チョークスリーパー

あきかん

チョークスリーパーって良いよね

 チョークスリーパーって最高にエモい。


 性癖選手権、今度はマジな性癖を出そうと考えて思い浮かんだのがチョークスリーパーだった。思いかえせば、何度か口に出そうになっては引っ込めていた性癖がこれだ。

 首を締めるという行為にも色々あるわけだが、その中で最もシンプルかつ最高のエモーショナルを発揮するのがチョークスリーパーである。

 似て非なる技としてスリーパーホールドがある。柔道で言うところの裸締めがこれに当たる訳だが、この技は首の頸動脈を締め上げ落とす技だ。これは訓練が必要だし、その分極まれば直ぐに落ちる事もある。それでは駄目なのだ。抵抗がほしい。

 ならば、喉輪ならどうかと言われてもこれも違う。失神プレイという物がある。喉輪で相手を窒息させるそれは、締める側が有利すぎて嫌いだ。そもそも、失神する姿を見て何が面白いと言うのだろうか。そんな事より、私は首の感触を味わいたいのだ。また、上に乗っかり両手で相手の首を締める行為は、余りにも隙が大き過ぎるとも思う。余程の力の差が無ければ腕の関節を取られてマウントポジションを明け渡してしまうだろう。

 それならギロチンチョークはどうか。これもまたチョークスリーパーに比べてエモさに欠ける。腕に体重をかけて気管を塞ぐこの技は、密着度合いがチョークスリーパーにどうしても劣るのだ。また、マウントポジションという体位で行われるこれは性癖と合致しない。これもまた失神プレイが可能であり、そのような不純な事を思い浮かべる可能性すら、首の尊さに失礼というものだ。

 体位の問題である、とするならば袖固めはどうか。語るに値しない。喉の感触を直に確かめたい私にはそんな勿体無い行為は想像すら難しい。

 チキンウィング・フェイスロックの亜種、アスカロックならばどうか。しかしながら、これもエモさに欠ける。片腕を決めながら締め上げるこの技だが、相手の片腕を使えなくするというのが駄目だ。技としては良いかも知れないが、相手の抵抗を抑えてしまうのは技を欠ける方の首への執着を阻害する要因ともなるだろう。

 体位で言えば、フロントチョークを忘れていた。相手の首を脇に抱えて締める技であるが、これはバックドロップへと繋がる事が多い。当然、私もバックドロップを期待してしまうわけで、向き合った状態での絞め技はクリティカルに性癖に刺さらないのだ。

 完全な余談ではあるが、頸椎を狙った絞め技に五輪砕きというものがある。相撲における伝説の決まり手で、生で見ようものならば一生自慢するつもりだが、それは性癖とは違う感動で満たされた物だろう。


 さて、そろそろチョークスリーパーの魅力について語っていきたい。まず、かける際に喉の弾力を最大限楽しめるのが良い。喉仏を狙うのか、それともその下に腕を捩じ込むかで味わいが変わる。喉仏を押し込んでいるのは、喉の塞ぐのでは無く潰す感覚だ。喉仏が対面の喉を突き破ってはくれまいか、と願いながら必死に締める。喉仏の下に捩じ込むのは、まさに相手の喉を塞ぐ事が実感できる。無我夢中で相手の喉を塞ぐ事だけを考えるだけだ。他の思考は必要ない。

 喉の感触というのは独特の物があり、個人的にはおっぱいより数段上だと思っている。しかも男女平等だ。皮膚の下にある僅かな脂肪と喉の気管そのものに触れる感覚。しかも首回りの筋肉や骨まで味わえる。これはもはや人体の全てを貪り尽くしていると言っても過言ではない。恋は相手を欲する感情であるという。ならば、チョークスリーパーこそが恋を体現した行為であると言えるだろう。不純なき恋の形こそチョークスリーパーなのだ。

 ここまでは技をかける側のみに焦点を当ててきたが、スリーパー系の技は関係性が如実に現れるからこそエモいのだ。特にチョークスリーパーが素晴らしい。先に述べたが、チョークスリーパーとは喉を塞ぐことで窒息を狙う技だ。当然、窒息するまでには時間を要する。この時に技をかける方とかけられた方の関係性が鮮明に浮かび上がるのだ。特にチョークスリーパーは素晴らしい。チョークスリーパーとは単純な技だ。誰でもできる。故に、格下が起死回生の逆転技としてかける事もある。この時、かけられた側は必死に抵抗する。腕を取り引き剥がそうとするだろう。肘打ちを喰らわして力を緩めさそうとする。また、壁や床に技を仕掛けた相手をぶつける等、と出来うる限りの抵抗をする。失敗すれば自分が死ぬからだ。逆説的にそれらの抵抗に耐えた者だけがチョークスリーパーを成功させるのだ。だからこそ、チョークスリーパーを仕掛けた側は必死に相手にしがみつく。足を絡め、隙間なく相手に密着し、ただ相手が息絶えるのを祈るのだ。

 だいしゅきホールドというセックスの体位がある。受けが最後まで相手を離さないよう、最後まで相手を受け入れるように足や腕を絡めて絶頂を迎える行為を俗にそう言う。しかしながら、このだいしゅきホールドの必死さはチョークスリーパーのそれに劣る。第一に密着度だ。だいしゅきホールドでも相手の鼓動や脈動が聞こえるほど密着する事は可能であろう。しかしながら、相手を気遣わずに僅かな遊びですら無くす様にしがみつくチョークスリーパーの方が密着度は上である。第二に相手を受け入れると言っても、だいしゅきホールドは気遣った行為を受け入れているに過ぎない。本当にパートナーがやりたい行為を出し切っていると言えるのだろうか。チョークスリーパーはその点が違う。必死の抵抗でなければ振りほどけないそれは、自分の全てをさらけ出さなければ死に体となるだけだ。

 故に、チョークスリーパーとは最高の純愛を体現した行為である。相手の全霊を受け入れた者にだけ成し遂げられるフィニッシュホールドの名を、チョークスリーパーと人は呼ぶのだ。

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チョークスリーパー あきかん @Gomibako

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