Ⅴ 世界を繋ぐ唄-3


  ―――あれから永い時が流れた。

 自らの意思で地上に残ったアレス兄さんも僕らに合流し四人での共同生活から始まり、タナトス兄さんとリオスから生まれた子供達が成長し、また子供を生し…そうして子孫が増えていき新しい家族は大きくなった。

  朗らかな性格のアレス兄さんは新しい家族になろうとも難なく混じっていた。

 相変わらず僕だけが変化に竦み、誰とつがいになることもなく、次第に遠くから新しい家族達を見守ることにしていた。

  最初は四人だった地上での生活が今では集落ができるほどになった。皆の知識を募り営みをより豊かに、弱さは支え合い助け合う生活は素晴らしく思えた。

 だけど今の生活を美しいと、過ごしやすいと思う度に「どうして楽園の家族とはそれができなかったのか」その後悔に苛まれる。

 永い時が経ったというのにその答えは未だに分からない。


  平和な暮らしは永遠には続かない。変わらない日々がないように、崩壊はいつもすぐ傍に潜んでいる。

 楽園で何が起こったのかは分からないが、どうやら僕らを放っておいてはくれないようだった。天より宣告された"制裁"の意に僕らは家族を守る為に立ち向かわねばならない。


  僕らが楽園を去った後に生まれたであろう新たな有翼人が空から災厄を齎した。

 二人の使者は大地を白銀に凍てつかせ氷の世界へと変貌させてしまう。

 そして、大切な兄まで瀕死に追いやった。


「っ…アレス兄さん…!」

  僕は結局戦いの場に出ることができなかった。根っからの臆病で卑怯者だ。

 有翼人である僕が戦えていれば、世界が変貌することもアレス兄さんが瀕死になることはなかったかもしれないのに。

  謝ろうと思うのに胸が締め付けられ、喉に突っかかって声にならない。

 ああ、僕よりも苦しいアレス兄さんが微笑んで僕を見る。真っすぐで力強い視線が交わると弱い僕は震えてしまう。

 いつかは訪れると覚悟をしていた大切な人の最期。それでも耐え難い辛さで身が引き裂かれそうだ。

「あとは任せた」

  制裁にやって来た弟達との戦いで消耗しきったアレス兄さんはそうして息を引き取った。眠るように瞳を閉じるとアレス兄さんの姿が魔石へと変わった。

 逞しく、強い輝きを秘めた二つの魔石がリオスの腕に抱かれる。



  次に、死期を悟っていたタナトス兄さんが魔石となった。

 日に日に衰えを感じていたタナトス兄さんは翼を失ったことにより寿命が生じたのではないかと言っていた。有翼人である僕らには無縁だった生命の期限。

 限られた時間の中、薄れゆく魔力を感じたリオスとタナトス兄さんが決めた自らの最期。それが魔力と知識を未来の家族へ託すことだった。

 二人の願いを聞き入れ、僕らもそれに賛同した。兄さん自身が望み決めたこととはいえ、やはり最期は辛い。


  最期の時はリオスと二人で過ごしてもらおうと僕は離れた場所で待っていた。

 しばらくするとリオスが愛しい我が子を抱くかのように二つの魔石を持って来た。

 最愛の人との死別とはどんな気持ちだろうか。僕は生涯を共にする一人など分からなかった。大切な人を失うのは想像だけでも辛く苦しいのにリオスの表情は穏やかだった。彼女は僕にはない強さを持っている。

  僕らは二人でタナトス兄さんとアレス兄さんへ送る鎮魂歌を歌う。その時ばかりはリオスの瞳が涙ぐんだように見えたが、彼女は凛とした態度を崩しはしなかった。

「行こうか」

  次はリオスの番だ。それなのに彼女に恐れや躊躇いの色はなかった。僕よりもずっと彼女のほうが辛い筈なのに、自身の強張る顔をどうにもできなかった。


「二人で飛び回ってると昔に戻ったみたいだね」

  無邪気に笑うリオスの背に翼はない。昔ならいつも彼女が僕の隣か前を飛んでいた。今は僕が彼女を抱えて飛んでいる。誰よりも自由で楽しそうに空を飛んでいたリオスを思い出すと胸が締め付けられるような思いだった。

  リオスは自分の好きな空に近く、見晴らしの良い山に眠ると決めていた。

 終着地点に降り立つとリオスは悲し気に氷漬けの世界を見渡す。

 僕ら兄弟が永い時を掛けて慈しみ育んだ緑はどこにもない。様変わりしてしまった地上がお父様の怒りの現れだと言うならばあまりにも虚しい。

  陽は海へと沈み出し昼から夜へと変わろうとしている。もう時間の移り変わりは僕らの役目ではない。それでもこの境目の時間になると互いを意識してしまう。


  覚悟を決めたかのようにリオスは僕を真っすぐと見た。その頼もしいほどに迷いのない瞳に胸がぎゅっと苦しくなる。

 いつだって君は自分の信念に素直だ。僕が一生手にすることのできなかった強さだ。

「それじゃあ、あとはよろしくね」

「待って!…リオスの死期はまだ近くないでしょ、だったらもう少し後だって…!」

「セレネ…」

「……ごめん」

  看取る辛さに耐えかねて出してはいけない弱音を吐いてしまった。

 流したくもない涙がまた勝手に零れる。情けない、弱い自分が大嫌いだ。

  アレス兄さんの亡き今、地上で最も魔力を有しているのは僕だ。だからこそ僕が兄弟の魔石を各地の祠へ供えることを任された。タナトス兄さんもアレス兄さんも僕を信じて先に逝ったんだ。今更足踏みなんて許されない。立ち向かうことから逃げ続けた勇気のない僕への罰だろうか。


  耳を掠めたのは叱りでも激励の言葉でもなく、姉の歌声だった。

 昔リオスがよく僕に歌うよう願った子守唄。心がざわつき眠れぬ夜に聞くと安心すると言っていた。新しい家族に囲まれるリオスにその歌を聞かせる機会はめっきりなくなっていたが、彼女は覚えていたんだ。

  リオスだけの歌声をどれだけ久しぶりに聞いただろう。彼女は僕に歌うことを願ったり共に歌うことはあったけれど、彼女一人だけで歌うことはあまりなかった。

 僕と視線が合うと照れくさそうにリオスは笑った。

「私の歌声ってあんまり綺麗じゃないでしょう?歌うことは好きだけど、人に聞かせるってなると自信がなくて」

  知らなかった。リオスは苦手なものや嫌いなものは正直に公言する。それなのに僕にすら言っていない弱い部分があったなんて驚きだ。

  気がつかなかった、だって僕はリオスの歌声が好きだから。

 彼女の歌声は希望に満ちている。光そのもののような歌に欠点など感じなかった。

「私は何度もセレネの歌に救われた。セレネが居てくれたから安心できて勇気を持てた」

  リオスは僕の手を取ると優しく握った。いつも僕を導いてくれた手だ。

 力を分け与えてくれる柔らかな温もりは恐れや不安を溶かしていく。


  最期にもう一度だけ、二人で声を重ねて歌う。

 子供の僕らはいつだって喜びも悲しみも楽しさも寂しさも歌に乗せて分け合った。

 抱えきれない感情で涙は止まらなかったけれど身体の震えは収まった。

 もう躊躇わない。この想いが僕だけではない、それが分かったから。

「大丈夫、私達はずっと繋がっている。生命が尽きようと想いはいつだってすぐ傍にあるよ」

  リオスはそう笑うと光に溶けて姿を消してしまった。光の中から二つの魔石が生まれた。彼女の真っすぐさと強さを映すように魔石は眩い光を秘めていた。

 リオスの魂と魔力が眠る魔石を壊れないようにそっと掬い上げる。



  知識を伝える壁画に祈りを込めた詩、そして魔石を護る為の祠。

 限られた生命に気がついた時から準備していた子孫達への贈り物。

 これは僕らの利己とも言える。それでもどうか遠い未来は今よりも平和であるようにと祈る。叶いはしなかった願いと共に魔石を各地の祠へ供えていく。

  全ての魔石を供え終え、岩を重ね積み上げて出来た建造物の頂上にある祠へ辿り着く。

 此処で自分の生命と引き換えに魔石を生成すればようやく終わりだ。

 それなのに達成感よりも恐怖に襲われ涙が溢れ出てきた。

 最後の最期まで僕はどうしようもない臆病者だ。

  願いと想いを同じくした皆と決めたことなのに。また怖気づいてしまう。

 どうしようもない奴だと笑われてしまうだろう。情けない自分を追いやるように涙を拭った。


  外からの光が届かない暗く静かなこの場所は冷たく寂しい。

 リオスもタナトス兄さんもアレス兄さんももうどこにも居ない。

 本当に独りになってしまった。でも恐れることはない、還る場所は皆同じだ。

  僕の最期おわりを見届ける人は居ない。生き残った家族は身を寄せ合い氷の世界を生き抜いている。今思えば独りでよかったのかもしれない。誰かが傍に居たら弱虫な僕は逝けなくなってしまう。


  皆で作り上げた詩を高らかに詠う。詩を皆で作るなんて想像もしなかった。

 リオスの提案で皆の思いを詩に込め、良く出来たと思っている。

 僕らの願いを込めた家族へ託す詩。どうか悠久の時を越えようと色褪せず届いて。



  形もなく目にも見えないけれど、僕らは確かな絆で繋がっているから。

  過去よりも現在いまよりも"家族ヒト"を想える優しい未来を願って。

  皆に等しく安らかな時を―――


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Guardians of the star 瑛志朗 @sky_A46

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