11-14

【前回のあらすじ】

『どうせ死ぬなら、ハウンドの役に立ってから死ね』


ニコラスからのメッセージを受け取った裏切者デニスは、最後の最後で意地をみせる。が、それを察知した敵に無惨に殺されてしまう。


最期の抵抗すら無意味に終わったデニスの死に様に、少なからず動揺するニコラスたち。そんな最中、思わぬ人物がニコラスたちと合流を果たす。


それはUSSA局員クルテクに殺害されたと思われていた、ニコラスの狙撃の師、バートンだった。




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●オズワルド・バートン:元陸軍狙撃学校専任教官、ニコラスの師


●店長:27番地住民、ニコラスたちの上司


●クロード:27番地住民、商業組合長


●ケータ:27番地住民、元特区警察巡査部長


●マクナイト:ケータの祖父




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点(11節冒頭)で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

またなぜかオヴェドは名を与えられていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「バートン教官……!?」


「久しいな、ウェッブ。加勢に来てやったぞ」


 不遜な笑みと共にそう宣う師の言葉に、ニコラスは困惑を隠せなかった。


「加勢って……いや、そんなことより。教官、今までどこに? というか、どうやってここへ?」


「それは無論、これまで培ったあらゆる知識と手段を用いて――と、いうわけではなく。こら、そう睨むな。軍規違反も情報漏洩もやっとらん。ちょっとこの手のことに聡い友人の助力で隠れていただけだ」


「本当でしょうね?」


「師の言うことを疑うものではないぞ。ジョークというやつだ」


 日頃ジョークを言わない奴が言うジョークは、真実に受け取られやすいということを知らないのだろうか。


 そういや昔から冗談か本気か分からんことを言ってたな、この人。

 訓練を増やす系のやつは全部本気マジだったけど。


 そんなことを思いながらジト目で睨んでいたせいだろうか。バートンは「やれやれ」とばかりに説明を始めた。


「以前から特区に潜伏していたんだ。具体的には、合衆国安全保障局USSAの特別軍事作戦が始まる一週間ほど前に、ミチピシ領三等区に、な。ただ、軍事作戦が始まってからは、お前たちが自爆攻撃で設けたこのバリケードを超えるのに手間取ってしまった」


 教官は天井、地上の方を指さしながら息をつく。


「そのうえトゥアハデ兵が完全包囲してしまったので、侵入する糸口を探していたところだ。そんな時に、お前たちの方から出てきてくれたのでな。後をつけて我々も巣穴に潜り込ませてもらった、ということだ」


「おかげで貴重な入口の位置が一つ、敵にバレちゃったんですけど……」


 その場の住民だれもが呆気にとられる中、真横にいたケータが恨めしそうにぼそっと呟く。

 バートンは「仕方がない」とばかりに悪びれもなく肩をすくめた。


「迷惑をかけたことは詫びよう。だが我々が合流したことで君たちに後悔はさせないつもりだ。それだけは安心してほしい」


「まあおたくらが強いのはさっきの戦闘でよーく理解したけどさ……ていうかおたく、俺とどっかで会ったことあるか?」


「さて、どうだったかな。まあそれはともかく、入口が一つバレた程度、どうってことはないだろう。私の教え子がたった一つしかない抜け道を使って、完全に運頼りの作戦を立てるわけがないからな。なあ、ウェッブ?」


「……ええ、まあ」


 その通りだ。少なくとも今回バートンたちがつけてきたターチィ領方面の抜け道はあと二本残っている。


 だがそれをこうも自信満々にドヤ顔で語られるのも少々気恥しいというか、悔しいというか。なんか気に入らない。


 というかこの人、退役してからやけにはっちゃけてないか? 

 あの冷酷無慈悲な『沈黙の鷹クワイエット・ホーク』はどこへいったのやら。


「もちろん予備の入口も復旧済みですから、今回の情報漏洩はそれほど痛手ではありません。それとひとまず経緯については分かりました。できればアポぐらいほしかったところですが」


「それは悪かった。死んだことになっていたのでな、迂闊な行動ができなかった」


「は?」


「彼は僕に殺されたことになっていたんだよ。死人がアポなんて取れるわけないだろ」


 どこか間延びした、それでいて抑揚に欠ける生成AIのような不気味な声だった。


 バートンの背後からしたその声に、ニコラスは凍り付き、ケータは瞬時に険相を構えた。


 無理もなかった。その男は――。


「あんたは……っ!」


「元上司にその言い草はないんじゃないかい、ケータ・I・マクナイト巡査部長。退職後も元気そうで何よりだ」


 これといった特徴のない中年が、人のよさそうな面立ちを皮肉げに歪めて鼻を鳴らした。


 男の名はヴァーツラフ・クルテク。


 表向きは、特区警察の警部補でケータのかつての上司。しかしその正体は――。


「USSAの猟犬がなんの用だ」


「番犬の君に狗呼ばわりされてもね。あと情報を口にする時は正確にするといい。《《元CIA工作員》》の、USSAだ」


「どっちも変わらねえだろ」


「いいや、変わるね。僕の本性を嗅ぎつけた君の相棒ヘルハウンドの鼻が馬鹿だったという誤解が生じる恐れがある」


 クルテクの減らず口は、そこまでだった。


 ケータが目にも止まらぬ速さで飛びかかり、地面に押し倒したからだ。殺気立っていた住民が慄くほどの早業だった。


 右の手首、肘、肩を完璧に極め、首に容赦なく膝が押し付けられる。

 本来の逮捕術では、被疑者の生命を脅かす危険性があるとされ、厳禁とされている行為だ。


 それを躊躇なく行っている時点で、ケータの激怒ぶりが推し量れるというものだった。


「なにしに来た?」


「説明が聞きたいならまずこれどけてくれ。これじゃ、ろくに喋れない」


「爺ちゃんを攫った張本人が、今さらなにしに来たか聞いてんだ」


 ケータの膝下で、クルテクが「ぐぅ」と声を漏らす。


 流石にまずいと思ったのか、バートンが両手を振って止めに入った。

 ニコラスも拳銃を抜き、クルテクに照準を合わせたうえで制止するが、ケータの怒りは収まらない。


 そこに、救世主が現れた。


「その辺にしておけ、馬鹿孫が」


 ケータの祖父、リアム・マクナイトだった。


 ステージ・4の胃がんから奇跡の復活を果たしたものの、未だ杖を手放せぬ老人は、杖にすがりながらも確固たる足取りでやってきた。


「爺ちゃん、けど」


「どけ。儂が殺る」


 その瞬間、ニコラスは気づいた。老人が突く杖の音が異様に大きいことに。

 老人は杖にすがっていたのではない。獰猛な獣が歯をカチカチ鳴らすように、抑えきれぬ怒りを杖に込めていたのだ。


 事実、クルテクを前にした瞬間、マクナイト老人は杖を剣のように持ち直した。


「臆病者のお前に人が殺せるわけなかろう。そこをどけ。儂はお前と違って学んだ技術はちゃんと活かす。心配することはない。とうの昔にこの手はベトコンの血で汚れている。アメリカ人が一人加わったところで、どうということはない」


 それを聞いて、ようやくケータの目が揺らいだ。

 群れのボスに一喝された若獣のように、おずおずとクルテクの上からどき、いつものオロオロ顔に戻った。


 一方、解放されたクルテクは咳き込みながらも憎まれ口を叩いた。


「命の恩人にその対応はないんじゃないですかね、ご老人。僕が病院を手配したから助かったんですよ?」


「儂が助かったのは貴様らの治療のおかげではない。儂の怒りが儂を生かしたのだ。よくも儂の身内に手を出してくれたな」


「待て待て待て。その辺にしてくれないか。話が進まない」


 二人の間に、バートンが身体ごと割って入った。

 マクナイト老人には僅かな緊張と敬意を込めて、クルテクには呆れと辟易を込めて、バートンは二人を見比べる。


「ひとまず我々に状況説明をする時間をくれませんか、ご老輩。あとそこの馬鹿はお気になさらず。こいつは悪態をつかないと呼吸できない質でして」


「だったらなおさら息の根を止めた方がよかろう」


「ですがそれだと、この男がこの六年間、二重スパイをして得たUSSAの内部情報が聞けなくなりますよ」


 その発言に誰もが耳を疑った。


 今、なんと?


「二重スパイだって?」


「なんだ。やっぱり聞いてなかったのか」


 クルテクがわざとらしく服の埃を払いながら睨んでくる。


「流石の彼女もそこまで嗅ぎつけられなかったようだね。……いや、ないな。あの狼っ娘にかぎってそれはない。ってことは君、意外と信頼されてないのか。それとも、ただ過保護なだけか?」


 いちいち人の神経を逆撫でする物言いの男だな。


 ニコラスは頬がひくつくのを堪えながら、低く尋ねた。


「いつからだ」


「最初からだよ」


 クルテクは面白くもなさそうにそう言った。


「ひとまず場所を移してもいいか? 先日のように、裏切者が情報を漏らしても困る」




 ***




 地下食堂奥の作戦会議室に使っていた2LDKほどの個室に、ニコラスたちは場所を移した。


 参加者はニコラス、店長、ケータ、クロードをはじめとする27番地商業組合メンバー。そしてバートンとクルテクである。


 参加者が出そろうなり、クルテクは事の経緯をさっそく語り始めた。


「USSAもとい『双頭の雄鹿』ほどの歴史はないが、中央情報局CIAだって腐っても情報機関だ。我々CIAは、彼らUSSAの潜在的な野心と貪欲な姿勢を以前から危惧してきた。

 それが同時多発テロ発生直後から急速に膨れ上がり、僕らを凌ぐどころか飲み込まんばかりにまで力をつけ始めた。僕らが対抗策をとるよりも早くね。真っ向から刃向えば、組織ごと壊滅させられる恐れすらあった」


「それで下手に抵抗するより、大人しく合併されて内部工作による妨害を目論んだわけか」


「そういうことだ。かの古王ダビデならまだしも、凡人が巨人に立ち向かうなら、石を投げるより丸呑みされたあと腹で暴れまわる方がいい。

 当時のCIA長官もそう考えた。だからUSSAからの合併要請に恭順した。もちろん疑われない程度に多少の悪あがきはしたが」


「……イラク・アフガニスタンでのあんたらCIAとUSSAの情報合戦は、その悪あがきだったってわけか」


「半分正解で半分ハズレだね。当時のCIAの方針は組織だってのものじゃなかった。『やる気のある奴だけ勝手に察してついてこい』という、だいぶ雑なものでね。命令すら下されていなかった。

 というか、USSAが目を光らせている状態ではそうせざるを得なかったんだ。その結果、局員個人が各自、自己判断で行動する羽目になった。

 つまり、組織運営がかなり錯綜してたんだ。君たち前線の兵士を振り回すことになったのは僕個人から詫びておくよ」


 ニコラスは押し黙ることにした。口を開けば罵詈雑言が飛び出て、話の流れが中断しそうだったからだ。

 この期に及んで仲間割れしている余裕は自分たちにはない。


 一方で、こちらの様子を察したのか、ずっと静観していた店長が口を挟んだ。


「随分とざっくばらんな方針で動いたんだね。それで、君の仲間――ここではCIA残党と呼ばせてもらうが、どのくらいいるんだ」


「ざっと200人程度だ。USSAに50名、国内外に150名ほどがフリーで潜伏していた。だがUSSAとの水面下での死闘で半数以下に減っている。

 USSAに潜り込んだ連中はほぼ全滅だ。表向きには“五大マフィアに篭絡された裏切者”ということになっているが、気づかれるのは時間の問題だろう。僕がこのタイミングで離反したのもそういうわけだ」


「となると、直接の妨害は期待できそうにないね……」


 店長が溜息とともに口を閉ざす。


 ニコラスは何度か歯裏を舌でなぞりながら、ゆっくり口を開いた。

 どうしても聞いておきたいことがあった。


「なんで、ハウンドを助けなかった?」


 クルテクの眼球だけがきろりと向く。ニコラスは構わず睨み返した。


 この男はどこか存在が曖昧だ。

 どこにでもいそうな外見もさることながら、少しでも目を離すと、別の男になっていそうな、そんな危うさがあった。


 逃がすものか、とニコラスは顎を引き、目の前の男を真っすぐ見据えた。


「USSAの危険性に気づいていたあんたらが、ハウンドの存在に気づいていないはずがないだろ。知ってたのか、彼女がUSSAを瓦解させ得る鍵になるってこと」


「……まあね。ラルフ・コールマン軍曹らと彼女を引き合わせたのは僕だからね」


「だったらなんで」


「決まってるだろ。それは僕らの仕事じゃないからだ。工作員が自らターゲットと接触して直に守るなんて映画の中だけだよ。。許されないからこそ工作員なんだ。第一、彼女を守る義理がどこにある?」


「あ? なにが言いたい」


「だって彼女はアメリカ人じゃないだろ。アメリカ人じゃないなら守る義務はない。せいぜい利用するまでさ」


 前へ飛び出しかけた肩を、左右から掴まれ止められた。店長とクロードだった。


 その肩に食い込む指の痛みで我に返ったニコラスは、踏み出した一歩をなんとか戻した。


「それが、あんたらの言う国益だと?」


「少なくとも当時はそういう判断だった。そりゃあ皆を守って平和に解決できるならそうしたいさ。だが現実はそうじゃない。必ずなにかを切り捨てでも守らねばならない事態に直面することになる」


「ケータもか」


「彼は13歳の時に移住してきたアメリカ人で、21歳時に市民権を獲得した移民一世だ。生まれも育ちもアメリカの市民より優先度は劣ると判断した」


 盛大になにかが叩き割れる音が聞こえた。

 見れば、マクナイト老人が近くの木箱を杖で真っ二つにしていた。


「よくも儂らの前でそれを言ったな。儂ら兵士の前で、よくもそんなことを!」


 老人の背後にはケータがしがみつき、前にはバートンが立ち塞がって制止するが、老人の怒りは収まらない。収まるはずがないのだ。


 ニコラスにはその古参兵の怒りがよく分かった。


「小事を捨ててでも大事を守るだと? その程度の思考、儂ら兵士が知らぬわけがないだろう。犠牲を払ってでも守るのが兵士わしらの仕事だ。祖国に赤子殺しだの殺人鬼だの誹られても守るのが兵士わしらだ。それでも儂らは守るのだ。

 切り捨てねばならぬ、救えぬかもしれぬ者であっても最後まで足掻いて最善ベストを尽くす。開き直る言い訳にするなど、あってはならん」


「ご立派です、ご老人。あなたの言う通り、すべての兵士がその理想を完璧に果たせるのなら、僕としてもよかったのですがね」


「完璧でないからこそ、我らは理想を指針と仰ぎ見るのだ。それにだ、貴様のやっていることはテロリストとなにが違う? 守るべき若者を神のためと唆し、人間爆弾に仕立てて利用した連中と、なにが違う?」


「違いますね。たとえテロリストと同じ行為であっても、そこに至る選択と決断は、国益と厳格に照らし合わされ、幾人もの葛藤と苦悩の末に生み出されたものです。救世主きどりの個人が掲げる安い正義とは違う。

 他国を踏みにじり、他民族を虐殺してでも、自国民が幸福ならば清濁すべてを呑む。それが国の正義というものです。そのための駒が我々です。

 国が綺麗なままでいるために、汚れるのが我々の存在意義です。目の前の敵を殺せば終いの兵士あなたがたとは違う」


 マクナイト老人は鼻白んだようだった。ようやく彼の動きが止まった。


「マクナイト老人、あなたは大変優秀な兵士だったのでしょう。皮肉ではなく本心です。実際にあなたは理想を胸に、信念と矜持をもって最後まで軍務を果たされた。個人の感情と理性のなせる業です」


 クルテクの目にはじめて光が灯ったようにみえた。

 闇夜で起こした撃鉄が落ちる、その刹那に飛ぶ火花のように、ほんの一瞬。


「ですが、我々は違います。我々工作員にそんな個性は必要ない。我々にとっては任務の完遂こそすべてであり、それこそが我々の矜持です。

 名を捨て、人格を捨て、愛するものすべてを捨て、空っぽの駒に成り果てた我々に残った、唯一無二の絶対不可侵の正義です。

 情報機関とは、国家を維持し保護するシステムであり、所詮我々はそれを動かすための替えの利く消耗品に過ぎない」


 ニコラスは、この男へ先ほど抱いた曖昧さの正体を理解した。


 この男は“誰でもない”のだ。

 「クルテク」という名はおろか、容姿も目の前の言動一つとっても、この男を特定する者ではない。


 人工的に、後天的に、そしておそらく自発的に――国の歯車たれと創られた人間なのだ。


「我々は“特別”であってはならないのです。誰にとっても“特別ではない凡人”の群れであるがゆえに、組織は絶え間なく理路整然と運営されるのです。

 だってそうでしょう? 個人のために組織システムが犠牲になるなど、国が犠牲になるなど、そんな不条理が許されていいはずがない」


 ニコラスはクルテクのことが心底嫌いになった。


 この男も、最善を選べる奴なのだ。

 自分が最善ハウンドを選ぶように、この男も最善のために、手段を問わずすべてを尽くす。


 ゆえに決して相容れることはない。


「そちらの理念については理解した。共感はしないがな。で、あんたらはハウンドをどうする気なんだ? 利用するのは結構だが、生死を問わないってんなら協力はしない。今すぐ立ち去ってもらう」


「なんならこの場で殺してもいいんだがな」


 マクナイト老人がパシ、パシ、と握った杖で手を叩く。それを横目にクルテクは静かに息をついた。


「君らの好きなようにやるといいさ。そもそも僕が救出に加わったなんて知ったら、彼女は自ら舌を噛みかねない。

 僕は、ラルフ・コールマンら五人の棺桶が輸送機から大西洋に投棄された時、その場にいたからね。救出対象の命を脅かす存在が救出チームにいても仕方ないだろ」


「なっ……!?」


 ニコラスは絶句した。せりあがった怒りが喉元を過ぎ、咥内にまで迫ったが、ぎりぎりで押しとどめた。


 やや俯いたクルテクの顔の影に、静かな悔恨と憤怒を感じ取ったからだった。


「……軍の輸送機を使わない時点で疑ってかかるべきだった。まさか連中があそこまでやる恥知らずだと思わなかったんだ。こればっかりは殺されても文句は言えないと思っているよ」


「だったらそう言ってやればよかっただろ」


「言う? なにをだ。仕方なかったから許してくれとでも? 許すわけないだろ、あの子が。彼女がコールマンたちをどれだけ慕っていたと思っているんだ」


 そのとき瞳に浮かんだ色を、なんと形容すべきか。


 ニコラスは海兵隊だった頃を思い出した。

 真夜中の大海原のど真ん中で、乗艦していた空母の上から揺れる水面を覗き込んだ時の、得も言われぬ底知れなさ。


 それほどまでに深い深い激情が、彼の瞳の奥底に揺蕩っているように思えた。


 と、思いきや、クルテクは一息つくと肩をすくめ両手を上げた。

 先ほどまでの暗い空気は瞬時に霧散し、緊張感もなく呆れる男がそこにいた。


「それにだ。彼女のことは君よりずっとずっと前からよく知っているんだよ。なにやっても言うこと聞かないし、暴れるし、全っ然懐かないし。そのくせコールマンには初対面の時から尻尾ブンブンさ。

 あの時の疲労感ときたら、君に想像つくかい? 挙句、飼い主の僕そっちのけで、口を開けばコールマンたちのことばかり。毎日調書をとりにいく僕がどれだけうんざりしてたと思ってるんだ。

 あんな手のかかる子供のお守なんて二度とごめんだね。助けに行きたいなら僕抜きでやってくれ」


「……とまあ。こういう男だ。理解したか、ウェッブ」


 バートンが苦笑交じりに肩眉と口端を吊り上げてそう言った。「察してやってくれ」と顔に書いてある。


 クルテクの豹変ぶりに目を瞬いていたニコラスは、我に返って思いっきり口元をひん曲げた。


 気持ちの整理のため腕を組み、しばらく天井と足元を交互に眺め、溜息ごと込みあがった感情を吐き出す。

 時間にして五秒はかかった気がする。


「今ので概ね理解しました。一緒に食事に行くのは断固拒否したい相手ですね。飯がまずくなる」


「慣れるとそうでもないぞ?」


「……ひとまずハウンドをすすんで害する気はなさそうなので、今はそれで良しとします」


「うむ。それで頼む」


「そこの師弟、くだらん会話をしてないでとっとと本題に入ってくれ。それで? 僕を含めた新参メンバーの参戦に君らは賛同するのか?」


 クルテクが両手を広げて周囲を見回す。住民は顔を見合わせ、こちらを見た。


 ニコラスは組んでいた腕をほどき、腰に手を当てクルテクとバートンを見つめ返す。


「あんたらの敵は?」


「USSA」


「もとい『双頭の雄鹿』の殲滅だな」


「なら決まりだ。協力しよう」


 ニコラスはクルテクとは軽く、バートンとはしっかりと握手をした。


 新たな戦力の参戦である。


「ちょっと待て。儂は了承しとらんぞ。そこの男だけでいいから殴らせろ」


 と、すんなりいくわけもなく、さっそく反対意見が出た。


 マクナイト老人を止めるケータも新戦力参入に懐疑的な姿勢だが、祖父のように反対の上ボコボコにして叩き出そう、という意見にも反対らしい。


 ここで新参組が大人しくしてくれればいいのだが、


「捕縛の時から本当に人の話を聞かないな、君の祖父は。癌以外に脳の検査もやっておいた方がよかったんじゃないか?」


「拉致った張本人がなに言ってんの!?」


 御覧の通り、このクルテクという男、本当に口が減らない。ケータのツッコミにもどこ吹く風だ。


 これが捨てきれなかった彼の本来の個性なのか、それともわざとやっているのか、それすら定かではないのが実に厄介だ。


「拉致しただけだ。ちゃんと適切な治療も受けさせただろう。むしろ感謝してほしいぐらいなんだが?」


「それならそうと一言相談してほしかったんですけどねぇ……」


「言う訳ないだろ。君、この手の腹芸は一番向かない人間だからな。まあ、協力には感謝しているよ」


「……どけ、ケータ。やはり手足の一、二本切り落としておいた方がいい」


「杖でどうやって切り落とすの……って、うわーっ、いつの間にか斧に持ち替えてる!? ちょっ、ストップ、爺ちゃん! ステイ、ステイ!」


「喧しいぞ、馬鹿孫! 儂を犬扱いするなっ」


「ジェイソン爺って言わないだけマシでしょっ。ていうか、ここ俺がキレるとこだよね!? なんで爺ちゃんの方がキレてんの!?」


 ごもっともな意見である。

 凍てついた空気がいくらか和んだのはいいが、ここまでくるともはやコントだ。どうしてこうなった。


 すでに店長とクロードは生暖かい目で傍観し始めており、バートンに至っては腕を組み、うんうんと満足げに頷く始末である。

 どうせ「さっそく仲良くなって結構なことだ」などと思っているのだろうが、実際は殺し合いデスマッチ三秒前である。


 結局誰も止める者が現れず、やれやれと一歩を踏み出した、その時。


「ニコラスちゃん、いる!?」


 個室のドアが勢いよく開いた。というか吹っ飛んだ。


 ドアの前にいたケータとクルテクが巻き添えで盛大に跳ね飛ばされるが、それに目もくれず、ニコラスは口と目をあんぐり開けた。


「チコ……!? と、イヤド……!?」


「ああ、よかった。無事だったのねっ」


「ヤ、お兄サン。お久しぶりネー」


 ターチィ領で出会ったゴリマッチョのサロンオーナーことチコと、元米軍通訳のイラク人イヤドがいた。




 ***




「特別軍事作戦が始まってからは、イヤドちゃんと一緒にずっと店で大人しくしてたの。ターチィ一家があんなことになっちゃったから」


 個室の会議用テーブル席に腰を据えたチコは、そう切り出した。


「領内をUSSAの連中がうろつき始めた頃からはますます警戒したわ。向こうもアタシらのこと警戒してたしね。そんな矢先、あの子が空から落ちてきたの」


 チコがちら、と床に目を落とす。


 そこには胡坐をかいたイヤドが、一羽の通信兵を手当てしていた。

 白頭鷲のワキンヤンである。


 撃たれたらしい彼には片足がなかった。千切れ飛んでしまったのだろう。そのうえ翼にも何発かかすめた形跡があった。


「すぐイヤドちゃんが保護してくれて助かったわ。止血が少しでも遅れてたら、あの子は助からなかった」


 ワキンヤンは「キュイー」とか細く鳴きながらも、周囲を睨みつけている。

 大人しく治療に身を委ねているのは、傍らで飼い主のアレサがその首を撫でているからだろう。


「その時に、イヤドちゃんが千切れた脚の方についてた筒のようなものに気づいたの」


「この子と一緒に落ちてきたネー、通信筒ネ。差出人はすぐ分かったから、中身だけ確認してそのまま置いてきたヨ。絶対回収しに来るって分かってたからネ」


「賢明な判断だ。持ち去っていれば、追手は君たちにも向けられたことだろう」


 バートンの合いの手に、チコは大きく頷く。


「ええ。だから怪我したこの子と、筒から抜き取った“コレ”だけ持ち去ったの。アタシにはよく分からなかったけど、イヤドちゃんが絶対に持っていった方がいいって」


「ミチピシ一家当主、オーハンゼーはお兄サンのこと、特に気にかけてたネ。それに彼、コールマン軍曹と関係深かっタ。だから、こういう証拠品、お兄サンに渡す可能性あると思ったネ」


 イヤドが筒から抜き取ったのは、密閉袋に入れられた一通の手紙だった。


 差出人は、ラルフ・コールマン。上官にあてられた手紙だった。

 内容は――。


「…………思った通りですね。あの絵本は、『双頭の雄鹿』を告発するために描かれたものじゃなかった」


 手紙に目を通したニコラスは、その場にいた全員に、絵本に関する仮説を語った。


 ラルフ・コールマンは、本当にただハウンドを想って、あの絵本を描き遺したのだ。


 それを聞いて真っ先に口を開いたのは、クルテクだった。


「なるほど。USSAから離脱する寸前、連中がついに絵本を入手したと聞いて、ずっと疑ってたんだ。君がヘルハウンド彼女の大事な品をそう易々と手放すものかとね。納得したよ。絵本に残された最後の謎を、すでに解いていたのか」


「……好き好んで手放したわけじゃない。それに、連中にしても絵本は貴重な証拠品だ。ハウンドやコールマン軍曹たちをテロリストとしてでっちあげるための、な。少なくともそう簡単に処分したりしない……と思いたい」


「連中とて馬鹿ではない。そこまでの愚行には走るまいよ。それにだ――この手紙、最高の切り札になるぞ。これにはコールマンが処分覚悟でUSSAの悪事を告発しようとしていたことが記されている。本人の直筆でだ」


 バートンが誇らしげに、けれど寂寥を隠せぬ声音で言った。クルテクも頷く。


「ああ。証拠品としての価値をみればあの絵本以上だ。あの爺さん、こんな重要証拠をまだ隠し持ってたとはな。大手柄だよ、イヤド。勝手にバックレた現地工作員とは思えない働きぶりだ」


「契約は違反してないネー。それに、この手紙をオーハンゼーから引き出せなかったあなたにも責任あるネー」


「はっ、そりゃあ悪かった。それで? この手紙にあるタペストリーってのは、まだオーハンゼーの元に?」


 クルテクの問いに、ニコラスは「恐らくは」と返した。


 それを聞いて、クルテクはテーブルを叩いた。


「となれば、話は早い。USSAの悪事を暴く証拠品は手に入った。これだけでも十分だが……」


「USSAの情報操作で無力化される恐れがある。発表のタイミングが重要だな」


 ニコラスがそう言うと、「その通りだ」とクルテクは指を二本立てた。


「ゆえに、この先どう行動するか、我々には二つの選択肢がある。一つはこの手紙だけを証拠品として、USSAの悪事を世間に公表し、打倒する。もう一つは――」


「手紙の他に、証拠品と証人を確保し、証拠を固める」


「そういうことだ。ヘルハウンドとタペストリー、この二つを奪還する。確実さを求めるなら証拠集めの方だが、相応のリスクもある」


「ということは、ハウンドの救出もまた最重要事項ということだ」


 そう結ぶと、クルテクは「はいはい、分かってます」とばかりに首と手を振った。


「そうだ。この手紙だけでも十分裁判に持ち込めるが、証人がいるに越したことはない。さっきも言った通り、僕は救出には参加しないからね。君らで勝手にやるといい」


「と、いうことは多少の後方支援バックアップはやってくれるということだ。よかったな、ウェッブ」


「僕はまだ何も言ってないが?」


 バートンにクルテクが反論した――その時。


 突如、震動が襲った。


「何事だ!?」


「地上の監視班と繋げ! 状況を報告させろ!」


 返答はすぐに返ってきた。震え声で。


 それを聞くなりニコラスは驚愕したが、平静に戻るのは早かった。いずれ来るだろうとは思っていた。


「ヴァレーリ国境付近にミサイル攻撃だ。エリー湖上空から飛んできた戦闘機にやられたらしい」


「恐らくF-22によるGBU-39精密誘導弾だ。恐らくオハイオのライト・パターソン空軍基地から飛んできたんだろう」


「ライト・パターソンだって? あそこは兵站支援と装備開発が主の基地でしょう」


「五日前にラングレーから第27戦闘飛行隊が緊急配備された」


 バートンの返答にぎょっとする。


 空軍の第27戦闘飛行隊といえば、空軍で最も古い戦闘飛行隊であり、最新戦闘機F-22『ラプター』が真っ先に配備された部隊である。

 畑違いのニコラスですら知っている有名な部隊だ。


「皮肉なものだな。同じ『27』を背負う者が一番手とは」


「初の実戦投入がアメリカ本土というところもね。ついに始まったな、が」


 クルテクの発言の直後、再び激震が奔った。同時に、ニコラスたちの意識にも。


 特別軍事作戦はあくまでUSSA主体の攻勢だった。だが一月にわたる徹底抗戦の結果、奴らは第二段階へ移行した。


 米軍の本格参戦。

 これまでとは桁違いの大規模攻勢が、今まさに幕を開けたのである。






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次の投稿日は12月6日(金)です。

次回からは最終節・後編として、12節でスタートします。


以下、今後の投稿予定日と、読者の皆様へのお知らせがあります。




【今後の予定】

本職の年末年始の繁忙期があるため、以下の予定で投稿しようと思います。


12月20日(金) → 今年最後の投稿


1月3日(金) → お休み


1月13日(金) → 2025年初の投稿




【お知らせ】

唐突ですが、本作を賞に出すことにしました。ダンガン文庫さんが開催する『次世代ラノベコンテスト~アングラ部門~』です。

この賞を出すにあたって、仮に受賞しても(まあ初応募なのでまずないとは思いますが)本作は完結まで投稿する予定です。少なくとも作者はそうしたいと思っています。


この辺りは出版社さんとの契約上、厳しい部分もあるかとは思います。

ですが自分としては、無料とはいえ不定期更新の素人作品を四年も追っかけてくれた読者の皆様に、せめてもの恩返しとして完結まで投稿するのがけじめと思っています。


なんで、万が一自分が賞とってもエタることはないし、エタらないよう最大限交渉するつもりです。期待に沿えなかったらごめんなさい。


以上、捕らぬ狸の皮算用レベルの作者からの宣言でした。初応募、頑張ります。

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