第5話 重ねた嘘

 ジジを一階のコミュニティールームに通し、椅子に座らせてから、「部屋に飲み物あるから取ってくるよ」と伝えてその場を離れた。


 いざ自分の部屋の冷蔵庫を開けてみたらペットボトルのお茶が一本しかなかった。それを片手に持ちながら、思いついて母さんに電話を掛ける。


 呼び出し音が鳴ったまま、しばらく待たされた後、

「あ、航太? どしたの、こんな時間に」

 ようやく母さんが電話に出てくれた。本来学校に行っているはずの時間に息子が電話を掛けてきたから驚いたのだろう。その声は普段の感じではなく、少し慌てた様子だった。


「それがさ、ジジがこっちに来てるんだけど」

「はあ、なんだって?」

「だから、学校の寮にジジが直接来たんだって。僕の顔を見に来たっていってたけど、今日来るなんて事前に聞いてなかったからさ。来るんだったら前もって教えてくれないと」

 すると母さんは、「え? ジジが?」と言うと、「お義母かあさん! お義父とうさんが航太のところに行ってるって!」と電話の向こう側で大きな声を出した。


「航太ちょっと待ってて。いまババと変わるから」

 何事かと思い少しばかり待っていると、ババが電話に出た。

「ジジがそっちに行ってるって?」

「ああ。僕の顔見に来たってさ」

 まったくもう、と言いつつ、ババは大きく息をついた。何か安堵したような雰囲気を感じる。

「ずっと航太のことを気にしてたからね。心配になって、わたしたちにも言わずにそっち行っちゃったんだね。航太、すまないけど少し相手してもらっていいかい?」

「分かった。じゃあジジ待たせてるから、もう切るよ」


 母さんやババの口ぶりだと、ジジは勝手にこちらに来てしまったみたいだ。二ヶ月ほど前、母さんからのラインで、ジジが若干認知症気味だということを聞いていたから、もしやとは思っていたが、どうも心配した通りだったらしい。家から勝手にいなくなって、探していたのだろう。


 ペットボトルのお茶を一本持って、コミュニティールームに戻った。

 ジジは、物珍しそうにあたりを見渡していたが、僕が戻ってきたところで前を向いた。


「お茶なんて、飲まないから用意しなくて良かったのになあ」

 椅子に座り、テーブルにペットボトルのお茶を置いた。それをジジの方にゆっくりと押す。

「そういうわけにもいかないだろ。お客さんなんだから。それにしてもどうしたの急に。突然来たからびっくりしたよ」

「驚いたのはこっちだ。聞いたぞ。具合悪いんだって?」

 ジジが寮の場所を聞いたのがたまたま渋谷監督だったらしい。道すがら、僕が具合悪くて学校を休んでいることを聞いたとのことだった。


「大丈夫だよ。朝起きたら少しめまいがしたんで、大事をとって休んだだけだから」

「もう歩いていいんか?」

「ああ、問題ない。なんなら、午後から学校に行こうと思ってたぐらいだよ」

「そうか。それなら良かった」

 安堵した顔で、ジジが言った。


「ジジこそ大丈夫なんか? ここまで遠かったろ?」

「なあに、日本国内なら、電車バス乗り継げばどこだって行けるわ」

 僕が中学を卒業したときに、もう必要ないと言ってジジは運転免許証を返納していたから、現在のジジの移動手段は公共交通機関しかないはずだった。僕に会いに来るために、朝早く出発してきたのだと思うと、なんとなく申し訳ない気持ちになる。


 こうしてジジと二人で話しをするのは正月以来、半年ぶりだった。そのときに比べ、ジジは見た目も話し方も、だいぶ年をとったように感じられた。いつまでも元気でいるとこっちは思っていても、寄る年波には勝てないということなのだろう。

 ジジからは、母さんやババの近況報告を聞いた。それによると、我が家には特に大きな出来事は起こっていないことが分かった。 


 話が一段落したところで、ジジが「ああ、なんだ……」と、言いにくそうに話し始めた。

「引退試合のメンバー発表、延期になったんだって?」


 それを聞いて、ジジが今日、僕の顔を見に来た理由はこれだな、と悟った。

 昨日、母さんにしたラインの内容を聞いて、孫のことが心配になったのだろう。

 ジジの顔を見て、僕は最初、本当のことを伝えようと考えた。昨日は気の迷いであんな嘘のメッセージを送ってしまったけど、遠いところを訪ねてきてくれたジジにまで嘘を付くわけにはいかないと思ったのだ。けれど――。


「そうなんだよ。明日以降に延期するってさ」


 僕は頷き、少し困ったような顔をして見せた。

「ほら、今年の三年生は実力者ぞろいだからさ、監督もまだ決めかねているんじゃないかな。もう少し考えたいと思ったんだよ、きっと」

 前島のごとが、咄嗟に口を突いて出てきた。

「そうか――」

 幼稚園のときからずっと見てきた優しい笑顔で、ジジが言った。

「監督も人間だからな。迷うこともあるさ」

 孫を信じている顔だった。

 それを見て、僕の心が波打つ。

 

(……嘘だ。監督は迷ってなどいなかった。僕は、ベンチ外になったんだ)

 

 本心を隠すように、僕は笑いながら続ける。

「この間、練習試合で活躍できたんだ。レギュラーは難しいかもしれないけど、春と同じでベンチには入れると思う」

 

(……違う。僕はベンチにも入れなかった。競争に負けたんだ)

 

「だから、心配するなって。約束どおり、僕がジジを甲子園に連れて行ってあげるよ」

 

(……ごめんなジジ。本当にごめん……)

 

 僕の話を聞き終えたジジは、「そうか」ともう一度笑った。


――続く

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