第21話 いつもそこは愛で溢れていてー自衛官の名にかけて!【完】
障害物競走が大盛り上がりで終わり、午前の部が終了した。教員に先導されながら真っ白な顔をした父兄たちが退場門に消えた。
「これで午前の競技を終了します。児童の皆さんの集合時間は……」
退場門から戻ってきた父兄たちは、校舎の脇にある水道でジャブジャブと顔を洗った。顔についた小麦粉は偽装のドーランとは違い、水だけできれいに落ちた。
「四季さん、タオルをどうぞ」
「ありがとう」
「一等賞ですね。おめでとうございます」
「最後の飴食いでなんとか追いつけてよかったよ。いやぁ、ここの障害物は侮れなかった」
「あら。いつもより簡単だったでしょうに」
「たしかに訓練と比べると大した障害ではないが、あそこまで地面にピッタリ網を張られるとなぁ。平均台も踏み壊しそうだったし。運動場は滑りやすい。なにより、虫は食っても飴は食ったことないからな」
「まぁ! 虫だなんてっ。うふふふ」
安達たち陸上自衛官からしたら、簡単すぎるが故の難しさがあったようだ。運動場の砂はスニーカーでは踏ん張りがきかないし、地雷捜索はしても小麦粉の中にある飴なんて探したことはない。しかも、唇の感覚だけでそれを探すなどありえない。
「虫なら分かるが、飴を探すのは至難の業だったよ」
「あはは。もう、笑わせないで。さあ、お弁当にしましょう」
「笑わせるつもりはないんだがなぁ」
命令が下されるまで、藪の中に潜む彼らはバッタが鼻先に止まり、何かの弾みで口の中に入っても動じない自信はある。しかし、小麦粉の中にある飴玉を探すのは本当に難しかったのだ。
「すみませーん。どなたか手伝ってもらえませんか」
その時、助けを求める声がした。安達は若菜にタオルを返すとその声の方に向かった。そこには尻餅をついた状態のお爺さんと、心配そうに座り込む体操服姿の少年がいた。
「どうしましたか」
安達が近づくと待っていたというように少年は早口でこう言った。
「じいちゃん、目が回るって」
「なるほど。ちょっと失礼しますよ」
安達はすぐ隣に膝をついておじさんの腕を取り脈を取った。その間、外見の観察を行った。
「気分が悪くなりましたか? 水分はとりましたか?」
「いいや、朝飲んだきりです」
「救急車は必要でしょうか」
「いやいや、そんな。太陽に当てられただけです。ご迷惑をおかけしました。大丈夫です」
「では、日陰に移動しましょう。救護テントで少し休んでください。さあ、背中にどうぞ」
「しかし」
「遠慮なさらずに。わたしは自衛隊の衛生隊で働いています。二、三人は同時に担げますよ」
「おじさんスゲー!」
「君だって大人になったらできるさ。さあ、どうぞ」
安達が背中を向けると、若菜がやってきておじさんの手を取って手伝う。
「この人、私の旦那さんです。本当に力持ちだから心配いりませんよ」
「本当にすみません」
安達はお爺さんを背中に乗せると、ゆっくりと立ち上がった。その隣を心配そうに少年が付き添う。聞けば彼はお爺さんの孫で、今日の運動会では保健係をしているという。
安達が救護テントの椅子にお爺さんを下ろすと、少年はスポーツ飲料をお爺さんに飲ませた。
さっきよりも顔色は少し良くなった気がする。
「ありがとうございました。僕にはじいちゃんを運べなかったから」
少し悔しそうに少年が言う。
「仕方がないさ。小学生が大人を運ぶのは難しいよ。君はきちんと大人を呼んだ。それは自分で運ぶよりも良い選択だった」
「そうなんですか?」
「ああ。無理に動かして怪我をしたり、余計に具合を悪くさせるかもしれないからね。君の行動は素晴らしいものだったよ。おじさんもね、分からない時は誰かに助けを求める」
「え! おじさんみたいに強い人でも?」
「そうだよ。強い弱いは関係ないんだ。目の前の困っている人にとって、いちばん良い方法を探すんだ」
「僕、将来は医者になりたいんです。だから保健係になりました。でも、先生を呼んだり、一緒に保健室に行ったりしかできなくて悔しかった。子どもだから役に立てないと思っていました」
「そんなことないさ。君が声をかけてくれなければ、お爺さんはもっと大変な状態になっていたかもしれない。君はとても役に立ったんだよ。君の判断がお爺さんを救った。大丈夫だ。君は医者になれる」
安達は落ち込む少年の頭に手を置いてそう言った。何も病む必要はない。君が取った行動は大正解だと言いながら。
「ありがとうございます」
「うん。いつか君がおじさんたちを助けてくれると信じている」
「はい!」
◇
「
「お腹空きずきてっから」
「お茶も飲みながらよ。ね?」
おにぎりに唐揚げにと大好きなおかずがいっぱいで、あれもこれもと手が止められない。口いっぱいに押し込んでもぐもぐ忙しい。
「のぞむー、おっきくなったら自衛隊に来いよ。のぞむには素質があるからな」
「おまえ、こんなところで募集かけんじゃねえよ。他の父兄が聞いたらドン引きだぞ」
「わかってるよ。こんなところでは身内にしか言わないってぇ。広報官の名にかけて」
「何が広報官の名にかけてだよ。偵察バイク転がすはずが、自分が転がったくせによ」
「きーさーまー! ひとの失敗ばかり見てやがるとはー」
「消毒薬がしみるって大騒ぎしてたんすよー」
「しみるもんはしみるだろー! 手当が雑すぎるんだよ。怪我人をぞんざいに扱いすぎなんだって」
「はいはい、次からは優しくしますね」
「衛生科はもっと優しくあれ! なあ、のぞむ。お前はこんなふうになるんじゃないぞ。父ちゃんみたいに仏まではならなくていいけどな」
「うんっ」
とにかく賑やかである。
そんな中でも臨は動じることはない。お腹を満たすためにもくもくと食べている。そこがまた自衛官に向いているのかもしれない。
「パパ、おくちあーんして」
「凛が食べさせてくれるのか?」
「うん! おっきお口あーん」
「あーん」
3歳の凛花はもうすっかりお姉さん気取りだ。母親が1歳の守につききっきりだら、父親の世話は自分がしなければならないと思っている。本当は弟の守の世話をしたいけれど、危ないからとさせてもらえないことが多い。そのせいか、凛花はもっぱら安達を相手にお母さん役をしているのだ。
「おいし?」
「美味しいなぁ。父さん、今度は唐揚げが食べたいなぁ」
「あい! どじょ」
お箸はまだ上手に使えないので、フォークでさして口に持っていく。なんでも入りそうなほど大きな口を開けた安達に、凛花は容赦なく唐揚げを押し込んだ。
「うまい!」
「凛花。お父さんにお茶も飲ませてね?」
「パパおちゃちゃ!」
「ありがとう」
ふとあたりを見回すと、そんな家族で溢れていた。突然の演習や派遣で家を長くあけてしまう父親たちは、一緒に過ごせるときは目いっぱい家族孝行をしたいのだ。それを子どもたちもなんとなく感じている。父親がいるときはたくさん甘えたいものだ。
「四季さん、臨、見て。デザートはフルーツたっぷりのゼリーですよ。一等賞の二人にはお母さんからご褒美があります」
「「ご褒美?」」
同時に首を傾げた安達と臨に、若菜はくすりと笑った。この二人、顔はあまり似ていないが性格や行動がとてもよく似ているのだ。
「臨にはホイップクリームをのせてあげまーす」
「まじ! かあちゃんありがとう」
父親に似て、甘い物が大好きだ。
「若菜さん、俺にもあるのか?」
「はい。四季さんには……」
「あー、りんもするー」
「おおうっ」
若菜がゼリーを手渡すときに、安達の頬にキスをした。それをめざとく見つけた凛花がわたしもと反対の頬にキスをした。
臨はゼリーを食べていたので気づいていない。安達の膝の上で末っ子の守が手を叩きながら、ゼリーをぐちゃぐちゃに破壊している。一見カオスな状況ではあるが、そこには愛が溢れていた。
顔を赤くした安達を見ながらケラケラと笑う母娘を皆が暖かく見守っている。
「四季さん」
「うん?」
若菜が安達の口元に小さな唇を近づけてこう言った。
「大好きですよ」
膝の上で末っ子の守が、覚えたてのバンザイを繰り返す。守の指の間から飛び散るゼリーのかけらが安達の頬を濡らした。
「若菜……」
「あらあら守ったら、お父さんのほっぺがキラキラになったわよ」
「こりゃ、まいったな」
世界の情勢が目まぐるしく変わる今だからこそ、安達たち自衛官は思わぬ場面で求められる。それにいつでも答えられるよう、日々過酷な訓練を繰り返している。
ここのいる全ての人々が笑っていられるように。希望を持って生きていけるように、安達はこれからも邁進するのだ、
そう、自衛官の名にかけて。
お茶をしましょう、若菜さん。 佐伯瑠璃(ユーリ) @yuri_fukucho_love
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