エピローグ

 ――あれから随分と時が経った。


 ミーナは成長するにつれ、体も丈夫になり寝込むこともなくなった。

 それが花のおかげなのかはわからないけれど、私たちは青い花が幸運を運んでくれたのだと信じた。


 大人になるほど毎日は忙しなく過ぎていく。日々自分たちのことを精一杯頑張っているうちに、扉のことを気に留めなくなっていた。そしていつしか、あの細い路地に緑の扉を見ることはなくなっていた。


 子供の頃の記憶が、夢の中の出来事のように少しずつ薄らいできていた。


 それぞれ家庭を持ち、ミーナとも別々の道を歩むことになったけれど、それでも『青い花』は姉妹で大切にしている。

 二人で会う時に花を相手に渡し、渡された方は次に会う時まで大事に保管する。そういう決まりだ。


 お互いの子供が巣立って子育ても一段落し、再び姉妹で会う時間が増えてきた頃、私が渡した『青い花』を見つめながらミーナがふと口を開いた。


「姉さん、あの工房を探しにいかない?」


「え、工房って……セーブルさんの工房のこと?遠く離れた町にあるのは間違いないけれど、扉は現れなくなったし、具体的な場所はよく知らないわ」


「あの頃は工房の中を探検するのに夢中で、どの町にあるかなんて気にしていなかったものね。私たち、ちゃんと表の入口から入ったこともないのよ」


 もう一度探検してみましょうよ。妹のその一声で工房探しが決まった。


 昔はよく熱を出しておとなしかったけれど、今のミーナは私よりよっぽど活発だ。もしかしたら、本当に『青い花』のおかげかもしれない。そう考えたら改めてお礼を言いに行ってみたくなった。


 様々な知り合いのツテをたどって、ようやく工房がヒルベリーという西のはずれの町にあることを突き止めた。

 私たちのいる場所からは汽車でほぼ一日がかりだ。お互いに空いている日を出し合い、大急ぎで日程を立てた。


 荷物をぱんぱんに詰めた旅行鞄を抱えて、ミーナは子供のようにはしゃいでいる。私も久しぶりにわくわくしていた。この感覚は長い間ずっと忘れていたものだ。


 もちろん『青い花』もケースの上から丁寧に布に包んで持っていく。


***


 汽車にひたすら揺られ、ヒルベリーに到着する頃には日がすっかり傾いてしまったけれど、絵の具工房は親切な町の人のおかげですぐに見つかった。


 十年ほど前にセーブルが引退し、今は弟子のルーセントが店主を務めているらしい。


「あの無愛想のままだとしたら、お店は大丈夫かしら?」


「先代のセーブルさんは人当たりが良い人だったものね」


 姉妹で好き勝手言いながら目抜き通りを進む。職人たちの暮らす町は見たことのない珍しい店もたくさんあって、ただ歩いているだけでも楽しい。


 しばらくして、教えてもらった工房の外観が見えてきた。私たちは示し合わせたように、そっと物陰から店の中を観察する。


 お客さんと思われるひょろりと背の高い青年が、紙袋を抱えながら去っていった。一瞬見せのドアが開いたが、中の様子はよくわからない。

 あまり長居はできないなと考えていたところ、灰色の髪の男性が店の外に出てきた。面影はあまりないけれど、眉間のシワでルーセントだとすぐにわかった。少年の時よりシワがずっと様になっている。

 ミーナと目が合うと、二人でくすくすと笑った。


「相変わらず無愛想そうね」


 ルーセントが渋い顔で店の奥に声をかけると、麦わら色の髪の少女が小走りで駆け寄ってきた。店を早めに閉めて二人でどこかへ行くらしい。


 歳を重ね職人としての厳しさが加わったルーセントは、一見近寄りがたい。

 しかし、少女を見下ろすルーセントの眼差しがかつてのセーブルと重なる。私にはそんな風に見えた。


 気のせいかと思ったけれど、隣に佇むミーナも同じ事を思っていたようだ。ぽかんと口を開けて彼らを見ていた。姉妹でふたたび顔を合わせくすくすと笑う。


「でも、きっと大丈夫ね」


 急に霞がかっていた少女の頃の記憶が、色鮮かやに蘇ってきた。


 麦わら髪の少女と、かつての自分が重ったせいかもしれない。

 この『青い花』をルーセントは覚えているだろうか。明日になったらミーナと一緒に工房を訪ねてみよう。


 今度はちゃんと憶えておこう。扉のむこうへ冒険したあの頃の話を――

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扉の向こうは ナヲザネ @nawozane

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