―二番目の星のばけもの―



 ―― ――


 空から星が降り注ぐ。


 きらきら。きらきらと。


 輝きの軌跡で夜闇を彩りながら。


 一つ。また一つと星が降り注いでいく。


 空の下には少女がいた。

 少女は歌を歌っている。


 透き通るような歌。

 どこまでも、遠くの果てまでも響いていくような、そんな歌を。


 星が一つ少女の元へと降り注いだ。

 伸ばしたその小さな手の平に、飛び込む様に。


 少女はその星を手に、夜空を見上げる。


 大切そうに胸に抱いて、そしてまた……星が降り注ぐのを待ち続けるのだった。


 ―― ――





「――。――」


 小さな湖のほとりには化け物が住んでいる。

 付近に住む村々の住人達から恐れられている化物が。


 化物は、人を喰らって生きていた。

 暴れ、怒りくるうもの。

 そんな化物を恐れた人々が生贄を差し出して、それがずっと続いてきた。


 化物は生贄を喰らっている間は静かだった。


「――、――」


 驚くほどに静かで、無音で、静寂を纏っていて、まるでただの朽ちた屍の様にそこで最低限の動作をしているだけ。


 けれど、生贄が尽きれば化物は再び動き出し、つかの間の平和は終わりをつげる。


 生贄がいなくなれば、化物は再び動き出すだけだった。


「――、――」


 そうしてその化け物は、己の内にわだかまる怒りの衝動を吐き散らす為に、人々を見つけては力を振るう事を繰り返していた。





 そんな化物の前に姿を現す者がいた。


 生贄だ。


 生贄に選ばれたその少女は、怯え、震えていた。


 少女は、他の人々に手を引かれて連れて来られた湖へと近づいていく。


 少女はそこで人々の為に、化物に食われる運命だった。


 それは栄誉ある死。平和の礎となる運命。


 だが少女自身に拒否権はない。


 だからといって、少女がその事について悲嘆にくれる事は無かった。


 少女の瞳に生きるための生命の意思はなく、ただただ恐怖し無力なままで、その運命を受け入ていただけだったからだ。


 少女は湖の端で立ち続ける。


 己の身が食われる時を待ち続ける。





 そうしてその少女が、己の命の終わりを待ち続けてからどれだけの時間が経っただろうか。


 やがて、静かなだけの時が過ぎ去った。


 少女の前へ現れた化物。


 化物はさっそく用意された生贄の少女へと手を伸ばした。


 少女は抵抗を見せない。

 逃走しようとはしない。


 化物の手が、小さな少女の体に触れた。





 それから数日。

 少女が化け物へ生贄に差し出されてから、それだけの時間が経っていた。

 付近は村々は平和な日々を取り戻していた。


 けれど、少女の命は失われてはいない。生きている。


 なぜなら、生贄を差し出された側である化物が、少女を食わなかったからだ。


 それはとある変化からくるものだ。


 少女と出会った化物は、言葉を話せるようになっていた。

 そして化物は、身の内を焦がすような怒りの衝動を抑えられるようになっていた。


 それは一つの命が終わるかもしれない時の事。

 少女自身が化物に食われる前にと、言葉を放った時の事だ。


 化け物に変化が起きたのは、その時だった。

 少女は化け物に言葉を投げかけた。


「私を食べるの?」


 化け物はそれに応えたいと思った。

 少女の問いに言葉を返したいと思った。


 なぜなら、その化け物は今までに他者から問いを与えられた事も、答えを求められた事もなかったから。


「怒りが苦しい」


 少女は再び問う。


「それは我慢できないの?」

「……」


 化け物は答えない。


 少女の小さな問いかけ。

 それは化け者が生贄に与えられたものの、確かな一つだった。


 そこから言葉が生まれ、会話が生まれ、対話となっていく。


 それらはおそらく、他の生命から見ればささいな変化だろう。

 遅々としすぎる成長。変化


 けれど、化け物にとってそれはは大きすぎる変化だった。


「我慢、デキる……?」


 その時になって化け物は初めて、怒りが我慢できるものだと初めて付いたのだから





 化け物は、生まれてた時から化物だったわけではなかった。


 始まりは皆と同じ。


 非力な赤子であり、何もできない無力な存在であり、


 祝福されていて、愛されていた。


 けれど、それらは生まれ落ちてから早々に手放される。


 化け物に与えられるものは、何一つ残されなくなってしまったのだ。


 それから。


 それからは……、


 長い。

 長い年月を、虚無と共に過ごした。


 化け物は、誰とも触れ合わず、何物も与えられず。


 ただ、ただ何もないままで。


 ただ一人きり、孤独なままでいた。


 だが、そんな化け物にも慰めが存在していた。


 たまに見あげる空は美しい。

 朝日が輝くうちは歩けない空だが、限りなく虚無に近い空間。夜の空は自由だった。


 化け物はたびたび空を見上げて過ごしていた。

 星が輝く、美しい空を。


 だが、化け物の心に怒りが与えられたのは、夜空を見るようになってからだ。

 果てしなく遠い場所にある物、決して手の届かない輝き。

 それが素晴らしい物だと分かっているのに、それは決して手に取る事ができないものだった。

 永遠に、おそらくはずっと。


 化け物は星の素晴らしさを真に理解する事は出来ない。

 初めて望んだものは得られない。

 手に入れるどころか、誰からも与えらえないもの。


 化け物は、何かを得るよりも先に、得た物で心を満たすよりも前に、飢餓感を覚えてしまうのだった。


 その、想いが。

 その悲しみが。

 飢餓に付随する虚無感が。


 化け物の身の内を焦がす怒りとなるのだった。





 けれど、今は違う。


 ばけものは満たされていた。


 地上に落ちた星が、手を伸ばさずとも輝きを与えてくれたからだ。


 少女は、星が遣わした使者。


 長い間ずっと、与えられる事が無かったばけものに、輝きを与えるものだった。


「星は誰かの願いを叶えると、地上へ落っこちちゃうんだって」


 少女はばけものに触れる。

 温もり、触れ合い。


 少女はばけものに知識を教える。

 言葉、言い伝え。


 生まれ落ちてすぐその後から、今まで何一つ……怒りの感情以外、与えられる事が無かったありとあらゆる物を、分け与えてゆく。


「星が好きなの?」


 虚無が有限になった世界。

 ゼロの可能性が、イチへと変化した世界で。


 ばけものは、やがて化け物ではなくなっていた。


「星になりたいの?」


 化け物だったそれは手を伸ばす。


 いつかとは違う。

 飢餓にあえいだ一人きりの夜でもなく。


 満ち足りた二人きりの夜で。

 生贄の少女と共に立ちながら。


 空を眺めている。


「なれるよ。今ならきっと」


 星のないこの地上に生まれた、一つ目の星の名前。


 少女の名前はアイン。


 そして、新たに生まれた二つ目の星の名前は


 かつて化物だったその者の名前はツヴァイ。


 ――それは、一つの星が地上へ遣わされた話。


 ――それは、一つの星が長い旅の末に仲間を見つけた話。


 ――そしてそれは、二つ目の星がその世界に生まれた話だった。


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詩集 星の軌跡 仲仁へび(旧:離久) @howaito3032

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