第2話 メンバー発表

 あれから十二年後の六月某日。


 寮の食堂には三年生部員のみが集められていた。練習後の汚れたユニホームからジャージに着替えての集合だった。


 強豪校と名をせている高校なだけに、三年生だけでも三十人以上はいる。ほとんどの部員は緊張からか顔が引きつっており、言葉数も少ない。みな思い思いの椅子に座り、食堂の入口にあるドアに視線を向けている。そこから登場するであろう渋谷しぶや監督を、今か今かと待っている状況だった。


「しっかし監督、遅えよな」

 小声で話しかけてきたのはお調子者の前島まえじまだ。この緊迫した状況の中でも、普段と変わらず軽口を叩いてくる。


「俺たちが集合時間に一秒でも遅れたらド迫力で怒るくせに、監督自身が平気で遅れてくるって、どゆことよ」

 確かに食堂の時計を見ると、集合時間である午後六時を五分ほど過ぎていた。

「もしかして、発表する来週の試合のメンバー表、まだできてなかったりしてな」

 前島が続けてしゃべってくるので、「そんなわけないだろ」と突っ込んでおく。


「そんなわけあるっての。俺たち三年の引退試合のメンバー表だぞ。誰を入れて、誰を落とすか。ああ、徹夜で考えても答えが出ない。今年の三年生は、なんて実力者ぞろいなんだ! メンバーを決めるなんて私にはできない! なんて――」

「僕たちの能力なんて、伸びしろも含めて渋谷監督はもう完璧に把握してるよ。選考でいまさら監督が悩むはずがない」

 真面目に返すと、「だよなー」と前島がにやりと笑った。

「去年もさ、淡々と発表したらしいぜ。先輩が言ってた。迷いなく、冷酷に、淡々とだ。でさ、そのメンバーが結果からいって納得の人選だったわけじゃん。当たり前だけど、部員のことをよく見てるわ」

 監督の目は誤魔化せないし、監督の判断は信頼できる。それが部員全員の総意だ。

 

 食堂のドアが勢いよく開いた。渋谷監督と、監督を呼びに行っていたマネージャーの内山うちやまが一緒に入ってくる。前島も含め、部員がみな直立不動になった。

 渋谷監督は食堂内を見渡し、「遅れてすまない」と遅刻の謝罪を一言で済ませた。

「いいからそのまま座ってくれ」

 監督の指示から一拍おいて、部員一同は椅子に着席した。


 渋谷監督は背が高く、がっちりした体格をしているから、前に立っているだけでかなりの威圧感があった。歳は五十をゆうに過ぎている。二十年前に野球部の監督としてこの高校に招かれた。当時新設されたばかりのこの高校を、県内有数の強豪校へ変貌させた立役者は、間違いなく渋谷監督だった。


 監督は前置きなく、すぐに本題に入った。

「先日伝えたとおり、これから来週の土曜日に行われる引退試合のメンバーを発表する。名前を呼ぶから、呼ばれた者は前に出てきて私から背番号をもらっていくこと。いいな」

 三年生部員の誰もが緊張の面持ちを隠さなかった。


 通常、試合に出場するメンバーの発表であれば、たとえそれが練習試合であっても、選ばれたいと強く思うのが当たり前なのだが、この試合だけは例外だった。からからの喉に無理矢理つばを飲み込む。


 全国高校野球選手権の地方大会が開催される七月を前に、毎年開かれる特別な試合がある。それが三年生の引退試合だ。

 地方大会に参加できるベンチメンバーは二十人しかおらず、それ以上部員がいる高校は、必然的にベンチメンバーを選抜することになる。そして、ベンチに選ばれなかった三年生は、大会を前にして強制的に引退となるのだ。

 他の高校でもやっていることだが、うちの高校でもベンチ外となった三年生は、近隣の高校と引退試合を行い、一足早く『最後の夏』に区切りをつけることとしていた。


 渋谷監督がこれから発表する引退試合のメンバーに選ばれるということは、本大会に出場できないことを意味する。それは選手としてこのチームに必要ないと宣告されることと同じであり、だからこそ、誰もが自分の名前を呼ばれたくないと思っているのだ。


 小学一年生のときから野球を続けている僕が、実家から通えないこの高校に来たのも、甲子園に行きたいという夢を追ってのことだった。

 親元を離れ寮生活をしながら、夏の炎天下の中でも、冬の零度を下回る気温の中でも、日々厳しい練習に耐えてこられたのは、甲子園という目標があったからだ。


 この二年、甲子園への切符はライバル高が掴んでいた。

 今年がラストチャンスなのだ。

 自分には才能がないと分かっていたから、他の誰よりも、死に物狂いで練習をした。

 ここで夢への道を途切れさせたくはなかった。

 でも――それは他の部員も同じはずだ。


 監督が名前を呼ぶ。

「前島陸斗りくと

 はい、と返事をしながら、前島が監督のところへ向かった。

 監督から背番号を受け取るときには、いつものお調子者の表情は消え、涙を必死に堪えていた。


 ポジションが捕手の前島は、これまで一度もベンチメンバーに選ばれたことがなく、本人もすっかり諦めているようなことをほのめかしていたから、もう切り替えができているものと思っていた。諦めるということは、そんなに簡単ではないということなのだろう。


 右肘をさすりながら思い出す。

 リトル時代からずっと投手だった僕は、今年の春季大会では、初めてベンチメンバーに選ばれていた。

 しかし、公式戦では結局一試合も投げることができず、非常に悔しい思いをした。

 夏の大会では、なんとしても試合で投げたい。そして甲子園出場をこの手で掴みたい。

 大丈夫。そのために、春季大会以降こんなに頑張ってきたのだから。


 その後、何人もの部員が名前を発表された。皆、歯を食いしばって「はい!」と大きく返事をしていた。

 そして、監督が新たな名前を呼んだ。

 

「倉本航太」

 

 はい、と答えられたかどうか、僕には分からなかった。

 監督から背番号を手渡された。

 引退試合でつける背番号だ。

 元の位置に戻った僕は、それを右手で強く握り潰していた。


――続く

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