第25話

「香取先輩、早とちりしちゃったって。」


「あ、なんで言うかなぁ、人の呟きを。」


「昼間の仕返しですよ。」


買い出しの荷物を抱え、ぞろぞろとキッチンへ運び入れる。先輩と俺の様子を慈円先輩が微笑ましそうに振り返った。


「安藤君、だいぶサークルに慣れたな。」


「えっ、いや、はい。」


「あれだけ通いつめて来たらそうなるよね!」


冷蔵庫の野菜入れを引き開けながら茂手木が言った。余計なことを。


「やかましい。

そういえば甲本先輩の弟さん、俺らと同じ学校なんだって?」


屈んでいる茂手木にそう声をかけると、丸くした目で見上げてきた。


「その話、僕が安藤くんにしたと思うけど。」


「え、いつ?」


買い物袋から次々に茂手木の手へ野菜を渡していく。次々に仕舞いながら茂手木は記憶を辿る顔つきをした。


「春祭のすぐ後ぐらいかな。慈円先輩とたまたまその話になったとき、安藤くんもいたはず。」


「いたねぇ。」


慈円先輩がゆったり頷くのを見て手が止まった。


「そうだっけ。」


「そうだよ、君、また僕の話聞いてなかったろ。」


茂手木が俺の右手からにんじんをわざとらしく奪い取った。


「そんなこた無いけど。」


心外だ。どちらかと言えば肝心な時に言葉が足らないのは茂手木の方なのに。

しかし本当にまるで記憶にない。

困惑する俺に、慈円先輩が保冷バッグを手渡してきた。


「あの時、ずいぶん熱中して読んでたね。あれなんの本だったの。」


言われてみれば春祭の前後は慣れない課題がやたらと重なり、手当たり次第の資料を読み漁ってはひたすらレポートをまとめ続けていた。


「確か文学史 Ⅰ の小レポートがあったんだと思います。作品の内容を時代背景と照らし合わせて考察して…っていう。」


「4号棟の隅っこでやってる講義だろ。よくとったな、出席厳しいのに。」


茂手木の頭上に手を伸ばし、甲本先輩が冷蔵庫の扉を開けた。俺は保冷バッグに手を突っ込み、冷えた空気の中から魚を手渡す。今晩は焼き魚か。


「でも講義内容は面白いですよ。たまに同じ話繰り返し聞かされますけど。」


やかんに水を汲みながら香取先輩はげんなりした声を出した。


「あのじいちゃんの話よく聞いてられんね。俺、一回だけ章に付き合って潜り込んだことあるけど、ほとんど何言ってるか分かんなくて寝てたもん。」


「お前が勝手についてきたんだろ。確かにじいちゃん先生は知識の幅が広くて、文学史に社会史、美術史科学史…出来事の点と点がつながる感覚が面白いよな。

ただ…」


そう、ただ。


「「聞こえねぇ。」」


俺たちの重なった声を聞いて慈円先輩が声を上げて笑った。


「確かにね。あのサイズの教室じゃないと、マイクがあっても声が届かない。」


「で、香取先輩は寝ちゃったんですね…。

でも、そんなに面白いなら興味あるな。こんど僕も安藤くんについていこうかな。」


冷凍庫をあらかた片付け、茂手木はエコバッグを丁寧に畳んだ。


「俺の隣で寝るなよ。」


「うん、タブンネ。」


頼りない返事に鼻白み、保冷用にビニール詰めされた氷欠片をバッグの底から取り出して茂手木の頭に乗せた。


「つめたっ、ちょっと。」


「それでレポートの評価は?」


甲本先輩は上から氷の袋を茂手木からどかしてやり、調理台にいる香取先輩へぶん投げた。ナイスキャッチ。


「あぁ、Aです。締め切り間に合ったんで。」


「ほー、そうか。」


何故かにんまりした先輩の顔を見て、またしても嫌な予感が背中に過った。


「そんな安藤には文化祭で文芸誌を手伝ってもらうことにしました!」


「はっ!?」「え、」「そうか。」


慈円先輩の飲みこみの早さが尋常じゃない。本人より先に納得しないでほしい。俺と茂手木は素っ頓狂な声を上げてしまった。

しかし、香取先輩が一拍空けて放った言葉もおかしなものだった。


「ずるい!」


「ん…?なんて?」


「ずるい!俺だってカメラの布教したいのに!掃除してる間にでも誘ったんだろ!」


「いや誘われてないです。」


「そんなこと言ったら僕だって秋のスイーツレシピ、一緒に作ってほしい!作ろうよ!」


「無理だろ。俺だぞ。」


「えっと、じゃあ俺も、写経とか、一緒にやりたいかな。」


「先輩まで合わせなくていいです。というか!」


続けて取り出した肉のパックを、冷蔵庫の前で待ち構える甲本先輩に押し付けた。


「小説書くなんて出来ないですよ。読書だって、ほんとに必要最低限なのに。」


「なにも小説とは言ってないぞ。エッセイだって構わない。作文なら書いたことあるだろ。」


「それとは次元が違うでしょ。」


「そうか?まぁそうだけど、そんなことないけどなぁ。」


どっちだ。

肉のパックをどんどん渡していく。どれだけ買ったんだ。


「これ片付け終わったら、皆で考えよう。」


ね、と微笑みかける慈円先輩の手にはスイカが握られている。抱えているのではなく、本当に握るように片手で鷲掴んでいる。おかげで通常サイズのはずが小さく見えてしまい、まじまじと見つめているとその視線に気付いた先輩に少し申し訳なさそうに言われた。


「ごめん。これは夕飯のデザートだよ。」


そんなに食い意地はってるように見えるか俺は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

第二楽章、アンダンテ 夏生 夕 @KNA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ