推し、消ゆ。

竹尾 錬二

第1話

 大切な人を喪い、失意の底にあった私に手を差し伸べてくれたのは、一作のWEB小説だった。一息の呼吸すら苦しかったあの頃、私は仕事に行くこともできず、頭まで布団に潜り込んで儚いスマホの明かりに浮かび上がる文字列を只管に追っていた。

 頭の中はネガティブな感情で飽和して、何か物を思う度に居なくなってしまったあの人と、何も出来なかった自分に対する自責の念が、怒ったハリネズミのように心に棘を突き立てて、もう、何も考えたくないと鈍化した諦観に私に飲まれかけていた。

 そんな折に出会ったあの小説は、幼い頃にお母さんが作ったくれた乳粥のように甘く優しく、私の心を慰撫してくれた。行住坐臥に付きまとう世間のしがらみから離れ、ただ物語の世界に没頭することで、私の心は徐々に人間らしい彩を取り戻していった。

 その物語は、泣きたいぐらいに優しいだけではなく、凛然とした美しさと、私とは全く違う解像度で世界を拓く作者の眼差しの鋭さが伺える作品だった。

 

 題名は、『空色のひよこ』。


 その作品を見つけた投稿サイトは、袋のデザインだけが次々と変わるポテトチップスのように、内輪の流行りネタを消費していくばかりの愚にもつかない作品で溢れていたが、私を救った作品は、ジャンクフードのようなテンプレートで形成された心の入らぬ作品とは一線を画してた。

 物語を貫く確固たる芯の差――とでも、言うべきだろうか。

 ワンセンテンスで分かる言葉選びのセンスの良さ。刺激の強いエピソードやキャラクターを並べて読者を牽引するような小説とはまるで違う。『空色のひよこ』は、どこにでも居るような平凡な少女が、ありふれた日常を過ごすだけの物語なのに、彼女の前に現れる世界は喜びと彩りに溢れていて、スマホの画面をスワイプする指が止まらないのだ。

 この美しい世界を綴る作者に、思いを馳せる。

 

 ――多分、私と同じ女性。

 ――作中に登場にする、主人公の少女が子供時代に好きだったアイテムから、多分同年代ぐらい。

 ――主人公がお米を研ぐシーンで「うるかす」という言葉を使っていた。きっと、私と同じ北日本の生まれ。


 作者の「ツユコ」さん――彼女に対する感情の針は、触れ難いものへの崇敬と語りかけたい親近感の間で大きく揺れた。

 最終的には、後者が勝った。

 ありきたりだが、まずは『空色のひよこ』に感想を書く所から始めてみよう。

 そう決意を決めたものの、思い浮かぶ私の言葉は彼女の小説を讃えるのは余りに稚拙で、気恥ずかしくてとてもツユコさんのお目に掛ける気にはならなかった。

 ふと気になって、『空色のひよこ』のこれまでの感想に目を通してみた。

 そして、愕然とした。

 この素晴らしい物語に書かれていた感想は、僅か三件。


「主人公には共感できるけど、もう少し物語に起伏をつけた方がいいと思います」


「結構よく書けているけど、地の文が多すぎて目が滑るので、もっと会話を増やしてテンポ良く進めるといいと思います」


 云々。

 何一つこの作品の素晴らしさを理解していない上から目線の物言いに、目の奥がちかちかする程の怒りを覚えた。感想を書き込んだ人間が、どれだけ御大層な作品を書いているのかと作品覗いてみれば、愚にもつかない異世界ファンタジーである。

 だが、『主人公最強』だの、『チート』『ハーレム』だのの下品なタグがベタベタと張り付いたその浅薄な作品は、『空色のひよこ』より十倍以上の評価を得ていたのだ。

 この世には、何て見る目が無い人間に溢れているのだろう。私はそいつの作品の全てに最低の評価をつけて即座にアカウントブロックをした。

 

 軽佻浮薄な作品が五桁の評価を受けて次々と書籍化のオファーを受けていく中で、『空色のひよこ』の評価は僅か三桁に過ぎなかった。

 作者も読者も俗物で溢れていて、『空色のひよこ』が本物の作品であることに気付くことが出来る人間は、きっと一握りに過ぎないのだ。

 私は、衆愚の目を覚まし、ツユコさんの作品の素晴らしさを広めることが、自分の義務なのだとはっきりと自覚した。


 その晩、私は徹夜して感想を書いた。幾度も幾度も書き直し、私の筆力の限りを尽くして『空色のひよこ』が如何に素晴らしい作品であるかを讃えた。私が精神的に参っていた時、この作品を読んで救われたこと、今社会復帰できているのは、全て作者のツユコさんのお陰であること……そんな、思いの限りを書き尽くした。

 感想は、三千文字近くになってしまったと思う。学生時代にラブレターを出した時も、これ程の緊張はしなかっただろう。祈るような気持ちで、送信ボタンを押した。


 ツユコさんからの返事は、来るだろうか。来ないだろうか。

 その日は胸のときめきが収まらず、十分毎にリロードをしながら一日を過ごした。

 果たして、ツユコさんからの返事は来た。夜の十時近くになっていた。


『大変ご丁寧なご感想をありがとうございます。これ程のお褒めの言葉を賜ったのは初めてで、嬉しさと戸惑いで返信が遅くなってしまいました。どうぞ御寛恕下さい――』


 私の想像していた通りの丁寧な物腰で、ツユコさんはこちらが恐縮する程、丁寧にお礼を言ってくれた。

 作品を気に入って貰って嬉しいという旨。

 私が立ち直ったのは、きっと私自身の強さ故だと思うけれど、『空色のひよこ』何かの役に立ったならこの上ない幸福だという旨。

 あれ程の筆力を持ちながら、ツユコさんは吃驚する程腰が低く、丁寧だった。

 ツユコさんは、私なら即削除するような三件の感想にも、不必要なぐらい丁寧な返信をしていた。

 それは紛れもない彼女の美徳だったが、彼女の素晴らしい作品を世に広めるためには、欠点だとも思った。


  ◆


 私は、やがてツユコさんのtwitterアカウントを発見し、DMなどで親密に話をする間柄になった。


TSUYUKO_8759@『クロアザミさん、おはようございます』


 毎朝の挨拶は、私達の日課だ。

 ツユコさんのツイートを見て、にやにやしながら会社に出かけるのが私の毎日だ。

 私という読者を得たことは、ツユコさんのモチベーションの向上にも繋がったようで、『空色のひよこ』は目に見えて更新頻度が増えた。

 私の存在が、この無二の名作を生み出す土壌の一つになっている事は、言葉に出来ない喜びだった。

 毎日『空色のひよこ』の宣伝ツイートをする事は、私の日課である。 

 けれども、私のtwitterアカウントは作ってから日も浅く、フォロワーも少なくかったので大きな宣伝効果は見込めなかった。

 ツユコさんは、そもそもtwitterで作品の紹介をすることも少なかった。

 こんなに素晴らしい作品なのだから、もっと世に宣伝すべきだと、私は何度もツユコさんを説得した。

 だが、彼女は頑として応じなかった。


TSUYUKO_8759@『私には、クロアザミさんのように、作品を理解して下さる方がちゃんといるから大丈夫です』


 私は、煮え切れないツユコさんの態度に、時折苛立ちを感じるようになった。

 素晴らしい作品を作った人間には、それを広める義務がある。それは、作者としての責任ではないだろうか。

 彼女がやらないなら、私がやらなければ、という使命感が胸をちりちりと焦がした。

 何度か、ネットのtwitter批評企画に『空色のひよこ』を他薦したこともあった。

 だが、帰ってきたのはツユコさんの作品の本質をまるで理解せず、トレンドに迎合しているかどうかだけを判じるような粗悪な批評で、私を酷く落胆させた。

 私にも、ツユコさんの作品を理解できる数少ない人間として、まがい物に囚われた人間の目を開く責務があると理解した。


 ツユコさんの作品の素晴らしさを広く理解して貰うためには、矢張り小説の形式が良いだろう。

 私は、その為の執筆に取りかかかった。

 広く読まれるために、ジャンルはトレンドに沿ったものを選んだ。

 下らない大衆に迎合するのは癪に障るが、大事の前の小事と割り切って覚悟を決めた。

 

『魔力0だった私がパーティーを追放された末に、青い鳥を見つけて成り上がるまで』


 己の指がタイプした字面のあまりの頭の悪さに、クラクラとする。

 だが、読まれるためには必要なことなのだと覚悟を決めた。

 主人公のモデルは、『空色のひよこ』の主人公、『幸代さちよ』だ。もじって、サチと名付けた。

 ツユコさんの作品が評価されないのは、ジャンルがトレンドと合致していないからだ。

 それを修正すれば、きっと誰もが夢中になる物語となる。

 私はこの世界で誰よりもツユコさんの作品を愛していると断言できる。

 彼女の文体の妙味を理解しているのは、私だけだ。

 異世界に転生した少女が、パーティーにから追放され、真価を認められて成り上がる――。

 陳腐なストーリーだが、私は主人公のサチに、幸代と、ツユコさんを重ねた。

 ツユコさんを認めなかった連中に、『ざまァ』と言ってやりたかったのだ。

 メインキャラクターは、浅薄な悪役を除いて、主人公の周りの人間は全て『空色のひよこ』の登場人物をモデルにした。

 そして、本当はいけないのだろうが――『空色のひよこ』の素晴らしいテキストを、幾度も幾度もコピペして作中に散りばめて行った。

 ツユコさんの文章を評価して貰うためには、仕方のないことだったのだ。


 執筆を始めて三か月、『魔力0だった私がパーティーを追放された末に、青い鳥を見つけて成り上がるまで』は爆発的な人気を得た。

 忽ち、評価は50000を超えた。日間のPVは一万超を維持していた。

 

『異世界ものらしからぬ本物の文章力』

『何気ない日常シーンでの表現力が半端ない』

『主人公のサチが派手じゃないけど、応援したくなる』


 ツユコさんの文章を各所に散りばめた私の作品は、トレンドに合わせたエンタメでありながら、格調高い文章力を持つ作品として、数々の絶賛を浴びた。

 私は、有頂天になった。

 これが、ツユコさんの浴びるべきだった賞賛なのだ。これが、『空色のひよこ』の素晴らしさなのだ。

 私は、作品人気に乗じて3000を超えるまでに増えていた私のフォロワーに向けて、何度もツユコさんの作品を宣伝した。 

 だが、ツユコさんの作品の評価はそれでも1000に届くか届かないか程度で伸び悩んだ。

 当のツユコさんは、私の苦労も知らずに、


TSUYUKO_8759@『おめでとうございます! クロアザミさんは、すっかり私の届かない人になっちゃいましたね笑』


 そんなツイートを飛ばしてきた。

 イラッとした。

 ツユコさんは、私がツユコさんの劣化コピーに過ぎない事に気付いた筈だ。あれだけ大量に彼女の文章を引用したのだ。気付かない筈がない。

 それとも――私の作品を読みもせずに褒め称えているのだろうか。

 どちらにせよ、彼女の称賛は本心を隠した上辺だけを取り繕ったものには違いあるまい。

 彼女とは気の置けない仲だと思っていた私は、裏切られたような気分になった。


 連載を続ければ続ける程に、作品は高い評価を受けたが、私はツユコさんの態度に対する不信を膨らませていった。

 そして、作品の連載を開始してから五か月目、ついに書籍化のオファーが来たのである。

 twitterでその報告をすると、『空色のひよこ』の劣化コピーで喜んでいた有象無象は、お祭り騒ぎのように喜んだ。

 私は、蔑みの目を以て「書籍化おめでとうございます!」というコメントの群れを見下した。

 許せなかったのは、その中にツユコさんも混じっていたことである。

 身が震える程の怒りと屈辱を感じ、私は貯め込んだ思いを、私を賞賛するツユコさんのツイートのリプライに叩きつけた。

 

Blackthistle@『何がおめでとう、ですか? ツユコさん、あなた、ずっと私の事を笑ってましたよね』


TSUYUKO_8759@『あの、何の事でしょう……? 何かお気に障る事を申しましたか?』


Blackthistle@『貴方はずっと、下らない異世界転生なんて書いて、馬鹿相手にウケを狙う私の事を見下して笑ったましたよね。私は、貴方から見れば、さぞや滑稽なピエロだったのでしょうね』


TSUYUKO_8759@『クロアザミさん、穿ち過ぎです! 私はいつも、私には書けない作品を書かれる貴方を羨ましく思っていました』


Blackthistle@『嘘です。自分の劣化コピーを見て、嘲笑ってたんじゃないですか?』


 twitterでやり取りをする度、澄ました顔で受け答えをツユコさんを想像し、カッと怒りが燃え上がった。


Blackthistle@『貴方は卑怯です。いつでも私を止められたのに、お高く止まって見下していた』


TSUYUKO_8759@『そんなつもりはありません。わたしはクロアザミさんが私の作品をリスペクトして下さる事を嬉しく思っていました』


 私とツユコさんの会話を読んだ私のフォロワーが、ツユコさんの攻撃に加わった。

 彼らは、私の発言の『貴方は卑怯です』や『見下していた』という刺激的なワードをコンテクストを無視して切り取り、新鋭の人気作家クロアザミを羨んで見下す、マイナー作者ツユコという虚構の対立構造を作り出し、小さな炎上を起こした。

 幾つもの暴言や謝罪を求めるリプライが、ツユコさんのアカウントに流星群のように振りかかかった。

 ざまあみろ、と私は思い、更に過激に過激な言葉でツユコさんを謗った。


Blackthistle@『貴方のそんなお高く止まった態度が、どれだけの人を傷つけてきたか分かりますか? そんな人の心の分からない人には、小説を書く資格はありません』


 ツユコさんを嗜めるためとは云え、少しだけ言い過ぎてしまったかもしれない。

 私は頭に上った血も下りて、冷静さを取り戻した。

 心を落ち着かせるためには、自分の原点に帰るのが一番だ。

 もう何度読んだかも分からない『空色のひよこ』を読み直そうとして、違和感に気付いた。


『該当する小説は、存在しません』


 『空色のひよこ』が――ツユコさんのアカウントが、消失していた。

 訳を尋ねようとツユコさんにtwitterで連絡を取ろうとしたが、彼女はtwitterアカウントすらも消していた。

 何て愚かな事を! こんな些細なすれ違いで、あの名作を永遠に消し去ってしまうなんて!

 私はただ、ツユコさんが自分の傲慢さに気付いて謝ってくれさえすれば、許してあげるつもりだったのに!


 泣きわめき、後追い自殺のように自分の作品もアカウントも全てを完全に消し去った。

 ツユコさんがいなければ、作品も、書籍化の名誉も無用の長物だったのだ。

 

 五回目。これで、懇意にしていた大切な作家さんを喪うのはもう五回目だ。

 どうして、誰も彼も私の前から居なくなってしまうのだろう。

 私は、一体何度傷つかなければならないのだろう。

 この心の穴は、新しい作品を読むことでしか埋められない。

 私は、涙を拭って決意した。


 新しいアカウントを作る。

 広大なWEB小説の海を巡り、讃えるに値する作品を探し求める。

 感想欄に、軽やかに挨拶を書き込む。


『こんにちは。こんな素晴らしい作品を拝読したのは初めてです!』


 終

 






 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

推し、消ゆ。 竹尾 錬二 @orange-kinoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画