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【これまでのあらすじ】

米軍の参戦により、27番地は完全に包囲された。


3万対3千。戦力差は歴然。そのうえ勝利条件は【証人ハウンドを奪還し、証拠品タペストリーを確保して、停戦に持ち込むこと】。


絶望的なまでの不利な状況の中、ニコラスは『三つ目の切り札』の存在を全員に打ち明ける。それは大博打というのも憚られるほどの、奇跡を願うようなものだった。


けれど、27番地はその“奇跡”にすべてを賭け、番狂わせを起こすべく、最後の攻勢に打って出る。


一方、その動きを見ていた元CIA工作員のクルテクは、CIA残党として仕込んだ奥の手を発動する……否、すでに発動させていた。その内容は――。




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれている


●クルテク:元CIA工作員の現役USSA局員。正体はCIA残党としてUSSAの内部工作を担う二重スパイ。


●ローズ・カマーフォード:ニコラスとハウンドの協力者、富豪の娘。上司のテオドール・ファン・デーレンとともに、これまで音信不通になっていた。




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点(11節冒頭)で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

またなぜかオヴェドは名を与えられていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






【2014年4月23日 午前2時48分 日本近海、太平洋】


 事の発端は、ニコラスたちが決戦に向け会議を行っていた頃から、三日前に遡る。


 鼻に入り込んできた海水で、ローズ・カマーフォードはむせ返った。

 せめて呼吸だけは確保しようと首を振るが、相手は容赦がない。


「げほっ。まっ、待って。やめてっ」


 やっとの思いで上げた悲鳴も、怒涛のごとき水流に掻き消されてしまう。水圧で目も開けられない。ローズは必死に藻掻いた。


 意識が遠のき始めた頃だった。


「大丈夫ですか」


 低い声に叩き起こされる。英語だった。


 今しがた、自分をドラム缶にコンクリート詰めした連中の、日本語訛りの強いものではない。

 聞き慣れたカリフォルニア訛りの英語だった。


 ローズが返事をする前に、大きな手がごしごしと乱暴に顔をこすった。


「ミス、大丈夫ですか。息はできていますか?」


「は、はい。なんとか……」


 ようやくローズは目を開けることができた。


 真っ先に目に飛びこんできたのは、勢いよく水を放出する白く太い物体だ。非常消火用の海水汲み上げ式ポンプのホースだ。

 あれで洗われたらしい。


 その時、ぬっと大きな手がまた視界を遮った。先ほど自分の顔をこすっていた手だ。

 目の前にしゃがみこんだこのカリフォルニア訛りの男は、顔をこすっていたのではなく、顔についたセメントを拭おうとしてくれていたらしい。


 ただ軍用グローブに包まれた手である。普通に痛い。

 あまりの痛さにローズが顔を背けると、男はバツが悪そうな声音で手を引っ込めた。


「すみません。だいぶ固まり始めていたので。固まる前なら流水で洗い落とせますから」


「ええ。あともう少し遅かったら、ドリルを使う羽目になっていました。あれ苦手なんです、音が。昔、売れない画家が憂さ晴らしにドリルで人を殺してく映画をみちゃって……」


「あんなB級ホラー観たんですか? クソつまらなかったでしょう」


 男は吹き出したようだった。

 というのも、顔が暗視装置付きのヘルメットとフェイスマスクで覆われていて、表情がほとんど分からなかったのである。


 手足の結束バンドが素早く取り払われ、毛布に包まれる。セメントで荒れた皮膚が海水でしみて痛い。


 とうの昔に感覚が消えた指先で毛布を引っかけ手繰り寄せながら、ローズは相方の姿を探した。

 そしてすぐホッとする。


 テオドール・ファン・デーレンは甲板の端で、すでに治療を受けていた。先に救出されたのだろう。

 ローズは男たちの判断力に感心し、深く感謝した。


 彼は、合衆国安全保障局USSAの工作員に拷問を受けた挙句、五時間も冷たいコンクリートの中に閉じ込められ、甲板で吹き曝しにされていた。


 ほぼ無傷の自分ですら三時間たった頃には寒さで声も上げられなくなっていた。手傷を負っていた彼の消耗は計り知れない。


 テオドールは意識があった。上空にいるヘリのライトの眩しさに目を眇め、顔をわずかに動かしてこちらを見つけると、安堵したように目元を和らげた。

 ローズも自然と笑顔になった。


「ありがとうございます、助かりました。それで、あなたたちはアメリカ人なんですよね……?」


 ローズは周囲の男たち、もとい兵士たちを見回した。


 服の色こそ黒で統一されているが柄が違う。中には私服で、戦闘服ですらない者もいた。靴も顔のフェイスマスクも装備もばらばら。なのになぜか、ヘルメットと暗視装置だけみんなお揃いだった。


 それでもローズが傭兵でも民兵でもなく『兵士』と判断したのは、ひとえに彼らの一縷の隙もない、統率の取れた無駄のない動きからだった。

 素人目でも分かる。あれは間違いなく、群れとして訓練された動きだ。


 ローズの問いに男たちは答えなかった。じっとこちらを見つめ返すだけ。しかしその目の中に、困ったように左右に動くものや、すっと足元に視線を逸らしたものがいくつかあった。


 あってはいるが答えられないのだろう。

 そうローズが察した時、回答してくれた者がいた。


「あまり質問しないでやってくれ。彼らはここにいないことになっている人間でね」


 ローズは、兵士たちの間からひょっこり顔を出した中年男に目を見開いた。


 うだつのあがらなそうな、これといって特徴のない男だ。大量生産品のスーツ姿で、人ごみに放り込んだらあっという間に紛れてしまうだろう。


 工作員、だろうか? けどアメリカの情報機関といえば、USSAしかないはずだが……。


「あまり詮索するもんじゃないよ、お嬢さん。僕らは君らを救出し、本国へ送り届ける。それが仕事だ。それ以上のことは知らなくていい。それに僕らも、他国の軍隊に監視されながらの任務は慣れなくてね」


 中年男は空を指さした。


 ローズもならって頭上を仰ぐと、上空で待機中のヘリよりさらに上に、光がある。

 航空灯だ。確認できるだけで四つある。


「日本ってお気楽な国だねぇ。なんで四機もきてるの。ぜったい見物しに来てる奴いるでしょ。中露の領空侵犯ふえてるこの時期になにやってんの。暇なの?」


「一機は特殊作戦群の機体だそうです。いちおう万が一の際の我々のサポートに待機してくれてたみたいですよ」


「と、いう言い訳で見に来たのね。合同訓練を開催したおぼえはないんだけど」


「ちなみに背後にイージス艦二隻もきてますよ」


「なにやってんの、ほんと」


 中年男が呆れると、返答した兵士は肩をすくめた。


「逆の立場なら私もそうしますよ。光栄なことです。もっとも任務に支障が出ない範囲で留めてほしいところですが」


「あの。あなたたち、もしかして――」


 そこまで言いかけて、ローズは口を噤んだ。中年男と兵士がそろって口元に指を立てたからだ。


「そういうことだ、お嬢さん。君らが帰国するまで我々が護衛しよう。もちろん極秘にね。ホワイトハウスにも内緒だ」


 それはつまり、ここにいる彼ら兵士もアメリカ本土へ潜入(・・)するということ。


 それを悟ったローズは、黙って頷いた。




 ***




 そして現在。2014年4月26日、午後4時52分。


『――というわけで。私たちは“親切な方々”のおかげで、こうして無事帰国することができたんです。ええと、なんと言いますか。なんだかハリウッド映画の撮影に急に巻き込まれたみたいで……私もまだ混乱しているんですけど』


「安心してくれ。俺も混乱してる」


 ニコラスは眉間のしわを指先で伸ばしながら、そう答えた。

 ちらっと横を伺えば、クルテクは「驚くことじゃないだろう」と肩をすくめた。


「現在の米軍でUSSAを最も恨んでる連中は彼らだ。僕が話を持ちかける頃にはもうすべての準備を終えていたよ。僕がやったのは、敵の情報開示と彼らの位置情報を誤魔化したぐらいさ」


「つまりあの『デルタフォース』が、俺たちの味方になってくれるってことか?」


 ニコラスは思わず声を上ずらせた。作戦会議室内の誰かが生唾を飲み込む音がした。


 デルタフォースは米軍、否、世界でみても最強の部隊といっていいだろう。彼らが味方してくれるなら百人力だ。


 しかしクルテクの返答はすこぶる辛口だった。


「味方には違いないが、あまり期待しすぎない方がいい。デルタフォースにかぎらず、米軍の特殊部隊の活躍は、アメリカがこれまで敷いてきた膨大な情報網と豊富な後方支援があってこそのものだ。

 今回の彼らはほぼ単独で、しかもUSSAにバレないよう行動しなければならない。政府や軍に見とがめられてもアウトだ」


「じゃあ妨害工作ぐらいが関の山か」


「少なくとも僕らと肩を並べて戦うってことはないかな。彼らは今、ミス・カマーフォードたちと一緒にバージニアに潜伏中だ。この戦力差じゃ、彼らが辿り着くより僕らが力尽きる方が早いだろうさ」


 それを聞いてニコラスも住民もがっかりした。


 しかし、クルテクは「まあ待て」とばかりに指を振る。


「そう落ち込むな。CIA残党ぼくらの仕込みはそれだけじゃない。ちゃんと他にも手を打ってあるさ。それに、僕らが保護したのはミス・カマーフォードたちだけじゃない」


「ローズ嬢たちだけじゃない?」


 そう言って、ハッと気づいた。それどころか、今の今までそのことを失念していた自分に、怒りと焦りを覚えた。


 対してクルテクは、珍しく失笑も皮肉もなく、穏やかに口元を緩めた。


「その顔を見るに、いちおう気にかけてたみたいだね。安心しな。モーガン一家も、コールマン班の遺族もみんな無事だ。どっちも間一髪だったけどね」




 ***




 同時刻。


「ありがとうございます。本当に助かりました」


 モーガン一家の次男ロジャースは、母エマが丁寧に謝辞を述べる様子を黙って見つめていた。

 それが今の自分にできる唯一の事だろうと思っていた。


 なにせ母の対面に座る二人の男は、自分のような一般人がまず出会うことのない人物だったからだ。

 一人に絞ったってまず会うことはないだろう。


「とんでもない。むしろ感謝するのはこちらの方です。よくここまで無事でいてくださった」


 男の一人、フランス大統領マニュエル・フォルジュは完璧な笑顔で微笑んだ。


 しわ一つない上質そうなスーツに、テカテカ光る革靴、艶のあるネクタイうえでさりげなく光る銀のピン。そしてニコニコと張り付けたような胡散臭い笑顔。

 いつもなら見るだけで腹が類の人物だが、今回ばかりは緊張するばかりだ。


 笑顔一つとっても言い知れぬ圧がある。国民が抱える不平不満を笑顔で押し切った挙句、うやむやにしてしまうような質の悪い強引さを感じる。


 そんなことを考えていると、フランス大統領は隣の男へ目をやった。


「それに礼を言うなら彼に言ってあげてください。今回我々が動けたのも、彼らがもたらしてくれた情報あってのものですから」


「嬉しいお言葉ですが、お気持ちだけ頂戴しておきます。我々は今回なにもしていません。むしろギアナでの軍事演習の最中に部隊をよくぞ派兵してくださった」


 そう言ってもう一人の男、日本首相の阿部信二は眉尻を下げて微笑んだ。


 ロジャースはフランス大統領に感じた緊張とは別種のプレッシャーを感じた。

 外見上は歳にそぐわぬ人懐っこそうな笑みを見せる、温和で陽気な男性だ。だからこそなのか、笑みと笑みの合間に見せる真顔がやけに空恐ろしくみえる。


 何を考えているのか分からない恐怖と不安。そういう意味でこちらの男も落ち着かなかった。


 ――これが政治家ってやつか。


 ロジャースは思いがけず『本物』を目の当たりにして、生唾を飲み込んだ。


 そんな本物(ガチ)の政治家二名の会話は続く。


「救出作戦とあらば一番の精鋭を出すのは当然のことさ、ムッシュー。我が国が誇る外人部隊はそのためにある」


「ええ。実に見事でしたな。羨ましい限りです。我が国の軍は憲法上の理由で色々と制約が多く……自衛隊の方々にはいつも不便をかけばかりだ。彼らにもいつか、ちゃんとした活躍の機会を与えたいのですが」


「それは平和国ならではの贅沢な悩みというものさ。第一、この飛行機だって貴国のものだろう。助かるよ。我が国は以前から『連中』からのマークが厳しくてね」


「足ぐらい用意しますよ。こちらはもともとブラジルから直接サミット会場へ向かう予定でしたから。多少搭乗者が増えたところで問題ありません」


「それはありがたい。――っと、失礼。こっちで勝手に盛り上がってしまった。改めて、あなた方の勇敢さと機転に心から敬意を表します、マダム・モーガン。あれだけの敵に追われてよくぞ無事でおられた。おかげで我々も間に合いました」


「ありがとうございます。息子のおかげです。彼が安全なルートをずっと先導してくれたんです」


 母に視線を向けられ、政治家二名の矛先が向く。

 ロジャースは渇く咥内で舌を絡まないよう、ゆっくり慎重に喋った。


「別に。昔ブロンクスでつけた悪知恵をちょいと働かせただけだ。マナウスも結構狭い路地が多かったからよ。絡んできたチンピラを撒くのと一緒だ」


「そうか。ありがとう、それからすまない。迎えにいくのが遅くなってしまった。君らに怪我がなくてよかったよ」


「それはいいけどよ。なんであんたら俺たちを助けたんだ? さっきの話、聞いた感じ、あんたらもUSSAと敵対してんのか?」


「そうとも言えるし、そうとも言えないですね。USSAはれっきとした国家機関ですから。露骨に敵視なんてしては、外交問題どころか戦争になりかねない」


 日本首相が、典型的な日本人らしい曖昧な返答で濁した。けれど彼は、次の言葉はきっぱり言い切った。


「ですが、その国家機関がいち民間組織に毒されているとなれば話は別です。いいや、ここはもうテロ組織と呼びましょうか。

 皆さんにした仕打ちといい、職権乱用をしているのは明白ですからね。加えてなまじ権限が大きいこともあり、他国に与える影響も決して小さくない。放っておくわけにはいかない」


「そういうことだ。我々をはじめG7加盟国は、アメリカという大国が『双頭の雄鹿』などという得体のしれないウイルスに侵されている状況に強い危機感を抱いている。友人が風邪を引いたら看病するものだろう? 我々は当然の行動をしたまでさ」


 フランス大統領が続けてそう言った。


 政治家というのは、どうしてこう回りくどい言い方が好きなのだろうか。


「要するに、表立って敵対はしねえが、良くは思ってないからこっそり邪魔したり攻撃したりする……ってことか?」


「ちょっとロジャース、オブラート」


 真横の妹グレイスが袖を引っ張った。しかしフランス大統領は声を上げて笑った。


「構わないよ、マドモアゼル。君のお兄さんの言う通りさ。背負うものが多いと、なにかと気を遣うものでね」


「そーかよ。で、俺らに何をしろって? タダで助けてくれたわけじゃないんだろ?」


 そう返すと、妹たちの顔が強張り、母は真剣な面持ちでこちらと政治家二人を見据えた。


 フランス大統領は「ふむ」と一つ頷くと、笑顔を取り去り真顔になった。


「ここは本来『まさか。皆さんはフランスでしばらくのあいだ保護されるだけですよ』と言うところなのだが、君に対してはその返答では不誠実になるな。――単刀直入に言おう。これから我々が参加するG7サミットに、君らにも同行してほしい」


「俺らが?」


 これには流石に声が裏返った。すかさず母が反論に口を開くが、それより先にフランス大統領が首を振る。


「当然、非公式の場でだ。君らが今回のサミットに参加することは、決して口外しない。我が国の威信にかけて誓おう。

 君らには、アメリカ合衆国がUSSAという組織の皮を被ったテロ組織に攻撃されていることの証人になってほしいんだ。各国の首脳が集まるサミットの場で、実際の被害者として生の声を聞かせてほしい」


「G7加盟国の中にはまだ、『双頭の雄鹿』というテロ組織の存在に懐疑的な国も多いんです。我々は数年前からとある情報筋からの情報提供を受けていましたが、正直あなた方が実際に襲われるまで半信半疑でした」


 日本首相は背筋を伸ばし、しっかりアイコンタクトをとりながら続ける。


「それにこう言っては何ですが、情報機関というのは手段を選ばないものです。他国にとっては冷酷極まりない残虐行為であろうと、それが国益に則ったものであるなら、基本介入はしない。『お前の国はどうなんだ』なんて言われたら言い返せませんし、内政干渉にもあたります。

 ですが今回、USSAはあなた方を執拗に追跡し、襲撃した。ただのアメリカ人でしかないあなた方をです。理由があるとすれば、あなた方とニコラス・ウェッブ軍曹との繋がりぐらいなものでしょう」


「そこまで調べてんのか。いや、国を挙げてならそのぐらい訳ないか……」


「はい。一応ではありますが、日本にも優秀な人材はいるんですよ。もちろんフランスにも」


 日本首相は朗らかに微笑んだ。自然とでた笑顔だったらしく、不思議な愛嬌があった。


「そういうわけです。皆さんのことは我々が責任をもってお守りします。そのうえで我々に協力してもらえませんか」


 断る理由などない。というか、断れないだろう。いち民間人の自分らにできることなど限られている。


 それでもちゃんと事情を説明してくれたのは、彼らなりの誠意なのかもしれない。


 ロジャースは最終確認として、母を見た。母は数秒目を合わせると、静かに目を伏せた。


「承知しました。私たちにできることであれば、是非お引き受けします。その代わり、どうか子供たちの安全だけはどうか」


「全員だ」


 ロジャースはそう訂正した。家族が欠けるなんて、もう二度とごめんだ。


「今ここで、俺たち家族全員の身の安全を保障すると約束しろ。でなけりゃ受けねえ」


「もちろんだ、ムシュー」


「我が国とフランス、両国が全力であなた方を守るとお約束します」


 フランス大統領は右手を差し出しながら、日本首相はどこか安堵した様子で大きく頷いた。


 互いに握手を交わし、一息つくと。


「もっとも、実際に守るのはフランスなのですけどね」


「現場の警護だけがすべてではないさ。貴国には我が国ができないことを頼む。最初聞いた時はちょっと嫉妬したんだぞ? うちじゃ絶対にできない情報伝達だ。連中だって絶対に気づけないさ。今晩のディナーのワインセレクト権を賭けてもいい」


「いや、あれは不可抗力と言いますか。狙ってやったわけじゃないんですけど、たまたま話を聞かれてしまったようで……ううん。これバレたら、うちの右翼団体だけじゃなく、オランダ国民とイギリス国民からも石投げられそう」


「そうなったらうちに亡命するといい」


「おや。あなたがうちに亡命するのではなくて?」


「そいつはいい。件の島国より君のとこの方が食事の心配をしなくて済む」


 交渉成立で気が緩んだのか、政治家二人は何やら雑談を始めた。なんの話かさっぱりだが、こうして愚痴を言い合ってる姿は実に人間臭い。


 ――政治家もちゃんと人間なんだな。


 テレビ画面越しにしか見たことのなかったロジャースは、改めて当たり前のことにちょっと感心した。




 ***




 モーガン一家が日本政府専用機でくつろぎ始めた頃。遠く離れたアフリカ大陸の角、ソマリア北部にて。


 『お喋り兎』ことイギリス工作員は、ただただ呆然と立ち尽くしていた。


 何が起こっているのか理解できなかったのである。


『おい、聞いてるか?』


 衛星携帯電話越しに、苛立った様子の上司の声が響く。覇気がないのはこれまでの経緯で疲れ切っているからだろう。


「聞いてはいますが理解できてません。目の前の現状もまだ飲み込めてません」


『お前が入院したのは足の負傷が原因だろう。脳の手術をしたという話は聞いてないが?』


「あなたが私の立場なら同じ反応をしてますよ。ただでさえ襲撃者どもに挟み撃ちにされて詰んだと思ったら、急に見たことない連中が割り込んできて……もうなにがなにやらさっぱりです。おかげで全員無事で済みましたけど」


 男はちらと家畜小屋の方を伺った。


 パメラ、マルグレーテ、『盲目の狼ブラインド・ウルフ』が救助隊に保護され、怪我の有無を確認されていた。もちろん車両に隠れていたマルグレーテの娘たちやお供の狼もだ。


 コールマン班の遺族は全員無事。

 顔にこそ出さなかったが、その事実に男は心底安堵した。


 一方、遠目ながら未亡人三名も、自分と同様呆気に取られているのが見てとれる。

 当然だろう。なにせ戦端が開かれて早々、謎の闖入者どもが敵を掻っ攫い、あっという間に駆逐してしまったのだ。


『そうか。ではもう一度言ってやろう。畏れ多くも我らが女王陛下のお言葉がきっかけで、今回の救出作戦が迅速に行われた。そして現にそれは成功したというわけだ。ありがたい話だろう? 地に伏し感涙に咽び泣くといい』


「立憲君主制ガン無視の政治介入じゃないですか。“君臨すれども統治せず”のモットーはどこへいったんです?」


『救出早々、恩知らずな奴だな。首を刎ねられても知らんぞ』


「我らが女王陛下は彼の国にお住いのお方と違って寛大ですよ。それで、一体どんなからくりを使ったんです?」


 そう返すと、電話口が盛大に震えた。きっと上司が肺を空にするレベルの溜息をついたのだろう。

 理解力がないとでも言いたいのだろうか。つくづく張っ倒したくなる上司である。


『では俺以上に疲労困憊らしいお前ののために、もう少し噛み砕いて説明しよう。

 ――オランダ王室からの警告を受けた我らが女王陛下は、今月予定されていた王太子一家のオーストラリア外遊の安全性を懸念され、内閣へ再度確認するよう要求された。

 で、政府側がその再確認をした結果、現閣僚にUSSAの内通者がいることが発覚し、さらに調べた結果、君らの危機的状況がようやく把握できた。

 それで急遽救助隊を編成し、現場へ急行させ、今に至る。以上だ』


 ――なにが「以上」だ。さっぱり分からんわ。


 内心毒づくが、上司の抑揚に欠ける声に免じて飲み込んでやる。疲労困憊というのは事実のようだから。


『おかげで今、ダウニング街十番地(イギリス首相官邸のある地区)は蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。これで理解できたか?』


「三文小説作家も筆を折るレベルの状況であることは理解しました。それで、オランダ王室はどっから出てきたんです?」


『日本の現在の皇太子妃は知ってるな? 皇太子の妃だ。彼女の父親は外交官でな、彼女自身も外務省職員を務めていたほどだ』


「それが今回の件とどう繋がるんです?」


『最後まで話を聞け。その皇太子妃の父親は一昨年まで国際司法裁判所ICJの所長を務めていた。オランダ、ハーグにあるあのICJだ。そのせいかは知らんが、日本の現皇太子夫妻とオランダ王室との間には多少繋がりがあるらしくてな』


「はあ」


『要するに、日本に恐れ知らずの馬鹿がいたって話だ。USSAもとい『双頭の雄鹿』に関する極秘情報を、日本は皇室のパイプを使って、女王陛下のお耳にまでお届けあそばしたのさ』


「自国の皇族を伝書鳩代わりにしたと?」


『平たく言えばそういうことだ。狙ってやったのか、ただの事故なのかは知らんが畏れ入るよ。俺なら首が飛んでもやらん』


 ともかく、と上司はまくしたて始めた。


『こっちはそういう状況なもんで、軍をまだ動かせん。官邸自体が機能不全に陥ってるようなもんだからな。そんなわけで、今すぐ動かせる連中をそちらに寄こした』


「おーい、依頼主との話は済んだか?」


 サングラスをかけた長身の男が、防弾チョッキに手を引っかけながらやってくる。今回の闖入者代表の、名は『カーチス』と言ったか。


 救出してすぐ遺族の未亡人たちを口説き始めたふざけた奴だ。しかも、これが今回の救出部隊のリーダーときた。


『近年アフリカを中心に活動している民間軍事会社PMC系列の新興企業だ。社長のグラサン男はお前と同じく口が達者な奴でな。うちの軍が迎えにいくまで仲良くするといい』


「同族嫌悪って言葉知ってます?」


『類は友を呼ぶというだろう。日頃の言動を反省することだ。それと、我らが女王陛下よりお前へありがたいお言葉を賜っている。謹んで拝聴しろ』


「なんでしょう」


『“よく守った”だそうだ。俺に無断で逃走ルートを変更したこと、遺族を連れ出したこと、すべて正解だ。俺に指示を仰いでいたら、うちの課にいたネズミに聞かれてすべて手遅れになっていただろう。味方を真っ先に疑うお前のひねくれた性格の賜物だな』


 よく言う。そのひねくれ者をわざわざ入院先の病院から引きずり出し、遺族の警護に抜擢したのはこの男だというのに。


「三か月の有給と傷病手当を弾んでくれるなら、今後も励みますよ」


『それだけ憎まれ口が叩けるなら一か月で十分だろう。――軍と合流するまで油断するなよ。アメリカ本土の方でも動きが派手になってきているからな』


 それきり通話が途切れる。いつものごとく、言いたいだけ言ってぶつ切りだ。


「依頼主もあんたも素直じゃねえなあ。イギリス人ってのは皆こうなのか?」


 グラサン男がすかさず話しかけてきた。


 おちょくってるつもりはないのだろうが、こうも身を屈めて顔を覗き込まれると、こっちの低身長を揶揄われているようで腹が立つ。むろん百パーセントこちらの僻みだ。


機知ウィットに富んだ会話と言ってくれ。直接的な表現ばっかじゃ芸がねえだろ。第一、お前らアメリカ人こそなんだその英語は。田舎くせえ発音しやがって」


「反面教師ってやつさ。それにあんただって口の悪さじゃいい勝負だぜ? ノースダコタのジジババだってあんたより酷くねえさ」


 なるほど。これは確かに口が達者な奴だ。そして油断ならない奴だ。


 銃口こそ地面を向いているが、このグラサン男、ずっと小銃の引金に指をかけたままだ。

 サングラスのせいで目の動きも分かりづらいが、時おり銃を左右に持ち替えているのをみるに、絶えず周囲を警戒している。


 手下ども同様だ。よく訓練されている。


「迎えは二時間後、北のアデン湾だそうだ。イギリス海軍がお出迎えだとよ。小さなレディもいることだし、とっとと砂漠から脱出しようぜ」


 グラサン男の声が爆音で搔き消えていく。

 男は近づいてくる汎用ヘリコプター『スーパーリンクス』が巻きあげる砂埃に目を眇めた。


 機体はHMA.8の海洋攻撃型、そのうえ陸戦にも対応できるよう、ご丁寧に対戦車ミサイルやガトリング砲も搭載できるよう改良されている。


 依頼主もとい上司からグラサン男への支給品だろう。イギリス海軍の払い下げだろうが、よくこの短期間で用意できたものである。


 このヘリ一機が趨勢を決めた。襲撃者は逃げる間もなく薙ぎ払われ、あとは追いついたグラサン男たちが一人ずつ丁寧に排除していった。

 箒で掃いたゴミを塵取りへ集めるように、一人も逃さず追いつめ、着実に仕留めていった。


 ――米軍、特殊部隊出身か? にしては妙に粒ぞろいな気がするが……。


 こちらの視線に気づいたのだろう。振り返ったグラサン男は、アニメのキャラのように肩眉を吊り上げた。

 不愉快になった様子はなく、こちらの反応を見て楽しんでいる素振りすらある。


「そう警戒すんなよ。心配しなくても元戦友の未亡人に手を出したりしねえって。それに、こいつは確かにギャラのいい仕事だが、それだけが引き受けた理由じゃない。こっちにも借りってもんがあるのさ」


「借りだと?」


「ああ、黒髪で小柄なフライトジャケットがよく似合う美人さ。少なくとも捕虜の扱いは悪かなかった。『ダグラス』たちの遺体も、ちゃんと棺に入れて返還してきたそうでな。その名にふさわしいクールビューティーだったさ」


 なんの話だ?


 男が思い切り眉をひそめると、グラサン男は愉快そうに身体をゆすった。


「その美人を口説く話のネタが欲しかったのさ。ま、生きてまた会えればの話だがな」




 ***




「――ってなわけで、モーガン一家とコールマン班の遺族、その救出ついでに諸外国に協力を取り付けておいた。USSAが米軍を使って特区を包囲するなら、こっちは世界規模だ」


 クルテクから事のあらましを聞き、ニコラスは唖然とするしかなかった。


 安堵、驚愕、混乱、あらゆる感情が入り混じって、どんな表情をすればいいのかも分からない。

 目の前の男の本領を目の当たりにして、ただただ圧倒された。


「イギリス、フランスの常任理事国に、同盟国の日本、G7加盟国。あと中国にも手は打ってある。ロシアは……まあ大人しくしてくれればいいかな。ともかく、どれだけ効果があるかは分からんが、まあないよりマシだろ」


「あんた、すげえな」


「僕一人の成果じゃないからね。それに感心してる場合じゃないよ。僕らCIA残党が仕込んだ諸外国からの協力は、あくまでこの内戦の予後をよくするためのもの。ガタガタになったアメリカという飛行機を軟着陸させるためのものだ。戦中の諸外国からの介入なんてまずないから期待しない方がいい」


「けど常任理事国が二つに、G7もいるんだろ? 影響はかなり大きいと思うが」


「国がそう簡単に一致団結すると思わない方がいいよ。それにだ、アメリカがこれまで他国から『やめなさい』って言われて止めた試しがあるかい?」


「……ないな」


「だろ? そういうことだ。結局のところ、勝敗はこの決戦次第なわけだ。……陳腐な表現になるが、士気向上のためにも敢えてこう言っておこう。君らのこの戦いに、この国の未来がかかってる」


「ってことは、当初の予定通りってことか」


 ニコラスはホワイトボードを振り返った。


 そこにはこれから行うであろう作戦内容が地形図とともにボード内をびっしり埋め尽くしている。

 そのボード右上には、壁掛けの電波時計が作戦決行までの残り時間を示していた。


 現時刻、午後五時。


「時刻合わせは全員済ませたな? 先ほども告知した通り、作戦決行時間は、明日の4月27日、午前5時だ。作戦決行までの残り12時間は待機時間とする。

 休息を取るもよし、点検に専念するもよし、仲間と酒を酌み交わすもよしだ。各自、自由に過ごしてほしい」


 きっとこれが最後の時間になるだろうから。


 ニコラスはその言葉を飲み込んだ。そしてその場にいた全員が、そのことを理解していた。会議室から一人、また一人と消えていき、室内に籠った熱が急速に冷えていく。


 ニコラスも席を立った。いつもの場所で、最後の確認をしておきたかった。




 ***




 4月26日、午後8時10分。


 ニコラスはいつもの場所に座っていた。地上、自宅の12階建てビルの屋上である。


 狙撃地点の確認と現在の地形を記憶するために毎夜地上を渡り歩き、それを終えるとここに戻ってくる。

 そして屋上でラジオなどの音声を聞きながら、“練習”に勤しむ。


 それが最終決戦に向けた、ニコラスなりの日課だった。


 この姿を住民は『ニコラスの散歩』と呼んでいるらしいが、今晩はそれだけではなかった。


 単純に、ここへ来たかった。


 屋上だったはずの瓦礫の山に登り、適当なところで腰を据えた。

 ここ数日の空爆で、27番地はもう原形をとどめていない。毎日地形が変わるから、覚えるのも一苦労だった。


 しかし、ニコラスの記憶の中にはしかと街並みが遺されていた。壊れた街並みを記憶するたび、元の姿が霞んでいくのを、わざわざ写真を見て思い出して。


 ここからすべてが始まった。


 過去の汚名から逃れるように国内を二年彷徨い歩き、辿り着いたのが特区だった。チンピラに絡まれて、抵抗する間もなく一方的にやられて死にかけて。路地に一人横たわっていた。


 そこに彼女が来た。


 背徳の街の光を背に立つ黒い影。頭から爪先まで全身真っ黒の衣装に、漆黒の髪と瞳。やけに綺麗な死神が迎えにきたなと思った。


『お前、棄てられたのか』


 そう言って、手を差し伸べてくれた。


 かつて、あの子は俺のことをヒーローと呼んでくれた。しかし俺にとっては逆だ。


 彼女こそ、俺のヒーローだった。


 たとえ彼女ハウンドあの子サハルでなかったとしても、たとえこの世すべてから悪と誹られようとも。

 あの日、あの夜、俺の手を握ってくれた彼女は、間違いなく俺のヒーローだった。


「君も感傷に浸ることがあるんだね」


 弾かれたように振り返り、正体を確認して安堵する。が、その不審な様子にすぐ気を引き締めた。


 クルテクだった。

 彼はなにを言うでもなく、無表情のまま着実にこちらへ近づいてくる。


 ニコラスは思わず傍らの狙撃銃を握った。


「要件は? あんたも夜の散歩か?」


「そうだね。君の“特訓”内容にも興味はあるが、今回は別だ」


 そう言って、クルテクは下を指さした。


「ちょっと話をしないか、ニコラス・ウェッブ。ずっと君に聞きたいことがあったんだ」






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今年の投稿は以上となります。本当は年内に完結させたかったのですが、遅れてしまって申し訳ない……。


次の投稿日は、2025年1月13日(金)です。




今年も大変お世話になりました。


来年の6月で投稿をはじめて4年となります。非なろう系でありながら、また昨今なろうで男性向け作品が減少していく状況にも関わらず、こうしてたくさんの読者の方に追いかけてもらえる喜びをひしひしと感じています。

本当にありがとうございます。


流石に来年度中には完結すると思いますが(作者が大病したりしない限り)、どうか最後までお付き合いいただけたらと思います。


寒さも厳しさを増しています。どうか読者の皆様もご自愛ください。


どうかよいお年を。

来年もまた、この場でお会いできることを楽しみにしております。

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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~ @shimujunya

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