第12節 我らこそ――【後編】

12-1

最終章・後編、開幕です。




【これまでのあらすじ】

USSAによる特区への特別軍事作戦により、ハウンドは捕らえられ、ニコラスたち27番地は完全に包囲されてしまう。

五大マフィアの離反、和平交渉と称した水面下での鍔迫り合い、裏切りの発生とその結末。一か月にわたる籠城戦の最中、数々の困難に見舞われながらも、ニコラスたちは諦めず戦い続ける。


結果、しびれを切らしたUSSAは、ついに米軍投入による本格侵攻を開始する。


「国家」対「国家に棄てられた人々」 

互いの存在証明を賭けた最終決戦が、ついに幕を開ける――!




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ヘルハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれている


●オズワルド・バートン:元陸軍狙撃学校専任教官、ニコラスの師


●クルテク:元CIA工作員の現役USSA局員。正体はCIA残党としてUSSAの内部工作を担う二重スパイ。


●店長:27番地住民、ニコラスたちの上司


●クロード:27番地住民、商業組合長




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点(11節冒頭)で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

またなぜかオヴェドは名を与えられていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






【2014年4月26日 午前9時45分 バージニア州アーリントン郡 アメリカ国防省(通称:ペンタゴン)】


 合衆国安全保障局主導による、ミシガン州特別自治区――通称『特区』への特別軍事作戦は最終段階に入っていた。


 すなわちアメリカ合衆国が誇る陸海空・海兵隊四軍の本格参戦である。


 元来このような国内の暴動鎮圧の類は州兵の出番である。

 が、今回の場合、特区が憲法上“国外”であること、特区がまれにみる大規模な犯罪都市であり実戦経験が豊富な部隊の派兵が求められたこと、大統領令による強権を用いたうえでの荒業だった。


「この三日間の精密爆撃により、27番地周囲の瓦礫の壁バリケードは四割を破壊。東西南北すべての方面にて、地上部隊侵攻ルートの確保に成功。これをもって、空軍における作戦第一段階の全工程を終了とみなす。報告は以上だ」


「海軍においては、特区南方のエリー湖にてアーレイバーク級ミサイル駆逐艦一隻、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦三隻を展開している。現在はデトロイト川上流にて待機中だ」


「あの狭い海路をよく通ったな」


「温暖化の影響だ。雪解けが早く例年よりも水量が増していたのが幸いした。艦を向かわせたがいいが、喫水の関係で武装を積めませんでしたでは話にならんのでな。今のところ航行に支障はないだろう」


「そうか。陸軍は特区南方、デトロイト川上流のジブラルタル近郊に集結させている。明日の夜までには全部隊が出揃う予定だ。

 現在は、到着した部隊からミシガン州兵第125歩兵連隊と連携して、近隣住民の避難誘導に勤めている。同時に第82空挺師団第一歩兵旅団の緊急展開と砲台の設置を急がせている」


「……海兵隊も陸軍と同じくジブラルタルにて待機中。第二海兵遠征軍から地上戦部隊と航空戦部隊を中心に、中隊規模の混成部隊を編制しておいた。陸軍の地上侵攻に合わせてデトロイト川を下り、上陸作戦を実行する予定だ」


 各軍トップの報告を受け、合衆国安全保障局USSA長官アーサー・フォレスタ―はゆっくり三度頷いた。


「素晴らしいですね。流石は我が国が誇る世界最強の軍隊。作戦の立案から実行に至るまでの速度が桁違いだ。おまけに各段取りも完璧ときたら、こちらから言うことはなにもありませんな。存分に実力を発揮していただきたい」


 フォレスターは心の底から正直に最大の賛辞を送ったつもりだった。


 しかし先方からの反応はよろしくない。むしろ敵意がより増している。


 その理由をすでに察しているフォレスターは、にっこりと「どうされました?」と微笑んでみせた。


「なにかご不満ですかな?」


「……やりすぎではないかね」


 真っ先に口火を切ったのは、海軍だった。

 本作戦において一番出番がなく、“保険”としてただ高みの見物をさせられる羽目になったのがよほど不満らしかった。


「万が一の際に待機している我々はもちろんのこと、陸軍は今回の地上部隊侵攻に戦車まで投入するそうじゃないか。どう考えてもやりすぎだ。イラクじゃあるまいし、たかが民兵組織にここまで大規模な派兵が必要とは思えん」


「同感です。連日の空爆もそれなりに手ごたえがありました。すでに二十七番地はほぼ無力化されていると言ってもいい。陸軍の歩兵部隊の投入だけでよいのでは?」


 空軍も似たような表情で苦言を呈した。当然の反応だった。


 フォレスターはもっともらしく首を振って説明を始めた。


 この四軍の参戦にこぎつけた時点で、すでに勝負はついている。

 あとは、どうすれば敗者に叛骨心を湧かせることなく場を治めることができるか、だった。


「もちろん私としても軍の大規模動員は避けたかった。しかし、27番地のテロリストは予想以上に卑劣でしぶとい。そのうえ五大マフィアの支援も受けている。そのせいでこの一月、我々USSAは散々辛酸をなめさせられてきました。

 あなたがた軍が参戦してくださって本当に助かりました。この日をどれほど待ちわびたことか。これで私の部下たちも無駄死にせずに済みます」


「参戦を見送ったのは、貴様らの寄こす情報に不備が多々見られたからだ。不正確な情報をもとに兵を突っ込めるか。イラクやアフガンでの不手際を忘れたとは言わせんぞ」


 不愉快を隠しもせず海兵隊が吐き捨てるが、これも予想内。

 むしろ四軍で最も反発していた海兵隊が今回参戦してきたことの方が予想外だった。恐らく本作戦に参加したがる兵士を抑えきれなかったのだろう。


「その節は大変ご迷惑をおかけしました。ですがだからこそ、これまで得た情報には精査に精査を重ねてきました。ご満足いただけるかと。

 また万全を期したいのは戦力もまた同様です。プロフェッショナルである皆さんには大げさに思われるかもしれませんが、特区の一歩外は我が国土。我が国民をテロリストの危機に晒すわけにはいきません。鼠一匹に至るまで完璧に殲滅せねばならない。違いますか?」


 そう返すと、海兵隊は鼻を鳴らし、空軍は小さく息をつき、海軍は無言で腕組をした。反論はなかった。


 そんな中、陸軍が「三日だ」と低く呟いた。


「もって三日、それで特区は陥落する。それが結末だ。その結末をもたらすために我らがいる。そうだろう、フォレスター長官」


「ええ、その通りです。今回の全面協力に心より感謝いたします。そのうえで一つ提案なのですが……テロリストどもを完全降伏させるのを、もっと早める方法があります」


「ほお。核でも打つ気か?」


「核よりももっと確実なものです。――空軍参謀総長、お願いしても?」


 露骨に悪態をつく海兵隊を無視して目を向けると、空軍は目に見えて身構えた。


「なんでしょう?」


地中貫通爆弾バンカーバスターです。湾岸戦争のおり、あの“砂漠の嵐”作戦にて地中のイラク軍司令部を破壊するために特別開発されたGBU-28。その使用に同意していただきたい」


「なっ……!?」


 これには空軍だけでなく、全員が絶句した。対してフォレスターは「はて」と首を捻る。


「そんなにおかしなことですか? 27番地のテロリストは地下に潜伏しています。攻撃するのにこれ程うってつけの兵器はないでしょう」


「馬鹿を言え。連中が隠れてるのはただの地下水道だ。せいぜい深度は数メートル、地表から30メートルを穿つGBU-28では明らかにやりすぎオーバーキルだ。

 それに27番地はデトロイト川に面している。爆発の影響で都市全体が水没しかねん。そうなってはその後の地上部隊侵攻の妨げになる。復興にもどれだけ時間を要することか」


「ですが、後のことを考えてテロリストを討ち漏らしては元も子もないではありませんか」


「後のことを考えればこそ反対している! 第一、デトロイト川の向こうはカナダだぞ? 川を挟んで一キロと離れてない。そんな場所に4700ポンド(約二トン)の爆弾を投下できるか」


「では内陸に近い部分に投下すればいいではないですか。特区内であればいくら破壊しようと問題ないでしょう」


「長官! いくらテロリスト殲滅のためとはいえ、限度があるぞ。27番地にはまだ非戦闘員も残っている。もろとも焼き尽くすつもりか?」


 完全に言葉を失した空軍に代わって陸軍が噛みついた。その様にフォレスターは目を眇め、即答する。


「そうですが?」


 唖然とする軍人どもを眺め、フォレスターはテーブル上にゆっくり手を組んだ。


「これはあなた方のためでもあるんですよ、陸軍参謀総長。オズワルド・バートン、ニコラス・ウェッブ。陸軍情報士官に加え、海兵隊の精鋭部隊の兵士までもが今回のテロに加担している。

 くわえて世論もまた、今回の参戦を一月も見送り続けた軍への批判に傾きつつある。疑いたくはありませんでしたが、まさか『身内がテロに加担したことを隠蔽するため』に参戦を遅らせたわけではないですよね?」


「その疑念をこの場で持ち出してくること自体に誠意が見られないがね。そんな脅しで我々が賛同すると思ったら大間違いだぞ」


「いずれにせよ、地中貫通爆弾の使用は空軍の管轄です。どうかご決断を」


 陸軍から空軍へ目を移す。

 湾岸戦争にも従軍した元戦闘機パイロットは蒼褪め、握ったペンの先が微かに震えていた。


 ここでもう一押し、フォレスターは釘をさしておく。


「昨晩発表された大統領令によれば『特区に潜むテロリスト殲滅のためにあらゆる努力を惜しまない』とあります。すなわちこれは大統領のご意志によるもの。それに背くのであれば、相応の理由を提示していただけませんと、我々としても納得できませんが」


 震えていたペン先が、迷うように左右に揺れ動く。


 と、ここで口を挟んだ者がいた。海兵隊総司令官である。


「空軍参謀総長、気負う必要はない。テロに加担したウェッブおよびバートン両名に関する問題は我が海兵隊と陸軍の問題だ。空軍が配慮する必要はない。むしろ忖度される方が不愉快だ」


「陸軍としても海兵隊に同意する。伝え方に多少言いたいことはあるがね。ともあれ、貴官の良心にのっとって決断されるといい」


 海兵隊、陸、両軍のトップからの声を受け、参謀総長の握っていたペンの先がぴたりと止まった。


「承知した。……地中貫通爆弾の使用に一部同意しよう。攻撃のタイミング、炸薬の使用量、最終的に発射するかどうかの決断に至るまで、すべて空軍が総括するのであれば、の話だがな。

 USSAはもちろん、たとえ大統領であろうと一切口出し無用でお願いしたい。この条件下であれば使用に同意する」


「分かりました。そちらの条件を呑みましょう。よろしく頼みます」


 あっさり同意を示せばトップ四人は胡乱げにこちらを睨んできた。「一体なにを企んでいる?」と。


 だがフォレスターとしては企みでも何でもない。


 特区の情報収集能力において、USSAは軍より抜きんでている。

 そのことを嫌々ながらも理解している軍は、USSAからもたらされる情報を無視できない。優秀であるがゆえに、公明正大に与えられた情報を吟味して決断する。


 すなわち実質的な主導権はUSSAにあるのだ。

 発射ボタンの主導権を誰が握ろうと、フォレスターにとっては些事だった。




 ***




【2014年4月26日 午後3時45分 特区27番地地下水道 作戦会議室】


 ホワイトボードを前に赤マーカーペンのキャップを閉め、「うむ」とオズワルド・バートンは腕を組む。


「――とまあ、予想される部隊配置はこんな感じだろう」


「うっわぁ……完全に包囲されてんじゃん」


 今回の作戦会議にあたり、参加を許可された少年ジャックが「うげぇ」と舌を出す。


 その感想はその場にいた全員を代表していただろう。

 ホワイトボードに掲示された、ラミネート加工された27番地の地図、その周囲が赤く四角い兵科符号により、ぐるりと完全に取り囲まれている。


 ――ミサイル部隊や砲兵部隊は予想できたが……海軍に加えて海兵隊の上陸作戦部隊まで来てんのか。


 ニコラスは口元を片手で覆い思考を巡らせつつ、隣を一瞥した。


「確かな情報か?」


「当然。情報源ソースはホワイトハウスに転職した僕の元同僚だ。彼によると、僕らがここへ来る数日前から、陸海空・海兵隊からなる四軍参戦させるための大統領令が用意されていたそうだ」


 元CIA局員かつ現役USSA局員のクルテクは淡々とそう述べた。それから肩をすくめる。


「ま。正直言って、海軍まで参戦してくるとは思わなかったけどね」


「だがすでに現在、エリー湖の湖上に四隻の艦船が確認されている。監視班の目視と偵察ドローン映像からしても、紛れもない現実だ」


 バートンがホワイトボードを小突くと、クルテクは「分かってるよ」と嘆息した。


「恐らくは示威行動の一環だろう。陸だろうが湖だろうが逃げ場はない、水陸空すべてから攻撃できるぞっていうね。これだけの戦力だ。現状ただの見張り役ってところだろうが、状況によっては参戦も十分あり得るだろう」


「それに加えて、君たちを守っていたあの瓦礫の壁もここ三日間の空爆で穴が開いてしまった」


 そう言って、バートンは27番地周囲に記した太い黒線の東西南北に、赤マーカーで×をつけた。


「恐らく地上侵攻ルート確保の一環だろう。そして最後の空爆からすでに18時間が経過している。敵の作戦はすでに第二段階に移っているとみていいだろう」


「まもなく地上部隊が侵攻してくる、ということですね」


「その通りだ、ウェッブ。空爆で電波妨害装置も吹き飛んで、通信環境が改善したのが唯一の救いだな」


 こちらに相槌を打ち、バートンはマーカーの先でホワイトボードを叩く。


「完全武装状態の陸海空・海兵隊総勢二万と、USSA率いるトゥアハデ兵が約五千。対するこちらは、非戦闘員を含めても三千人弱がせいぜいだろう」


 バートンの発言に、全員が唸った。


 三万対三千だ。十倍近い戦力差に加え、物資だって十分ではない。


「ロバーチ領から回収した武器弾薬を掻き集めても、こちらの戦闘継続期間はもって一週間が限度でしょう」


「だろうな。短期決戦に持ち込むしかない」


 バートンは険しい顔でこちらに同意を示し、一転、僅かに頬を緩めた。


「だがこれだけの人数がこの一か月間、訓練された精鋭兵を相手に、地下で持ちこたえていたことは十分賞賛に値する。

 お前たちと合流するまで、クルテクともっと悲惨な状況になっているのではないかと覚悟していたんだ。それが暴動もゼロ、裏切りもたった一回のみとは。大したものだ」


 バートンは素直に褒めたつもりだったのだろうが、ニコラスの表情が緩むことはない。むしろ口元をますますひん曲げた。


 現状が残酷なまでに不利なことに変わりはないし、なにより師の言動がよろしくない。

 軍経験者ならよく分かるだろう。こういう鬼教官が素直に褒める時は、大抵無茶ぶりする前触れなのだ。


「と、いうわけでだ。この場にいる誰よりも戦闘経験がある者として言わせてもらおう。我々に残された選択肢は一つしかない。我々の方から打って出る、奇襲だ。それしかない。

 地上部隊が侵攻してくる前に零番地セントラルタワーへ攻撃を仕掛け、ヘルハウンドを奪還し、ミチピシ一家当主を保護してタペストリーを確保する。そのうえですべての情報を世界に公開するなり、大統領に訴えるなりして、停戦にもっていく。これしかない」


「……地上部隊侵攻まで残された時間は?」


「早くて38時間後。陸軍の部隊集結が完了し次第くるだろうからな。それが明日だから……明後日の夜明けには仕掛けてくるだろう」


 バートンの返答に、ニコラスだけでなく全員が溜息をついた。


 つまり、明後日の明朝にすべてが決まる。残された時間は二日もない。


「これでもまだ猶予がある方だと思うぞ? 軍の参戦が決まってから三日も経っているのに、陸軍はまだ部隊がそろっていない。恐らく悪あがきだろう。各部隊への指令をばらばらにして、わざと部隊の集結を遅らせている」


「コールマン軍曹たちは陸軍でしたからね」


 国からの命令とはいえ、思うところがあるのだろう。


 だがその陸軍の“助力”をもってしても、一日と半分しか残されていない。

 教官の無茶ぶりに応えるなら、あと38時間でその奇襲作戦とやらの準備をすべて整え、かつ夜が明けるまでに作戦を決行せねばならない。


 眉間のしわを揉みこみ、ふとニコラスが顔を上げると、バートンの表情がなぜか明るい。しかもその顔で視線を合わせてこようとするのだから、気色悪いったらない。


 全力で無視したい気持ちをぐっと堪え、ニコラスは視線を逸らしたまま口を開いた。


「なんです?」


「すでに考えてあるのだろう? お前はそういう男だ」


「…………なにを根拠に」


「決まっているだろう。私がそう育てたからだ。……こら、そんな顔をするんじゃない。傷つくだろう」


 そんなことを言われても。普段にこりともしない男がにっこりドヤ顔でそんなことを言ってきたら、警戒するに決まっているだろう。

 背筋がぞわぞわする。あの鬼教官はどこへ消えてしまったのか。


 ちょっと離れたところでジャックやクロードたちが「反抗期の息子」だの「顔が予防接種行くよって言われた時のわんこ」だのヒソヒソ話しているが、聞こえてるぞこの野郎。


「ともかくだ。ウェッブ、お前は特別軍事作戦当初、ヘルハウンドが陽動役に飛び出した時、あえて見送っただろう?

 私の知るお前はそんなことはしない。必ず救出する手立てがない限り、お前も彼女についていったはずだ。むしろお前の方が囮を引き受けたことだろう」


「……あの時は、切り札がありましたから」


「聞いている。コールマンが描いた例の絵本と、ヘルハウンド以外の生き証人であるドクター・ムラカミに証言の要請、この二つだな? だがそれにしては妙だ。お前はその切り札の一つである絵本が裏切者に盗まれた際、奪還に動かなかった。なぜ動かなかった? 

 動かなかったのは、なにか重大な仕掛けを台無しにしないためではないか? たとえ切り札の一つを捨ててでも、気づかれてはならぬ特大の罠を隠したかったからではないか? ウェッブ、正直に話せ。本当に切り札はなのか?」


 ニコラスは酢をボトル一本一気飲みする羽目になったかのような面持ちのまま黙りこくった。


 これだからこの人は苦手なのだ。一生かけても出し抜ける気がしない。


 だが言うべきだろうか。三つ目の切り札のことを。この局面で。

 ここでもし敵に漏れでもしたら、これまでのすべての犠牲が水泡に帰してしまう――。


 迷っていた、その時。声をかけてきた人物がいた。店長だ。


「ニコラス、情報漏洩を恐れているのなら大丈夫だよ。その時は私たちがきっちり対処しよう」


「そうだぜ、ニコラス。俺たちにはちゃんと実績があるだろ?」


 店長に続いてクロードもそう言い、見渡す限りの皆が頷いた。

 再びニコラスが口を開く十数秒間、じっと黙って待ってくれた。


「……皆を信用していないから話さなかったわけじゃない。それだけは理解してほしい」


「ということは、あるんだね? 三つ目の切り札が」


 店長の問いに、ニコラスは頷く。住民たちがどよめき始めた。

 早く詳細をと促す彼らに待ったをかけ、ニコラスは自分に負けず劣らず無愛想な工作員に目を向けた。


「三つ目の切り札の説明をする前に……クルテク。一つ確認しておきたいことがある」


「なんだ」


 ニコラスはテーブル上のUSBメモリをつまみ、顔の前に掲げる。


「あんたが寄こした情報によれば、アーサー・フォレスタ―は、正義に狂った合理的で人間味が欠落した人物、ってことだったよな?」


「そうだ」


「俺の印象は別だ。会ったことは一度もないが、少なくとも『人間味が欠落している』なんてことはないと思う。俺の憶測が正しければ、奴ほど人間臭い男はいないだろう」


「というと?」


「コールマンたちの遺品だ。USSAは彼ら五人の遺品を残した。なぜだ。コールマンたちは遺体すら抹消されたんだろ? なぜ遺品が残っている? なぜ遺品も抹消しなかった?」


「それはヘルハウンドの撒き餌として……いや。待てよ」


 クルテクはしばし口元を手で覆い、鋭く虚空を睨み、小さく呟いた。


「……こいつは盲点だったな。証拠品は原則保存が脳に刷り込まれていて気づけなかった」


 膝をぱんと叩き、一つ舌打ちしてから、クルテクはまくしたてた。


「USSAが本格的にヘルハウンドを追い始めたのは三年前、彼女が特区で『六番目の統治者』として名を上げた直後だ。彼女の元飼い主である僕に上から声がかかったのもその頃だったから、間違いない」


「そうだ、そこがずっと引っかかってたんだ。確かにハウンドはかなり頭が切れる。けどUSSAの目を掻い潜って逃げ続けるのはかなり困難だったと思うんだ。

 というか不可能だ。十代前半の子供がプロ相手に鬼ごっこなんて、捕まるに決まってる。けど連中は彼女が特区で頭角を現すまで気づけなかった。となると――」


「USSAは三年前まで彼女をマークしていなかった、ということになるな。僕ら平社員向けの報告書じゃ死亡扱いになってたが、上層部もフォレスターも含めて、本当にノーマークだったというわけだ」


「その裏、取れるか?」


「取れなくもないが、必要ない。なぜなら“USSAはヘルハウンドのうなじに埋め込んだ生体チップを回収していない”。

 USSAじゃね、そういう使い方をした工作員のチップを必ず回収するんだ。生死を問わずね。工作員の身元が特定されないようにするための処置だ。

 それがヘルハウンドには行われていなかった。つまるところ、奴らはヘルハウンドの死亡確認をちゃんとしなかったんだ。

 恐らくチップから送信される位置情報データが途切れたので、死亡扱いになったんだろう。だが彼女は死んではいなかった」


「ああ。USSAは本気でハウンドが死んだと思った。死んだ奴を誘き出すために、物的証拠にもなり得るもんを残したりするか?」


「しないね。処分一択だ。けどコールマンたちの遺品は処分を免れ、残っていた。つまり君はこう言いたいんだな。んじゃないか、と」


「そうだ。んで、そんな決定ができる奴は一人しかいないだろ」


「ああ、その通りだ。くそっ、こんな初歩的なこと、なんでもっと早く気づけなかったんだ」


「待て待て。お前たちだけで話を進めるな。どういうことだ」


 バートンが会話に割って入る。クルテクは不愉快そうに眉間にしわを寄せ、答えた。


「フォレスターだよ。USSA長官、アーサー・フォレスター。奴がコールマン軍曹たちの遺品を個人的に管理してたんじゃないかって話さ」


「フォレスターが……? なぜだ」


「んなもん僕が知るかよ。けどやるとするなら、奴以外にありえない。遺品はあの“失われたリスト”にまつわる一連の事件の証拠品になり得る代物だ。

 見つかれば『なんで逃亡したと思われてる兵士の私物をUSSAが持ってんの』って軍から確実にツッコまれる。下手すりゃ事件どころか『双頭の雄鹿』の関与まで掘り返されかねない。本来なら、絶対に処分しなきゃいけない代物なんだ。

 そんなUSSAにとっても『双頭の雄鹿』にとっても激ヤバの爆弾を『残したい』って駄々こねて通る人間が、USSAで何人いると思う? フォレスター以外ありえない」


「フォレスターが私的な理由で遺品を手元に置いていた、ということか」


「君の教え子はそう結論付けたみたいだね。もし本当なら実に愉快な話さ。

 狩人が獲物の角や毛皮を記念として自室に飾るように、奴も自分を手こずらせた相手の遺留品を戦利品としてコレクションしてたってわけだ。いい趣味してるよ、まったく」


 愉快とは程遠い面持ちのまま、クルテクが吐き捨てる。

 それを聞いたバートンもまた似たような表情になった。教え子の遺品を弄ばれて、気分がよくなる教官などいない。


「真相はさておき、奴のプロファイリングは一からやり直しだな。それで? フォレスターがセンスの欠片もない悪趣味なコレクターかもしれないことと、三つ目の切り札の話が、どう繋がるんだ?」


「三つ目の切り札は、《アーサー・フォレスターがそのような男であると仮定した上で仕込んだ》ものなんだ、博打に博打を重ねた、それこそ奇跡を願うようなもんだ。あの時はあれしか思いつかなかったんだが……」


 ニコラスは三つ目の切り札について、詳細を語った。


 それを聞くなり、住民のざわめきが大きくなっていく。

 店長が視線を、足元とこちら交互に散らしながら呟いた。動揺が抑えきれないようだった。


「確かにあの子に渡したアレには、イーリスがなにか細工をしていたけど……そうか。だからハウンド本人を囮に行かせたんだね」


「ええ。彼女でなければまず取り上げられるでしょうから。あとはハウンドがフォレスターと直接接触してくれれば、多少効果を発揮するんじゃないかと」


「ずぶの素人が初体験のポーカーでロイヤルストレートフラッシュを狙うレベルの大博打だな。宝くじパワーボールだってもうちょい確率高いと思うよ」


 クルテクが呆れたように椅子の背もたれに身を投げ出した。ニコラスは改めて見解を聞く。


「使うと思うか、ハウンドの処刑に」


「フォレスターが先の憶測通りの男なら、必ず使うね。なんなら本人自ら処刑場に出向いてくる可能性だってある。ここまで奴をてこずらせたのは、彼女ぐらいだろうからね。

 そうなれば三つ目の切り札は奇跡ではなくなる。この戦況をひっくり返す、最高の番狂ジャイアントわせ・キリングになるだろう。

 ――至急アーサー・フォレスターのプロファイリングと身辺調査の見直しを行おう。大至急でだ。そのうえで、君の憶測の信憑性が高いと判断したら、」


「ああ。それを前提に奇襲作戦を組む。というか、もう準備しちゃってるんだが」


「はあ? その大博打が成功する前提で作戦準備してたわけ? 君、慎重なのか、行き会ったりばったりなのか、どっちなんだい」


「両方だ。教官の評価によればな」


 ニコラスがそう答えると、バートンが吹き出した。


「そんなこともあったな。矯正しないでおいて正解だったというわけだ」


「成功すればの話ですよ。どのみちハウンド救出には必要なルート開拓でしたから」


 ――それにヒントももらったし。


 ニコラスはつい数か月前、大胆にもハニートラップを仕掛けてきた、油断ならぬ麗しき美女を思い出した。

 ターチィ一家当主代理である彼女の立場は決して楽ではないだろうが、あの強かさだ。殺されたとの話も聞かないし、なんとかやっているのだろう。


「フォレスターがどう動くにせよ、ハウンド救出のチャンスはこの奇襲作戦にしかない。切り札が発動しようがしまいが、やることは変わらないだろ。だから準備したまでだ」


「なるほどね。なら僕の方も奥の手を使うとしようか」


 そう言ってクルテクが億劫そうに腰を上げる。ニコラスは顔をしかめた。


「なにをする気だ?」


「なにをする、じゃない。。僕らCIAがなんの策もなしに君らと接触するわけないだろ。すべての準備が整ったからこそ、ここへ来たんだ」


 そう言った直後、クルテクのポケットから着信音が鳴り響いた。


「さっそくだな。君が出るといい。その方がも喜ぶ」


 そのまま携帯電話を突き出され、ニコラスは訳も分からず受け取った。

 だがそこに表示された電話番号を見るなり、急いで着信ボタンをタップした。


「もしもし」


『もしもし? ……その声、ああ、なんてこと。ミスター・ウェッブ、無事だったんですね!』


 無邪気なれど淑やかな声を弾ませて、彼女は大きく息を吸ったようだった。


『連絡が遅れてしまって申し訳ありません。ローズ・カマーフォード、並びにテオドール・ファン・デーレン。たった今、アメリカへ無事帰還しましたわ!』






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次の投稿日は12月20日(金)です。

おそらく今年最後の投稿となると思います。

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