地球に滞在する宇宙飛行士の悩み

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     〇


 小学生のとき、作文の授業があった。地球の環境を守るために私たちができることとかそんな課題だ。こういう大人が綺麗事を押し付ける習性が大嫌いだった。そもそも地球の環境とはどの時代のどの状態を指すのか。酸素がない時代や気温が今とは比にならない高さの時代だってあったわけだ。もちろん大人はそういうことを望んでいるわけではない。そう、つまり『人間のための』という重要な部分が抜けている。別に地球にとって人間は大した要因ではない。むしろ人間がいなくなったほうが他の生態系にとっては良すぎることが多いくらいだ。という自論を盛大に書き込みたかったが、担任教師に苦い顔をさせられ保護者が呼び出されて説教され書き直しさせられることは簡単に予測できた。つまり時間の無駄。一番無駄なく事を済ませるには、自分のやりたいことの逆をやればいいだけだ。大人が望む言葉を書き連ねれば、担任教師は微笑み保護者は成績の点数を褒めて作文は県のコンクールで表彰されていた。

 僕の外見は無駄なく綺麗に形成されていった。だが中身はどうだろう? 黒くてどろどろしたものが、ずっと熱く溶けあっている。


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 僕も大人になった。さて最近の(人間にとっての)地球環境はと言えば、簡潔に言ってクソヤバイ。夏の暑さは酷になるばかりで外出すれば脳みそはゆで卵になる。気候は人間の決めた暦を無視して気ままに暴れまわり、台風も地震も簡単に人口を激減させる。未知のウイルスの感染力は世界的猛威となり、全人類を被害者側にしてしまった。夢見た新技術は簡単に人を殺していく。人類史にとって周回する現象なのかもしれないが、生きづらい事実に変わりない。富裕層たちは団結して地下帝国やスペースコロニーの建造を急いだが、どこかの隙間から必ず崩壊していくのがオチだった。

 世界を変える労力は果てしないので自分を変えたほうが楽な気がする。試しに僕は昔仕事で使っていた宇宙服を引っ張り出して日常生活でも使ってみることにした。

 宇宙服は名前の通り、人間という脆弱な肉体を過酷な宇宙空間でも維持できる最強の衣服である。温度も調整されて生命維持装置もついている。言わば(人間にとって住みやすい)地球を着るようなものだ。

 日常生活において宇宙服を使うことに、意外と不便を感じるのは少ないと感じた。周囲から奇異な目で見られる、フルフェイスお断りの店に入れない、自分の指で鼻の頭をかけないとか些細なものだ。やや大ぶりなサイズ感はすぐに慣れて、屋外での活動は一気に快適となった。こうなると屋内でもそのまま着続けたい欲が高まる。宇宙服の脱着は非常に面倒くさいのだ。

 ただ脱がないことで問題になるのはまず食事と排泄だった。宇宙服を改良する必要がある。食事について、食材を全て液状化する装置を作った。それらはチューブを通して服内に入り込み直接口腔まで届くようにした。排泄はその逆である。従来ならオムツに吸収させるがずっとそれは耐えられない。カテーテルから排出されたものは超分解させて噴霧上のものを体外に排出させた。ほぼ放屁と同じような現象である。肉体も衛生的でいられるよう、実験段階のクリーン化する微生物と共存することにした。電力は外部は太陽光から、内部から熱変換装置で取り入れるようにした。機器制御とメンテナンス用ナノマシンも問題なく機能している。実質、宇宙服を脱ぐ必要はなくなったのである。僕は最高の地球環境を実現した。


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 この宇宙服技術をオープンソースで公開した。もともと独占する気はなかったし、宇宙服仲間が増えてもいいと思っていた。

 すぐに生産する企業が現れて屋外で仕事をする者には必須アイテムとなった。やがて脱ぐ必要がないこともわかるとそのままで過ごす者も増えていった。政府から推奨もされることになり国民にとって当たり前のスタイルとして定着していった。着ない者はどんどん亡くなっていった。

 みんな宇宙服になると見た目の優劣というものが消えた。宇宙服にはパワーアシスト機能も追加されたので男女の肉体労働の差も埋まった。サポートの人工知能も搭載されたのでみなが的確な判断のもと行動するようになった。受精と出産は体外処置が常識化した。乳児は宇宙服の中で育ち、宇宙服のサイズに合わせて成長するようになった。

 人類皆宇宙服となったのだ。


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 僕は天邪鬼なので、みんなが宇宙服を着だすと今度は自分だけ脱ぎたくなってきた。とは言え地球の環境は人間にとって終わっており、もう密閉された屋内ですら脱ぐのは危険な状態になっていた。となると、もう地球以外の場所を探すしかないのだ。僕は昔仕事で使っていた宇宙ロケットに乗ってアチコチの星を巡ってみた。しかしいくら地球とよく似た星をしらみつぶしに当たってみても、ほんの少しバランスが違うだけで生身の肉体は維持することができない環境ばかりだった。宇宙は人間のために創られてはいないのだ。

 人間も星も宇宙そのものでさえ、やがては無限に広がり続けてとても小さい一点に収束し、そして僕たちを構成する全ての要素が均等に並び揃ったところで消失の状態となる。時間と空間の辿り着くところだ。宇宙嵐に揺られながらそんな夢を見た。


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 僕は諦めて地球に戻ることにした。亜光速で移動し続けたせいもあって、僕にとってのひと時が地球では何千年何万年と過ぎている計算になる。いい加減人類も滅んだだろう。もしかしたら進化した新人類と会えるかもしれない。

 しかし地上では変わらず宇宙服たちが蠢きあっていた。僕が旅だったあの日と何も変わらない様子だ。計器でも狂ったのだろうか。だが地球環境はデタラメな変化を遂げている。空は虹色に踊り、海は凍結と蒸発を繰り返している。

 違和感の正体、感覚でしか言えないが生気というものが存在していなかった。とある宇宙服に話しかけてみる。しかしお決まりの機械音声が流れるだけで本人の声が聞こえない。ヘルメットのミラーガラスの向こう側は表情が見えない。最悪の想像を確かめることにして、その宇宙服を脱がした。

 空っぽだった。

 肉体が機能停止してもなお、人工知能が宇宙服を動かし続ける。やがて腐乱した肉は排泄されていく。たったそれだけの現象だった。

 天から生える木というものを思い出した。とある樹木の頂上に、鳥のフンに混ざった種子が成長を始める。地上の根元に向かって絡みながら伸び続ける。やがて元々の樹木は枯れてなくなり、外側に巻きついた木だけが残るというものだ。

 宇宙服があれば肉体はいらなかった。虚無を抱えた宇宙服はずっと人間社会を演じ続けていた。


 今、僕の肉体は存在するのか? 僕の魂は本物だろうか?


 僕は久しぶりに宇宙服を脱いでみることにした。宇宙服の外見は無駄なく完璧に形成されていた。だが中身はどうだろう? 熱く、黒くてどろどろしたものが、溢れだした気がした。なんだかとても清々しい気分だ。深く呼吸をする。ハローワールドと、呟いてみた。

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