LEMON TEA(rs)

多々良

LEMON TEA(rs)

文化祭二日目の放課後、私の心を表すかのようにほのかに朱に染まる空。昼間は常に賑やかだった校舎も今は静かで、私と中庭のセミと夕暮れのカラスだけでこの空のパステルパレットを独占していた。


手に持った手紙を半円の太陽に透かしてみる。中は見えなくても、何を書いたかは一言一句覚えている。小さい子供の宝物のように大事な手紙をそっと胸に抱く。


がちゃりと後ろで静寂を断ち、彼はそこに立っていた。

「どうしたんだ? こんなところに呼び出して」

向き合った彼は私よりも頭一つ背が高くて、犬のようにクリッとした人懐こい目をしている。


「文化祭、終わっちゃったね。こんな世間のせいで準備できる時間も短くて、クラスの企画も当日でギリッギリ完成してさ。まさかあんなに盛況だとは思わなかったけどね。このマスクをつけるようになってから大掛かりなことが何もできなくなって、初対面の人との距離も少しだけ遠くなった」


何を言ってるんだ私は。こんなこと言いたいわけじゃないのに。水中でもがくみたいに思考が虚空を切り、口の上を言葉だけが滑っていく。


「みんなは私が頑張ったって言ってくれるけどそうじゃない。私一人だったら絶対に実行委員に立候補なんてしなかった。だから…その…〇〇がやろうって言ってくれたから今回の文化祭もうまくいったんだと思う」


普段ポンポン軽口が飛び出す彼の口も、まなじりの笑い皺の絶えないその目も、この瞬間ばかりはこっちが笑ってしまいたいほど真剣だ。今こそ一番笑って欲しいのに。


「今更だけど三年間ずっとクラス一緒だったよね。最初の自己紹介が駄々滑りで、あの時はただのうるさいだけの人だと思ってた。デリカシーもないし距離詰めるの下手だし」


けど私はそんな彼が、


「でも、ふざけてるように見えてみんなの顔をちゃんと見てて、私はそんな〇〇に助けられたこともあった。私一人だったら絶対クラスを団結させるなんてできなかったし、最優秀賞も取れなかった。本当にありがとう」


礼をして髪に隠れた顔の裏で奥歯を噛みしめる。ダメだ、違うこんなこと言いたいんじゃない。私は、私は


「大丈夫か? さっきから言ってることがぐるぐるしてる」


私はハッとして顔をあげる。気付かないうちに私は俯いて、跡が付くほど手を握りしめていた。後ろ手に持っている手紙はぐしゃぐしゃだ。


無意識に息を止め、溺れていた私を引き上げたのは、バリトンの彼の短い一言。


「これ」


彼は無造作にペットボトルを突き出す。私が学校の帰りにたまに飲むレモンティーだ。本当に疲れた時、自分へのご褒美の時、そんな特別な日に飲む甘いレモンティーを。


…知っててくれたんだ。


彼は屋上のフェンスに寄りかかって座りペットボトルを開ける。私のと同じレモンティー。そして傍を叩いて座るように示す。


「…」


「…」


全くいつもの彼らしくなく、互いに押し黙った時間が続く。でもそれは決して気まずくはなく、むしろ心地がいい。肩に触れる少しかたい筋肉の付いた彼の腕、ペットボトルを開ける音、少し静かになった蝉の声。


この時間がいつまでも続けばいいのに、それでも空の蒼はその割合を少しずつ広げていく。さっきまでのスポンジみたいな私の言葉よりも、この空気の方がよっぽど気持ちを伝えてくれている気がした。

いつもよりも甘いレモンティーは、私の胸を温めた。


ずっと向こうに小さな朱色と、大きな昏い群青の中に小さな一つの光。星が出ても、私はまだくしゃくしゃの想いを渡せないでいた。そんな私を急かすのは最終下校のチャイム。


でももう大丈夫。手紙を広げて立ち上る。

座ったままの彼の、夜空と同じくらい深い目を直視する。座ったままの彼にまだ皺の残った手紙を差し出す。世界は止まったように静かだ。


「これ、読んで」


差し出した手紙が私の手を離れることはなかった。いつまでたっても彼の手は伸びてこない。顔を上げられなかった。地面に水滴が落ち、初めて私は頬の涙に気付く。手も震えていた。目から溢れた涙も、取り落とした手紙も、私にはもう拾えない。悔しいのか、哀しいのか、それも分からなかった。


「…」


それでも動くしかなくて、差し出した手は戻すしかなくて、顔もあげるしかない。

座った彼は何も言わない。いつもならコロコロ変わる表情も能面のように動かない。友達以上恋人未満の関係を壊してしまったのは私で、さっきまでの心地いい空気を引き裂いたのも私なのだ。


「ごめんね」


自分でもびっくりするぐらいその声は震えて情けなくて。それでも座る彼の返事はなくて。




それどころか動きもなく、風も止まり、音も消えていた。そこまででようやく私は異変に気がつく。


「ねえ…ねえ!」


それでも彼の返事はなかった。中庭に見える時計の秒針はその動きを止めている。校庭の人影も、道路の車も動かない。この時間が続けばなんて願いが、こんな形で叶ってしまうなんて思ってもなかった。


時間が経って(?)冷静になってみると、やはり疑問が浮かんできた。これは私がやったんだろうか? あの瞬間に何かが起きてか反芻しても、なにもわからない。念じたり、ウロウロしたり、叫んでもみたけどなにも変わらない。


彼は私の手紙を受け取るつもりはあったんだろうか? 私が手紙を差し出す前に止まったのか、後に止まったのか、もしかしたらまだチャンスがあるかもしれない。


だが時間が動かないとそれすら確かめることはできない。混乱と期待とで自分でも訳がわからない。いつまでも屋上にいる訳にもいかないからと、階段への扉に入りそれを後ろ手に閉めた時だった。

どっと熱気が押し寄せてきた。少なくともそう感じた。けれど来たのは熱気ではなく騒がしい音の群れだ。それはさっきまで屋上で聞いていた虫や鳥や木々のざわめき。


窓から見た外では、人は動き鳥は飛び、そして彼は屋上で立ち上がってあたふたしていた。


慌てて戻ろうとまた扉を開けると…なるほど、今現在私が屋上に足を踏み入れると時間が止まるらしい。いや、どうして?


どうやら私は自分で思って以上に意気地がないみたい。彼のレモンティーが残っていたからそれで手紙を抑えて、逃げるように帰った。きっと面と向かって渡せても、同じようなことをしただろうな、なんて。


家に帰ってスマホを見たら、LINEで友達申請が来ていた。そういえばまだだったか。友達追加してすぐに最初のメッセージが来た。いいよ、ってそれだけ。私からも軽っ、って一言。それだけで、私が必死に登ろうとした壁は、詰めようとした距離は、なかったものになっていた。緊張しいた私が馬鹿みたいに。〇〇め。


それと、時間が止まった話はしなかった。さすがに信じてもらえないだろうから。常夜灯の淡い光の中で、ペットボトルの底に残ったレモンティーを煽る。


口に残る味は、やっぱり甘い。



どうしようもない発見がいくつかあった。どうしてかわからないけど、私たちは「二人」になることができないらしい。

教室でグループで話すことはできるのに、休み時間に彼のところに話に行くと時間が止まってしまう。電車でも隣の車両なら大丈夫なのに、同じ車両で話ができる距離まで近づくと止まる。

最初は彼にも私のタチの悪いイタズラだと思われたが、実際試しにいくつか物を動かしてやっと信じてもらえた。

私が逆の立場だったら、こんな話受け入れられただろうか。いや、この話はやめよう。そんなわけで私たちの間には、どうしようもない隔たりがあった。


ある休日、私は彼の提案で映画館に来ていた。両隣には全然知らない人が座っている。彼は同じ列の反対側の端にいるらしい。そりゃあたしかにこうすれば二人で楽しめるし、時間も止まらないけど。でも恋愛映画で、離れて座るっていうのもいかがなものかなと思う。というか思っていた。


そう、さっきまでの過去形だ。恋愛モノを見た後の、甘酸っぱい恋に憧れる乙女な私はこのシチュエーションを楽しむ。同じ場内で、距離は離れてるのに同じ画面を、心情を共有してるなんてロマンチックじゃない?


あとは離れていてよかったこともちょっとあった。映画で泣くのはいいけど、隣であんなに男泣きされたらたまったもんじゃないわ。


私たちはこの酷く訳の分からない境遇を楽しめるようになっていった。幸い電話やLINEは問題なく使えたから、計画は二人でじっくり立てた。これも、わくわくだ。


そんな私のお気に入りは、展望台でそれぞれ逆の場所から星を見たこと。

隣で同じものを共有するのも憧れるが、彼から見たらいったいどんな景色に見えるんだろうと想像するのも一つの想いの形だと思う。


逢えなくても互いのことを想い合えるから、私たちの心が離れることはなかった。なんてこんなクサい台詞が言えるのは、これが彼の受け売りだからだ。





あの日からしばらく経った。急に始まった時間が止まるという現象も、私たちが慣れて行くのとともに少しづつ頻度が下がっていき、もう最後にあったのはいつだっただろうか。結局「あれ」は何だったのか、私にも彼にも分からない。でも、この現象のおかげで互いのいろんなところで分かり合えたし、沢山話ができた。


他人と完全にわかり合うことはできない。それでも歩み寄ることはできるし、それをやめたら人は離れていくだけだ。だってさ。私もそう思う。


それと最近わかったのは、彼はダージリンの紅茶にレモン果汁を入れて砂糖は少なめにしたものが好きだということだ。































「おしあわせに」

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