第3話 嘘のメッセージ

 引退試合のメンバーが発表された後、監督がいなくなった食堂では、部員それぞれの想いが交錯した。

 ある部員は安堵し、ある部員は泣き崩れた。仲間を励ます者がいれば、仲間から想いを託された者もいる。言葉なく抱き合う者たちは、二年二ヶ月の野球部の思い出をかみしめているように見えた。


「おまえらが全力で戦えるよう、しっかりサポートすっからな」

 前島が赤くなった両目をこすりながら、仲間の肩を叩いて回る。吹っ切れた顔をしていた。さすが前島だ。誰よりも早く気持ちを切り替えることができたようだ。


「俺、明日からチームのために何でもやるわ!」

 ベンチ外を宣告された別の部員が大声で叫んだ。すると、同じ境遇の者たちが、「チームのために」と賛同の声を上げた。


 あいつらだってもちろん悔しいに決まっている。

 悲しくて、辛くて、腹が立っているに決まっている。

 そんな想いを全部飲み込んで、チームのために頑張ろうと気持ちを切り替える。監督がいなくなった食堂でのこの時間は、きっとそのために用意されたものなのだろう。


 しかし、誰もがみんな、チームのサポート役に回ることをすぐに受け入れられるわけじゃない。「チームのために」という気持ちにはなれない者もいる。


 壁に寄りかかって立っていると、部員の一人が「なあ」と声をかけてきた。名前は知っているがあまり話したことがない部員だった。ただ、黙々と練習していた姿が印象に残っていた。


「王貞治の名言、知ってるか」

「なんだよ、突然」

 そいつは、僕の隣にしゃがみ込み、独り言のようにつぶやいた。

「努力は必ず報われる。もし、報われない努力があるのならば、それはまだ努力とは呼べない」

 そこまで言ってから、顔をこちらに向けた。

「聞いたことぐらいあるだろ」

 何も返さないでいると、そいつは声を殺して泣き出した。

「二年間、レギュラーになりたくて、ずっと努力してきたってのにさ……。教えてくれよ。報われない努力を努力と呼べないっていうなら、俺がやってきたことは、一体何だ?」

 心に浮かんだ答えはあった。だけど、あまりに残酷すぎて、言葉にすることはできなかった。


 そいつはいつまでも涙を流した。僕はそれが羨ましくてしかたがなかった。いつか泣き止んだそのとき、きっと気持ちが切り替わると思ったからだ。

 監督から名前を呼ばれて以降、僕の目に涙は流れていない。

 ベンチ外になったことを受け入れられず、悲しい気持ちも悔しい気持ちも感じることができない僕は、泣くことができないし、涙を流しきって気持ちを切り替えることもできない。中途半端なままだ。


 ベンチ外を受け入れられないのには理由がある。


 春季大会が終わってから、公式戦で投げられなかった悔しさをバネにして、練習に練習を重ねた。

 自分の立ち位置は、投手として四番手ぐらいだと思っていた。球威はあるが、コントロールに難がある。自己分析した短所を克服するため、とにかく投げる回数を増やした。

 荒れ球が少なくなってきたところで、今度は長所を生かすためにチェンジアップを覚えた。すると、練習試合で渋谷監督から登板機会が与えられた。

 結果として、僕はそのチャンスをものにすることができた。三回を一人のランナーも出さず投げきった。誰が見ても完璧なピッチングだったと思う。

 ベンチ入りは確実。あとは公式戦で投げられるまで地力を上げるだけだ。このときの僕は、監督の信頼を勝ち得たと思っていた。


 それなのに――自分は監督に選ばれなかった。

 結果を出したのにベンチ外になったことが、ただただ信じられなかった。


 他にもある。

 食堂の反対側を見ると、視線の先に他の部員から祝福を受けている者がいた。

 身長は僕と同じくらいだが、猫背が原因で低く見える。周りに見せる笑顔も自信なさげで頼りない。今回、投手として初めてベンチメンバーに選ばれた今村いまむらだ。

 今村のおどおどした目がこちらを向いた。僕は意識的に視線をそらす。

 僕がベンチ外になる代わりに、これまでベンチ入りしたことのない今村が選ばれたことが、僕の心をさらにかき乱した。


 今村はリトル時代のチームメイトで、子供ながらに投手としてライバル関係にあった。中学は別々になったが、活躍していたことは噂で聞いていた。

 高校で再会したとき、多少の懐かしさはあったものの、投手のレギュラーを奪い合うライバル関係の復活に、負けられないという思いを強く感じた。


 強豪校だけに、県外からも多くの『中学ナンバーワン』が入部してくる。その実力に押され、二人ともずっと公式戦のベンチに入ることができなかった。しかし、僕は今年の春季大会でようやくベンチ入りを果たした。またしてもベンチ外だった今村に、ようやく差をつけることができたと思った。思ったのに――。


「はいみんなー。まもなく食堂閉めるんで、そろそろ解散してほしいってさ」


 マネージャーの内山が両手をメガホンのようにして三年生たちに呼びかけた。その声に応じてぞろぞろと入口に向かう部員の一人がつぶやく。


「母ちゃん、がっかりするだろうな……」


 僕は心臓が掴まれたように苦しくなった。そうだ。この後部屋に戻ったら、家族に結果を伝えなければならないのだった。


 母さんは引退試合のメンバー発表が今日であることを知っている。僕からの結果連絡を待ちわびているはずだ。自分の息子がベンチ外になったと知ったら、きっと悲しい思いをするだろう。そして、ずっと応援してくれているジジとババ、特に、甲子園に連れて行くという約束をしたジジは、結果を聞いてがっかりするに違いない。


 憂鬱な気分のまま寮内を歩き自室に着くと、二段ベッドの下段――自分のベッドに寝転んで、スマホを手にする。


 どうしてそうしたのか、僕自身も分からなかった。あえて理由を付けるなら、結果を受け入れられないことに起因した現実逃避行動と、問題を先送りしたいという保身的行動によるものだと説明できるかもしれない。


 家族ライングループにメッセージを打ち込む。


『引退試合のメンバー発表、延期だって』


 僕は嘘のメッセージを送信したあと、枕に顔を押しつけ、叫びたい衝動を必死に抑えた。


――続く

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