れずに今も青空を登り続けているんだろうな。だからあたしはそれを守るために浴衣だって着るし、マスクも付ける」
清々しく笑い、白い歯を見せて笑う二筆から陰りは消えている。そして思う。ここまで自分と戦い続けることができるこいつは、どうりで強いはずだ。俺みたいにいちいち売上やネットの反応を気にして、周りばかり見て、ともすれば好きな作家という仕事についているにも関わらず、他人の人生を歩みそうになる時もある。そんな俺とは心構えが違うのだ。
やっぱり二筆流はすごいやつだ。
「とまあ、あたしの話はおしまいだ。二筆流大先生を倒せそうなヒントは見つかったかい? あさの玲二先生」
「いや、まあ、なんていうかすごい話だったよ。うん、そうだな。お前がすごいやつってことはわかったよ。あとは、そうだな、」
「無理しなくていいさ。別に同情して欲しいわけでもないし」
それから二筆はパソコンの光学ドライブからCD-Rを取り出す。
「ケースは持ってないからそのへんの紙で包んで持っていってくれ」
「今どき珍しいな。USBメモリとか持ってないのか?」
「あるよ。バックアップ用に普段はそっちを使ってる。でも編集に持っていく場合は絶対にに焼いていく」
「なにか理由があるのか?」
すると二筆はCD-Rのラベルの逆側を俺に見せた。角度を変えるとその都度輝きが変わる。
「構造色って知ってるか?」
「いや」
「それ自身に色はついてないけど、光の干渉で色づいて見える現象さ。身近な例だとこのCDやシャボン玉がそうなんだ。だからまだ割れてないかもしれない、たった一つの作家っていうシャボン玉に、あたしはCDをいつもなぞらえてるんだ。簡単に言えば願掛けだな」
二筆からCD-Rを受け取ると、落ちていたチラシを手に取り包を作って中に入れる。
「じゃあ、頼む。締め切り今日中なんだよ。助かる」
「必ず渡すよ」
コーヒーの礼を言うと俺は玄関に向かう。
二筆も見送りで付いて来た。
「なあ二筆。最後に一ついいか?」
「何だ? レアな美顔をスマホに収めたいのか?」
それはそれで嬉しい申し出だったが、
「なんでネット止まったんだ?」
「口座の残高が足りなかったんだよ」
「どうしてさ」
「そりゃ、お前。パチンコに負けたからだよ」
「バカなのか?」
「頼まれついでにもう一ついいか?」
「絶対に断る」
「金、貸してくれ」
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