『最強』という名の最弱
隅田 天美
『最強』とは最弱である
昨今、『チート(最強)』と呼ばれる小説が多くなった。
――前世の記憶で
――現代の知識で
――かつては魔王で
云々。
これ自体に私は批難をしようとは思わない。
例えば中学時代に読んだ『スレイヤーズ』や『南総里見八犬伝』、高校生の時に熱心に読んだ『剣客商売』『眠狂四郎』も突き詰めればチートである。
古い作品ではあるけど、古臭さを感じさせない。
まあ、理由付けは今のようにレパートリーがあるわけでもなく
――修行をして
――何となく
――運命で
そんな程度だ。
しかし、昨今のチート小説には何か違和感を感じる。
正直、頭を抱えるものもある。
自分なりに考察してみた。
そして、ようやっと答えが出た。
違和感の正体。
それは『作者が読者を信用してない』ということ。
読書。
作品が読まれるということは、自分の想像を相手に文字にして仮託することだ。
例えば、私の横には円柱の薬があるのだが、それが何か想像できただろうか?
正解は、キンカ〇。(かゆみ止めと筋肉痛緩和と眠気覚まし)
もちろん、そこに細かい描写はしていくが、それでも結局は相手に想像を委ねることになる。
だから、どんな名作でも百人いれば百人通りの想像がある。
同じ物語を語る時、相手は主人公目線だけど自分は別の目線で考えていたことを伝えて差異を楽しむ。
それが本来、小説の醍醐味の一つであったはずなのだが今の『ラノベ』いや『テンプレート』小説にそれはない。
――お前さん、アニメ化でも目指しているんですか?
そんなことを問いたいぐらい、目の色や髪の色、服装などを指定する。
でも、中身はない。
取柄は、ただ『最強』。
そんな人物に感情移入や思い入れが出来るだろうか?
先に述べた小説の登場人物は確かに強い。
最強の魔法が使え、最強の剣客であり、最強の剣士である。(ここに見る、私の読書バランスの悪さ)
でも、完璧な人間じゃない。
美味しいものや酒に目がない、愛する者が傷ついたり亡くなれば悲しむ、仲間と笑い合ったりもする。
時に愚痴る。
時にニヒルになる。
だから、一緒にいたいと思う。
細かい指定はない。
でも、心の微細を書いている。
そこに何があるのか?
私が思うに、作者の読者への信頼があるのだと思う。
自分の思いを受け止めてもらえるという、不安と期待。
この感情の重さはプロになればなるほど半端でないと思う。
今、こうして文章を書いている私ですら「変な誤解を与えないかなぁ?」とか「どう受け止められるかな?」などと怖くなる。
小説になれば、実在しないのだから不安は倍増する。
私なんて
「えーい、自棄だぁあああああああ‼ ふらっしゃあああ‼」
などと心で叫ぶ。
でも。
だから。
自分の思いを読者が感じてくれて感想を頂いたとき。
――ああ、作者でよかったぁ
と思える。
逆に言えば、読者を信じず、ただ、常に『最強』と言う空虚な人形たちしか作れないと、あるときこう思うだろう。
――あれ? 自分は何をやっているんだ?
『最強』という名の最弱 隅田 天美 @sumida-amami
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